12
皇女の二度目の妊娠は、それから2年後のことだった。
「リリィ」
「おかえりなさい」
アメジスト宮に入ると、ソファに座って何やら刺繍をしながら、皇女が微笑む。
「ただいま。また作ってるのか?」
「えぇ。産着はいくらあっても足りないと思うわ。この子の人生はこれからなんですもの」
大きく膨らんだお腹では、新しい命が順調に進んでいるという。
「すぐ大きくなるから、入らなくなるのも早そうだけど」
「その時は魔法で大きくすればいいのよ」
皇女はそう言って、次にはお腹に手を当てる。
「どうかした?痛むか?」
「いいえ。お腹を蹴ってるの。きっとそうだよって同意してくれているんだわ」
「え、マジ?」
勇樹も慌てて皇女の隣に座り、大きなお腹に手を当てる。しかしもう動かなくなってしまった。
「ふふふ、お父様は嫌いみたいね」
「そりゃあ出てくるまで、触れ合えるのは母親だけだからな。産まれてからが大事だろ。おい、もうすぐ出てくるよな」
「急かさないで。この子のペースでいいの。この子がお腹の中を満喫するまで、いさせてあげるつもりよ」
「大丈夫なのか?辛くないか?」
「もうずっとこれだもの。慣れたわ」
「そうか。けど、さすがにこのままは俺が嫌だ。いい加減俺に抱っこさせろよ」
すっかり母親の顔になった皇女は、両手をお腹に当て、子どもを守る母親そのものだ。
「ユウキ、何を持って来たの?」
「あぁ、書庫で本を借りてきたんだ。そろそろ名前も考えないとだろ」
「そうね」
勇樹にはどういう意味かわからない名前が、皇国には多くいる。
子どもの名づけに使われるという本を取り寄せてもらい、それを参考にするつもりだった。
「ユウキ、名付けで提案があるんだけど」
「なんだ?」
「ミドルネームにユウキの国の名前をつけてほしいの」
「……いいのか?」
帰れるかもわからない近くて遠い国。皇国での外の国のイメージも考えると、あまり良くないのではないか。
そんな不安があったが、
「えぇ。この子には皇国以外にも帰る場所があるのよって伝えたいから」
皇女には皇女の想いがあるようだ。
「わかった。じゃあ、俺はそっち考えるから、リリィは皇国での名前を考えろよ」
「もちろん。というか、もう決めてるわ」
「え、何?」
「……ふふ、内緒よ。この子が産まれるまでね」
「なんでだよ……。ってか、男の子か女の子かって、まだわからないんだっけ?」
「知ろうとすればわかるだろうけど、知りたくないの。その方が楽しみじゃない?」
皇国では、事前に性別を調べるようなサービスはない。
独自で魔法を使って調べることもできるらしいが、皇女にはその意思もないようだ。
「あ……?」
その時、皇女が不思議そうな顔をした。
「リリィ?」
勇樹が目を向けると、皇女はお腹に手を置いたまま固まっている。
「どうした?」
何か異常なのか。勇樹が心配して皇女の肩を支える。
「……ユウキ」
「ん?」
「……破水、したみたい……」
「は?!」
唖然とした皇女から出た言葉に、勇樹もまた驚いてしまった。
「おめでとうございます、皇女殿下、ユウキ殿下。お元気な姫君でございます」
助産師の手から、まだネバネバしたものがついている赤ん坊を見せられる。
勇樹は、初めての命が誕生する場をその目に焼き付けた。
別の助産師が皇女の胸元をはだけさせ、そこに赤ん坊を載せる。
まだ目も明かない赤ん坊は、小さな口で乳首を探り当て、動物のように吸い付いた。
「……わたしの……赤ちゃん……」
皇女の口から荒い息に混ざって言葉が流れ出てきた。
疲れ切っているだろうに、その目はしっかりと幼い命を見つめ、白い手でその命を撫でる。
「わたしの、赤ちゃん……やっと、会えた……」
双眸から零れ落ちる綺麗な雫が、床に沁み込んでいく。
「ユウキ……ユウキ」
「……あ、あぁ……ここにいる」
「わたしたちの、赤ちゃん……赤ちゃんよ……」
「あぁ……」
産まれたばかりの小さな赤ん坊。簡単に握りつぶせてしまいそうな命が、生きようと必死に乳を吸う。
その姿はあまりにも神秘的で、勇樹も目を離せなかった。
この子が自分の子どもなのだ。ついに自分は父親になったのだ。
「皇女殿下、失礼いたします」
「あ……」
授乳を終えた赤ん坊を、助産師が一度抱き上げる。
「こちらの椅子にお座りください」
そばに準備されていたほぼ倒した形の座椅子に移動させた。
「ユウキ……、あなたも、抱いてあげて……」
「え、俺?」
「あなた、父親、でしょう?」
「いや、けど……壊れそう……」
「大丈夫よ」
助産師が再び皇女の胸元に戻そうとした赤ん坊を、皇女は柔らかく断り、勇樹に渡すように勧める。
「ユウキ殿下、どうぞ」
助産師からも言われ、勇樹はおそるおそる抱き上げた。
「……ハハ……やわらけぇ……ふにゃふにゃじゃねぇか……」
瞳の色はわからないが、産まれたばかりで額に張り付いた髪は皇女によく似た金色。
「……ルーナ……」
皇女が座椅子から手を伸ばしてきた。勇樹は慌てて娘を抱いたまま皇女のそばによる。
「マリア、ルーナ……」
「……この子の名前か?」
「えぇ」
皇女はもう決めていると言っていた。皇妃の名前の一部であるマリアに、皇国では月を意味する古典語であるルーナ。
「いい名前だな。こいつによく似合う」
「ユウキは?」
「あぁ……」
数時間前に突然言われて、考えている途中に陣痛が始まったため、まだ考えられていなかった。
しかし、皇女が考えた名前で、日本名はすぐに決まった。
「ミヅキ」
「みづき?」
「あぁ。翠月だ」
「……いい、名前」
皇女の瞳の色である翠。そして皇国での月とは、皇帝の妻である皇妃を現す言葉。
ウィクダリア皇国の皇族の一員であるという意味を、日本名に使いたかったのだ。
「殿下、皇帝陛下と皇太子殿下、並びにルビラス皇子殿下、ラキエル皇子殿下がお待ちのようです」
「……入れてちょうだい」
「かしこまりました」
マリアルーナを白い布に包み、皇女も乱れた衣服を直す。
「リリィ!」
外で心配していたのだろう第二皇子が、一番に飛んできた。
「ルブ兄上、静かにしないと、赤ん坊がびっくりするよ」
「あぁ、ごめん……。そいつか」
マリアルーナを抱いていた勇樹の下に、全員が集まってくる。
「お父様に」
皇女の指示で、勇樹はまず皇帝に娘を渡した。
「マリアルーナ・ミヅキです」
「……いい名前をつけたな」
「えぇ。お母様のお名前を頂きました。お母様のように身も心も美しく育ってほしいと」
「……そうか」
皇帝は目の横に皺を刻んで、孫娘をじっと見つめていた。




