26
目の前が暗い。でも、体が軽い。
意識を取り戻した勇樹は、はっきりしない頭で、ぼんやり考えた。
まるで数日間眠ったかのように、信じられないほど体が軽い。やがて頭も働くようになった。
「……!」
その瞬間、思い出した。あの山で起きたこと全てを。
慌てて目を開けると、そこは山ではなかった。見慣れた天井と畳、そして心地よい布団。
「“あら、起きたの?”」
その時、すぐ横の襖が開き、母親が入ってきた。
「“子どもたちは?!”」
母親に尋ねてすぐ、襖からマリアルーナとカトレアが飛び込んでくる。
「おとうさま!」
「とーしゃ!」
「ルーナ!レア!」
体を起こし、小さな2つの体をしっかり受け止める。
「よかった……。アイは?アイはどこだ?」
「あっちでねてる」
「……そっか……」
なんとか子どもたちはみんな無事のようだ。
自分が気を失った後何があったのか、どうして手を出さなかったのかわからないが、とにかく無事だ。それだけでよかった。
「ルーナ、アイを連れてきてくれるか?」
「やぁ……」
マリアルーナに頼もうとしたが、彼女は目に涙を溜めて、父にしがみつく。
「あぁ……驚かせてごめんな。もう大丈夫だから」
「おとうさま……!」
「とーしゃぁ……っ」
「レアもごめんな」
2人とも泣きじゃくり、説明してくれそうにはない。あとでマリアルーナの記憶でも見せてもらおう。
「“感謝しなさいよー。ルーナちゃんが、お父さんが倒れたって知らせてくれて、わたしとお父さんで山を登ってみたら、本当に山の中で倒れてるんだもの。びっくりしたわよ”」
「“……そっか。心配させてごめん。ちょっと疲れが溜まってたみたいで”」
「“いったいどこで疲れるのかしらねぇ”」
母親にはわからない。あの時、何が起こったのか。
そして勇樹も、補助具を使おうとした瞬間に現れたあの頭痛の意味は、全くわからなかった。
その日の夜、子どもたちを寝かしつけた勇樹は、一度部屋から出た。
今日は興奮していたらしく、子どもたちはなかなか眠ってくれなかった。
おかげで、いつもは1つで済むはずの寝物語を、今日は3つも読んだのだ。
キッチンで水を飲んで、もう一度部屋に戻る。
すると薄暗い部屋の中で光っているものを見つけた。
「……ルーナ?」
小さな背中に呼びかけると、長い髪が揺れて振り返る。
「まだ起きてたのか?早く寝ないとダメじゃないか」
「……だめじゃない」
「何してるんだ?」
暗い顔をしているのが気になって、手元を覗き込んでみる。
そこには、勇樹が補助具を保管していたあのアタッシュケースがあった。
「おとうさま、これ、つかっちゃだめ」
「なんで?」
「……だめなの」
「えーっと……お父さんは使わせてほしいな。これがないと、ルーナたちを守れないだろう?」
「……でも……」
できるだけ否定はせずに、マリアルーナの言葉を聞く。
「……これ、つかったら……おとうさま、くるしい……」
「あぁ、今日のは違うんだ。ちょっと調子が悪かっただけで、いつもはちゃんと使えてるだろ?だから、もう大丈夫だぞ」
「ちがうの」
「何が?」
「んっと……わかんない、けど……ちがうの……!」
「大丈夫だぞ、ルーナ。ルーナの話、ちゃんと聞くから。知ってる言葉だけでいいから、ルーナが何を思ってるのか、教えてくれないか?」
「……あのね……おとうさまね、これ、つかったら……えっと……まほうが、いっぱいになるの。おとうさま、まほうしだから……、だから、これ、つかったら、ダメ」
いろいろとぶっ飛びすぎてついていかない。が、マリアルーナの語彙力ではこれが精いっぱいなのだろう。何とか今の言葉を理解しなければ。
「えーっと……、ルーナ?一応確認だけど、お父さんは魔法士ではないぞ?元々はここの……魔法がない国の出身なんだ。だから」
「ちがうよ」
「ん?なにが?」
「おとうさま、まほうしだよ。あのね、とちゅうから、でてきたの」
「途中から?って、いつから?」
「……わかんない」
肝心なところがわからない。本当に自分が魔法士なのかも、これでは怪しいところだ。
皇国だったら、妻や皇帝に確かめることもできるのに。
それでも娘にこれ以上の説明を望むのは無理だろうと、諦めるしかなかった。
「わかった。ルーナ、ありがとな」
「ん……」
「ルーナ、嫌だったら答えなくていいんだけど……、お父さんが倒れた後、あいつらはどうしたんだ?追ってこなかったのか?」
「んーん。こわかった」
「……ちょっと、記憶を見せてもらってもいいか?」
「ん」
マリアルーナは頷いて、手を伸ばしてきた。その手を取ると、すぐに頭に映像が流れ込んでくる。
目の前に倒れている自分。頭に響く声。
その直後、視界に移りこんだのは、疲れ切った顔に笑みを浮かべたあの男。
涙で歪む視界の中で、その男は手を伸ばしてくる。
しかし次の瞬間、その男は顔を歪めて手を引いた。
『なんだ……?』
男は再び手を伸ばしてくる。しかし何かに手を弾かれていた。
苛立った男は、続いてそばで泣いていたカトレアに伸びる。
すると男が触れそうになった瞬間、カトレアを守るように壁のようなものが現れた。
その壁に手を弾かれて、男はカトレアに触れることもできなかった。
アイリスにも同じように弾かれてしまい、男たちは憎々し気な顔を残して去っていった。
「これは……」
全てを見ても、何が起こったのかわからなかった。
わかるのは、魔力のようなものが子どもたちを守ったということだけ。
「あのね、おかあさまのまほー、かんじた」
「お母さんの?……なるほどな」
リリアンローズが子どもたちを守る魔法をかけていたのだろう。
確かにそう聞けば、なんとなく納得はできる。
「ありがとな。助かったよ」
「ん」
「じゃあ、ほら、早く寝ようか。明日は新しいお家に行くからな」
「うん」
マリアルーナが布団に潜り込むと、勇樹はその隣に横になって再度寝かしつけた。
娘たちが全員寝ても、勇樹は寝付けなかった。
マリアルーナの言葉が気になる。自分は魔法士だと、あとから魔法を持ったのだと。
子どもの言葉だと聞き流すことはできるが、魔法士の言葉だと思うとそれもできない。
月明りだけの薄暗い部屋の中、試してみることにした。
補助具を外し、両手に魔力を集中させてみる。すると、両手がぽうっと淡い光を放った。
確かに魔法だ。が、なぜ自分に魔法が?
確かにかつて、魔法の素質はあると妻に言われた。しかし、それは補助具が適用しやすいだけだとも。
後天的に魔力を授かることはできるのだろうか。
そんな勇樹の疑問に答えを出せるものは、ここには何もなかった。




