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そのお守りのおかげか、マリアルーナは嫌がることなく学校に通った。
すぐに同性の友達もできたらしく、しばらくすると楽しそうになった。
カトレアの方は最初から保育園を嫌がることはなく、アイリスは最初寂しがったがすぐに慣れて、勇樹は安心していた。
3姉妹とも大きな問題はなく、勇樹も落ち着いて仕事ができる。
定時で終わればすぐに帰り、カトレアやアイリスを迎えに行って、翌朝家を出るまでバタバタなのだが。
その忙しさすら、勇樹は嬉しかった。
それがなければ、リリアンローズの存在を思い出してしまいそうだった。
もうすぐ半年が経つ。暴動が終わっているとは考えづらいが、何も情報がないことが不安だった。
今どんな状態なのか、皇族は無事なのか。
リリアンローズが怪我をしているとは考えづらいが、それも可能性がないわけではない。
そんな勇樹の願いもむなしく、皇国から連絡が来ることはない。
勇樹の唯一の希望は、自宅の一室に作った小さな皇国だった。
大企業の倉庫の管理という仕事を始めた勇樹の働きぶりは、社内で有名だった。
遅刻や無断欠勤は当然なく、熱心に働く。
シングルファーザーのため娘が体調を崩すと休むことはあったが、早退や遅刻も会社は温かく認めてくれた。
元々皇国で騎士たちに囲まれて鍛えた身体だ。普通の男たちが持てないものも、軽々持ち上げた。
リリアンローズが管理していた備品庫で鍛えた、ものを管理するという力は、ここでも活きた。
そんな環境で落ち着き始めていた頃、小さな事件が起きた。
いつものように倉庫で働いていた勇樹のもとに、上司が電話を持って駆け寄ってくる。
「“宮野、小学校から電話だぞ。娘さんに何かあったんじゃないか?”」
「“え?あ……、すみません。仕事が……”」
「“たまにはいいって。お前はいつも真面目に働いてくれてるんだ。ちょっとサボるくらいが、他のやつらとトントンでいい。同じ給料を払うこっちの気が楽だ”」
上司の優しい言葉に深々と頭を下げて、電話の保留を消した。
「“もしもし”」
『“あ、お仕事中申し訳ございません。朝日ヶ丘小学校1年生の担任の渡辺と申します”』
「“いつも娘がお世話になっています”」
保育園から電話が来ることはよくある。アイリスが熱を出した、というのがほとんどだが。
小学校からというのは、初めてだった。マリアルーナに何があったのか。
『“翠月ちゃんなんですが、お友達と喧嘩してしまって……、怪我はしていないのですが、興奮しているみたいで外国の言葉でしか喋ってくれないのです。もしよければ、お父様に来ていただいて……”』
皇国語を誰にも理解できないと知って以降、マリアルーナは外でも喋るようになった。
日本語も不慣れなわけではないが、誰にも知られない皇国語の方が魔法や母のことを話せるため嬉しいのだろう。
しかし、まさか学校で、日本人相手に話すとは。
「“すみません、すぐに向かいます。娘は……、しばらく1人にしてあげてください。1人で気持ちを整理する時間があれば、落ち着くことがあります”」
『“わかりました。その方法でこちらも対処してみますので、お父様もどうかごゆっくり……”』
そう言われたが、当然落ち着けるはずはない。
上司に事情を説明し、早退する許可をもらって、仕事着のまま小学校へ急いだ。
マリアルーナは保健室のベッドの1つのカーテンを閉めて、引きこもっていた。
「“申し訳ございません。今、男子生徒にも事情を聞いていますが、何分翠月ちゃんからのお話が伺えないので……”」
「“こちらこそご迷惑をおかけしてすみません。私の方から話してみます”」
「“お願いします……”」
新人なのだろうか、担任教師の顔は、初めての事態にかなり戸惑っていた。
「ルーナ、お父さんだぞ。入っていいか?」
拒絶するように閉め切られたカーテンに向かって皇国語で語り掛ける。
するとすぐにカーテンが開いて、泣きじゃくったマリアルーナが出てきた。
「せっかくのかわいい顔がすごいことになってるぞ。もう大丈夫だから、泣くな」
