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異世界結婚生活記  作者: 金柑乃実
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見慣れた薄暗い町。思えば数ヶ月、この道はこの色に染まったところしか見たことがなかった。

22歳で大学を卒業し、特にやりたいこともなくて受けたたくさんの企業の中で、唯一内定をもらえた中小企業。

毎日夜遅くまで残業し、終電を逃すこともたくさんあった。

やっと家に帰れたかと思えば、倒れるように眠り、そして翌朝、まだ日が昇る前に出勤。

そうでもしないと生活もできないというブラック企業だった。

毎日働きづめで、家には寝に帰るだけの毎日。働く意義なんてもの、もう考えるのもやめた。

都会の街はネオンのおかげで昼間のように明るい。そう聞いたのはウソだったのか。

そのネオンすら消えた時間しか知らない。

「はぁ……」

特に理由もなく、ため息が零れた。

生まれ変わったら何になりたい?そんな童心に戻ったかのような問いが浮かんでくる。

もし今そう聞かれたら、彼はこう答えるだろう。

王族になりたい、と。王様ではない。大人になった今、一国の主が身体的にも精神的にもストレスが多いことはわかっているからだ。

だから、その家族になりたい。仕事が全くないわけではないが、趣味に没頭できる時間もある。今のように金銭的にも時間的にも押しつぶされることはなく、好きなことを考えられる余裕が。

そんな子どもとも大人とも言える夢を抱きながら、消えかけた街灯だけが頼りの暗い道を歩く。

家に帰って寝て、目を覚ませばまた明日が来る。何の変化もない、ただ稼ぐために働くだけの明日が。

重苦しい感情に、彼はふと足を止め、足元に視線を落とした。

「……?」

するとそこに、小さく輝く何かが見えた。小銭か何かだろうか。

それを拾おうとしゃがみこんだ瞬間、その光は大きく広がり、彼を包み込んだ。

「なん……っ」

逃げるよりも叫ぶよりも早く、彼は光の中に吸い込まれていった。


体が重い。また朝が来たのか。

寝起きの体がゆっくりと感覚を取り戻していく。

あれ?

ふと思った。ベッドではない。寝ているのは、柔らかく暖かい布団ではなく、まるで床のように冷たく硬いもの。

昨日はベッドに寝なかったのだろうか。それでも絨毯を敷いているのだから、床に寝るのはおかしい。

重い瞼を押し上げると、目に入ったのは白い床。そして、たくさんの人の足。

明らかに自宅ではない。ハッとして目を開けると

「お目覚めですか?」

見知らぬ男が覗き込んできた。

「……だれ……どこ……」

「あぁ、申し訳ございません。申し遅れました。カルティエート公爵家当主、キリエール・マナ・カルティエートと申します」

公爵家?キリエール?そんな日本とは思えない言葉の羅列に、彼は戸惑うしかない。

きょとんとしている彼の顔を見て、男が「あぁ……」と呟く。

「ここはウィクダリア皇国の皇城です。突然ですが、ミヤノユウキ様、貴方様を召喚させていただきました」

「……は?」

さすがの彼も耳を疑った。しかし、そのわずか後にはなんとなく言葉の意味を理解する。

大学時代に読んだネット小説のおかげだろう。そこはそれを紹介してくれた友達に感謝だ。

まさか本当に召喚か?と疑問はあるが、それでもまずは体を起こす。

この部屋は男性ばかりが数人。1人は一段高くなったところの椅子に座り、それ以外は周りを囲むように立っている。

服装は特におかしくないが、それでもここは、彼が知る世界ではないとわかった。

その場にいた人間の多くが銀髪に緑色の瞳という見たことのない色素の人間だったのもあるが、なにより唯一座っていた男の背後にあるもの、この世の全ての法則を無視したような巨大な光の塊を見れば、嫌でもそれを理解するしかなかった。

