表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ニブイ男爵令息VSツンデレ公爵令嬢~ライフを賭けた攻防戦~

作者: 望月せな

胸フェチの変態注意。

暴力未遂表現注意。


 



 王都にある学園で卒業式が行われた。


 シューバットは学園での記憶をなぞるように、周囲を見渡した。近くにいる同じ男爵の令息は、自分達よりも爵位が高い令嬢令息に目を付けられないようにひっそりと端に身を寄せていた仲だ。


 元から頑張っても銀とは言い張れない灰色の髪、珍しくもない茶色の目。街を歩けば埋もれてしまう凡庸な容姿は女性にモテず、目立ちもしない。大きな問題を起こさずに卒業式を迎えられたことに安堵した。


 毎日が楽しいと胸を張れる日々を送っていたわけではないが、十六から十八歳までの三年間も学園に通うと寂しいという気持ちも多少沸いてくるらしい。

 しんみりした感情に浸っている周りの空気に流されているのかもしれない、と苦く笑う。


 十年後にシューバット・ポナーという令息が同じ学園に、同じクラスに居たと覚えているのは恐らく、唯一友達と言える男爵令息だけだろう。


 この先も付き合いが続けば嬉しいが、シューバットは卒業後に婿入り先で領地運営を本格的に学ぶことになっている。これからの毎日は学生時代よりも忙しくなるだろうから交流を続ける時間があるのかが心配だった。

 婚約者が積極的に協力してくれれば良いが、望んでから地に堕とされたくはないので期待はしない。




 式は順調に進み、今は学生達のお別れ会兼昼食として立食パーティー中である。


 卒業を祝うように豪華な料理が揃っていて、好きな物を好きなだけお腹に詰め込む贅沢を味わいたいと思うのが田舎の貧乏貴族の共通する願望だろう。



 そんな時だった。



「アイラ・ブルーム公爵令嬢!貴様がロザンヌ・フィーズに対して行った行為は許容出来るものではない!」


 唐突にパーティー会場に広がった怒気を含んだ声にシン、と場が静まり返る。


 和やかな雰囲気を壊した相手が気になって、家では中々お目に掛かれない一口大に切った柔らかなステーキを味わいながら声が聞こえた方に視線を向ける。



 声の主は、同じく卒業生のゴーデン・クイーナ殿下。


 その向かい側にいるのは、アイラ・ブルーム公爵令嬢。


 シューバットには関わりのない二人だが、遠目で何度か見掛けたことがあるので間違いはない。


 そして、庇護欲をそそる愛らしく小柄なローズティーのような色合いの長い髪に、くりっとした大きなアメジスト色の目を持つ令嬢が殿下の腕にぎゅっと手を回している。

 殿下の顔が赤いのは怒りの所為か、華奢な身体からは想像が出来ないほどの豊満な胸が己の腕に当たっている所為か。


 シューバットは一生に一度の卒業式に泥を塗ったのがこの国の第三王子だということに驚いたが、それ以上に目に映る光景に衝撃を受けた。

 目を付けられたら男爵令息など呆気なく消されるからと学園内ですれ違うのも徹底的に避けていた殿下の腕に胸を積極的に押し付けているように見える男爵令嬢に、見覚えがある。


 ちょっとした好奇心で、他人事だと思ったから気軽に視線を向けることが出来たのに、無関係と言えなくなりそうな空気がそこにはあった。

 シューバットは逃げ道を探すようにパーティー会場の出口を視界に入れたが、この場から動けば余計に目立ってしまう。


「殿下、何をおっしゃっているのか分かりかねますが、場所を変えましょう。他の皆様のご迷惑になりますわ」

「この場で貴様の罪を暴かなければ公爵が金にものを言わせて揉み消すだろう!?そんなことは許さない!ロザンヌが貴様に嫌がらせを受けたと涙ながらに訴えて来たのだぞ!」


 酷く興奮した声は会場の端々まで届くほど大きい。息巻いた殿下の口から公爵令嬢が行ったという暴言や持ち物の破損といった嫌がらせの数々が挙げられる。


 ()()ロザンヌ・フィーズが嫌がらせを素直に受けていた、と?


 第三王子の言葉を疑うなんて普段のシューバットなら恐れ多くてそんなことは絶対にしないが、どうしてもシューバットは信じられず、殿下の隣を陣取るアメジスト色の目の女の表情をよくよく観察した。


 いや、注視しなくても性格をそのまま表したような勝気で傲慢な顔は全く隠れていない。殿下の視界には入っていないのかもしれないが、ロザンヌを知るシューバットが見れば一発で分かる。


 ロザンヌは嫌がらせなど受けていない。


 そもそもロザンヌという女は嫌がらせをされたら、同じかそれ以上のことを平気でやり返せる女だ。圧力に屈して泣き寝入りするタイプではないと断言出来る。


 友達にも話したことはないが、シューバットとロザンヌは幼馴染で、付き合いは長い。


 ロザンヌが調べられたらすぐに嘘だと気付かれるような話を何故、殿下に言ったのか。第三王子ともあろうゴーデン殿下がロザンヌの言葉を鵜吞みにして公爵令嬢を一方的に責め立てているのか。


