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「とーしゃま、みててね!」
「あぁ、見てるから。あんまりそっちに行くなよ。危ないから」
山の中に入れば、カトレアとともにマリアルーナも駆け回り、魔法を出して遊ぶ。
そんな娘たちを、勇樹は木陰に座って穏やかに見守るだけだ。
「あーぶ、ぷぁー……んー……ぱっ!」
「お前もお母さんの子だな」
小さな手で魔法を出すアイリスは、生後7か月ながら立派な魔法士だ。
子どもたちは少しずつ成長している。できることも増え、その度に嬉しそうに報告してくる。
本当にそれを見せたいのは、母親のはずなのに。
いつになったら、リリアンローズと2人、穏やかに子どもたちの成長を見守れる日がくるのだろうか。
「おとうさまー!」
「ルーナ、離れすぎだ。こっちにおいで」
離れたところから元気に呼ぶマリアルーナの声を聞いて、勇樹は笑顔で呼び戻す。
するとマリアルーナは、わざわざ魔法を使って宙を滑るように戻ってきた。
「みてた?」
「あぁ、見てた。上手くなったな」
「うん!いつかおかあさまみたいになれるかな?」
「お前ならお母さんを追い越すこともできるさ」
「とーしゃま、レアは?」
「レアもだ。頑張れよ」
「うん!」
子どもたちが嬉しそうな笑顔で頷いた時、突然風が変わったのを感じた。
なんだろう。胸騒ぎとしか表現できない、不快な風。
「ルーナ、レア」
2人の手をつかんで引き、木々に囲まれた周りをグルリと見回す。
ふと木々の隙間から人影がゆっくりと近づいてきた。
「“誰かいるのか?”」
日本語で語りかけると、その人影は止まることなく出てくる。
「“初めまして”」
アニメの悪役のような片目を隠した男性。何より気味悪いのは、その貼りつけたような笑顔。
子どもたちを抱き寄せ、勇樹は警戒しながら口を開いた。
「“すみません、他に人がいるとは思わなくて”」
「“いえいえ、仕方ありませんよ。この裏山に入る人間はいませんからね。こんなところまで登ってくるのは、何か人に知られたくない秘密を持つ人間だけですよ。私や……あなた方のように」
子どもたちの魔法を隠そうと思ったが、すでに見られていたのか。それにしては何か言葉がおかしい。
「“あぁ、これはご紹介が遅れました。五木玲央と申します。そう警戒なさらないで。私はあなた方の仲間です”」
「“仲間……?”」
「“はい。あぁ……”、こちらの方がよろしいですか?」
男の口から出たのは、皇国語だった。
どういうことだろう。皇国を知る人間が、なぜここに?
皇国からの迎えだと思いたいが、勇樹に面識がない人間をあの人たちが送ってくるはずがない。
そして何より、男から感じる敵意が、そうでないことを示している。
「“何か勘違いをされているようですね。私たちはただ山歩きに来た親子ですよ。では、失礼します”」
日本語で答え、子どもたちを抱き上げる。
マリアルーナとカトレアも、なんとなく状況を察して、口を開くこともなかった。
男に背を向けて森に入ろうとした時、既に背後には複数の男たちが立っていた。
「少し話をしませんか?我々の故郷について」
男はなおも笑顔で、そして皇国語で、話しかけてくる。
「“何を仰っているのか、私にはわかりません”」
「“そうですか。それでは、日本語にしましょう。もう一度言います。故郷について少し語り合いませんか?”」
「“残念ですが、私はあなたの故郷を知りませんので”」
「“あなたと同じですよ。自然が豊かで、美しい国。……正確には、私の祖父の国ですが”」
「“お祖父様ですか”」
「“私の祖父は、その国の皇帝の息子でした。二番目の、です。産まれた順番で王位を継ぐことが決められることに納得できなかった祖父は、父親、つまり私の曽祖父が死んだ日に兄に反乱を起こそうとしました。しかし事を起こす前に知られ、計画は失敗。そこで祖父は、自らを召喚術で異世界へ送り出すことにしたのです”」
皇国の皇帝の子を祖父に持つ男。それはわかった。
しかし、彼がどこまで知っているのかはわからないが、確実に味方ではない。
こちらの身分を知られてしまえば、彼からの敵対視は免れないだろう。
「“ご心配なく。あなた方がなぜこちらにおられるのかはわかりませんが、その銀髪にエメラルドの瞳。祖父と同じです”」
子どもたちを見て、男がいっそう笑った。
