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類まれなる美貌は、魔界で最も美しきと称えられた程。
始祖に近しき血脈は、永遠と呼ぶに相応しい強靭な魂を形作る。闘争が明けぬ魔界においてその存在は最古に等しく、魔を統べるべく生まれた私は凡庸な悪魔とは一線を画していた。
齢を増すにつれて深まった叡智は、悪魔を束ねる大帝が代々助けを請うたものであり、あらゆる悪魔の道標たる姿はまさに魔界の至宝と言える。
そんな私にも死期は訪れた。
勇者の到来。天上の神々から手厚い介護?を受け、地上においてあらゆる悪と善を滅ぼした存在が魔界へと降りた。
邂逅は必然。魔界の門を砕き万魔を血と灰に還さんとする中、勇者は私が住まう虚魔殿にも訪れた。
衝突は苛烈を極めた。
戦闘を駆け抜け手負いとなりながら勇者はなおも強大な力を保ち、万物を分断するという聖剣による一撃は、その謂れに違わず、根源たる魂をも砕く。
人間と悪魔を隔てる種族の壁を悠々と越え、汎なる悪魔とは隔絶した神に近しき者にも通ずる。それは、悪魔がどれだけ人間を殺そうと克服できない。大地を破壊で埋め尽くすがごとき無尽蔵な力でも抗えない、絶対的な弱点でもあった。
だが、いくら悪魔にとって致命的であろうと、背を向けることはありえない。一片の切傷が確実な死に通じるものだとしても、己の全てを投じて敵を打ち倒す。それが私が矜持だった。
魔の力は枯れ果て、依り代たる神代の火ノ粉が陰る。
荒野と化した地平で、勇者と最期の言葉を交わした。
破れた聖布をぼろきれのように垂らし、残る片腕で切っ先を向ける。勇者は全身を蝕む呪詛に苦しみ、対する私も力尽きて地に倒れていた。
魔界全てを映す黒く淀んだ空が視界に広がる。
魔素を圧し固めた身体は衰弱と共に崩れ、千世を生き抜いた大禍が滅びる。天国と異なり地に堕ちるしかない悪魔の生き様を、この時ばかりは重たく感じた。
「これで君も終わる」
「勇者よ、そこまでして何を求める?」
「世界を再び作りかえる……。
そのために一度、全ての憎悪を集めなければならない」
「それは、難儀なことだ」
「……君は心配してくれるのか」
「私を滅ぼす相手だ。
そのくらいしてもらわなければ困る」
何を考え、孤独に現れたか。
あらゆる称賛を受けた者が地の底に向かおうというのだ。
応援くらいするとも。
「名前を、聞いていなかったな」
「悪魔に名を告げると支配される」
勇者らしくない小さな臆病に、そうか、と笑ってやる。
「ならば、先に私から教えてあげよう、――と。
とにかく、そんな感じの最期だった。
……たぶん、百年くらい生きた。
いや、そこらの悪魔だってその二倍は生きるから、さらに十倍くらいあったかもしれない。
「目が、おめめが焼けるー!」
そんな超絶プリチーな私がどうして森の中にいるのか。
およそ魔界の枯れた景色でなく、お天道まっさらな地上で目覚めたのだ。
疑問しかない。
深呼吸をすると口に羽虫が入る。ためしに目につく雑草を口に含むと歯触りの悪さと食べてはいけない味を感じた。飲み込んだ腹の奥がグツグツ煮えてそう。
これは受肉ものだな。
地上に這い上がるのを目標とする悪魔もいたくらいだ。
好機と考えて楽しんで過ごすべきだ。
それにしても自分の頭身が低い。
手や腕なんて、まだ脂肪のプクプクがある。
ためしに走ってみれば頭の重いこと重いこと。こんな幼子が大自然に放置された時には三日と生きていけないだろう。
「喉がまじい」
直前に食べたものが悪いためか、気持ち悪さが食道から上がってくる。
大自然さんよ。ここは麗水くらい差し出すのが礼儀ってものだろう。
決して水溜まりじゃなくてさ。まあ、泥水でいいけど。
うん、砂利砂利が舌に残る。きっと植物バクテリアもたっぷりだよ。
仕方がない。
準備もなく現界した時には、こういう不都合もあるさ。人間ではないが。
こんな時でも大丈夫。
なんと高位の悪魔は、一時的に魔界の門を作れるのだ。
そうでもないと契約書を持ち出すにも苦労する。
ただでさえ、人間側は召喚の手順がなってない場合が多い。
最初から愛用の道具を持ち込んで汚された日には、自分が消滅する勢いで暴れ狂う。安い契約を大量に扱う輩もいるが、骨筆を自慢するような趣味でもなければ普通は持ち歩かない。
悪魔が己を縛るのに安物を使う理由がない。
使用する書類も筆も、あたりまえに貴重品だ。
契約とは、それほど儀式的な作法が求められる。
最上級の契約ともなると人間側の準備も膨大となり、数千数万と条項が書き記された巻物の束を、悪魔側が用意した専用の箱に収める。契約に至るまででも年季が経つというもの。
厳重な契約と履行内容の記載書は悪魔における格の証明になる。各々の素材の価値も合わさり魔界の財宝に並ぶ。遺失しないよう宝物庫に保管される。
時には悪魔同士の取引で担保になる。契約書の預かり屋もあるが、誰が存在証明を好きで他人に預けたいものか。
……ぬぬ、こんな知識があるほど経験豊富だっただろうか。
まあいい、きっと計り知れない才能が原因なのだ。
とにかく、自宅に置いてある枕や安眠毛布があれば、未開の地でも快適に過ごせるだろう。
ほい、と魔界穴を作り、さっ、と腕を差し込む。
何も掴めない。
腕を引いてみると、あれま肘から先がなくなってるのよ。
手が消し飛んじゃったみたい。
なになに、魔界穴が変な様子だわ。
そうして覗こうと顔を近づけると、目の前が真っ白になった。
思わず頭をのけぞらせた後には上空まで炎が昇っていた。
あちゃー、自宅が煉獄にでも飲み込まれたかな。
そんなこともあるさ。
自分が焼き消えなかっただけ幸いというもの。
こればかりは地上補正だな。
「何しやがる。殺す気か――!」
何にしても、せっかく大自然を味わっていたのに、穴から放出された熱のせいで地獄真っ逆さまだよ。近くの木なんて現在進行形で炎上してるし、地面なんて下草も消失して、ひび割れた土の地面だし。
魔界の管理どうなってんだよ。
消火する力なんて無いぞ。
どうすんだよ、これ。
穴を閉じた時には、周囲が黒煙と灰でいっぱいだったよ。
ちくしょー。