 なによりも理解が出来ないのは、男爵令嬢のロザンヌが殿下と腕を組んでいる状況だ。


 自分から立場を危険に晒している幼馴染に呆れながら、卒業式の思い出として十年先も記憶に残っていそうな断罪劇の観客達の反応を窺うと皆が厳しい視線を二人に送っている。


 卒業生達は公爵令嬢が嫌がらせをしていない事実に気付いているのだろう。あまりにも内容が稚拙で、権力も財力もある公爵令嬢の振る舞いとは到底思えない。


 しかし、ゴーデン殿下には隣に居るロザンヌと正面にいる断罪対象の公爵令嬢しか見えていないようで、シューバットは“この先”に嫌な予感をビリビリと肌で感じていた。



「──よって、私とアイラ・ブルームの婚約を破棄することをここで宣言する!そして、私は愛するロザンヌ・フィーズと婚約する!」


 シューバットの呼吸が一瞬止まり、周りの卒業生達はどよめいた。


 一番言いたかったことを告げて満足げな顔でロザンヌにとろけた表情を見せる殿下と公爵令嬢に勝ち誇ったようにギラリと目を向ける幼馴染。


 頭の中で殿下の宣言が何度も繰り返されて、上手く処理が出来ない。

 周囲が小さいとは言い難い声で囁き合っている状況に気付かないぐらいに狼狽していた。


 どうして、何故、と声にならない言葉がはくはくと動く唇から漏れていく。


 シューバットとロザンヌが、幼馴染という関係だけならここで見て見ぬ振りをしても許された。下手に口を挟んで飛び火するのは困るし、田舎の貧乏貴族の次男には荷が重い。

 しかし、とても残念なことに、シューバットは全くの無関係とは言えなかった。


「…身に覚えのない理由ですが、婚約破棄は受け入れますわ」


 殿下を見限ったように冷たく言い放つ公爵令嬢の淡々とした声が、考えを纏める時間を欲していたシューバットを余計に焦らせた。

 このパーティー会場に居る誰よりも混乱しているのは自分だろうと確信すらある。


 話は終わったと告げるように公爵令嬢が背を向けてその場を離れようとしている姿に、シューバットは割り込むしかなかった。


「お、お待ちください!」


 咄嗟の判断が間違ったかもしれないと思ったのは、予想外に響いた声に周りの目がぎょっとシューバットに向けられた時だ。


 三年間、日陰を歩いて生きて来た男爵令息にとって、鋭い剣と化したこの視線の数は命を狙われているような感覚を思い出させる。幼い頃、男爵領にある山に勝手に一人で入って熊に襲われそうになった時以来のそれに悲鳴を上げそうになった。


 それでも、恐怖と緊張を奥歯で噛み殺して卒業前に起こってしまった大問題を片付けるべく、震える足を一歩前に踏み出す。

 近くにいた友達が控えめにシューバットの名前を呼んだが、その小さな声は耳に入ってこなかった。


 事実無根の罪を言い渡された公爵令嬢を華麗に救い出す騎士。

 婚約破棄を告げられて悲しむ令嬢を癒す麗しい王子様。


 残念ながらそんな素敵な殿方にシューバットを重ねている人は、一人もいなかった。


 うわずった声に、緊張した真っ青な顔、ぎこちなく動く手足。


 正義感から声を上げて公爵令嬢を止めたのならどれだけ良かっただろう。

 シューバットは三人の元に進みながら殿下の腕に張り付いているロザンヌを睨み付けた。


 幼馴染はシューバットの顔を見て、ハッと気まずそうに目を逸らす。


 どうやら自分は彼女に居なかったことにされていたようだ。


 断罪劇の一役を無理矢理与えられて、舞台上に一歩ずつ近付く度に精神が削られていく。今まで、こんなにも多くの人にシューバット・ポナーという男の存在を知られたことはない。


 生徒達によって作られた、真っ直ぐな道の先でシューバットは足を止めた。


「…口を挟む無礼をお許し下さい」

「誰だ、お前」

「シューバット・ポナーと申します」


 声が震えるのはご愛嬌と思って見逃して欲しい。


 今まで殿下や高位貴族には関わらず、静かに過ごして来たのに最後の最後でこんな目に合うなんて思ってもいなかった。

 これで家族にまで迷惑が掛かるような事態に発展したら絶対にロザンヌを恨む。今でも十分、恨んでいるが。


 殿下とロザンヌ、足を止めてくれた公爵令嬢、そして貧乏貴族の男爵令息は少し距離を取りながらお互いに警戒している。

 特にいきなり話に入り込んで来たシューバットは目的もはっきりしていないため、かなり怪しまれていた。


「それで、なんだ?」


 ゴーデン殿下が訝しげに横槍を入れたシューバットに尋ねる。それに発言を許されたと勝手に判断した。


 ロザンヌが声に出さずにアメジストの目で必死に何かを訴えているようだが当然、無視する。


 次に発する自分の言葉が更なる混乱を招くことは誰よりもシューバット自身がよく分かっていた。

 しかし、ここで問題を先送りにして不利になるのは避けたい。


 そもそも、こんな大勢の前で騒ぎを起こした二人が悪いと責任転嫁することでシューバットは自分を勇気づける。



 己を落ち着かせるために瞬きを一つした瞬間、シューバットの纏う空気が変わる。


 弱々しく、声を掛けるだけで腰の引けていた男から唐突に溢れ出した威圧に殿下が怯み、息を呑み込んだ。

 しかし、シューバットには何の自覚もなく、ただ印象に残りにくい平凡な茶の目を殿下にジッと向ける。


 そのままシューバットは最大の爆弾を投下した。



「ロザンヌ・フィーズは、私の婚約者です」

「!?」


 出来る限りの冷静さを保ちながらシューバットが告げた新事実に、一度目を上回るほどのどよめきがパーティー会場に広がった。


 信じられないような顔で口をポカンと開けるゴーデン殿下。

 勝気な表情が剥がれ落ち、顔を真っ青にさせて今にも倒れそうなロザンヌ。

 僅かに目を見開いてシューバットを見つめる公爵令嬢。


 殿下の反応から推測するとロザンヌに婚約者がいる事実を知らなかったんだ、と苦々しく思う。仕方ないだろう。

 ロザンヌ本人がシューバットという婚約者がいることをすっかり忘れていたようだから。


「ロ、ロザンヌ…?」

「ち、違うんですっ!その……、シューバットとの婚約は…父が勝手に決めたもので…」


 さっきまでの勢いを失った殿下に言い訳を重ねるロザンヌの話は、噓ではない。


 シューバットとロザンヌの婚約が決まったのは二人が十歳の時で、父親同士が話し合って決めたものだ。

 もちろん、口約束ではなく、正式に書面を交わしているが。




 この婚約の最大の理由はフィーズ男爵家に子供がロザンヌしかいないことだ。


 ロザンヌは婿を探さなければならないが、フィーズ男爵領の規模は他よりも小さく、特産物もなく、観光地もない。

 そんなフィーズ男爵家に婿入りしたいと願う令息がいる可能性は低い。なによりも、男爵は溺愛している一人娘を変な男に渡したくないと隣の領地を賜っている男爵家の次男であるシューバットに声を掛けた。


