23
「“母さん、ちょっと出かけてくるよ。子どもたちを散歩に連れて行こうと思って”」
着替えを済ませてリビングに戻り、そこでカトレアの面倒を見ていた母に声をかける。
「“そう、気を付けてね”」
「おさんぽ!レアもいく!アイちゃ、も!」
日本語での会話だったのに、カトレアはその意味を察し、すぐに立ちあがった。
「わかったから……ほら、片付けして。アイはお出かけの準備しような」
「きゃーう!」
そうして一家は、母親に送り出されて家を出た。
「はやく!はやく!」
カトレアはどんどん先へ走っていくが、マリアルーナは勇樹の手を握ってそばから離れない。
「レア、危ないぞ。こっちにきなさい」
「とーしゃま、おそいの!」
勇樹が引き止めても、カトレアは気にしない。
皇国にいた頃は、皇城の庭を散歩することはあっても、こうして護衛も守ってくれる壁もないところを散歩することはなかった。
皇国にはない珍しいものたちばかりで、好奇心の塊のカトレアにはたまらないのだろう。
「……」
その時、マリアルーナの歩く速度がわずかに遅くなったのを感じた。
隣に目をやると、彼女は隣の河川敷に目を向けていた。
そこにいたのは、おそらく近所の子どもたちであろう集団。
マリアルーナと同い年か、それより少し上か。
「ルーナ、川で遊ぶか?」
「……!」
父に気づかれたことに気づいて、ハッと父を見る。
「行きたいなら行っていいんだぞ。あの子たちの仲間に入りたかったらお父さんが言ってあげるし、ルーナが遊んでる間も待ってるから」
「……」
それは違うと首を振った。
「そっか」
本当に違うのかは怪しいが、マリアルーナが違うと言っているのならそれを無理強いさせることはない。
一家が足を止めたのは、裏山の中腹、あの見晴らしのいい展望台のような場所だった。
誰も来ないその場所は、子どもたちが魔法を発散させるのに最適だ。
「うわぁあ!」
「あ、レア、待て。ルーナも。いいか?今まで2人とも、よくいい子にしてくれた。ご褒美に、今日は魔法を使っていい。ただし、また山を降りたら、魔法のことは秘密だ。この約束、守れるか?」
「うん!やくしょく!」
「ん。まもる」
「いい子だ。じゃあ、いいぞ」
一応結界を張れる魔法石も持ってきてはいるが、ここは完全に誰も知らない秘密基地だ。
結界を張るまでもないだろうと、勇樹はアイリスを抱いたまま、そばの木を背に座った。
「ねーしゃま!みて!」
「ちがうよ。こうだよ」
好きなように魔法を使って遊び、時に姉から妹へ魔法の使い方を教えて。
皇国でよく見ていた、懐かしい姉妹の姿だ。ずっと当たり前だったこの姿を、数日間全く見ていなかったことが信じられないくらいに。
その様子を微笑んで見つめていた勇樹は、腕の中の末の娘に視線を移す。
「だー、だー。んー……っ……ぱっ!」
こちらもまだまだ弱いが魔法を出して遊んでいた。
「上手くなったな、アイ。お母さんが見たら喜ぶだろうな」
「あぶー?」
唯一自分と同じ黒髪に黒い瞳のアイリス。マリアルーナやカトレアと、かける愛情は変わらないが、それでも父親になったと本気で実感したのは、アイリスが産まれた時だ。
「おとうさま!」
「とーしゃま!」
元気な声に顔をあげると、魔法を手にかわいらしく笑う2人の娘。
マリアルーナは完全に妻の血を受け継いでいるが、カトレアは半々とも言える風貌だ。
黒髪でありながら緑色の瞳。しかし顔立ちは皇国風で、黒髪であっても日本人でないことは一目でわかる。
2人とも成長すれば、きっとリリアンローズのような美女になるのだろう。そう言える顔立ちだった。
「おとうさま?」
「とーしゃま、かなし?」
妻を思い出すだけで胸に溢れてくる感情は、魔法士である子どもたちには簡単に知られてしまう。
「ルーナ、レア」
それぞれの名前を呼び、そのまま手を伸ばして抱きしめた。
「お前たちがいてくれてよかったよ」
もし娘たちがいなければ、もし妻と娘を皇国に残すことになっていたら。きっと勇樹は、こんなにも穏やかに待つことなどできなかった。
妻を残してきたことは心配だが、子どもたちを連れてこられたことに関しては、皇帝に感謝する。
「わたし、おとうさまがだいすき」
「レアも!とーしゃま、だいしゅきー」
「ん。ありがとな」
