第86話:幕府の最期
神也を倒した鈴音ですが、既に戦いの流れは完全に反幕府連合に傾いてしまっています。
この絶望的な状況の中、必死に茂重の下に向かう鈴音ですが…。
幕府軍と反幕府連合の戦争が、遂に決着です。
死闘の末に神也を討ち取った鈴音ではあったが、それでも彼女の戦いはまだ終わっていない。
幕府軍と反幕府連合…互いの思想理念をぶつけ合う両者の譲れない戦いを、鈴音の手で一刻も早く終わらせなければならないのだ。
その為には鈴音の足元に転がっている神也の生首を、反幕府連合の浪士たちに見せつけなければならない。
反幕府連合にとっての絶対的なエースである神也が戦死したという『証明』を行い、反幕府連合の浪士たちの戦意を喪失させる為に。
この幕末の時代においてデジカメやスマホなどという、この状況下において即席で使える文明利器など当然存在するはずがない。
だからこそ『神也を討ち取った』という絶対的な証拠を提示する為に、鈴音は神也の生首を徳山城まで持ち帰り、反幕府連合の浪士たちに見せつけなければならないのだ。
あまりにも残酷な話だが、鈴音とて幕末の時代においてスマホで画像を撮って、『神也を殺したったw』などとSNSを使って反幕府連合の浪士たちに呼びかけられるのであれば、とっくの昔にそうしていただろう。
神也との戦いで朱雀天翔破を3連発した事、そして短時間とはいえ『潜在能力解放【トランザム】』の『異能【スキル】』を発動した事による強烈なバックファイアの影響で、鈴音の全身にギシギシと激痛が走る。
だがそれでも鈴音は全身に鞭を打ち、神也の生首の髪を左手で掴みながら、ボロボロになりながらも徳山城まで走り出したのだった。
急がなければ。鈴音は神也の死を証明する事で反幕府連合の戦意を喪失させ、両陣営共に1人でも多くの命を救わなければならないのだから。
先程まで鈴音の耳元から喧しく聞こえていた異世界からの声は、もう全く聞こえなくなってしまっていた。
無意識の内に発動した『潜在能力解放【トランザム】』の『異能【スキル】』も、今の鈴音には発動する事が出来ない。
だが今となってはそんな事は最早どうでもいい。一刻も早く徳山城に向かわなければ。
「くっ…これは…何という惨状なのだ…!!」
しかし鈴音が徳山城まで駆けつけた時には、既に戦いの流れは完全に反幕府連合に傾いてしまっていた。
両軍共に多数の死傷者が出ているようだが、それでも幕府軍の方がより甚大な被害を出してしまっているようだ。
反幕府連合に多数の仁戦組の謀反者が加わったのも理由の1つだろうが、何よりも反幕府連合が投入した新兵器の大砲の存在が大きかったのだろう。
その大砲も両軍の死体が数多く転がっている中で、弾薬が底をついたのか完全に放置されてしまっている。
「…す…鈴音殿…!!よくぞ…ご無事で…!!」
呆然と立ち尽くす鈴音に、地面に倒れ伏した状態で虫の息で語りかけてきたのは、先程鈴音に神也との戦いを促した幕府軍の青年だった。
慌てて鈴音は青年に駆けつけて抱き起すが…最早手遅れのようだった。
この出血量と傷の深さでは、もうこの青年は助からないだろう。
「くそっ!!これでは救命の施しようが…!!」
「良かった…真野神也を無事に…討ち取られたのですね…!!」
「ああ、見ての通り、神也は私がこの手で討ち取った!!」
「既に敵の本陣は…城の中に…この戦いはもう…俺たちの…!!」
「分かった、もういい、これ以上喋るな!!」
「…鈴音殿…どうか…俺たちの代わりに…未来…を…!!」
それだけ告げて、青年は目に涙を浮かべながら息を引き取ってしまったのだった。
どことなく愛する息子・心太の面影が見えるこの青年の瞳を、そっ…と閉じてやる鈴音。
だが今は、この青年の死を悲しんでいられる場合ではない。
決意に満ちた瞳で鈴音は立ち上がり、徳山城の城門を見据えたのだった。
「…終わらせなければ…!!私の手でこの戦いを!!」
鈴音が必死に茂重の下へと向かう最中、城内では菱川が生き残った仁戦組の隊士たちと共に、反幕府連合の浪士たちを相手に必死の抵抗を行っていた。
彼らの足元には反幕府連合の浪士たちの多数の死体が転がっているものの、それでも状況はあまりにも多勢に無勢だった。