 幼馴染だったこともあり、シューバットならロザンヌを任せられるとお願いして来たそうだが、本音は融通の利く無害そうな男、女にモテないシューバットなら浮気も出来ないという打算があったのだろう。

 後は天使のように可愛い娘を政略結婚の道具として使いたくなかったのかもしれない。


 面倒で厄介な女が婚約者に決まったと思ったが、特に反論もせずに受け入れた。

 好きな相手もいないし、田舎の貧乏貴族の冴えない次男を婚約者に望むような相手はいない。

 平民相手ならまだ可能性はあるが、少しでも家のためになるのなら相手がロザンヌでも構わなかった。


 シューバットはロザンヌの婚約者らしく振る舞う努力をした。

 今まで一度も送ったことのなかった手紙を書いたり、花を送ったりした。しかし、ロザンヌに「鬱陶しい!」と言われて以降、シューバットは積極的に婚約者らしいことをするのはやめた。


 ロザンヌの言葉に傷付いたわけじゃない。

 お互いに気持ちがあるわけでもないし、割り切った関係の方が楽だと思った。婚約者に割く時間をシューバットはフィーズ男爵家に婿入りするための準備に使った。


 しかし、ロザンヌにはお金もなく、娯楽もなく、魅力もない男爵領で死ぬまでシューバットと共に過ごすぐらいなら、王子に媚びて婚約者の座を奪い取る方が魅力的に見えたらしい。


 確かにキラキラと輝く金髪にアクアマリンのような美しい目を持つ、整った容姿の殿下と地味で影が薄いシューバットのどちらを恋人にしたいかと学園中の令嬢に問い掛けたら、全員が殿下を選ぶだろう。


 殿下の隣にいれば男爵領で過ごすだけでは叶えられない我儘も自由に言えて、今まで好きに着られなかった煌びやかなドレスや高価な宝石も簡単に手に入るかもしれない。


 学園に入学する前に久しぶりに顔を合わせたロザンヌに「絶対に人前で話し掛けないで」と言われて、そのまま放っておいたのが良くなかった。

 ロザンヌが高位貴族に片っ端から声を掛けて篭絡しようとしていると噂に聞いた時に、愛人ぐらい好きに作れば良いと気にしなかったのが良くなかった。


 次々に後悔が溢れるが、もう全てが遅い。



「ポナー、ロザンヌから身を引け」

「…私の方から婚約破棄を申し出ることは出来ません」


 たとえ、ロザンヌの愛人が王子だとしてもそれだけは従えなかった。

 正式に書面を交わしている婚約をシューバットの方から破棄すると家に多大なる迷惑が掛かる。

 父さんは肝が小さいから今回の話を聞いたら間違いなく、目を回して倒れるだろう。皺が刻まれた青い顔を思い浮かべた。


 公爵令嬢と婚約破棄して、ようやくロザンヌが手に入ると思った矢先のこの事態に殿下は苛立ったように舌打ちを鳴らしたが、あることに気が付いて、にやりと笑う。


「シューバット・ポナー!第三王子、ゴーデン・クイーナの名の元に命ずる!ロザンヌと婚約破棄しろ!」

「…承りました」


 権力を当然のように振りかざす殿下の言葉にシューバットは、ホッとした。

 殿下からの“命令”ならば、婚約破棄を受け入れなければならない。シューバットの意志ではないため、こちらの瑕疵を問われることはないだろう。


 シューバットにとって一番大切だったのは、“シューバット側から婚約破棄をしない”ことだった。


 上手く婚約破棄が出来たことに安堵している幼馴染にシューバットは爽やかな笑みを浮かべる。元婚約者に気軽に話し掛けられたのは緊張が少し解けたからだろう。


「ロザンヌ、嬢。俺…じゃなくて、私の方から手紙を書くけどフィーズ男爵に伝えておいて。違約金は近いうちに取りに行くって」

「違約金…?」

「そう。片方に瑕疵があり、婚約が白紙に戻る場合は違約金が発生する契約を交わしている。婚約時に作成した書類に書いてあるよ」

「は…?」


 ロザンヌが違約金という言葉に覚えがないのも無理はない。


 この違約金の話を聞かされたのは婚約を決めた父ではなく、その場に立ち会っていた五歳上の兄からだった。

 当時十歳の子供達にお金が関わる生々しい話はしないでおこうと父親同士は笑っていた、と兄に呆れながら聞かされ、シューバットには「絶対に自分から婚約破棄するな」と固く誓わせた。


「父さんのようには絶対にならない」が口癖の賢い兄もロザンヌの本性はよく知っているから、いつか弟がこっ酷く振られる未来に賭けて男爵達を言葉巧みに操り、違約金の金額をつり上げた。

 払うわけがないと高を括っている二人を、手のひらでころころと上手に転がしている様子が目に浮かぶ。


 たとえ、ロザンヌがシューバットで納得したとしてもシューバットが婚約破棄をしたいと言わない限り、ポナー家は痛い思いをしない。弟をある意味とても信頼していた兄は、この話を聞いてとても喜ぶことだろう。



