20
「おとうさま、どこいくの?」
その日、子どもたちを連れて外出することにした。
「新しいお家とお家に必要なものを探しに行くんだ」
「おうちかえる?」
「お母さんがまだ迎えに来てないから、まだだな」
「きゃああああ!」
父と手を繋いで確認する長女とは対照的に、父親から離れて鳥のように両手を広げて走り回る次女。ちなみに三女は、今日も勇樹の背中で熟睡中だ。
まず立ち寄るのは、その地域の役所だ。
リリアンローズに言われた通り、周りに怪しまれないように永住するつもりで準備をするとすれば、子どもたちの戸籍を作るところから始まるのだ。
「とーしゃま!とーしゃま!」
「レア、静かにして」
役所のソファで順番を待っている間、マリアルーナは1人で絵本を読むが、カトレアはまだ文字が読めないせいか元気に話しかけてくる。
「次の方、どうぞー」
ついに順番が来た。
「“すみません、子どもの戸籍を作りたいのですが”」
「“は……?”」
役所の受付の女性は、戸籍を作りたい旨を伝えると、まず訝し気な目を見せた。
当然だ。まだ幼いとはいえ、マリアルーナで5歳。日本では戸籍を持っていないとおかしい年齢なのだから。
「“あ、すみません。7年以上海外に住んでいて、先日戻ってきたばかりなんです。これからは日本に永住する予定なので、子どもたちに日本の国籍を作っておこうと”」
「“あぁ、わかりました。それでは、こちらの用紙に必要事項を記入してください”」
差し出された3枚分の紙にうんざりしながら、それでもさっそくペンを持つ。
勇樹のそばから興味津々に覗き込んでいたカトレアに、女性が微笑んだ。
「“こんにちは”」
「“ちゃー”」
カトレアは元気に片手を挙げて応える。
「“あ、日本語わかる?”」
「“ちょっとよ”」
「“そう、すごいね。パパが教えてくれたの?”」
「“うん!”」
「“お名前は?”」
「“かとれあ!”」
「“カトレアちゃん?かわいい名前だね。そっちのお姉ちゃんは?”」
「“……マリアルーナ、ミヅキ……です……”」
「“ミヅキちゃん。お姉ちゃんもかわいいね”」
褒められて照れたのか、それとも単に警戒しているのか、マリアルーナは勇樹の背中に隠れてしまう。
「“あら……。人見知りさんかな?”」
「“すみません”」
「“いえいえ、大丈夫ですよ。今までどちらにお住まいだったんですか?”」
「”北欧の方の小さな国に。妻がそっちの人間で“」
「“そうなんですね!”」
人当たりがいい女性だ。なんとなく好感を抱きながら、ペンを進めていく。
「“あの、この辺りで家と仕事を探そうと思っているんですけど、どこに相談したらいいとかありますか?”」
「“お仕事でしたらハローワークですね。併設されているので、話をしておきましょうか”」
「“あぁ、いえ。もうしばらく落ち着いてからと思っているので。子どもたちの保育園や学校も探さないといけませんし”」
「“あ、そうですね!だったら、朝日ヶ丘辺りがいいかもしれません”」
「“母もそう言っていました。姉がその辺りにいるそうなので、後で顔を見せに行こうかと”」
「“あ、こちらご出身の方だったんですね!”」
「“えぇ、まぁ……。あ、これでいいですか?”」
「“はい!ありがとうございます。受理しました”」
ようやく3枚分を書き終え、女性に渡す。
「“あんねー、おうち、しゃがしゅのよー”」
「“そうなんだね。いいお家が見つかるといいね”」
「“うん!”」
「“レア、おいで。お姉さんはお仕事があるんだ”」
「“おしごとー?ママとおんなじね!”」
「“そうだな。すみません……”」
「“いえいえ”」
仕事の邪魔をしてしまうことを謝り、目の前で記入した内容がパソコンに入力されていくのを見る。
「“奥様の国籍はわかりますか?”」