既に息が上がっている菱川に、かつて菱川が提唱した局中法度に反発して謀反を起こし、反幕府連合にスカウトされた元仁戦組の隊士たちが、情け容赦なく襲い掛かってくる。
「お前の事は前々から気に入らねぇって思ってたんだよぉ!!菱川ぁっ!!」
鬼のような形相で振り下ろされた刀を、菱川が苦虫を噛み締めたような表情で刀で受け止める。
互いに鍔迫り合いの状態のまま、睨み合う2人。
「何故だ!?お前たちは徳山幕府に希望を見出し、俺たちの思想に共感してくれたのでは無かったのか!?なのに何故俺たちを裏切ったんだ!?」
「そんなの知ったこっちゃねえなぁ!!俺はただ幕府の後ろ盾が得られれば、安定した暮らしが出来ると思ったから仁戦組に入っただけだ!!」
「…くそっ…!!」
この浪士の言葉で菱川は今頃になって、先日(第82話)の鈴音の警告を思い出していた。
『力によって従わせるのではなく、まずは互いに話し合い、理解し合う事が先決ではないのか?さむなくばいずれそなたは隊士たちに見放され、誰もそなたに付いて行かなくなるぞ。』
『局中法度…これがもたらすのは、そなたが思い描くような隊士たちの鉄の結束などではないぞ。むしろ内部崩壊による自滅だ。』
確かに鈴音の警告通りの結末になってしまった。
300人を超える大所帯となってしまった仁戦組の規律を維持する為に、菱川は局中法度によって隊士たちを力尽くで従わせ、鉄の結束で結びつけようとした。
その結果が、今まさに菱川の目の前で繰り広げられている光景なのだ。
そりゃそうだろう。300人もの隊士たちの誰もが権藤や菱川と同じように、幕府に対して絶対的な忠誠を誓っている訳では無いのだから。
それなのに局中法度などという無茶苦茶なルールを一方的に押し付けたのでは、そりゃあ謀反者を大量に出して当たり前だ。
今になって菱川は己の過ちを、鈴音の警告の正しさを、その身を持って思い知らされてしまっていたのだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「ぎぃああああああああああああああ!!」
かつての仲間を弾き飛ばして斬り捨てた菱川が、息を乱しながら周囲を見渡す。
だが菱川1人がどれだけ必死に頑張った所で、『戦闘』には勝てても『戦争』には決して勝てない。
1人、また1人と、仁戦組の隊士たちが圧倒的な数の暴力の前に斬り捨てられていく。
そうして菱川たちがかつての仲間たちの相手に手間取っている間に、討ち漏らした反幕府連合の浪士たちが、一斉に茂重がいる最上階へと雪崩れ込んでいったのだった。
「茂重はこの上だ!!総員我に続けぇっ!!」
「くそっ!!済まない権藤さん!!敵がそっちに向かっ…!?」
慌てて最上階で茂重の警護に当たっている権藤に呼びかけた菱川の背後から、反幕府連合の浪士が振り下ろした刀が迫る。
「死ねぇ!!菱川ぁっ!!」
「しまっ…!?」
目の前に迫った死への恐怖に愕然とする菱川だったのだが、自分に斬りかかってきた反幕府連合の浪士が、突然白目を向いて気絶してしまった。
どうっ…と、派手な音を立てて床に倒れ伏す、反幕府連合の浪士。
「菱川!!無事か!?」
「鈴音殿!!」
間一髪の所で、鈴音が救援に駆けつけてくれたのだ。
彼女が手にする神也の生首を見せつけられてしまったせいなのか、周囲にいる反幕府連合の浪士たちは、一斉に鈴音に対して怖気づいてしまっている。
「真野神也を討伐したのだな!?鈴音殿、俺たちならもう大丈夫だ!!鈴音殿は早く将軍様の所に!!」
「…分かった!!死ぬなよ、菱川!!」
そう、今の鈴音がやるべき事は、菱川たちの援護ではない。
一刻も早く茂重の下に辿り着き、反幕府連合の浪士たちに神也の生首を見せつけ、戦意を喪失させる事なのだ。
菱川に促され、必死に階段を駆け上がる鈴音。
だが最上階では茂重と権藤が、既に反幕府連合の浪士たちを相手に死闘を繰り広げていたのだった。
多勢に無勢ながらも、反幕府連合の多数の浪士たちを、必死の形相で斬り捨てる権藤。
彼の足元には、権藤に斬り捨てられた反幕府連合の浪士たちの死体が…。
「し、死に土産を頂くぞ!!権藤!!」
「なっ…!?」
そこへ権藤が仕留め損ねた反幕府連合の浪士の1人が、胸元から激しく出血しながらも、鬼の形相で権藤の両足にしがみついたのだった。
「くそっ、往生際の悪い!!」
「が…っ!?」