 ロザンヌは昔から両親の前では可愛らしく優しい子を演じていたが、幼馴染のポナー兄弟の前では我儘で、傍若無人な態度を取っていた。

 時にはシューバットを召使のように扱って「王都のお菓子を買って来て」「一芸して」など、女王のように命令された。仕方ない、と思える範囲では従っていたが、ほとんどは適当にあしらっていた。

 その度にロザンヌは、キーッ!と怒っていたが。


 改めて考えてみると、よくロザンヌの両親が娘の我儘で勝気な性格に気付かなかったな、と思う。目がおかしくなるほど、ロザンヌが可愛かったということか。

 どこかで軌道修正が出来ていたら、今日の騒ぎは起こらなかったかもしれない。


 領地運営が苦手な肝の小さい似たり寄ったりの男爵達は、まさか八年後にこんな形で息子と娘が婚約破棄するなんて夢にも思っていなかっただろう。



「お金なんて家にないわ!」

「でも、契約だから」

「……殿下、わたしっ、わたし……どうすれば…」


 目をうるませて、豊満な胸を押し付けながら媚びるロザンヌに悩殺される殿下。


 甘い雰囲気になりかけた二人に困っているとシューバットの視線に気付いた殿下が取り繕うようにコホン、と咳をしてロザンヌを安心させるように優しく笑う。

 顔の紅潮と伸びた鼻の下が、全てを台無しにしているが。


「安心してくれ、愛するロザンヌ。その違約金とやらは私が払おう」

「ありがとうございます!殿下」


 これが王子を堕とした技か、と感心する。


 シューバットとしては、違約金を払ってくれるのならフィーズ家だろうと殿下だろうとどちらでも良い。

 むしろ、お金を持っていそうな殿下から受け取った方が家に早くお金が入るかもしれないと喜びすらある。


「そういうことでシューバット・ポナー、明日の午後二時に取りに来い。そして、ロザンヌに二度と関わるな」

「はい、殿下。しかし、私のような下位貴族が殿下の元を訪ねても王城に入れない場合がありますので、一筆頂きたいのですが…」

「そうだな。お前のように記憶に残らない顔をしている奴が私に面会を申し込んでも、門前払いされるかもしれない。しかし、一筆入れるのは面倒だからこの懐中時計を代わりにしろ」

「…お手間を掛けます」


 ポイッと投げられたのは王家の紋章が刻まれた懐中時計。

 一生、見ることも、ましてや触れる機会もないはずの貴重な物をぞんざいに扱うなんて、王族は恐ろしいと震える指先でハンカチに懐中時計を包み込んだ。


 殿下の失礼なシューバットの評価は間違っていないので気にしない。外見だけではなく、他に特筆するべきこともないし、自分自身の価値を誰よりも良く知っている。

 多少誇れるのは、男爵領で昔から乗り回していたことで馬の扱いが他人よりも上手いことと、山や畑を遊び場にして身体を動かしていたために体力が多いことぐらいだ。


「よし!これで問題なくロザンヌと一緒になれるな」

「嬉しいです!」


 周りが全く目に入らなくなった二人がいちゃいちゃし始めて、卒業生達が冷たい視線を送っている。それが近くにいる自分にも向いている気がして「俺は被害者です!」と心の中で必死に弁解した。


 もう一人の被害者は大丈夫かと心配になったシューバットは、妙に距離が近い殿下とロザンヌから目を逸らして様子を窺うと公爵令嬢が居た場所は、ぽっかりと穴が開いていた。

 一人取り残された気分になったが、この状況なら早々に退出して当然である。


 シューバットも友達に簡単に挨拶を済ませて、パーティー会場を後にする。


 心残りは豪華な食事をあまり食べられなかったことだ。



 ・◇・◇・◇・



 学園に在籍している間、シューバットは男子寮を利用していた。王都に家がある貴族はそこから通う場合もあるが、貧乏貴族は王都に家を持つ余裕はない。


 明日ポナー男爵領に帰る予定だったが、殿下の元を訪ねるまでに用意しておきたい書類を取りに領地に向かわなければならない。

 今日中に領地に帰り、明日の昼までには王都に戻って来るという、とてもハードな予定だ。


 それを可能にする唯一の手段は自分で馬を飛ばすこと。すぐに馬を借りて途中で休ませながら、領地に向けて駆け出した。最後に帰ったのは丁度一年ほど前だが、家までの道の整備もされておらず、何も変わっていない様子に驚きはない。


 突然帰って来たシューバットに皆が目を丸くした。

 申し訳ないなとは思ったが、緊急事態なので早急に父と兄を呼び出して、装飾品もない地味な自分の部屋に招く。


「どうした、シュー。何かあったのか?」

「兄さん、父さん、落ち着いて聞いて欲しいんだけど、ロザンヌと婚約破棄することになった」

「は!?」


 時間がないため、すぐに本題に入った。


 父が話についてきていないのを感じながらも、話を促す兄に応えるように卒業式で起こった出来事をそのまま伝える。

 兄がロザンヌの行いを聞いた時に静かにほくそ笑むのを見て、絶対に兄を敵に回してはいけないと思った。


 父は既に爵位を兄に譲っていて、今は領地経営の雑務を手伝っている。経営が苦手な父は大いに喜んで身を引いたらしい。シューバットとしても、しっかり者の兄に家を任せた方が安心出来る。