「……すみません。ここは異世界ですか?」

「まぁ、そうですね。貴方の世界ではそう言われるでしょう」

先程の男が笑顔で答える。

「で、自分はなんで召喚されたんですか?」

「……理解がお早いようですね。こちらは助かりますが、よろしいのですか?元の世界に戻ろうとされるかと」

そんな帰りたくなるような環境ではなかったせいだろう。

あの地獄のような日々から解放されるなら、異世界でも何でもよかった。

「貴方を召喚した理由についてですが……。まずは、ご紹介いたします。我が皇国の主、カイルリアン・ルシア・シャーナ・ウィクダリア皇帝陛下です」

偉そうに座っていた男が、厳しい視線を送る。勇樹はそれで受けて立ち上がった。

「今回貴方を召喚致しました理由は、皇帝陛下の唯一のご息女、リリアンローズ皇女殿下と結婚していただきたいのです」

「……は?」

さすがにこれは予想外だ。この国を救ってくれとか、勇者になってくれとか、そういうことかと思っていた。

「結婚……ですか?」

一瞬受け止められないでいると、背後から物音がして振り返る。老人がこの部屋のドアを開けた音だった。

「皇女殿下をお連れ致しました」

老人はそう言うが、彼の後ろに女性の姿を見当たらない。

「テオドール、それでリリィはどこにいるのかな?」

今まで静かだった男の1人が、苦笑を漏らした。それを聞いた老人が、慌てて振り返り連れてきたはずの人物がいないことに気づく。

「姫様―!」

老人の悲痛な叫び声が、その場に響いた。


彼の名前は宮野勇樹。ごく普通の社畜だった。

22歳で大学を卒業後、中小企業に就職してからまだ数ヶ月。

23歳になってすぐの夏のある日、彼は異世界、ウィクダリア皇国に召喚されてしまった。


「突然こんなことになって悪かったね」

勇樹は、あの苦笑していた男と長く広い廊下を歩いていた。

「いえ……」

彼はこの国の皇太子だというカルセイン。問題の皇女の兄だ。

皇太子という立場でありながら、皇女がいる場所への案内係を引き受けた。

「全く……召喚の場に当事者がいないなんてね。本当に申し訳ない。根はいい子なんだけどね」

「それはいいんですけど、なんで自分なんですか?」

「詳しいことはあとで本人に聞いてほしい。僕から話すと怒られそうだから」

「……異世界人と結婚とか、そっちの方が怒られると思うんですが」

「あぁ、それは大丈夫だよ。妹の希望だから」

異世界人と結婚することを希望する皇女。かなりの変人だという予想がついた。

この異世界転生が当たりなのか外れなのか、全くわからない。

「あぁ、ここだ」

問題の皇女がいるという部屋に着いた。皇太子がノックをして開けた瞬間

「N250番50個!」

「T113番足りないよ!補充して!」

「そこ邪魔!どいて!」

戦場のようなたくさんの声が耳をつんざく。

「殿下、発注書をお持ちしました!」

その時、室内に叫び声にも似た男性の大声が響いた。その先にいた女に、勇樹は視線を向ける。

「何よこれ!順番通りに並べて出せって突き返して!」

「そ、それは……っ、あちらも手一杯のようで……」

あそこにいるのが皇女、自分の妻になる人間か。かなり気が強そうだ。

「今は忙しいみたいだね。ここにいればいつか気づくと思うから」