「おとうさ……っ、おとうさまぁ……っ!」
「泣かなくていい。何があったのか話してくれるか?できれば日本語がいいが、ルーナが話しやすいなら皇国語でいい。ルーナから聞いた話は、お父さんが先生たちに伝えるから。な?」
「ひくっ……ひっ……く」
今までにない程泣いているせいか、何度もしゃくりあげ、言葉にもならない。
まずは落ち着かせる方が先決だと、勇樹は娘を抱きしめた。
「大丈夫だ。お父さんがいるから、もう大丈夫だぞ」
小さな体をしっかり抱きしめ、滑らかな髪を撫でる。しばらくそうしていると、マリアルーナは落ち着きを取り戻した。
「ルーナ?話せるか?」
「……やぁ……」
「なんでイヤ?」
「……あたし、わるくないもん」
「わかってる。お父さんも、ルーナが悪いとは思ってない。でも、なんでお友達と仲良くできなかったのか話してくれないと、先生たちに説明することもできないだろ?」
「……テッキくんが、おかあさまのネックレス、とった」
「返してもらえなかったのか?」
「とりかえした」
「そ、そっか……」
さすがはあのリリアンローズの娘だ。そこは強い。
「それで喧嘩になったのか?」
「んーん。テッキくん、おこって、がいじんはがいこくにかえれっていったの。だから……。あたしだって、かえれるならかえりたいもん」
それで興奮したマリアルーナが皇国語で怒ってしまい、ここまでこじれたのだろう。
「ルーナ、それ、学校に持ってくるのはもうやめようか」
「……なんで?」
「学校にそういうのを持ってくるの、本当はダメなんだ。それに似た補助具もあるから、そっちをこっそり持っていくことにしないか?」
「……おかあさまのネックレス、これだけだもん」
「そうだな。でもこれだけだから、大切にしないといけないんだ。今日みたいに取られたりしたらイヤだろ?」
「……イヤ」
「だからな、家で大事に保管しておかないか?ほら、お母さんの部屋に置いておけば、いつでも見られるぞ」
「うん……でも……」
「大丈夫。お母さんのお守りは皇国を出た時からお前たちに魔法がかかっている。だから、魔法石にはお父さんの魔力を込めさせてほしいんだ。お父さんに、ルーナを守らせてくれないか?」
「……わかった」
マリアルーナが納得してくれた。勇樹はホッと息をついて、後ろで心配そうに見守っていた教師たちを振り返る。
「“すみません。娘が持ち歩いていた妻のものが喧嘩の原因になったようです。学校には持って来ないってことで納得させましたので”」
「“あ、そ、そうですか……。わかりました”」
マリアルーナの初めての喧嘩は、なんとか収まった。
「おとうさま」
その日の夜、マリアルーナが神妙な面持ちで歩み寄ってきた。
カトレアとアイリスはそばで楽しそうに遊んでいる。だから勇樹も、マリアルーナの話を聞くことにした。
「どうした?ルーナ」
「あのね。……んっと……あたし、かみのけ、くろくしたい」
「……は?」
それは予想外の申し出だった。
「る、ルーナ、それはなぜだ?」
「あたしのかみのけ、へんなの。がっこうのおともだち、みんなくろいかみなの。だから、あたしもくろいかみのけがいい」
「……いいのか?お母さんとお揃いの髪、好きだったんだろ?」
「すきだけど……おかあさまといっしょがいいけど……、こっちにいるとき、おかあさまはいないの。だから、こっちにいるときだけ、くろいかみがいい」
「……わかった。じゃあ黒い髪にしよう。目の色はそのままでいいのか?」
「くろくなる?」
「あぁ、ちょっと怖いかもしれないけど、こっちにも目の色を変えられるものがあるんだ」
「まほう?」
「いや、魔法ではないな」
「じゃあ、おめめもくろくする」
娘の決断は、なぜか勇樹にとって辛いものだった。
まるで娘が故郷を忘れてしまうようで、母親の迎えを待つ気がないように見えてしまいそうで、怖かった。
しかしこの子が小さい胸を痛めて決意したことだ。
髪は黒く染めるわけではなく、外でだけ被れるカツラをかってあげた。
カラーコンタクトのつけ方も教えた。
せめて家の中では、マリアルーナが本当に望む姿になれるように。
父親としての勇樹の気遣いは、まだまだ止まらなかった。




