17
懐かしい森の中。7年ぶりだ。が、気持ちのいいものではない。
久しぶりのせいか、偏頭痛のように、脈に合わせて頭が痛む。
「……ルーナ……レア……」
頭を抑えながら、歪む視界の中で娘を探す。しかし次の瞬間、頭の痛みはすっかり飛んでいった。
カトレアが腕の中でぐったりと倒れている。マリアルーナも、勇樹の手を握ったまま力なく地面に倒れていた。
「ルーナ!レア!」
慌てて両手を揺らす。
「……んー……?」
最初に小さな声を上げたのは、マリアルーナの方だった。
その場に膝をつき、マリアルーナを抱き上げて
「ルーナ!ルーナ!起きろ!」
と叫ぶ。
「……おとーさま……?」
すぐにマリアルーナは、薄く瞼を押し上げ、呟いた。
どうやら気を失っていたようだ。ゆっくりと目を開けたかと思うと、父の腕の中で周囲を見回す。
「……ここ、どこ……?」
「お父さんの家の近くだ。レア、起きろ。レア」
「……んー……」
カトレアも間もなく目を覚まし、初めて見る場所に怯えてしがみついた。
「ルーナ。悪いが、アイを見てくれるか?」
背中におぶっているアイリスの様子は、マリアルーナに見てもらう。
「アイちゃん、寝てる」
「そっか。ありがとう」
マリアルーナやカトレアのように気絶しているのではないかと思ったが、彼女たちは魔法士だ。おそらく異常を感じないから、こうして落ち着いているのだろう。
「かーしゃま……」
母親がいない世界に来てしまった。そう気づいたらしく、カトレアはさっそく泣き始める。
「レア、泣くな。大丈夫だ。お母さんは迎えに来るって言ってただろう?それまでいい子に待ってような」
「かーしゃまぁ……っ!」
2歳児が母親と離されて、簡単に納得するはずがない。
どうやって泣き止ませようか悩んだ勇樹が顔を上げると、目の前にあの光景が広がっていた。
「レア。ルーナも。見てみろ」
泣きじゃくるカトレアと、妹につられて泣きそうになっていたマリアルーナに、視線の先を促す。
「……わぁ……」
マリアルーナは小さな声を上げ、カトレアも涙で潤んだ目を見開いた。
太陽の光に照らされた美しい田舎の風景が、眼下に広がっていた。
「ここからの景色はな、お母さんも見たことがあるんだぞ」
「おかあさまも?」
「あぁ。綺麗だと言っていた。お前たちはどうだ?気に入ってくれたか?」
「……すごく、きれい」
「きれー」
「そうか。よかった」
「とーしゃま、うれし?」
「あぁ、嬉しいよ。下に見える町は、お父さんが育った町だからな」
素直に喜んでいることを伝えると、2人とも照れてしがみついてきた。
「これからお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に行くんだ。レア、歩けるか?」
「やぁ。らっこ」
「……わかった。ルーナ、手を離してもいいか?」
「ん」
「ありがとな。ゆっくり歩くから、疲れたら言っていいからな」
「ん」
荷物が入った大きなキャリーケースは、リリアンローズと来た時とは違うが同じ種類の補助具。無限にものが入るもので、この中にいくつかバッグも入れているくらいだ。
外国からの旅行客でも不思議に見えないように、これを借りることにした。
マリアルーナの歩幅に合わせてゆっくり山を下り、もうすぐで山を抜けるところまでくる。
身体を鍛えていてよかったと思った。
背中には生後半年のアイリス、片腕でカトレアを抱き、さらに空いた片手でキャリーケースを持つ。
皇国の騎士程とはいかないが、騎士に教わったおかげで、日本の一般男性よりも力はあるはずだ。そのおかげで、なんとか山を降りてきた。
「ルーナ、レア。山を出る前に、話を聞いて」
勇樹のまっすぐな目を見て、2人は何か感じ取ったらしく神妙な面持ちで見つめ返してくる。
「この世界にいる間、魔法は使わないって約束してほしい」
「なんで?」
さっそくカトレアからお決まりの「なんで?」が飛び出してきた。