「……えっ……」

皇太子はそれだけ言って、さっさと去ってしまった。

「ここ持っていきまーす!」

すぐそばでおそらく年が近いと思われる男性が大きな荷物を持ち上げようとしていた。

「あ、ちょ、そこ!」

「え?」

その男性と目が合うと、なぜか声をかけられた。

「ちょい、それ!それ持って!」

「お、おれ?」

「お前しかいないだろ!ほら、早く!」

気迫に押されて、拓馬は指定された箱を持ち上げる。相当重いが、仕方がない。

「それ持ってついてこい」

「あ、はい……」

騒がしい部屋から出ると、唐突に静かな廊下が戻ってきた。

「悪いな。急に頼んで。お前、新人?」

「新人っていうか……」

何といえばいいのだろう。

「備品庫はいつもあんな感じなんだ。皇女殿下がトップで仕切ってくれているとはいえ、あの仕事量じゃあな」

「はぁ……」

皇太子にはあそこにいろと言われたのに。だいたい、この馴れ馴れしい男はいったい誰だろう。

「ユリリアン、何しているの?無駄口を叩く暇なんて備品庫にはないわよ」

そこへ前方から早足で女性が歩み寄ってきた。

「なんだ?カトリーヌ。お前も手ぶらでサボってるじゃないか」

「書庫に届けてきたのよ。あなたと違って、わたしは皇女殿下のご命令に逆らったりしないわ」

「オレだって逆らったことねぇぞ!」

ユリリアンというその男の反論も聞かず、カトリーヌという女はさっさと去っていく。

「ったく、あの女……。伯爵令嬢ごときが公爵家の次男に嫌味が言えるかよ」

「……公爵家の、次男……」

「おう!あれ?もしかして、オレのこと知らない系?」

「はぁ……」

「ま、仕方ないよな。成人してからずっと備品庫勤めだから。カルティエート公爵家の次男、ユリリアンだぞ!」

「はぁ……」

カルティエート公爵家。聞いたことがある。確か、目を覚ました時にいた男がそう言っていたような……。

「で、お前は?」

「宮野勇樹」

「ミヤノユウキ?聞かない名前だな。ファミリーネームは?」

「宮野」

「なんだ、貴族じゃないのか?ま、いいや。よろしくな。仲良くしようぜ!」

異世界に来て初めての友達ができたようだった。


その日はユリリアンという男に連れまわされることになり、夜になってようやく一息つけた。備品庫ではなく、食堂らしい広い場所で、初めて皇女と向き合った。

「そういうことで、リリィの希望通りにしてみたよ」

皇太子の説明を、お茶を飲みながら聞いていた彼女は、長いまつげをゆっくりと上げる。

兄たちと同じ長い銀髪が揺れ、綺麗な緑色の瞳と目が合い、勇樹は思わず目をそらしそうになった。

しかしそれではダメだと社会人スキルを発動し、しっかりと見つめなおす。

「……まさか本当に召喚するなんて……」

ため息とともに吐き出された声は、冷たかった。

「文句はないだろう?リリィ。結婚するなら異世界人がいいって言うから、父上がわざわざ召喚してくれたんだよ」

「ついでに父上の希望も足してな」

「ルブ兄上、それは僕らも言えないだろ?セイン兄上はある程度の生活能力、ボクはリリィのわがままに付き合える忍耐力のある性格、ルブ兄上に至っては一番多いんだ。整った容姿と優しい性格、あと自分より強い人間とか……、異世界に当てはまる人間がいただけ奇跡だ」