「…なるほど、つまりお前は婚約書類の控えを取りに来たんだな?」

「うん。明日の昼には王城に行かないといけないから、朝一でまた戻る」

「分かった、すぐに用意する。シュー、」

「なに?」

「上手くやれよ」

「……頑張る」


 同じ平凡な茶の目を持つ兄のそれが黄金色になっている気がして、苦く笑う。


 臨時収入は貧乏貴族にとって、かなり嬉しい出来事だ。兄はしっかりとお金を管理して、無駄遣いせずに使ってくれるだろう。

 ただ、婿入りが消え、この先の予定が狂った自分にも多少は融通して欲しい。生活場所も就職先も、何一つ手元にはない。

 明後日以降の予定がないことに酷く焦りを感じるが、今は深く考えないことにする。




 再び、馬を飛ばして王都に入った。


 殿下に言われていた時間には間に合いそうなので安堵して、馬を返してから王城に行くことにした。

 遠くからでもその存在をはっきりと感じるほどに大きな城に近付くにつれて、緊張で足が竦む。罪人として向かうわけではないが、王城に踏み入れたことは一度もない。

 年に数回、王城で大規模に行われるパーティーに次男のシューバットが参加する機会はなかった。


 ドクドクと激しい音が鳴る心臓を落ち着かせながら、王城の門にある受付で名前を告げ、殿下から預かっている王家の紋章が刻まれた懐中時計を見せる。

 登城理由を述べている途中で、“懐中時計を盗んだ”と疑われる可能性にハッとした。


 高位貴族でもないシューバットが第三王子の懐中時計を持っていたら、怪しまれて当然だ。それなら面倒でも一筆入れて貰えば良かったと激しい後悔が大波のように襲って来る。


 慌てて弁解しようとしたが、特に怪しまれることなく、シューバットに少し待つように告げられた。


 あっさりと信じて貰えたことに拍子抜けしながら、言われた通りに待機していると城の方から一人の男性が早足でこちらに向かって来て、シューバットに案内を申し出る。


 そのまま、早足の案内人の後を付いて行くとある大きな扉の前で立ち止まった。扉の装飾は言葉にできないほど見事なもので、目を奪われているとゆっくりとそれが開き、案内人に続いて中へ入る。


 シューバットは部屋の中にゴーデン殿下だけがいると思っていた。


 しかし、そこには学園にある等身大の肖像画でしか見たことがない陛下や婚約破棄を告げられた公爵令嬢、幼馴染のロザンヌ、そして部屋の端には腰に剣を下げている騎士達が揃っていた。


 厳かな雰囲気の中、カチンと固まって入り口で止まったシューバットに注目が集まる。


 せめて部屋に入る前に教えて欲しかった!


 中に入るように促した案内人を恨めしく思いながら、心の中で悪態をつく。


 貴族の礼儀作法など学園で習ったレベルでしか知らない。陛下の前で絶対に失礼な振る舞いをしたくはないが、完璧とは程遠いそれに一秒後の未来が真っ暗になり、震えが身体に走った。


「父さん、母さん、兄さん、義姉さん、ごめん」とシューバットは心の中で床に頭を付けて謝った。一時間後にはポナー男爵家は消えているかもしれない。



 殿下との約束に遅れないように何度も時間は確認したし、王城の門の近くにある時計台で最後に時間を見た時も予定より余裕があった。門からここまで歩いて来た時間を合わせても、午後二時に遅刻したわけではない。


 しかし、どんなに部屋を見渡しても昨日の騒ぎの中心にいた主要人物はシューバット以外の全員が先に揃っている。それに加えて陛下までいる。入室の順番として、明らかにシューバットは違反していた。


 心臓が破裂しそうな状況に慣れない動作で礼を取り、挨拶を述べようとした時、他の人よりも一段高い場所にいる陛下がそれを止めた。


「シューバット・ポナー。堅苦しいのは良い。早急に聞きたいことがある」

「は、はい」

「まずは……」


 シューバットが遅れたことに陛下は何も言わなかったため、とりあえず命を繋いだことに安堵して声を震わせながら陛下に答える。


 たった一日で色々と調べたようで、陛下はシューバットとロザンヌが婚約した日も知っていた。手元の書類を見ている陛下からいくつかの問いが繰り返される。

 そして、最後に殿下の命令でシューバットが婚約破棄を受け入れた事実を確認されて、しっかりと頷く。


 フィーズ家とポナー家が交わした婚約に関する契約書類の控えも提出した。



「───なるほどな。それでゴーデンがロザンヌ嬢の代わりに違約金を払うと言っているわけか」


 肖像画で見たよりも遥かに疲れた顔をしている陛下に、シューバットはごくりと息を呑む。

 ここまで失礼な行いをしたつもりはないが、首をばっさりと斬られたりしないだろうか。シューバットはいつの間にか違約金よりも自分達の命のことばかりを考えていた。


「ゴーデン」

「はい、父上」

「ポナー男爵家への違約金、そして先ほど話し合って決まったブルーム公爵家への違約金の二つをお前が払うことになるが、払えるのか?」

「それは……」


 どうやら自分が来る前に一方的に婚約破棄を告げられたブルーム公爵家への違約金の話をしていたらしい。

 シューバットが遅れたのではなく、先に集まって話し合いをしていたのだと分かって身体の力が抜けそうになったが、命の保証はまだ出来そうにない。


 よくよく観察するとゴーデン殿下もロザンヌも顔色が悪い。たった一日で田舎の貧乏貴族同士の婚約の日付まで調べているのだから、ロザンヌが訴えた嫌がらせが虚実だということも暴かれたのかもしれない。


 シューバットは存在感を消しながら陛下と殿下の話を聞き、そう推測した。


 ポナー家へ支払われる違約金は、シューバット達から考えるととても高額だ。

 だが、陛下や殿下のようにお金を持っている人達から見ると些細なもの。


 しかし、それに加えて公爵家への支払いも含むとさすがに唸りを上げる額になるだろう。瑕疵が殿下の方にあるだけではなく、大勢の令嬢令息の前で冤罪を被せた。

 名誉を傷付けたことも含め、ブルーム公爵家に支払わなければならないお金はポナー家への違約金とは比べ物にならないはずだ。



「馬鹿者が!!!好き勝手して王家に泥を塗るとは恥を知れ!!!」


 陛下の怒号にゴーデン殿下がびくりと身体を震わせた。


 自分に言われているわけではないと分かっていても、居心地が悪い。ちらりと幼馴染に目を向けると今にも倒れそうなほど白い顔をしていた。


 しかし、修羅場の数が違う公爵令嬢だけは違った。


 怯えも震えもなく、凛とした美しい姿勢で堂々と立っている。柔らかな黄緑色の艶のある髪、揺るぎのない強い意志を含んだルビーのような色の目が、とても印象的で引き込まれる。