「“祖父は何度も言っていました。この髪と瞳だけが、皇帝の血を受け継ぐ証だと。……あなた方は、ウィクダリア皇国の皇帝筋に繋がる方。そうですよね?”」
そこまで知られているとは。もう何も隠せない。
「……よくわかりました」
拓馬は皇国語で答えた。それを聞いて、男はさらにニヤリと笑う。
「あなたの目的は何ですか?」
「決まっています。皇国の手が届かない地で、皇帝に抗える力をつける。そして祖父の仇を打つ。それが私の使命です」
娘たちを守る手に、自然と力が入る。なにがあっても、この子たちを傷つけてはいけない。
「皇帝筋に繋がることまでわかっているのに、私たちにそれを言っていいんですか」
「えぇ、もちろん。あなたもこちらにいるということは、何かしらの不満があってこちらに逃げてこられたのでしょう?ですから、協力しましょう。それだけはっきりと皇帝の血が現れる方と、私の薄くなった血、混ぜ合わせればより強い子ができると思いませんか?」
「……!」
一瞬で鳥肌を感じた。まだ5歳の幼い子どもの前で、この男は何を言っているのか。
「あぁ、もちろん、さすがに私とでは年の差がありすぎますからね。私の子が、ちょうどその子と同じ年頃です。どうですか?いつか憎きウィクダリア皇帝を討つために、協力するのは」
「……ふざけるな……」
もう我慢の限界だった。勇樹の口から滑り出た言葉に、男は目を見開いて驚く。
「知らないようだから教えてやる。この子たちの母親は、現皇帝の妹姫、女公爵だ。皇帝陛下の許しを得て逆召喚を受けた。妹に公爵の地位を与える皇帝だと言えばわかるだろうが、兄妹関係は良好だ。反乱を起こす気などない」
「……っ!」
次の瞬間、男の目が狂気に染まった。
「……ハハハ……そうですね。言葉を間違えました。祖父から母へ、母から私へと受け継がれた皇国語ですが、日頃使わないせいかなかなかなじまなくて」
敵意。そんなものではない。はっきりとわかる殺意だ。
「……つかまってろよ」
子どもたちに小声で語りかけ、しっかりと男を睨んだ。
「あなたに拒否権はありません。そちらのプリンセスは、私がいただきます。その年齢だ。これからいくらでも子どもが産める。それも3人もいれば……充分な人数が揃いそうですね」
「誰が渡すか。俺はこの子たちの父親だ。絶対に承諾しない」
「アハハハ!頭の悪い人ですね。これだから非魔法士は。拒否権はないと言っているではないですか」
男が軽く片手を挙げるだけで、周りにいた十数人の男たちが飛びかかってくる。
それとほぼ同時に、勇樹は地面を蹴った。
魔法ではない。補助具を使ったわけでもない。
魔法士の国で、非魔法士として何ができるのか、魔法士の妻や子をどう守るか。
そこから始めた体術だ。忍者のように素早く走ることも、足だけで敵を倒すことも、皇国の闇騎士団に教わった。
直感だが、おそらくここにいる男たちの中に魔法士はいない。
あの偉そうな男でさえ、魔力を感じられなかった。
補助具を使った非魔法士を相手に練習を重ねたのだ。補助具も何もない人間たちに負けるはずはない。
だから補助具を使わずに逃げることもできるのだが、何より娘たちを守るのが最優先だ。
ここは補助具を使って一刻も早く安全な場所に連れていくほうがいいだろう。
幸い腕には補助具をはめている。市販品ではなく、備品庫で保管されている複数の魔法を使える補助具。これで攻撃する方がいい。
男たちから逃げながら、勇樹は息を吸って、その腕輪に意識を集中させた。
しかし次の瞬間
「ぐあ……っ!」
頭が、強い電気が走ったように痛んだ。そのせいで、逃げていた足も止まる。
「クソ……っ」
もう一度だ。ここで魔法を使わないのは危険すぎる。
体調不良なんか気にしている時じゃない。子どもたちを守るために、多少の痛みは我慢しなければ。
もう一度腕輪に体内のエネルギーが集中するようにイメージする。
「……いっ……」
また鋭い頭痛がしたが、堪えてさらに集中し続ける。しかしついに、その場に膝をついた。
「おとうさま!」
マリアルーナの声がする。絶対に渡すものか。
暗く染まる視界の中、腕だけはしっかりと娘たちを抱きしめる。
「おとうさま!おとうさま!」
「やああぁぁぁ……!」
「ふぇええぇぇぇ……」
子どもたちが泣いている。起きて、笑って、大丈夫だと言ってあげなければ。
「……るー、な……れあ……あ、い……」
重い。身体も、瞼も、頭も、腕さえも。全てが重い。
娘たちの泣き声を聞きながら、勇樹は抗うこともできずに意識を手放した。




