27
新しい家は、住宅地の中の一角。
念のためにと周りの家とは若干の距離がある、おしゃれな家だ。
引っ越したその日に、勇樹は自らの魔力でその家の敷地全てに結界を張った。
結界石に魔力をこめて、敷地の四隅に置くだけ。
この結界石は1つなら半径1m以内、2つならその間を平面状に、3つ以上はその範囲内に、魔力を込めた人間に悪意を持つものを入れないというもの。
あの男たちがまた訪ねてこないとは限らない。
勇樹が留守にしている間に子どもたちに接触しないためだ。
「おとうさま、これ、こっち?」
「あぁ、ありがとな、ルーナ。そこに置いておいてくれるか?」
子どもにも持てる小さなバッグを、マリアルーナは一生懸命抱えていた。
「とーしゃまぁ、ここ、おうち?」
「あぁ、そうだぞ。新しいお家だ」
対してカトレアの方は、手伝う様子も見せずにずっと話しかけてくる。
「レアちゃん、あっちいって。アイちゃんとあそんでて」
「いいよー!」
「ルーナ……」
見かねたマリアルーナが、そばの和室で寝かされているアイリスの世話を任せるために、カトレアを追いやった。
実家に置いてあった荷物はそれほど多くなく、全てを車で運び終わると、片付けはほどほどに、届いたばかりのソファに座る。
「とーしゃまぁ、おさんぽ、いく?」
「行きたいか?」
「うん!おやま!」
「山?あぁ……」
正直、もう連れて行きたくはないところだ。あの男に出会わないとは限らないのだから。
「レア、あの山はな、もう行かないでおこうと思うんだ」
「なんでー?」
「じぃじの家と比べてちょっと遠くなったから。ここには、じぃじやばぁばもいないだろう?山に行かなくても、この家でなら魔法を使っていい。それじゃダメか?」
「いいよー!」
魔法を使えればいいらしかった。カトレアが納得してくれたことにホッとし、振り返ると、マリアルーナが不安そうに立っていた。
「ルーナは、山に行きたい?」
「……んーん。おやま、こわい」
こちらは怖い記憶に怯えているようだ。山に行こうとは言わないだろう。
「そうだな。もう行かないから、大丈夫だぞ」
勇樹はそんな娘の頭を撫でた。
「あぁ、そうだ。ルーナ、レア、おいで。アイも一緒に行くか」
「んー?」
「なぁに?」
アイリスを抱き、子どもたちを連れて、勇樹は階段を昇り、最奥の部屋に入った。
何もない部屋。当然だ。まだ何も置いていない。
「ルーナ、アイを抱っこしてくれ」
「ん」
「とーしゃま、なにしゅるのー?」
「いいから。いい子に待ってるんだぞ」
引っ越したら一番にやろうと思っていたことだ。
部屋の隅に置いておいたアタッシュケースを開き、そこからまずは大きな布を取り出す。
アメジスト宮の壁にかかっていた皇族の紋章のタペストリーだ。
子どもたちもそれに気づき、ハッと目を見張る。
カーテンをつけた窓をしっかり施錠し、そこにそのタペストリーを飾る。
そしてその前の床に、魔法石を3つ並べた。
子どもたちが黙って見守る中、その魔法石に均等に魔力を送る。
「おかあさま……!」
その瞬間、マリアルーナが声を上げた。
「かーしゃ!」
カトレアは叫ぶとともに飛び出す。が、当然ただの立体的な映像だ。抱き着けるはずはない。
「かーしゃ!かーしゃ!」
「ごめんな、レア。ただの映像だ。抱っこはできないんだ」
「やああぁぁぁ!」
せっかく母親の顔が見られたのに。なぜいつものように抱きしめてくれないのか。
カトレアが泣き出してしまい、勇樹は慌てて抱きしめる。
まだ見せない方がよかったのか。せっかく新しい生活を楽しみ始めた子どもたちに、また思い出させてしまったのか。
「……おかあさま」
そんな勇樹の不安を、マリアルーナが一声で拭った。
「おかあさま、あいたかった……」
「……ルーナ……」
ずっと心の中にしかいなかった母親の姿が、目の前にある。
それが、マリアルーナは嬉しかった。静かに綺麗な雫を流す。
「ルーナ、寂しくなったか?」
「んーん。うれしい。おかあさまにあえた」
「本物じゃないぞ?」
「しってるよ。まほうせきなの。それでも、うれしい」
「そ、そうか……」
「おかあさま、いいこにしてるよ。レアちゃんも、アイちゃんも、みんなでいいこだよ。だから、はやく、おむかえきてね」
映し出された映像に向かって微笑む娘の横顔は、妻によく似ていた。
続いて勇樹は、食材の買い出しに出かけた。
カトレアはなんとか落ち着いたが、まだ離れようとしない。