 腕の良い縫子が作ったと思われる豪華な高級ドレス、貧乏貴族が一生手に出来ない大ぶりの宝石のネックレスは彼女のために存在しているのではないかと思うほど、よく似合っていた。


 昨日は、殿下とロザンヌばかりに気を取られていてあまり彼女をよく見ていなかったが、殿下に問い掛ける機会があるのなら是非聞いてみたい。


 アイラ・ブルームを捨てて、ロザンヌを選んだ理由を。


 男爵令息のシューバットと公爵令嬢に接点はない。学生時代からシューバットは高位貴族を避ける傾向にあったし、公爵令嬢からシューバットに近付く理由もない。

 そのため、彼女の性格が気に入らなかったと言われたら何も反論が出来ないが、殿下が重きを置いている容姿に関しては全く見劣りしていない。


 ただし、殿下が顔を赤くして、鼻の下を伸ばすほど求めている女性の“ある部分”に関してはロザンヌに軍配が上がるのは否定出来ないが。


 しかし、逆を言えばロザンヌを選ぶ理由はそれしかない。



 シューバットがあれこれと考えている間に親子の話がまとまっていた。



「まずはポナー男爵家への違約金をゴーデンから払う。続いて、ブルーム公爵家へはゴーデンと私の私財から出すことにする。ただし、ゴーデンから私への借金扱いとする。ゴーデンはフィーズ男爵家へ婿入り後、しっかりと働いて精を出すように」

「ま、待ってください!どういうことですか!?」


 シューバットが思い浮かべた疑問をそのままロザンヌが叫ぶように声に出した。


「殿下が私の家に婿入りって…!?殿下はこれからも王城で暮らして贅沢していくのでしょう?」

「何を言っている?ゴーデンは卒業後、ブルーム公爵家へ婿入りが決まっていた。それをフィーズ男爵家へ変更しただけだ」


 発言の許可も取らずに無礼を働いたロザンヌに陛下が優しく教えると、ロザンヌは殿下に向かって「話が違う!」と騒ぎ出した。同じ男爵家の子として、幼馴染として、それをひやひやしながら見つめる。


 シューバットが予想した通り、殿下と婚約すれば湯水のようにお金を使って贅沢な暮らしが出来ると夢を見ていたらしい。しかし、現実はそうではなかった。


 そもそも、フィーズ男爵家には娘が一人しかいないのに、跡継ぎはどうするつもりだったのだろう。自分のことしか考えていない幼馴染の甘い考えを察して呆れた。


 殿下は何故、ロザンヌに問い詰められているのか分かっていないようで困惑している。

 どこで意思疎通の間違いが起こったのか分からないが、殿下は婿入りを前提にロザンヌに婚約を申し込んだようだ。ロザンヌとは違って殿下は心からロザンヌを愛しているように見える。


 ロザンヌは愛よりもお金、殿下はお金よりも愛を選んだ。


 その矛盾がこれから先、どのように作用していくのか。



 縁の切れたシューバットには関係のない話である。



「陛下、私から一言だけ申し上げたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」

「許す」


 ロザンヌとは違い、陛下の許可を取った公爵令嬢は慈悲深い穏やかな顔で、殿下とロザンヌの方へ身体の向きを変えた。


「ロザンヌ様、私は殿下とは小さい頃からの知り合いですので是非貴女に伝えたいことがあるの。彼はね、昔から女性の胸に顔を埋めるのが大好きで、乳母や王妃様によく抱き着いていたのよ?ダンスを覚えるようになってからは、パートナーに不自然なぐらい身体を密着させていたわ。私は随分と苦労したけど、ロザンヌ様は喜んで殿下の性癖ごと愛で受け入れてくれるのね!そんな貴女に殿下を任せられるのなら、私も安心出来るわ。他の女性が犠牲にならないようにこれからも殿下のことをお願いね?」

「アイラッ!!!」


 拳を震わせながら顔を真っ赤にさせて殿下が咆哮するが、公爵令嬢は気にした様子もなく、涼しい顔で微笑んでいる。婚約破棄されて喜んでいるような口振りにうすら寒いものを感じながら、シューバットは必死に存在を消した。この人も兄同様に、敵に回したくない一人に認識を改める。


 これだから高位貴族は怖いのだ。是非とも二度と関わらないことを願いたい。


 ロザンヌは彼女の悔しがる顔を見られないことに苛立つと思ったが、暴露された内容にぎょっとして隣にいる殿下から距離を取る。幸いにも公爵令嬢に怒りを向ける殿下は気付いていない。