「“あ、はい。えっと……北欧の、ウィクダリア皇国っていう……”」
「“え?”」
当然きょとんとした顔だ。この世界には存在しない国なのだから。
「“しょ、少々お待ちください”」
女性は慌ててパソコンを操作する。おそらく調べているのだろう。
「“あ!あぁ!ありました!イギリス領ウィクダリア皇国!こちらですね!”」
「“あ、はい”」
あった?まさか。わからないが、役所の人間を納得させられたなら、それでいい。
「“奥様の日本国籍は取得されないのですか?”」
「“今は単身赴任中で外国にいるので、帰ってから話し合おうと思っています”」
「“わかりました”」
これでいいのか戸惑うまま、元々決めた設定通りに答えていく。
「“これで以上ですね。お嬢さんたちは無事日本国籍を取得されました”」
「“ありがとうございました”」
どうにか騙せたらしい。安心しながら役所を出た。
「ふぅ……」
「おとうさま、たいへん?」
「ん?あぁ、大丈夫だ。さて、買い物に行くか」
「いくー!」
カトレアの元気な掛け声とともに、一行は歩き出した。
かつて取得した運転免許は、なぜか更新されていた。おかげで車が使える。
が、チャイルドシートやベビーシートがあるはずはない。
まずはそれを借りるために、姉が住む家へ向かうことになった。
「“姉貴、突然ごめん”」
「“別にいいわよ。ほら、ベビーシートとチャイルドシート。どっちも1つずつしかないけど”」
事前に連絡をしていたおかげで、準備をしてくれていたらしい。
「“助かるよ。今日揃えに行くから、夕方には返せると思う”」
「“……にしても、あんたが父親ねぇ……”」
「“何を今さら……。俺からすれば、姉貴が母親なのもびっくりだ”」
「“いうわね、弟のくせに。うちの子たちは男の子だから、仲良くできるかしら”」
「“次女は大丈夫だろうな。上の子が人見知りなんだ”」
「“そういうものね。じゃあほら、早く行きなさい”」
「“ん、助かった”」
この後の予定もあるため、とりあえずは簡単な挨拶だけで、車に戻る。
「とーしゃま!きた!」
「ルーナ、レア、ちょっと降りて。ルーナ、アイを抱っこしててくれるか?」
「ん」
「あー!」
カトレアはさっそく勇樹の姉美奈子を見つけて、駆け寄っていく。
マリアルーナも、アイリスを抱っこしたまま、妹の後を追った。
その間に助手席と後部座席に手早くシートを設置していく。
ようやく終わり、子どもたちを呼びに行った。
「“おばちゃ、おばちゃ”」
「“伯母ちゃんかぁ……。ミナちゃんって呼んでくれない?”」
「“みなちゃ?”」
「“そうよ。伯母ちゃんのお名前、美奈子だから、ミナちゃん”」
「“ミナちゃ!”」
さっそく懐いたようだ。本当に人見知りをしない子である。
「“ありがとな、ルーナ。レア、伯母ちゃんにバイバイして。お買い物に行くよ”」
「“誰が伯母さんよ”」
「“いや、伯母さんだろ、関係的に”」
「“まだおばさんじゃない!ミナちゃん!”」
「“あー、はいはい。じゃあ、あとでな”」
まだ遊びたがるカトレアを連れて、姉と別れた。
「アイ、大人しくしてくれよ」
「うきゃあ!」
とりあえずはまだご機嫌だ。
「れあ、こっちー?」
「あ、レアはまだだ。そこはルーナ。レアはまだ待って」
後部座席にベビーシートと、アイリスの世話ができるマリアルーナ。そして助手席のチャイルドシートにカトレアを乗せることにした。
ようやく子どもたちを座らせて、それぞれシートベルトを確認して、車が動き出す。
子どもはシートを嫌がることが多いと聞いて不安だったが、見慣れないものが楽しいカトレアとアイリスの2人は、特に嫌がる様子も見せずに座っている。
久しぶりの運転に加え、子どもたちを乗せているという緊張感のせいで、安心はできないまま、近くのショッピングモールへ繰り出した。
