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その日、勇樹は引っ越しの準備をしていた。
買ったばかりのパソコンで必要な家具を検索して、数日前に契約した家に届くように指定する。
足元では、アイリスが気持ちよさそうに眠っていた。
「とーしゃま!たいへん!」
そこへカトレアが駆け込んできた。すぐ後にはマリアルーナも。
「レア、静かに。アイが眠ったばかりなんだ」
「たいへんなの!」
「何が大変なんだ?」
「あにょにぇ、あにょにぇ、おしょら、ないちぇるの!」
「え?」
何が言いたいのだろう。ようやく寝付いたばかりのアイリスから離れ、カトレアが指す窓の外を見る。
「あぁ、“雨”か」
「ね、おしょら、ないちぇるよ!」
「おとうさま、このおみず、だれがながしてるの?」
マリアルーナも、さすがにカトレアのように「空が泣いている」とまではいかないが、雨の仕組みを理解できないようだ。
それも当然だろう。皇国には雨が降らないのだから。
「空を見てみろ。あそこに黒くてもやもやしたものがあるだろ?あれは“雲”っていって、あれが“雨”を降らせているんだ」
皇国では常に快適な気温と天気が定められ、天候制御装置によって操られている。
当然雨や雪が降ることもなく、もっといえば太陽というものも存在しない。
大きな国1つが全て電気で照らされているといった方が、まだ理解できるくらいだ。
「“アメ”ってなに?」
「この空から降ってくる水のこと」
「いつものギラギラしたの、いないね」
「太陽だな」
「たいよう……おじいさま?」
「あぁ……そっちの太陽じゃなくて、“太陽”。こっちでは、空から地上を照らしてくれる大きな電気みたいなものを言うんだ」
皇国の太陽といえば皇帝。マリアルーナが祖父のことかと勘違いするのも仕方がない。
「それに、今の皇国の太陽はカルセイン殿下、セイン伯父さんだぞ」
「あ、そっか。おじいさまとこうたいしてた」
マリアルーナがそう呟いた瞬間、窓の外が鋭く光り、直後轟音が響く。
「きゃあっ!」
「やああぁ!」
マリアルーナとアリアは驚いて勇樹に飛びついた。
「あぁ、“雷”だ。“雨”が呼ぶ光と音の現象で……えーっと……とりあえず、家の中にいれば安全だ」
「えっ、えぇぅ……」
「うわぁぁぁ……っ」
勇樹の説明も、姉妹は全く聞かずに泣き出してしまう。
「大丈夫、大丈夫だから」
「おとうさま!おとうさま!」
「とーしゃぁ!」
「あー、はいはい。大丈夫、大丈夫」
騒然とする父娘の隣で、アイリスだけはぐっすりと気持ちよさそうに眠っていた。
翌日、引っ越し前にと、勇樹は子どもたちをあの山に連れ出した。
引っ越し先もここからそれほど離れていないため、定期的に遊びに来ることはできる。
それでも勇樹の仕事が始まり、子どもたちを保育園に預けるようになれば、今までのように毎日散歩をすることは不可能だろう。
雨上がりのぬかるんだ道で、カトレアは嬉しそうに飛び回る。
「みてー、おみずー」
「アリア、“水溜まり”に入るな」
「“みずたまり”?」
「この水が池みたいに溜まっているところ。雨が降った後にはよくあるんだ。雨水は汚いからな」
長靴という便利なものもなければ、カッパや傘を持っているわけでもない。
幼い子どものように水を跳ねて遊べば、一瞬で汚れてしまう。
「全く……リリィが見たら驚くな」
ふと独り言をこぼすと、隣からマリアルーナが不思議そうに見上げている。
「あー、いや。お母さんが見たら、びっくりするだろうなって。公爵家の娘たちが能力を使わない水遊びをしたなんて」
「おかあさま、おこる?」
「怒らないと思うぞ。驚くだけで」
子どもたちがいないところで勇樹が小言を聞く羽目にはなりそうだが。
「おかあさまもいっしょにあそべるかな?」
「どうだろうな。ルーナが誘ったら、一緒に遊んでくれるかもしれないな」
「じゃあね、おかあさまがおむかえきたとき、いっしょにあそぶの」
マリアルーナはその時が来るのを楽しみにしていた。
そんな娘に何も返せず、勇樹はただじっと抱っこ紐の中に納まっているアイリスを見る。
「うきゃー!」
勇樹の心を染める暗雲など吹き飛ばす勢いで、アイリスが元気な声を上げた。