そのためアイリスを背中に負ぶい、カトレアは抱っこしていた。
マリアルーナは母の姿を見て落ち着いたらしく、無邪気さを取り戻し、それでもよく手伝ってくれた。
「おとうさま、これ?」
「あぁ。そのカゴを、そのカートに載せてくれ」
「ん」
「ありがとな」
買い物カゴをカートに載せ、そこにカトレアを座らせようとしたが、
「やぁ……とーしゃぁ……」
泣きそうな声でそう言われれば、抱っこをやめることもできない。
仕方なく片手で押そうとすると
「あたし、おす」
とマリアルーナが言ってくれた。
「ありがとう」
何度目かわからないお礼を言い、スーパーの中に入っていった。
「なにかうの?」
「今日のご飯だな。何食べたい?」
「なんでもいい」
「レア、何か食べたいものあるか?」
「んー……やぁ、のぉ……」
まだ機嫌は直らないようだ。
その方がよかったかもしれない。なにせ勇樹は、まともな料理ができないのだ。
皇城で食べていたような料理名を言われれば、作れる自信は当然ない。
「“引っ越し蕎麦でも作るか……”」
簡単で無難そうなものを選び、他の食材も選びながら、目的のものを選んだ。
最後にお菓子コーナーに行き、
「ルーナ、好きなの選んでいいぞ」
と言うと、マリアルーナはすぐにお菓子たちを選び始めた。
「レアも、ほら、お菓子だぞ。何かほしいのあるか?」
「……とーしゃ」
「お父さんはここにいるだろ?どこにも行かないからな」
「……んー……」
「あ、ほら、美味しそうだな。これ食べるか?」
近くにあったチョコレート菓子を見せてみるが、それでもカトレアの機嫌は直りそうにない。
「……お母さんに会いたいよな」
「……かーしゃ……」
「お父さんも会いたいよ。でも、今は仕方ないんだ。お母さんは頑張ってる。だから、レアも頑張って我慢しような」
「……がまん……」
「そう、我慢だ。お父さん、知ってるぞ。レアがすごくいい子だって。我慢できる強い子だって。違ったか?」
「レア、いいこ」
「そうだよな」
「……かーしゃ、おむかえ、くる?」
「当たり前だろ。こんなにかわいい子と離れて平気なはずはないからな。お母さんはな、ああ見えて、すごく寂しがり屋なんだ。だから、ルーナやレアを早く呼び戻せるように頑張ってるんだぞ」
「……かーしゃま、さみしい?」
「そうだぞ。レアと同じ気持ちだ。レアが寂しいって泣いてると、お母さんもきっと泣いてると思う」
「……!」
それを聞いたカトレアは、ハッと目を見開いた。涙に濡れた緑色の瞳が、大きくなる。
「……レア、がまんしゅる」
「我慢できるか?」
「ん。かーしゃま、ないちゃ、らめ」
「そうだな。お母さんが泣くと、レアも悲しいよな」
「かなし」
「お母さんもレアが泣いたらきっと悲しいはずだ。でもな、我慢ばっかりはよくない。お母さんのことは我慢してほしいけど、それ以外はしなくていいからな。悲しくなったら泣いていいし、怒っても笑ってもいい。お前の気持ちは、お父さんが全部受け止めてやるからな」
「ん」
もうその顔に悲しみはなかった。
「いい子だ。じゃあほら、お菓子を選んでおいで」
床に下ろすと、カトレアは先にお菓子を選んでいた姉の下に駆け寄っていった。
その日の夕食は、スーパーの総菜の天ぷらを載せた天ぷらそばが並んだ。
実家で暮らしていた時も、子どもたちは天ぷらを美味しそうに食べていた。
だから大丈夫だろうと思ったが、
「……これ、いらない」
「レアも、やー」
マリアルーナとカトレアは、なぜかそれを拒否した。
「ど、どうした?天ぷら、好きだろ?」
「こっちのはしゅきー。れも、こっちはやー」
天ぷらはいいが、その下の蕎麦がイヤらしい。なぜだろう。
確かに皇国にそばというものはなかったが、生魚を食べる習慣がなくても刺身は喜んで食べていたはずだ。
しかし、本人たちがそう言うのだ。無理強いすることはできない。
「じゃあ、食べられる分だけ食べろ。お父さんの天ぷらもあげるから」
蕎麦アレルギーというものもあると聞く。もしかすると、蕎麦は魔法士の身体に良くないのかもしれない。
しかし子どもたちは、気にすることなく蕎麦の汁に浸かった天ぷらを食べ始めた。
蕎麦以外のものは特に嫌がることもなく、食欲は旺盛だった。
蕎麦アレルギーかとも思ったが、蕎麦粉が入ったお菓子も食べる。
それならなぜと、疑問は全く解決しそうになかった。




