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「おかあさま、どこかにいくの?」
「お父様の故郷に行くのよ」
「おかあさまもいっしょ?」
「……一緒には行けないわ」
「……んー……」
「やぁ……!」
子どもたちを部屋に呼んで、さっそく説明をした。が、当然幼い娘たちに理解できるはずはない。話せることも少ないのだから。
俯いて涙をこらえるマリアルーナと、泣き出して母に抱っこを求めるカトレアを、リリアンローズは同時に抱きしめた。
「ルーナ、レア。わかってちょうだい。お母様はお仕事をしなければいけないの。終わったら必ず迎えに行くわ。それまで、お父様の言うことを聞いて、いつものようにいい子に待っていてくれればいいだけよ」
「どれくらい?」
「あした?」
「出発はまだ先よ。迎えに行けるのは……わからないわ。でも、できるだけ早く迎えに行く。約束よ」
「……やくそく……」
「かーしゃま、いっしょがいいぃ……!」
簡単に理解させることはできない。それでもリリアンローズは、できるだけ理解させようと、わかりやすい言葉で何度も説明した。
マリアルーナもカトレアも、幼いとはいえ魔法士だ。これから起こることを予期しているのだろうか、不安がってなかなか離れない。
「ルーナ、レア、聞いてちょうだい」
「ん……」
「んー……」
「お父様の国で約束をする時のお歌、教えてもらったでしょう?」
「ん」
「ゆびきぃ、えんまん」
「そうね。約束を守らないと、針を千本飲まないといけないの。お母様もそれはイヤだから、約束は必ず守るわ。だから、あなたたちも、いい子に待ってるって約束して。そうしたらお母様は、安心してお仕事を頑張れるから」
「……うぅ……」
「うううぅぅ……」
寂しがりながら、それでも納得するしかないことを悟ったようだ。
「今日はまだ一緒よ。泣かないで。一緒に寝ましょうか」
その日、一家は大きなベッドで並んで寝ることになった。
母親にしがみついて、優しい子守唄を聞きながら眠る子どもたちを、勇樹は黙って見守る。
これからこの子たちを自分1人で守らなければいけない。
不安しかないが、それが妻との約束なのだ。
「……ユウキ」
眠りについた子どもたちを起こさないように、小さな声がした。
「ん?」
「お願いしてもいいかしら?」
「……あぁ」
何を言われるのだろう。しかし、何を言われても、受け入れるつもりだ。
妻が安心してこれから起こることに集中できるなら、なんでも。
「わたしは、外のことなんて何も知らないわ。でも、いろいろ調べたの。皇族だけは、外の世界について知ることができるから」
「……そうだな」
「外に出たら、まず家を買って。それから、仕事を探して」
「……え?」
予想外のお願いだった。
「怪しまれない生活をしてほしいの。皇国の存在を知られるわけにはいかない。外の国に永住するつもりで、暮らしてほしい」
「……でも……」
「お金に換えられそうなものはいくらでも持っていっていいわ。それに呼び戻す時には、魔法が使われていない契約なら、なかったことにもできる。だから、お願い」
「……理由を聞いてもいいか?」
「あなたのお父様やお母様はとてもお優しい方だけど、魔法のことは話せないでしょう?生活の中で魔法を制限させたくないの。だから、できるだけあなたたち4人だけになる空間を作ってほしい」
子どもたちのことを思っての言葉だ。それなら、従わないわけにはいかない。
「わかった。会社員時代の貯金もあるし、ある程度の生活には困らないと思う。ここと同じ生活とはいかないだろうけどな」
「そうね。……この子たちに、苦労はさせたくなかった……」
「仕方がないことだ。苦労を経て成長していくんだから。怪しまれないようにって言うなら、外では学校にも通わせなきゃいけない。かなり揉まれるだろうな」
「……守って、あげてね?」
「当たり前だ。できるだけのことはする」
「使えそうな補助具はいくらでも持っていっていいわ。補助具にあしらわれている装飾品は本物の宝石が多いから、使い終わった後も高く売れるでしょう」
「俺からも、頼んでいいか?」
「え?」
どうしても気になっていた。先程から、リリアンローズの様子がおかしいと。
「生きてくれ。どんな状況になっても、必ず」
「……ユウキ……」
「言いたいことはわかってる。皇国民や皇族を守るためだって言いたいんだろう?けど、正直俺は、会ったこともない皇国民よりも、リリィに生きてほしい。こいつらに、母親の顔を知らないまま育ってほしくない。だから、俺はいくらでも待つつもりだけど、できるだけ早く迎えに来てほしい」
「……わかったわ」
元皇族として、公爵家の人間として言ってはいけないことを言ったが、リリアンローズは気にしていないようだ。
「でも、どれくらい待たせるか、わからないわよ」
「いいんだ。待ってるから」
「でも……、必要だと思ったら、あっちで再婚してもいいのよ?」
「しない。俺の妻も、こいつらの母親も、お前だけでいい」
その言葉を最後に、もう声は聞こえなくなった。
しかし、安心したように眠る娘たちのそばで、夫婦はそっと、お互いの手を握りあった。
やがて、荷物がまとめられた。元々アメジスト宮から女公爵邸に引っ越すのにまとめていた荷物だったから、それほど時間はかからなかった。
大きなキャリーケースのような補助具1つとともに、勇樹たちは召喚の間に集められる。
「ユウキくん、いろいろ振り回してすまなかったね」
皇帝が苦笑とともに言った。
「これからも振り回される覚悟はできていますから」
勇樹もまた、当然のように答える。
「……そうだね。またこちらに呼び戻せるように、我々も頑張るよ」
「待っています」
「陛下、召喚の準備が整いました」
新しく皇帝の側近となった、前公爵の長男ヨーグスト・マナ・カルティエートの声が響いた。
「ルーナ、レア、時間よ。お父様のところに行きなさい」
「おかあさま……」
「やぁ……」
「……お母様を困らせないで。言ったでしょう?お仕事が終わったら、すぐに迎えに行くわ」
リリアンローズは、なおも離れたくなくてしがみついてくる娘をしっかり抱きしめる。
「愛してるわ、ルーナ、レア、アイ」
そして次には、嫌がる娘たちの背中を押して、中心の円の中へと入れた。
「ユウキ」
「……待ってるからな」
「……えぇ……」
いつまでも不安そうな表情の妻を抱きしめたい衝動を抑え、代わりに笑顔を向ける。
そして、彼女の手からアイリスを受け取り、おんぶ紐でしっかり固定する。
母親に駆け寄りそうなカトレアを抱き上げ、マリアルーナとは手を繋いだ。
キャリーケースはそばに置くだけでいい。
「召喚の儀を始めます」
カイロン公爵の言葉で、皇帝が呪文のような言葉を唱える。
青い光を放ち始めた円の中で、ルーナは父の手を強く握り、カトレアは母に駆け寄ろうともがいていた。
青い光が強くなり始めると
「かーしゃま!かーしゃま!やら!やらぁ!」
初めての体験に恐怖を感じ、カトレアが泣き出してしまった。
「レア、大丈夫。俺が……お父さんがここにいるだろ?泣くなよ。大丈夫だから……」
そうしている間も、光はどんどん強くなっていく。
「おかあさま!」
マリアルーナが叫んだ瞬間、それに共鳴するように光が一層強くなった。
その直前、光の向こうで、リリアンローズが顔を覆って崩れ落ちる姿が見えた気がした。