慌てて彼を振りほどいて止めを刺す権藤だったが、こういった乱戦の、しかも自軍が追い詰められてしまっている戦場においては、その数秒のロスが命取りになってしまう。
「よくやった谷元!!お前の死は絶対に無駄にはしないぞおおおおっ!!」
その数秒のロスの間に、これまで鉄壁の守りの構えを見せていた権藤に生じた、ほんの僅かな隙を目掛けて。
反幕府連合の浪士の渾身の斬撃が、情け容赦なく権藤の屈強な胸元を激しく切り裂いたのだった。
「がはぁっ!!」
「権藤おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
茂重の悲痛の叫びがこだまする中、胸元から派手に出血しながら、どうっ…と床に倒れ込む権藤。
権藤という最大の守りの要を失った茂重は、いよいよ自らの命が風前の灯となってしまっていた。
唯一人取り残された茂重を取り囲むように、じりじりと迫る反幕府連合の浪士たち。
「…よくぞ…よくぞ今まで!!余などの為に身命を賭して尽くしてくれた!!」
それでも茂重の瞳からは、未だに希望の光が失われてはいない。
茂重は信じているのだ。必ず鈴音が神也を打ち倒し、神也の生首を手にここまで駆けつけてくれるのを。
それまでに何とか生き残る事さえ出来れば、まだ茂重にも千載一遇のチャンスはある。
刀を握る両手に力を込めた茂重が、鉄壁の守りの構えを見せたのだった。
自分を守って死んでいった権藤の命を、今ここで無駄にする訳にはいかない。
「ただでは死なぬぞ!!この徳山茂重の首、うぬら如きに取れる物なら取ってみよ!!」
「馬鹿め!!この人数相手に何が出来…っ!?」
「てやあああああああああああああああああああ!!」
「ぎぃあああああああああああああああああああ!!」
襲い掛かる反幕府連合の浪士たちを、決死の表情で次々と刀で斬り捨てる茂重。
予想外の茂重の強さに、反幕府連合の浪士たちは唖然としてしまう。
「くそっ、何て野郎だ!!だがこの人数を相手に、いつまでも持ち越たえられると思うなよ!?」
既に幕府軍の敗色濃厚の戦況の最中、鈴音が全身に襲い掛かる筋肉痛に耐えながら、決死の表情で城の最上階へと向かう。
だが城の最上階に辿り着いた鈴音の目の前で繰り広げられていたのは、今まさに茂重が多数の反幕府連合の浪士たちに取り囲まれ、斬り捨てられようとしている瞬間だった。
茂重の足元には、彼が斬り捨てた反幕府連合の浪士たちの死体が多数転がっている。
「どけえええええええええええええええっ!!」
立ちはだかる反幕府連合の浪士たちを、次々と峰打ちで叩き伏せる鈴音だったのだが。
「…鈴音…。」
自らの死が目前に迫る最中、神也の生首を手にした鈴音の無事な姿に、安堵の表情を浮かべた茂重。
そこへ背後から迫る刀が、茂重の左胸を情け容赦無く貫いたのだった。
「が…っ!?」
「茂重ええええええええええええええええええええええええっ!!」
鈴音の絶望の叫び声と共に、他の浪士たちの刀がドスドスドスドスと、茂重の身体を次々と貫く。
どうっ…と、茂重の身体が力無く床に倒れ伏してしまったのだった。
一斉に歓喜の表情を浮かべる、反幕府連合の浪士たちだったのだが。
「やった!!やったぞ!!徳山茂重は俺たちがこの手で討ち取った!!俺たち反幕府連合の勝利…っ!?」
「ぬあああああああああああああああああああっ!!」
「「「「「ぶぼべらぁっ!?」」」」」
そんな彼らを維綱で次々と吹っ飛ばした鈴音が、大慌てで床に倒れている茂重の下に駆けつけて抱き起すが…全身を刀で貫かれてしまった茂重は既に事切れてしまっていた。
鈴音が無事で本当に良かったと…そう言わんばかりの安堵の笑顔で。
「…また…守れなかったのか…私は…っ!!」
茂重の死体を目の当たりにさせられた鈴音は、苦虫を噛み締めたような表情で悔しがる。
だが今は、茂重の死を悲しんでいられる場合ではない。
この凄惨な戦いを終わらせ、両軍共にこれ以上の犠牲者を出させない為にも、鈴音には今ここでやらなければならない事があるのだ。
鈴音はカッを見開いた茂重の両目をそっ…と閉じてやると、決意に満ちた表情で立ち上がり、今まさに自分に斬りかかろうとしている反幕府連合の浪士たちに対し、神也の生首を高々と掲げたのだった。
