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秋、冬と過ぎ去り、ついに春が来た。
冬の間、気温の変化に耐えきれなかったマリアルーナとカトレアは、外出を嫌がったり熱を出したりと大変だった。
が、なんとかその冬を乗り切ってくれたことに安堵しながら、新しい季節を迎えた。
「ルーナ、レア、朝だぞ。起きろ」
「んー……」
「……ろーしゃぁ……」
2人とも寝起きはかなり機嫌が悪い。そこも母親譲りなのだが。
朝から元気よく起きてくれるのは、毎朝空腹で目を覚ますアイリスだけだ。
「ルーナ、今日は入学式だ。レアも保育園だろ?」
なんとか無理やり起こし、朝食の席に座らせる。
「2人ともちゃんと起きて食べるんだぞ」
美味しそうなフレンチトーストを目の前に並べても、まだ2人は目を覚まさない。
アイリスに離乳食を食べさせながら、勇樹も手早く朝食を済ませていく。
こういう時、皇城での暮らしは恵まれていたと痛感した。
3人の面倒を1人で見ることはあったが、手が回らなくなれば宮女に手伝いを頼めたのだから。
家政婦の1人や2人雇える経済力はあるが、それでは家でも魔法を使えなくなってしまう。
それを思うと、勇樹が1人で頑張るしかないのだ。
「2人とも、のんびりするなよ。遅刻するから」
「んー……」
「とーしゃま、うるしゃーい」
「うるさいじゃないだろ」
「おとうさま、このおよーふく?」
「あぁ。着られるか?」
「うん」
入学式用だと祖父母に買ってもらったオシャレな洋服だ。
「レアもー、レアもー」
「レアのはこっちだ。かわいいぞ~」
カトレアも姉の真似をしたがるのを想定していたため、特にカトレアのお気に入りのワンピースを準備していた。
「きゃあー!」
「あ、こら、アイ。待てって」
その間に、もうすぐ1歳を迎えるアイリスは、ヨタヨタとふらつきながら走り出していた。
バタバタの朝を終え、なんとか子どもたちを車に乗せた。
まずは保育園だ。
冬の間に何度か慣らし保育を終えていたため、カトレアもアイリスも保育園を嫌がることはない。
従兄の奏太も同じ保育園で、既に何人か友達もいるようだった。
「“おはようございます”」
「“あ、おはようございます!カトレアちゃんとアイリスちゃん、今日からですね”」
「“はい。よろしくお願いします”」
「“お預かりします。カトレアちゃん、アイリスちゃん、パパとお姉ちゃんにバイバイしようか”」
「“バイバイ!”」
嫌がることなく元気な2人と分かれて、今度はマリアルーナの入学式だ。
今日までは仕事もないため、子どもたちに付きっきりになれる。
近所の小学校は入学式のためか、グラウンドまで駐車場になっていた。
「ルーナ、行くぞ」
「……」
「ルーナ?」
たくさんの車に敷き詰めれるように車を停め、後部座席を振り返る。
するとマリアルーナは、俯いていた。
「緊張してるのか?」
「……あたし、がっこ、いかなくていい……」
「学校は行かなきゃダメなんだ。ほら、皇国にもアカデミーがあるだろ?それと同じような感じだから」
「ちがうよ。アカデミーはまほうつかっていいもん」
「それはそうなんだけど……。今日だけは我慢して行ってみないか?ほら、お友達ができるかもしれないぞ」
「……おともだち、いらないもん」
「そんな悲しいこと言わずに……。あぁ、ほら、チヒロくんもいるぞ。仲良くなっただろ」
「“チーくん”、いじわるだもん」
「そんなことないって。今日は午前中だけだから、頑張ってみよう?」
「……」
嫌がるマリアルーナをなんとか誘い出し、車を降りる。
「ランドセル、かわいいな。似合ってるぞ」
「……ん」
カトレアなら服や持ち物を褒めれば乗り気になってくれるが、マリアルーナはそうもいかない。
まず校舎に入り、入り口名札をもらう。
「“ルーナ、つけられるか?”」
「おとうさまがつけて」
校舎内に入ったのだからと日本語にしてみたが、彼女からは皇国語で冷たく帰ってきた。
1年生の教室は1クラス。当然従兄とも同じクラスのはずだ。
教室の前まで行って、勇樹は止まった。
「“お父さんは先に体育館に行くからな。先生の言うことをちゃんと聞いて、お友達と仲良くするんだぞ”」
「ヤ。おとうさまといっしょがいい」
「ルーナ……、お父さんはここまでだ。あとでまた一緒になるから。な?頑張れるだろ?」
「んーん」
「“あれー?ルーナ、何やってんの?”」
まるで幼い子どものように駄々をこねるマリアルーナに困っていると、大きなランドセルを背負った千尋が、歩み寄ってきた。
「“あ、わかった!おじさんとはなれたくないってわがままいってるんだ!”」
「“……違うもん”」
「“ルーナはいつまでもあかちゃんだもんなー”」
「“ちがう!”」
「“じゃあ、いっしょいく?”」
「“いっしょじゃなくていい。パパ、バイバイ”」
「“あ、あぁ……”」
従兄の前ではかっこつけたいのか、マリアルーナはあっさり離れていった。