「魔法が存在しない世界なんだ。もし知らない人がお前たちの魔法を見たら、怖い人たちのところに連れて行かれて、怖い事をされるかもしれない。お母さんと二度と会えなくなるかもしれないんだ」
「……やら……」
「おとうさま……」
さすがに怖がらせすぎたか。しかしこうでも言わないと、カトレアは特に何気なく使ってしまうそうである。
「ずっと使っちゃダメってわけじゃない。お父さんとルーナとレア、そしてアイだけの時は、使っていい。他に知らない人がいるところはダメ。わかるか?」
「わかった!」
「ん。わかった」
元気な返事だが、それで理解してくれたと信じて、笑顔を見せた。
「いい子だ。あともう1つ、約束して。知らない人にお母さんの国の話をするのもダメだ。この世界では、ウィクダリア皇国はないことになってる」
「ちがうよ、おとうさま」
マリアルーナが声を上げる。
「どうした?ルーナ」
「あのね、しらないひとにこーこくのこときかれたら、“ほくおーのくに”っていうの」
「誰に言われたんだ?」
「おかあさま。教えてくれたの。“ほくおーのくに”のウィクダリアこーこくって言っていいって」
「……そうか……」
5歳児の言葉をどこまで信じるかだ。が、ここは魔法補助具がある。
今は荷物の奥深くに入れているため、落ち着いた時にマリアルーナの記憶を見せてもらおう。
そういえばリリアンローズも、勇樹の母親に出身を聞かれた時「北欧」と答えていた。
「じゃあ、お母さんが言ったようにしよう。レア、わかったか?」
「“おくおーのきゅに”?」
日本語の発音は難しいようだが、カトレアは皇国語でもまだ舌っ足らずだ。
「じゃあおさらいするぞ。約束は2つ。知らない人がいるところで魔法を使わない。お母さんの国を聞かれたら、“北欧の国”って答える。わかった?」
「ん」
「あい!」
「お母さんが迎えに来てくれるまで、頑張ろうな」
「がんばる。あたし、いいこにしたら、おかあさま、はやくおむかえくるって」
「いいこしたら、かーしゃま、おむかえくる?」
「あぁ、来るぞ」
いつ迎えに来てくれるかわからないが、子どもたちにはそう言っておく方がいいだろう。
「もう1つ話がある。今度は約束じゃない、知っていてほしいことだ」
「……?」
「ルーナ、お前は自分の名前が言えるな」
「マリアルーナ・ミヅキ・ルシア・シャーナ・ウィクダリア」
「ちょっとだけ違うな。モニークは伯父さんのお名前になっただろう?」
「……あ。マリアルーナ・ミヅキ・ルシア・ランヴェスター」
「そうだな。レアは……言えるか?」
「うん!レア、カトレア!」
「おぉ、ファーストネームは言えるようになったんだな」
皇国では家族であればファーストネームも省略して愛称を使うのが普通だ。
2歳で愛称ではないファーストネームをはっきり言えるのは、なかなか優秀な方だった。
「でもな、2人とも別の名前があるんだ」
「……?」
「ルーナは宮野マリアルーナ翠月。レアは宮野カトレア紫苑。お父さんの国では、そう言うんだ」
「……ふぅん……」
「みゃーにょ。かわいいねー」
全然違う名前を教えると混乱させるかもしれないと思ったが、予想以上にあっさり受け入れてくれた。
「まず、ファミリーネームは宮野。で、ファーストネームは、ルーナは翠月、レアは紫苑。今までのファーストネームはミドルネームになるけど、好きな方を名乗っていいからな」
マリアルーナは銀髪に緑色の瞳、カトレアも黒髪ではあるが目は緑という、見るからに外国人の顔立ちだ。
外国の名前を名乗ったところで、ハーフだと言えば疑われることはない。
「じゃあ、長くなったな。そろそろ出発するか。ルーナ、疲れただろう?」
「……ちょっと」
「じゃあ……、レアはちょっと待ってな」
まずカトレアを地面に立たせて、マリアルーナを抱き上げ、キャリーケースの上に座らせた。
「しっかり掴まってるんだぞ」
「ん」
「レアも!レアも!」
「レアはこっちだ。おいで」
姉の真似をしたいと訴えるカトレアを同じように抱き上げ、一行は再び出発した。