この子たちがいてくれるおかげで、冷静になれる。子どもたちを守らなければという使命感のおかげで、呼び戻されないことに安心を覚えることもできる。
「ねー、とーしゃま」
「どうした?レア」
「あんねー、とーしゃまのおしゃしん、あったでしょー?」
「ん?」
写真?何のことだろう。首を傾げると
「ばぁばが、みせてくれたの。おとうさまの、ちっちゃいときのおしゃしん」
「あぁ……」
実家に幼い頃の写真があるのは仕方がない。まさかそれを、自分の子どもたちに見られるとは。
少し恥ずかしく思いながら、
「それがどうした?」
とカトレアに続きを促す。
「あのねー、かーしゃまの、ないの?」
その瞬間、勇樹はハッとした。確か皇国には写真というものはなかった。
しかし魔法を使った録画機能付きの魔法石はある。それはこちらに持ってきただろうか。
「ごめんな。ここにはないんだ。家にはあるかもしれないから、探してみるか」
「うん!レア、かーしゃま、あいたい!」
2歳の子どもの素直な気持ちは、勇樹の胸を締め付ける。
「レアちゃん、だいじょうぶ」
言い出したのはマリアルーナだった。
「おかあさま、いるよ」
「どこにー?」
「ここ」
マリアルーナがカトレアの小さな胸に手を当てて答える。
「おかあさま、いってたよ。わたしたちがおぼえていれば、おかあさまはずっといっしょにいるよって。だから、みえないけど、ここにいるの。おとうさま、そうでしょ?」
「……あぁ。その通りだ。見えないだけで、お母さんはお前たちのそばにいる」
「おかーしゃまのおかお、みたいなー」
「家に帰ったら探してみるから、もうちょっと我慢してくれ。ほら、魔法はここでしか使えないんだ。今のうちにたくさん使っとけよ」
2人の娘は、また楽しそうに魔法を使い始めた。
その日の夜、勇樹は娘たちを母に任せ、1人、閉め切った部屋にいた。
押し入れに入れているキャリーケースを畳の上に出し、その中からまた別のケースを出す。
アタッシュケースのようなそれは、補助具をまとめているケースだ。
防御魔法が主の補助具が多いが、生活に便利なものも同じくらい。その中に少数だが混ざっているのは、攻撃魔法が主の補助具。
革命が本格化する皇国ではない、この日本では使わないものだ。
そのアタッシュケースの中から、また別の補助具、今度はジュエリーケースのようなものを取り出す。
たくさんの種類の魔法石。その中に、見つけた。映像保存用の魔法石、それも3つ。
リリアンローズが入れてくれたのだろう。
その1つ1つを床に置き、腕に魔力を溜めた補助具をつける。
その状態で魔法石に触れることで、魔力が魔法石に移り、魔法石は本来の役目を果たす。
魔法石から光が放たれたかと思うと、そこに2つの人影が映し出された。
「……先帝陛下と……マリアローズ皇妃か」
リリアンローズの両親の姿。皇城で見た肖像画そのままの静止映像だ。
それでは次の石は?こちらにも魔力を入れる。
現皇帝カルセインとその妻アンジェリーナ妃。皇国民にとって崇拝と畏怖の対象である彼らの姿。
3つ目の魔法石には、ついにリリアンローズだった。
しかしこれには、映像が登録されている。それは勝手に再生された。
『ユウキ、ルーナ、レア、アイ。こんなものしか思いつかなくてごめんなさい。最初にこれを見るのはユウキでしょうね。ユウキ、さっそくだけど、魔法石ケースは隠し底にしておいたの。そこに、肖像画の縮小版をいくつか入れておいたわ。子どもたちが寂しがったら、それを見せてちょうだい』
とっさに手元のジュエリーボックスのような魔法石ケースに視線を落とす。
見た目には特に仕掛けがあるように思えないが、どうやってその隠し底を開くのだろうか。
『愛してるわ、ユウキ。子どもたちを守って、わたしがあの子たちをこの世界の何よりも愛していることを、伝えてちょうだい』
「……あぁ、わかってるよ、リリィ。俺も愛してる」
妻の幻影にそう呟いた。そこで映像は止まり、次は肖像画のように微笑むだけの彼女の姿を映し続ける。
とにかく、子どもたちが望むリリアンローズの姿を映すものは見つけられた。
しかし、ここは両親もいる家。この魔法石をいつでも稼働するというわけにはいかない。
やはり一刻も早く引っ越す必要がありそうだ。