「“へんなの。おじさん、ルーナはオレがいっしょにいるから、だいじょうぶだぞ!”」
「“助かるよ。ありがとな”」
「“へへへ……”」
「“お母さんは?一緒じゃないのか?”」
「“たいいくかんだって。オレ、ひとりでもいいからさ!”」
「“そ、そっか……”」
教室までついていく親も多くいるが、子どもがある程度自立していれば、校舎の入り口で分かれる親もいる。
幼稚園に通っていた千尋は友達も多いらしく、後者の方だった。
体育館に入って並べられた椅子に座ると、先に来ていた姉が気付き、隣に座ってきた。
「“遅かったのね”」
「“あぁ。ルーナが寂しがってな”」
「“大変ね。千尋なんか、校門入った瞬間、じゃあまた、よ。……ったく、昔はかわいかったのに”」
「“子どもの成長は早いからな。ルーナもいつかそうなってくれるといいんだけど”」
「“なるでしょ。友達でもできればすぐに”」
そんなことを話しているうちに、入学式が始まった。
約30人の新1年生が列をなして入場する。そのかわいらしい姿を、たくさんの親たちがカメラに収める。
勇樹もそんな親たちに紛れて、マリアルーナの姿を写真に収めた。
いつか妻に見せる日のために。そう思って子どもたちの写真を撮りためているのだ。
マリアルーナの銀髪は、やはり目立つ。黒く染めた方がいいのか迷ったが、マリアルーナは母親の姿を探しているため、そこだけでも存在を感じられるようにと、染めるのはやめた。
全ての生徒が椅子に座ると、さっそく式が始まる。
「“新入生呼名。1年生の皆さんは、名前を呼ばれたら大きな声で返事をしましょう”」
1年生の担任教師の言葉が体育館に響く。1人1人、教師の口から名前が呼ばれていく。
「“間宮千尋くん」
「“はい!”」
甥の元気な声には励まされるが、次は娘だ。
「“宮野マリアルーナ翠月さん”」
「“はい」
元気とまではいかないが、体育館に聞こえる声で返事ができた。
そのことにホッとして、全身の力が抜ける。
お偉いさんたちの話は、特に興味がなかった。
入学式が終わり、次は教室へ移動。子どもたちの教室での様子を間近で見られる最初の機会だ。
「“皆さん、入学、おめでとうございます。皆さんの担任の先生になりました、渡辺美優です。よろしくお願いします”」
若い女性教師は、子ども受けしそうな優しい物腰だ。
リリアンローズとは別のタイプだが、マリアルーナが懐いてくれればいい。
「“それでは最初に、皆さんのことを教えてください。お名前と好きなものを1人ずつ。いいですね?”」
「“はーい!”」
子どもたちが大きな声で元気よく答える中、マリアルーナは静かに座っている。
勇樹はマリアルーナがちゃんと言えるのは、不安でしかない。
そんな勇樹の不安を横に、子どもたちの自己紹介はどんどん進んでいく。
「“はい、素晴らしいですね。橋本さん、ありがとうございます。それでは続いて、間宮千尋くん”」
「“はい!まみやちひろです。すきなのは……あそぶこと!”」
「“はい、いいですね。元気なのはいいことです。間宮くん、ありがとう。じゃあ次は宮野マリアルーナ翠月さん”」
「“……はい”」
少し元気がないが、マリアルーナが席を立った。
「“みやの、マリアルーナ、ミヅキです。すきなことは……かぞくであそぶことです”」
「“素晴らしいです。仲良し家族なんですね。それでは続いて……”」
なんとか言えた。マリアルーナの全ての言動に、緊張したり安心したり。
父親心というのは複雑で大変だと、勇樹は内心驚いていた。
午前中の初登校が終わり、父娘は帰途に就いた。
「ルーナ、頑張ってたな。偉いぞ」
「……ん」
車に乗り込むと、すかさず褒める。それも、皇国語で。
マリアルーナは小さく頷き、ふっと身体の力を抜いた。
その瞬間、勇樹が肌で感じる程に魔力が溢れ出された。
「……ルーナ……」
かなり頑張っていたらしい。全く気付かなかった。
確かに言われてみれば、車を降りてから、彼女の魔力を感じなかった。
ずっと我慢していたのだ。
「……苦しかったら、補助具を使ってもいいんだぞ?」
子どもたちに必要になればと、魔力を機械の力で封じ込めるものもある。
自ら封じ込めるには常に意識を置いておかなければいけない。それは幼い子どもには難しいだろう。
「んーん」
しかしマリアルーナは、補助具は必要ないと首を振った。
「これ、あるもん」
そう言って胸元から取り出したのは、リリアンローズが母親の形見だと言っていたあのエメラルドの宝石がついたネックレスだった。
「それ……!なんでそれを……!」
「おかあさまが、くれたの。あたしがもってていいって。でもとくべつだから、おとうさまにもないしょだよって」
皇国の国宝でもあるネックレスだ。国外に持ち出すなど、絶対に不可能だったはず。
「……そうだな。誰にも言わないようにするんだぞ」
リリアンローズが何か細工をしたのだろう。簡単に持ち出せてしまっている。
過ぎたことは仕方がないと、勇樹は深く息を吐いた。




