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結局勇樹は一睡もできなかった。3人が交互に、そして時々同時に泣き出すため、なだめているだけで一晩が過ぎてしまったのだ。
「はぁ……」
「“大丈夫?眠れなかったの?”」
「“あぁ、うん。子どもたちの夜泣きで。いつもはそんなことないんだけど”」
「“環境の変化かしらね。子どもたちは私が見ておくから、あんたは休みなさい”」
「“んー……、そうさせてもらおうかな。何かあったら起こして」
マリアルーナとカトレアは、一晩中泣き続けたおかげでお腹が空いているらしく、和食だったにも関わらず朝食は残らず完食する。
アイリスもミルクをしっかり飲み干したのを見て、勇樹は朝食も食べずに休むことにした。
「ルーナ、レア、お父さんは眠いから、ちょっと休むよ。お前たちはばぁばと遊んでてくれ」
「ん」
「“ばぁば、あしょぼ”」
「“えぇ、えぇ、何しましょうか”」
「“ごめん、母さん。頼むよ。アイの次のミルクの時間には起こして”」
「“はいはい”」
マリアルーナはともかく、カトレアはもう懐いているようだ。
危険なものは感じないのか、マリアルーナも警戒することはない。
だから勇樹は、安心して部屋に入っていった。
どれくらい寝ていたのだろう。騒がしい声で目が覚めた。
「……あー……」
まだ半分眠ったような夢うつつの状態で、時計を確認する。
「は?!」
確か寝たのが朝8時頃。そして今の時間は12時半。記憶にあるだけで、3時間以上眠っていた。
よほど疲れていたのだろうが、アイリスのミルクの時間が過ぎていることだけが気になる。
「……っ!」
慌てて起きると、とたんにいろいろな音が耳に飛び込んでくる。
「う……っ」
思わず耳を抑え、腕にはめていた補助具に気づいた。
市販されているものより効果が長く、1週間は続くと聞いている。
途中での取り外しが可能だが、取るのも忘れて寝ていた。
『やめて!やめて!アイちゃん、いやがってる!』
『アイちゃああぁぁ……!』
耳に飛び込んできた音たちの中から、かすかな声が聞こえた。
「ルーナ……レア……?」
間違いない。娘たちの声だ。あのマリアルーナが、ここまで声を荒げるとは。
耳から意識を外した瞬間、居間からアイリスの泣き声が聞こえてきた。
「アイ……!」
お腹が空いて泣いているのだろう。慌てて居間に出て行くと、そこでは母の腕の中で泣くアイリスがいた。
「“母さん?アイリスはなんで……。っ、何してんだ?!”」
母の手に握られていた哺乳瓶を見て、慌てて止める。
「“あら、起きたの?アイちゃんがお腹空いて泣いてたから、ミルクをあげようと思ってね。でもあんたは寝てたし、ミルクの場所はわからないしで、米のとぎ汁をあげようとしてたの”」
「“勝手なことするな!”」
母の手から奪うようにアイリスを引き取り、しっかりと抱きしめる。
「アイ、アイ。ごめんな。もう大丈夫だ」
「ぎぃあぁぁっ!」
簡単には泣き止んでくれそうにない。
「“母さん、貸して”。ルーナ……」
ルーナに部屋から予備の哺乳瓶とミルクを持ってきてもらおうと思ったが、祖母が妹を泣かせたことと温厚な父親から強い口調が飛び出したことで、ルーナは混乱して固まっていた。
「……ごめん、ルーナ。レア。お前たちに怒ってるわけじゃないから」
子どもたちに手を借りることもできない。仕方なく泣き叫ぶアイリスを抱えたまま、勇樹がミルクを用意し、アイリスの口に近づける。
それまで体をひきつらせて泣いていたアイリスも、見慣れた哺乳瓶が近づくとピタリと泣き止んで、力強く吸い始めた。
「いい子だ、アイ」
どんなに小さな赤ん坊でも、自分の身体に害になるものとそうでないものを見分けることはできる。おそらく祖母が与えようとしていたものの中に、害になるものがあったのだろう。
そうでないと、機嫌が良いことが多いアイリスがあそこまで泣き叫ぶなど、考えられない。
「“母さん、アイのミルクは決まってるんだ。俺が全部管理してるから、ミルクの時間には起こしてほしかった”」
「“どうして?同じ人間なんだから、どれ飲んだって一緒でしょ?昔はね、米のとぎ汁を飲ませてたことだってあったんだから”」
「“何十年前の話だよ。今は全然違う時代だし、こいつらには慣れた味があるだろ。赤ん坊の舌は敏感なんだ”」
「“……そう、それなら仕方ないわね”」
もっともらしい理由を並べたおかげで、母親は納得したようだ。
「“じゃあミルクはパパに任せて、ルーナちゃん、レアちゃん、ばぁばと遊びましょうか”」
すぐに切り替えて遊びに誘うが、2人はその手から逃げるように勇樹の後ろに隠れてしまった。
「“あら……どうしたの?ばぁばよ。さっきまで一緒に遊んでたじゃない”」
嫌がる妹に得体のしれないものを飲ませようとした人。彼女たちの中で、祖母はそういう認識になってしまったらしい。
「“いいよ。あとで散歩に連れていくから”」
「“そう?じゃあ、お菓子でも作ろうかしら”」
祖母はまさか自分が孫たちに警戒されているとは思いもせず、楽しそうだった。