 あれだけ積極的にロザンヌ自身がアピールしていたのだから今更文句は言えないだろう。口を挟むつもりは全くないが。


「ああ、そうそう。困った時は思いっ切り足を踏みつけることをお勧めするわ」


 冷静さを欠いた殿下は、ギロッと恐ろしい顔を公爵令嬢に向けて感情のままにドシドシと足音を激しく鳴らして彼女に近付く。


 狭い視界の中で公爵令嬢しか目に入っていない殿下に嫌な予感がした。


「ふざけるなッ!!!」

「っ、」


 荒い息を吐く殿下があっという間に彼女と距離を詰めると迷わず右手を振り上げる。公爵令嬢は咄嗟に目を瞑った。


 一瞬にして高まる緊張感に、陛下は「ゴーデン!」と声を上げて、騎士達が一斉に動き始めるが、ゴーデン殿下の手が公爵令嬢の頬に当たる方が、早い。




 しかし、いつまで経っても、頬を叩く弾ける音は聞こえない。


 身構えていた公爵令嬢が恐る恐る目を開けると困惑に満ちた顔の男が、守るように斜め前に立っていた。



「───許可なく殿下に触れたこと、お許しください。しかし、女性に手を上げるのは殿下であっても止めさせていただきます」


 横から割り込み、殿下が振り上げた右の手首を掴んだのはシューバットだった。


 それでも殿下は諦めずに目の前の公爵令嬢を睨み付けながら、更に力を込めて無理矢理にでも手のひらを彼女の頬に当てようとしているため、シューバットは迷いつつも暴れる殿下を床に組み伏せた。


 シューバットの心は勝手に王族に触れた理由で、首を斬られるのではないかとひやひやしている。


 しかし、逆に言えばそれだけだった。


 殿下の力に負けるとも思わなかったし、騎士が殿下を止められるか考える余裕もあった。


 男爵領で小さい頃から山を駆け回り、野生動物と喧嘩したこともある。人間に手を出したのは、領地で酒に酔って喧嘩を始めた大男達を諫めた時と、一年半前に王都を歩いている時に強盗を捕らえる手伝いをしたぐらいだ。



 駆けつけて来た騎士に殿下を渡し、殴られそうになっていた公爵令嬢を振り返るとルビーの目を丸くして、口をポカンと開けている。どんな顔も美しいとシューバットは感心しながら、恐る恐る声を掛けた。


「ブルーム様、お怪我はありませんか…?」

「っ、ええ。ないわ」

「良かったです」


 高位貴族に怪我をさせるようなことにならなくてシューバットはホッとして、公爵令嬢に笑顔を見せた。


 その次の瞬間、公爵令嬢の白い肌が鮮やかな赤に染まる。


 彼女が殿下の横暴に驚いて熱を出したのだと思い、触れないギリギリの距離に顔を寄せて具合を窺った。

 熱を計るために触れるべきか、しかし、令嬢に赤の他人の自分が触れるのは失礼に当たるだろうと悩んでいると、どんどん朱が溢れ出して、ますます心配になった。


 公爵令嬢が心臓の上に両手を重ねて、ふらりと身体が後ろに倒れ込みそうになったのをシューバットは咄嗟に手を伸ばして彼女の腰を支えた。


 どんなに修羅場に慣れていても、怪我を負いそうになったのだ。身体が恐怖を覚えてもおかしくはない。



「大丈夫ですか!?」

「~~っ!だ、だだだだ大丈夫よっ!触らないでちょうだい!」

「あ、申し訳ありません!」


 パッとシューバットが手を離すとアイラはしっかりと立った。


 一見、とても弱々しく頼りなさげに見える男。昨日の卒業式でも、酷く緊張した面持ちで、アイラ以上に可哀そうで、自分も被害者だというのに同情してしまった。


 しかし、その外見からは想像できない底に秘めたる目立たない力がある。殿下を怯ませるほどの威圧、軽々と殿下をあしらう体術。弱々しい姿が嘘のようにその男は時々、纏う雰囲気を変える。

 ただ、それは一瞬のことでどちらが本当の彼なのか、分からない。


 それでも、彼を、シューバット・ポナーを、もっと知りたい。


 こんな感情は生まれてから初めてで、戸惑いながらも激しい鼓動が意味するものを本能的にアイラは感じ取り、赤い頬を隠すのが精一杯だった。




 その後、殿下は騎士達によって部屋から連れ出され、陛下が公爵令嬢とシューバットに謝罪した。数分の内に陛下が一気に老け込んだように見えたが、それを指摘するような馬鹿な真似はしない。


 陛下はロザンヌとの婚約破棄を認め、違約金に色をつけて、その場で渡してくれた。殿下の暴行未遂の口止め料が追加されたのだろう。


 兄はこれを見て相当喜ぶだろうが、領地までの道のりが怖い。こんな大金を持ち歩きたくない。


 殿下の懐中時計に関しては、部屋まで案内してくれた人に渡して、殿下に届けてもらうことにした。



 人生で一番緊張した時間から解放されて、公爵令嬢と共に門へと向かう。

 何故、一緒に歩いているのかシューバットはよく分かっていないが、そういう流れになってしまった。

 途中で公爵令嬢の侍女が合流して一緒にいたシューバットに訝しげな目を向けたが、公爵令嬢が何も言わなかったためにそのまま存在ごとスルーしたようだ。



 王城の門まで後少し。


 適当に挨拶して、帰ろうと思っていると少し前を歩いていた公爵令嬢が足を止めて、シューバットを振り返った。しかし、目線は合わず、どこかソワソワした様子に内心で首を傾げる。


「こ、この先、貴方はどうするの?私の方でも調べたけど、貴方はあのフィーズ男爵家に婿入りする予定だったと聞いたわ」

「領地に戻って兄達と今後の話をします」


 どうして世間話をするように高位貴族である彼女と気軽に話しているのか、不思議に思いながらも答える。正直、聞かれたくなかった質問だけど、婚約破棄の問題が片付いた今、次に考えなければならないのは己の身の振り方だ。


「それなら…私も行くわ。も、もちろん、仕方なく一緒に行くのよ!」

「え?」


 何故、公爵令嬢の彼女が何の観光地もないポナー家へ行くと言っているのだろう?


