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数日後、皇女は朝から仕事に行かなかった。しばらく待っていると
「皇女殿下、失礼致します」
軽いノックの音とともに、皇女の世話係らしい老人が入ってきた。
「ユウキ様、お初にお目にかかります」
「あ、はい……」
「テオドールよ。前カルティエート公爵で、今は死にぞこないついでに雑用を押し付けられてるの」
皇女が説明してくれたため、なんとなく納得して頭を下げる。
しかしその視線は、彼の後ろにいる女性に向かっていた。
「皇女殿下、嫁を連れて参りました」
「ありがとう、じい。マーガレット、頼むわね」
「はい、殿下。このようなお役目を頂いたこと、光栄に存じます」
「じい、あとはいいわ。下がりなさい」
「かしこまりました」
テオドールは出て行くが、マーガレットはその場に残る。
あの老人の妻にしてはかなり若い。嫁と言っていたことから、息子の嫁ということだろう。
「カルティエート公爵夫人よ。夫人、話は聞いていると思うけど、ユウキの教育を任せたいの。わたしの婚約者、夫として恥ずかしくない程度の知識と作法を叩き込みなさい」
「かしこまりました」
「そうね……。まずは皇族としての作法。その後は結婚式の一連の流れ。ここまでは1ヶ月以内に終わらせなさい。結婚後は備品庫も手伝ってもらうから、他の儀式や基礎的な知識は無理のない範囲でいいわ」
勇樹の前でこまごまとした指示を出していく。その全てが公爵夫人の都合を全く考えていないのは、皇女として命令する形に慣れているからだろう。
「ユウキ、何をぼーっとしているの?」
「え?あ、いや」
「聞いていたのかしら。これから1ヶ月、結婚式までの間は忙しくなるわ。休む暇もないくらいに詰め込んでもらうけど、それでも余裕があるならいつでも備品庫に来て。それでは、話は以上よ」
必要なことを全て話し終わると、皇女はさっさと出て行ってしまう。
何も言わなかったことから、おそらく公爵夫人はこのアメジスト宮への立ち入りを許可されたのだろう。
「ユウキ様」
公爵夫人は深々と頭を下げた。
「あ、えっと……やめてください、そういうのは。自分は異世界人なので……」
「……ウィクダリア皇国の方であれ異世界の方であれ、殿下のご夫君となられることに違いはありません。そのような丁寧なお言葉遣いをしていただけるのはとてもありがたいことでございますが、下の人間には威厳のある態度でお接しください」
「す、すみません……」
「……」
「あ、いや……わ、わかった……」
カルティエート公爵家のマーガレット夫人は、明らかに勇樹より年上だ。
そんな女性に敬語を使わないというのは、なかなか抵抗を感じるものだが、皇族として必要だと言われればそれに従わないわけにはいかない。
「ご挨拶が遅れてしまいました。皇女殿下がご夫君、ユウキ様にご挨拶申し上げます。カルティエート公爵が夫人、マーガレット・マナ・カルティエートと申します。皇女殿下とユウキ様、ひいては皇帝陛下のお力になれますよう、微力ではございますが全力で務めて参りたいと思っています」
「よろしくおね……いや、よろしく頼む」
これでいいのかと迷いながらの返事ではあったが、マーガレットが笑顔で頷く姿を見て、正解だったとわかった。
「それでは、さっそくですが、お勉強を始めて参りましょう」
「あぁ」
勇樹の前に1つの水晶が開かれる。これが教科書代わりだろうか。
「まずは簡単なこの国の成り立ちから説明いたします。ウィクダリア皇国は、魔法を扱う者、魔法士を保護する国として、初代皇帝オスカー陛下により創られました。これが皇国の地図でございます」
水晶が大陸のようなものを映し出した。
「この国の外は海か?」
「……。外のことについては皇女殿下にお聞きくださいませ。皇国民は外のことについて知ることを禁止されておりますので」