「当たり前だろ!オレのリリィを嫁にするんだ。それくらいの男じゃないと許さない!」

「……わたしはルブ兄様のものじゃないわよ」

賑やかな皇子と呆れている静かな皇女を、父親である皇帝は口を開くことなく見つめていた。

「リリィ、これで文句とか言うなよ」

「わかったわよ。結婚すればいいんでしょう?その……ユウキ?が良ければね」

「自分は、別に……」

「じゃあこれで決定だね。よかったよ、妹を嫁き遅れの変人にせずに済んで」

「もう既に変人扱いされてるけどな」

「何言ってんだ、ラキエル!リリィはかわいいぞ!」

「あー、はいはい。顔がよくてもこの性格とあの部屋じゃ、一緒に生活する方が無理だから」

「……だったら、わたしは戻るわ」

この兄妹の関係がなんとなくわかってきた。

3人の皇子と1人の皇女。そして2番目らしい皇子は重度のシスコン。

「ユウキくん、妹をよろしくね」

皇女が席を立ったため、勇樹がどうするべきか迷っていると、皇太子が助けてくれた。

それを受けて、皇女の後を追って部屋を出る。

特に言葉もないまま2人で廊下を歩いていると、ようやく皇女の部屋に着いた。

皇女自らの手で空けられたドアの向こうは、信じられない世界だった。

大きなシャンデリアとか、見たことがない家具とか。むしろそういう驚きの方がよかった。

現れたのは、大量のゴミと本や紙の山。そしてそこら中に投げ捨てられたドレスなどの衣装。

「適当に座ってちょうだい」

「……どこに?」

皇女の声かけに、勇樹は思わずそう答えていた。

座るところ?かろうじてソファがあることはわかるが、その上は座れる状態にない。

すると皇女は、手慣れた様子でソファの上のものを全て床に落とし、

「ん」

と顎で指す。そして本人は、つけていた装飾品を取って床に落としながら、ティーセットが置いてある戸棚に近づいていった。

なるほど、こんな部屋になるのも頷ける。

皇女本人が結婚相手に望んだのは『異世界人』。その意味はわからないが、さっき聞いた皇子3人が望んだものについては、なんとなく納得できた。

『ある程度の生活能力』『わがままにつきあえる忍耐力』『優しい性格』

「茶葉は何でもいいわよね」

この状況でお茶を淹れるつもりだろうか。

「よくこれで生活できていますね」

「この部屋、使わないもの。着替えだけできればいいのよ。寝るのは備品庫のソファで充分だわ」

「……俺にもそうしろと?」

「別に嫌ならいいわよ。この部屋は勝手に使って」

ムッとすることもなく、まるで世間話を軽く流すように答える。

「一応確認ですけど、皇女ですよね?さっきもお手伝いさん?はたくさんいたと思うんですけど」

「嫌いなのよ。他人を自分のテリトリーに入れるの。高価な装飾品もあるし、盗まれでもしたら大変だわ」

まるで悪びれる様子もない。

「……もう、無理」

その瞬間、勇樹の堪忍袋の緒が切れる音がした。

「え?」

皇女がティーカップを2つ持って振り返る。

「お茶が入ったわ。これからのことについて話し合いましょう」

「そんなことは後だ。生活環境が整っていないのにこれからのこととか……、あんたバカなのか?」

「バ……っ!」

「だいたい、そのティーカップ、洗ったのか?」

「そんなの知らないわよ!ずっと使わずにそこに片付けておいたんだから、別にいいでしょ!」

「よくないから」

「……っ!わたしは皇女よ!わたしに口答えするなんて……、あなた、何様のつもり?!」

「お前の夫……は、まだないけど、一応婚約者だ」

まるで幼い子どものわがままのように憤慨する皇女を、勇樹は軽くあしらっていく。

「他人を部屋に入れるのが嫌だということはわかった。だったら、お前がやるしかないよな?」

「……何を……?」

勇樹の強気な姿勢にさすがに言い返せなくなったのか、瞬く間に弱々しい声になる。

「掃除だ」

「そ、そうじ……?」

初めて聞いた言葉のように、彼女は口の中でその言葉を転がした。


「もう、無理……っ!なんで終わらないの?!」

「お前がここまで散らかすからだろ」

片付けを始めて数時間。終わりは全然見えなかった。

「もうイヤ!わたしは皇女なのよ!なんでわたしがこんなこと……!」

「だったら、あのメイドさんたちを呼んで手伝ってもらうか?オレ1人じゃさすがに片づけられないし」

「そんなのダメよ!貴重な宝石が盗まれるわ!」

「はぁ……、だいたい、こんな状態じゃ宝石がどこにあるかもわからないだろ」

「わかるわよ!」

皇女はそう言って宝石棚に近づく。

「ほら、見て!これよ!」

宝石は他にもあるだろうに、たった1つの箱だけを大切そうに取り出した。

「へぇ……綺麗だな」

エメラルドなのか緑色の大きな宝石がついたネックレスだ。

「当たり前でしょう?お母様のネックレスだもの」

「……お母様って……」

そういえば、皇女の母親であるはずの王妃の姿はまだ見ていない。

「……死んだわ。もう随分前、わたしが小さい頃にね。これは、お母様の死後、お父様がお母様の形見としてわたしにくれたもの。……他のものたちは、もうなくなってしまったわ。これだけが……このネックレスだけが、お母様とわたしを繋ぐものなの」

何か含みのある言い方だが、それを聞くと掃除ができそうにない。

「ってか、他人を入れたくないなら、俺を入れてよかったのか?」

「だって、ユウキ、この国のこと何も知らないでしょう?異世界人だもの。こんな宝石を盗んで売ったところで、元の世界に帰れないあなたが頼れる人間はもういない。協力者もいない犯罪者が皇室から逃げることなんて不可能よ」

「協力者がいれば可能、みたいな言い方だな」

「……一緒よ。どんな犯罪者でも、わたしたちは見つけてみせるわ。どこにいても、絶対に」

何かの犯罪者を追っているところなのだろうか。

なんとなく重くなってしまった空気にどうしようか困っていると

「というか!わたしは明日も仕事なのよ!いったい何時まで働かせるつもり?!」

突然皇女が叫び始めた。

「何時までって終わるまでだろ?」

「そんなの無理!あとは勝手にやって!」

「あ、おい」

持っていた衣装を放り出すと、皇女はそのままようやく顔を出したばかりのベッドにダイブ。次の瞬間には、幼子のようなあどけない表情で眠っていた。

相当疲れていたようだ。ここまで掃除をさせて逆に申し訳なかったか。

「……いや、散らかした張本人だろ」

芽生えた罪悪感に自分でツッコミを入れ、勇樹はそんな彼女の体に布団をかけてあげた。

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