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退位式を無事に終え、新皇帝が即位した皇城では、続いて引っ越しの準備に追われることになる。
勇樹もいつもの育児に加えてアメジスト宮の荷物の整理に追われる中、皇女はまだ貴族として皇帝の相談役としての役割を全うしていた。
毎日のように新皇帝となった兄に呼び出され、荷物の整理を置いて宮を出て行く日々。
寂しがる子どもたちを慰めるのは、いつも勇樹だ。
そんなある日、アメジスト宮に新皇帝が訪ねてきた。
「突然訪ねてきて悪かったね」
皇帝はいつものように優しい微笑みを見せた。その向かい、勇樹の隣で、皇女は瞼を伏せる。
子どもたちには聞かせたくない話のようで、宮女に任せて子ども部屋に追いやった。
「ユウキくん、頼みがある。キミにしかできないことだ」
「何でしょうか」
今の大変な時期に、異世界人である自分にできることがあるなら、何でもするつもりだ。
皇帝からとは思わなかったが、言い出してくれるのをずっと待っていた。
「キミに亡命してほしい」
その瞬間、彼女はハッとして妻を見た。彼女は勇樹を見ることもない。全て聞いていたのだろう。しかし納得もしていないのだろう。顔が厳しい。
「ユウキくん、キミとルーナ、レアとアイの4人だけなら、外でもやっていけるだろう」
わからない。わからなかった。どうして突然そんなことになるのか。
「申し訳ございません、皇帝陛下。もう少し詳しくお話いただけないでしょうか」
妻から聞きたいところだが、期待できそうにはない。この場合皇帝に聞くのが正解だ。
「先程、反皇帝派の決起集会が開かれたという情報が入った。皇帝派と衝突するのも時間の問題だ。……今まで避けていたが、ここまで来れば仕方がない。武力衝突になっても反皇帝派の多くは非魔法士、皇帝派に危害が及ぶとは思えないが、万が一ということもある。最悪の事態を想定して、皇族の血を守るという結論を出した」
先皇帝の血筋を引き継ぐ三姉妹を、勇樹とともに国外へ。それは理解できた。
しかし、それでも疑問は残る。
「それなら、陛下も国外へ避難された方がよろしいのでは?」
「できないわ」
答えたのは妻だった。
「皇帝が国を見捨てるなんてこと、あってはいけないわ。それも、庶民には危険だと教えられる外の世界なんて、皇国民の理解が得られるはずがないわ」
「だったら、もっと陛下に近い血筋は?皇太子殿下とか……」
甥にあたる皇太子とも面識はある。もう恋愛もするような年齢だ。
「皇帝直系が亡命なんて、もっと理解されないわよ」
表立って亡命とはできないのだ。それでも、勇樹と三姉妹なら、帰省と称して国外へ出ることができる。
「ユウキくん、辛い決断にはなると思うけど、どうかわかってほしい。ルーナは特に、皇族の血が濃い。直系の一族に万が一のことがあった場合、ルーナに皇帝としての魔法や権利が移る可能性もある。ここで皇族の血を途切れさせるわけにはいかないんだ」
「……わかりました」
そこまで言われては、頷かないわけにはいかなかった。皇帝からの命令ではない頼みだ。
「しかし、4人とはどういうことでしょうか。リリィは」
「わたしは残るわ」
「……僕はリリィもと思うけど、リリィがこう言うからね」
皇帝はリリアンローズもと進めたらしい。それを拒否しているのがリリアンローズだ。
「当然でしょう。わたしは先帝の皇女、皇帝の妹よ。この緊急時に、のんきに帰省に付き合ってる暇なんてない」
帰省ではなく亡命と言っているのに。娘たちだけを逃がして、自分はここで闘うつもりなのか。
「だったら、俺も残る。ルーナたちはあっちの信頼できる人間に任せて」
「バカを言わないで。突然見知らぬ環境に放り出されて、あの子たちが大人しくしていると思う?あなただけなのよ。あの子たちを任せられるのは」
「それならリリィも一緒に来てくれ。ルーナもまだ5歳だ。アイなんかまだ半年だぞ。母親と別れさせるようなことは」
「ユウキ!」
必死に頼み込む勇樹を、リリアンローズはたった一言で制した。
「これ以上話すことはないわ。お兄様、帰ってちょうだい」
「あ、あぁ……。じゃあ、ユウキくん。そういうことで。準備ができたらいつでも声をかけてくれ」
「あ、はい。ありがとうございました」
皇帝が部屋を出ていき、室内には夫婦だけが残る。
「行き帰りはいつもの召喚を使うわ。あなたがイメージした場所に出るから、都合がいい場所をイメージして」
「……リリィ、本当に」
「言わないで」
本当に行かないのか尋ねる前に、途中で遮られてしまった。
「……わたしだって……行きたいわよ……」
「……リリィ……」
美しい銀髪に顔を隠す妻に、勇樹はハッとした。
彼女は皇女ではない、母親なのだ。しかしこの立場で、母親として、女公爵として、身を削る思いでそう決めたのだ。
震える肩を、勇樹はそっと抱きしめた。
「……できることなら、離れたくない。あなたと一緒に、あの子たちの成長を見ていたい。でも、ダメなの。わたしは女公爵。つい最近まで皇女だった人間。お母様が愛した国を、お父様が必死に守ったこの国を、見捨てられないの……!」
「ごめん……、ごめん、リリィ。そこまで考えてたとか知らなくて……」
「……ごめんなさい……ごめんなさい、ユウキ……」
「謝らなくていい。リリィの判断は間違ってないと思う。それがリリィのしたいことなら、俺は応援する。子どもたちは寂しがるだろうが、理解できるまで何度でも教えるから」
母親になりきれない自分を責める妻に、勇樹は胸が痛んだ。
自分のことばかりで、彼女の辛い決断を考えることができなかったのだ。
この国の希望を背負う皇族。つい数日前に抜けたばかりの皇族という地位。
家族を大切に思うあまりの言葉に、勇樹はしっかりと抱きしめるだけで、どう声をかけたらいいかわからなかった。
「子どもたちのことは任せてくれ。全部終わったら、呼び戻してくれるんだろう?ちゃんと待ってるから」
「……えぇ……もちろんよ」
いくつになっても華奢な妻の身体を、勇樹は強く抱きしめた。