 疑問は顔にはっきりと出ていたはずなのに、腕を組んでそっぽ向いた公爵令嬢は訂正しない。どうやら本気で一緒に行こうとしているらしい。控えていた侍女は驚愕のあまり、言葉を失っていて助けてくれそうにない。


 昨日から予想外の出来事が目まぐるしく行われていて、頭から湯気が出そうだった。


 理解が追い付いていないシューバットをちらりと見たと思ったら、公爵令嬢はりんごのように赤く染め上げた顔で、ピシッと右手の人差し指をシューバットに向ける。


「シューバット・ポナー!私とけけけけけっこ…」

「けっこ?」

「っ、ご、護衛になりなさい!」


「けっこ」と「護衛」の関係性に首を傾げると彼女の人差し指がくにゃりと曲がり、キッと睨み付けられた。

 彼女が何に対して怒っているのか分からないまま、おずおずと意味を訊ねようとすると「行くわよ!!!」と甲高い声を上げて先に歩き出してしまった。


 下位貴族のシューバットが何か気に障るようなことをしたのなら謝らないといけないと思ったが、彼女は「けっこ」について語らず、顔を赤くして睨むだけだった。



 昨日の卒業式と同じように置いてきぼりにされた状態でトントン拍子に話が進む。


 彼女が用意した馬車でポナー男爵領へ行くことになってしまった。

 家に向かう途中の整備されていない道に彼女が文句を言っているのを聞いて、ロザンヌと似たタイプの令嬢か、と苦笑いが零れる。

 しかし、よく話を聞くと、この道を通る馬や人に対する心配から来るもので、文句にも種類があるらしいと微笑ましくなった。



 領地には夜遅くに到着し、公爵令嬢の訪問にポナー家は大騒ぎになった。


 公爵令嬢をおもてなし出来るような場所ではないのだから当然だ。


 更に彼女は居場所を失ったシューバットを護衛として雇うと言い出し、金額までさっさと決めてしまう。護衛の平均賃金がどれほどのものか分からないが、貧乏貴族には大金といえる額だ。それに兄はもちろん食いついて、大歓迎だと積極的だった。


 しかし、流石に軽々と受け入れられる仕事ではない。


 確かに頭を使う領地経営よりは馬で領地内を走ったり、身体を動かす方が好きだが、公爵令嬢の護衛が務まるとは思えなかった。体術はそこそこでも、剣には触れたことがない。


 殿下の暴行を止めたことで、シューバットを護衛に選んだのかもしれないが、騎士を目指していたわけでもない自分には荷が重い。


 そうやって色々と理由を並べたが、ロザンヌよりも我儘なお嬢様は納得しなかった。シューバットを絶対に護衛にする、と言い切り譲らない。


 質が悪いことに相手は田舎の貧乏貴族が逆らえる相手ではないのだ。仕方がないので公爵令嬢ではなく、彼女の両親に自分の出来の悪さを訴えて、彼女を説得してもらうことにする。

 また緊張感ある場に臨まなければいけないことに、胃が痛くなった。



 その後も彼女に振り回されて散々だった。


 ブルーム公爵家からポナー男爵家へ縁談の申し込みがあり、送り先を間違ったのだろうと彼女に確認すると“間違い”だと顔を赤く染めて頬を膨らませた。


 女性の好みについてあれこれとしつこく聞かれた。特に胸の大きさを気にしているようで、何も言っていないのに涙目で睨まれた。


 渋々、護衛として雇われたはずなのに夜会に彼女のパートナーとして参加することになり、ダンスの練習をする羽目になって、高位貴族のご令嬢に触れるという大罪を犯した。


 護衛だからと散々断ったが、彼女や公爵家の人達と一緒に食事を共にするようになった。彼女にお茶も一緒に誘われて、手ずからお菓子を食べさせられるという謎の餌付けに頭を悩ませている。


 ブルーム公爵にも緊張でガチガチになりながらも護衛は務まらないという話をしたはずだったが、うやむやにされてしまった。仕方がないので、他の護衛から剣術など必要なことを色々と学んでいる。


 更に、彼女に言われるままに、王都にあるブルーム家で寝泊まりすることになってしまった。与えられそうになったのは豪華な客室だったため、必死に遠慮して他の護衛や侍女と同じような小さめな部屋を借りている。小さいと言っても貧乏貴族のシューバットにとっては十分、広かった。


 あと、時々、彼女がふらりと部屋に現れるのは止めて欲しい。そのまま居座ろうとするのは、もっと止めてもらいたい。



 己の仮の主人はあの幼馴染とは別の我儘を持っていて、随分と手を焼いている。特に一週間に一度は例の「けっこ」を連呼してシューバットを困らせていた。


「シュー!私と、け、けっこ」

「けっこ?」

「っ、これから先もずっと傍にいなさいっ!」

「はい、アイラお嬢様。護衛として頑張ります」

「~~もうっ、ばか!」

「え?」


 アイラの後ろで生温かい目で様子を窺っている侍女から「お嬢様、もう一押し!」と小さな囁きが聞こえた。



 平凡で見どころもなく、女性に好かれない容姿に、自慢出来るような特技も頭脳もない。身分差のあるアイラからの素直じゃない積極的なアプローチにシューバットは全く気付いていなかった。


 美しく幸せそうな笑みのアイラと緊張を張り付けてぎこちないシューバットが隣に並ぶ日は───まだ、来ない。



 

連載版『ニブイ男爵令息VSツンデレ公爵令嬢~ライフを賭けた攻防戦~(https://ncode.syosetu.com/n6565hi/)』を始めました!興味のある方は、お付き合いいただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 公爵令嬢がかわいい [気になる点] 誰視点なのかがよくわからない
[良い点] 流行りものを違った切り口で上手く物語としてまとめている点 [気になる点] ほかの方もお一人指摘されてたようですが、主人公視点で語られていたところからいきなり公爵令嬢視点になった部分がとても…
[一言] 面白かった 自分に自信がないと、鈍感系主人公になるのか… 続編、或いはリメイクしての長編化、そこはかとなく期待してます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