「あ、わかった。困らせて申し訳ない」
「皇族方が臣下にそう丁寧に謝られてはいけません」
「あ……す、すまない……?」
やはり難しい。敬語を外せばいいというわけではないらしい。
「皇国民の多くは3歳でアカデミーに入学、アカデミー在学中の15歳から20歳までの間に結婚して子を産み、20歳でアカデミーを卒業すると興味のある仕事に就きます。そして50歳で退職してからは老後の時間を過ごします」
「この国の平均寿命は?」
「およそ60歳です。これは数百年で変わっておりません」
魔法が使えるのに、長寿ではないのか。
「俺がいた世界では80歳以上生きる人間が多くいる。魔法士の国がなぜそこまで低いんだ?医療の水準が低いとかか?」
「私は外の世界を存じませんが、病気を治す医療というものは長い時間の中で急速な発達を遂げています。しかし、人間はいずれ死ぬもの。寿命を延ばす医療というものは、皇国には存在しないのです」
価値観の違いというものか、長く生きたいという願いは、この国には存在しないような言い方だった。
「そしてユウキ様、お言葉を1つ訂正させてください」
「なんだ?」
「ユウキ様は今魔法士の国と仰っておられましたが、それはかつての話です。かつて皇国では、産まれる人間全てが魔法士でした。しかし、今は違います」
「あぁ、それは第三皇子に聞いた。確か皇族と公爵家のみが血統として魔法を受け継ぎ、他の皇国民は時々突然変異のように産まれるだけだと」
「はい、仰る通りでございます。現在皇国で産まれる魔法士の割合はおよそ3割。7割もの人間が、非魔法士として生活しています」
「でも、この国は魔法士の国として創られたため、魔法を使わずに生きていくのは難しい。そこで開発されたのが、魔法補助具、だろう?」
「よくご存知ですね」
「ちょうど昨日、第三皇子と話して」
「魔法補助具は市販されていますので、必要な時に買うという形が主流です。ですから、魔法が絶対に必要というわけではないのです。非魔法士が多くなってもう100年以上が経ちましたから、皇帝陛下を始め歴代の皇族の皆様が、非魔法士にも暮らしやすい国を作ってくださいました」
皇族への尊敬の念を感じる。しかし次の瞬間には、その顔が曇った。
「残念ながら、全ての国民がそう感じているわけではありません。ここ数年の動きですが、皇国は魔法士を優遇していると訴える国民がいます」
「デモや反乱が?」
「いいえ、今のところはありません。国民はわかっているはずですから。この国は皇帝陛下によって守られていることを。しかし……これからそう言ったことが起きる可能性は、否定できない状況になってきています」
「……」
どの国にも国のトップに逆らおうとする人間はいるのだ。
「現在、自称民主派、反皇帝派を率いているのは、ランネリウス侯爵です」
「ランネリウス……侯爵っていうと、貴族か」
「はい。貴族家からそのような人間が出るなど、情けなく皇族の皆様には申し訳なく思いますが……」
夫人の顔は苦しそうに歪む。そこで勇樹は、ある疑問を持った。
それをぶつけていいのか迷ったが、皇族は威厳を持ってと言われた言葉を信じて、口を開く。
「……夫人は魔法士なのか?」
「はい。直系の皇族と公爵家に嫁ぐことができるのは、魔法を持った女だけです」
「あぁ……」
魔法を受け継ぐという血を大切にするために、そういう形が取られているのだろう。
「皇女殿下のご成婚というのは、直径の皇族ではないにしても、皇国にとってとても大きな意味を持ちます。本来皇族に産まれた女性は貴族家に嫁ぐのが習わしです。しかしリリアンローズ皇女殿下は、革新的な道を選ばれました。それが貴族家や国民の目にどう映るのか、全てはユウキ様の立ち居振る舞いにかかっていると考えてください」
勇樹は責任重大ではないか。召喚されてすぐにそんなことを言われてもと戸惑いながら、それでも必要なら仕方がないと背筋を伸ばした。