「反幕府連合の浪士たちよ!!総員私に傾注せよ!!そなたらの絶対的な切り札である真野神也は、見ての通り私が討ち取った!!」
「な…何だとぉっ!?神也殿が死んだぁ!?」
「徳山茂重が討ち死にした今、この戦いはそなたらの勝利だ!!最早これ以上の戦いは無意味な物となった!!両軍共に直ちに刀を納めよ!!こんな戦いでこれ以上命を粗末にするなぁっ!!」
鈴音に神也の生首を見せつけられた反幕府連合の浪士たちは、一斉に戦意を喪失してしまう。
当然だろう。彼らの中で最強の戦闘能力を誇る神也でさえも、鈴音に無様な敗北を喫してしまったのだから。
神也でさえ勝てなかった化け物である鈴音を相手に、自分たち如きがどうにか出来るはずがない。
「それでもまだ戦うというのであれば、私が相手になってやるぞ!!」
「じょ、冗談じゃねえ!!徳山茂重は討ち取ったんだ!!これ以上あんたとやり合う意味なんか、もうこれっぽっちもねえよ!!」
一斉に刀を納めて両手を広げ、鈴音に対して降参の意志を表明する反幕府連合の浪士たち。
鈴音の呼びかけによって両軍共に、あっという間に戦闘を止めてしまったのだった。
もっと鈴音が早く駆けつける事が出来ていれば。もっと鈴音が早く神也を倒す事が出来ていれば。
権藤や茂重を初めとした、より多くの命を救う事が出来たかもしれないのに。
だが鈴音は自分よりも格上の相手である神也を相手に勝利し、こうして無事に生き残り、この愚かな戦争を終結へと導いたのだ。
それだけでも『奇跡』に等しい偉業であり、鈴音を責める事の出来る者など世界中のどこにも存在しないだろう。
「…権藤さん…将軍様…!!」
そこへ生き残った数名の隊士たちを引き連れて、ようやく駆けつけてきた菱川だったのだが…2人の死を見せつけられて愕然とした表情になってしまっている。
「…何で…何で俺は…生きているんだ…!?」
ヨタヨタとふらつきながら2人の元に歩み寄り、生気を失った呆然自失の表情で、その場にへたり込んでしまう。
自分たちの勝利に酔いしれている反幕府連合の浪士たちは、最早そんな菱川など眼中に無い様子だった。
当然だろう。鈴音の言うように、この戦いは茂重が死んだ時点で既に終わっているのだから。
「仁戦組から謀反者を大量に出して…将軍様や権藤さんを無様に死なせて…こんな生き恥を晒して…なのに何で俺は生きているんだ…!?」
「菱川…。」
「なあ、鈴音殿…何で俺なんかが生きているんだ…!?権藤さんや将軍様ではなく…何で俺なんかが…!!」
そんな菱川の傍に寄り添い、頬を両手で優しく包み込んだ鈴音が、とても慈愛に満ちた瞳で菱川の顔をじっ…と見つめる。
「…よく頑張ったな。よく生き残ったな。菱川。」
「頑張った…!?生き残った…!?何を言ってるんだ鈴音殿…!!権藤さんや将軍様ではなく、俺が死ねば良かったのに…!!」
「それでも、そなたは精一杯生きるのだ。死んでいった者たちの想いを背負ってな。」
怒鳴りつけるのではなく諭すような言い方で、菱川に『生きろ』と告げる鈴音。
鈴音とて、菱川の無念は痛い程伝わってくる。
何せ自分が掲げた局中法度のせいで仁戦組を崩壊させた挙句、かつての仲間たちに『死ね』と罵声を浴びせられ、こうして権藤と茂重を死なせてしまったのだから。
そんな自分が無様に生き残ってしまったのだから、菱川が自分を責めるのは仕方が無い事だろう。
きっと今の菱川は仁戦組副隊長としての役目を果たせなかった重責に、心の底から押し潰されてしまっているに違いない。
「菱川。泣きたければ泣くがいい。私の膝くらいは貸してやる。」
「…鈴音殿…っ!!」
そうはさせまいと、正座した鈴音が自らの膝をポンポンと叩き、菱川に『泣け』と促したのだった。
その瞬間、心の中で何かが切れた菱川が、目に大粒の涙を浮かべながら、鈴音の膝元で号泣する。
「うわああああああああああああああああああああああああ!!」
鈴音の膝枕に優しく包み込まれながら、菱川はまるで母親になだめられる子供のように、人目もはばからずに大声で泣きじゃくったのだった…。
次回は第10章完結です。
幕府軍の敗北で終結した今回の戦争の後、明治天皇の下に新たな時代を迎える日本。
その新時代の最中、生き残った鈴音と菱川は果たしてどのような道を歩むのか。
そして魔王軍の転生術によって召喚された、新たなる魔王カーミラの魔の手が…。