まずはお昼ご飯にと、ショッピングモールのファミレスに入る。
「とーしゃま、ここ、なーに?」
「ご飯を食べるところだ。お前たちは“お子様ランチ”でいいな」
「“おちょしゃま”?」
「子ども用のご飯だ」
勇樹も適当に選び、店員に注文する。お子様ランチにはドリンクバーがついているということで、注文が終わると子どもたちをドリンクバーに連れて行く。
子どもの目線では少し高かったため、我慢ができなさそうなカトレアから抱き上げた。
「ジュースは何がいい?」
「こぇー!」
カトレアは一番目を引いたらしい炭酸ジュースを指す。
「それは飲めないだろ……。本当にこれでいいのか?口の中が痛くなるかもしれないぞ」
「こぇがいいの!」
「あぁ、わかった、わかった」
追加料金がないドリンクバーだ。飲めなければ、おそらく飲めるであろうオレンジジュースやリンゴジュースを代わりにすればいい。
「ルーナ、待たせてごめんな。ほら、どれがいい?」
「……こっち」
マリアルーナはまず、メロンソーダを指す。母の瞳と同じ色だったからだ。
物珍しいものに目を引かれるのは姉妹の共通点のようだ。
だから勇樹は、まずその2つをコップに入れた。
席に戻り、料理が来るまでそのジュースで我慢させる。
「少しずつ飲むんだぞ」
マリアルーナにはコップを渡し、隣に座るカトレアのコップは持ってあげる。
「んー……っ」
カトレアが顔をしかめた。
「こぇ、やぁ……」
「……やっぱり……。だから無理だって言ったろ。ルーナは?」
ストローで1口吸い込んだマリアルーナも、知らない味に驚き、一瞬顔をしかめる。
「別のを持ってくるから、2人とも待ってろよ」
子どもたちを残したまま席を立ち、それぞれジュースを入れたコップを洗い、皇城でもよく飲んでいた100%のオレンジジュースを入れる。
「ほら、オレンジジュース。これなら飲めるだろ?」
「レア、おぇんじ、しゅきー!」
「ん」
見慣れたオレンジ色に、カトレアはすぐに飛びつき、マリアルーナも手を伸ばした。
しかし一口飲むと、2人ともまた顔をしかめる。
「こぇ、ちぁう」
「ん?何言ってるんだ?オレンジジュースだろ?」
「ちぁうよー。こぇ、おぇんじ、ちぁう」
「……おいしくない……」
マリアルーナにも言われるくらいだ。皇国のオレンジと種類が違うことが、味でわかるのだろうか。
しかしこれでは、何も飲ませられない気がする。いったい何なら飲めるのか。
「おとうさま」
その時、マリアルーナが隣のテーブルを指した。
「あたし、あれがいい」
隣のカップルらしいテーブルにあったのは、おそらく紅茶の類。ミルクティーのようだ。
そういえば、皇城では紅茶までなら子どもたちも飲んでいた。
特にリリアンローズが好んで飲むことが多く、その流れで勇樹まで飲んでいると、自分たちもとほしがることもあった。
「わかった。じゃあ、持ってくるからな。レアは……、一応リンゴジュースでいいか?」
「おいしーの!」
「はいはい。いい子にしてるんだぞ」
マリアルーナにはミルクティー、そしてカトレアにはリンゴジュースと、念のため飲めるかもしれないミルク。
そうして席に戻ると、ようやく落ち着けた。
「こぇがいい!」
カトレアが納得したのはリンゴジュース。ミルクも飲めるようだが、リンゴジュースが好きなのは皇国にいた頃からだ。
「これは味が似てるのか?」
「んーとね、ちぁうけどね、おいしーの」
オレンジジュースは美味しくなかったのか。確かにリンゴジュースよりは酸味があるかもしれないが。
「ルーナは?ミルクティーで大丈夫か?」
「ん。おかあさまと、おんなじ」
「あぁ、そうだな」
5歳児が紅茶を飲む姿は、おそらくこの国では珍しいだろうが、仕方がない。
やがて運ばれて来た料理は、2人とも見たことがないもので、大はしゃぎで完食した。




