第82話:局中法度
鈴音の武勇伝もあって加入希望者が殺到し、大所帯となった仁戦組。
しかし大所帯になってしまったが故に、規律の乱れが表れ始めてしまいます。
それを正そうと仁戦組副隊長・菱川が提唱した「局中法度」ですが…。
巨大な組織である反幕府連合に対抗し、幕府による徳山政権を実現する為に、仁戦組は新規加入希望者を随時募集している。
簡単な面接と剣術のテストをクリアすれば、それだけで仁戦組の一員となり、『誠』を背負う隊服を身に纏う事が出来るのだ。
それに加えて仁戦組が幕府直属の治安維持部隊という『公務員』であり、収入が安定しているという事、そしてこれまでの仁戦組の…特に鈴音の武勇伝があっという間に広まった事もあって、仁戦組には連日のように加入希望者が殺到。
性格に問題があったり、そもそもまともに刀を握る事も出来ないなどの理由で不採用を言い渡された者たちも何人かいたのだが、それでも加入希望者の8割が無事に採用され、晴れて仁戦組の一員に加わる事が出来た。
これにより仁戦組は発足当初は20人程度の少数精鋭部隊だったのが、最終的に300人を超える大所帯となり、一気に戦力を拡充する事となる。
だが一集団がまともに規律を正し統率を取り続け、揉め事を一切起こさずに済ませ続けられる人数は、せいぜい150人程度までが限度だとされている。
これは後の世においてイギリスの学者であるロビン・ダンバーが提唱した、『ダンバー数』と呼ばれる事になる理論だ。
当然これは300人を超える大所帯になってしまった仁戦組とて、例外ではない。
当初は少数の精鋭部隊だったが故に統率が取れていた仁戦組も、次第に隊員たちの規律が目に見えて乱れ始めてしまっていたのだった。
当然だろう。思想理念なんてのは所詮は人それぞれだ。
仁戦組に加入した300人全員が、権藤や菱川のように徳山家や幕府に絶対的な忠誠を誓い、この国の未来を憂い、命を賭けて反幕府連合と戦っている訳では無いのだから。
鈴音のように公務員としての安定した収入が目当てだったり、あるいは幕府の後ろ盾を得る事が目的だったり、知人に誘われたから一緒に加入しただけだという者もいるのだ。
そういった者たちが300人も集まったのだから、まともに規律を正し続ける事など出来る訳が無いだろう。
このままでは仁戦組は規律が乱れ、統率が取れず、内部崩壊を起こす事にもなりかねない。
仁戦組を野良犬の集まりなどではなく、隊士たちを鉄の結束で結びつけた真の『狼軍団』へと変貌させなければ、反幕府連合を打倒し幕府による真の統治を実現するなど夢のまた夢だ。
その強い危機感から、仁戦組副隊長・菱川が提唱した『鉄の掟』…それは…。
「皆、今日は緊急の招集に集まってくれて本当に感謝する。どうしても早急に全員に伝えておかなければならない事があってな。」
仁戦組の本拠地の、幕府から貸し与えられた豪邸の大庭園に集められた、『誠』の文字を背負った隊服を着た300人近い隊員たち…そして唯一『誠』の文字を背負わない着物姿の鈴音に対し、壇上の菱川が一斉に語りかける。
わざわざ非番の者たちまでも緊急招集の名目で集めてまで、一体菱川は何を語るつもりなのか。
隊員たちが互いに顔を見合わせながら『一体何事か』と話し込んでおり、ざわざわ、ざわざわ…と菱川を無視して私語をする騒ぎになってしまっている。
中には非番だったにも関わらず緊急で呼び出された事で、菱川に対してあからさまに不満そうな態度で、罵声を浴びせる隊士たちも何人かいたのだが。
これもまた『ダンバー数』の理論…もうこの時点で300人もの大所帯になってしまった仁戦組は、権藤や菱川だけでは統率の維持が難しくなってしまっていた。
その目の前の逃れようのない現実に、菱川は厳しい表情で舌打ちしたのだった。
「騒がないで俺の話を静かに聞いてくれ。今日は非番だった者に対しては本当に申し訳なく思っている。この埋め合わせは後日俺の方から必ずさせて貰うから、どうかそれで勘弁してくれないか?」
菱川の言葉に、これまでざわついていた隊員たちが、一斉に私語を止めて菱川に傾注する。
そんな隊士たちに対し、菱川が決意に満ちた表情で語りかけたのだが。
「今日皆に集まって貰ったのは他でも無い。俺たち仁戦組が今後活動を続けるにあたって、新たに設ける事になった決まり事に関してだ。」
「決まり事…ですか?」
「うむ。皆も見ての通り我々は斯様な大所帯となった。そこで俺は隊士たちを鉄の結束で結びつけ、幕府の為に身命を賭して戦う真の『狼集団』とするべく、絶対的な『鉄の掟』によって規律を正す必要があると考えた。」
菱川自身も規律の乱れの原因が『ダンバー数』にあるという事に関しては、薄々感付いてはいたようだ。
反幕府連合に対抗する為とはいえ、隊士の人数を必要以上に増やし過ぎてしまったのかもしれない。
いや、それでもこれから先も反幕府連合との激しい死闘が続く事を考えれば、戦力は1人でも多くいた方がいいだろう。
異世界での瑠璃亜やクレアのように優れた統率力や絶対的なカリスマの持ち主であれば、これだけの大所帯でも上手く隊士たちの心を1つに出来るのだろうが。
生憎ただの町人出身でしかない権藤や菱川には、そんな便利な代物は持ち合わせてはいなかった。
…だが。
「今、権藤さんは将軍様への定期謁見の最中故に、この場にはいない。戻り次第俺の方から権藤さんにも話をさせて貰うが、一足先に皆の耳には入れておこうと思ってな。」
「い、一体、どのような決まり事なのでしょうか?副隊長殿。」
「うむ。その名も局中法度だ。」
「局中…法度…!?」
菱川が大きく頷き、5か条もの決まり事を記載した大きな和紙を、でかでかと広げて壁に貼り付ける。
だがそこに書かれていた、理不尽とも言えるとんでもない内容の代物に、隊士たちの誰もが仰天してしまったのだった。
局中法度
一つ、武士道に背く行為を禁止する。
一つ、仁戦組からの脱退、敵前逃亡を禁止する。
一つ、勝手に金策を行う事を禁止する。
一つ、勝手に訴訟を行う事を禁止する。
一つ、徳川家や幕府には一切関係のない、あらゆる私闘を禁止する。
以上5項目を1つでも破った者は、理由の如何を問わず即座に切腹処分とする。
以上。
「なっ…!?」
いきなりの菱川からの無茶な通達に、流石の鈴音の驚愕の表情になってしまう。
他の隊士たちも『この人は一体何を言ってるんだ!?』と言わんばかりの戸惑いの表情で、大騒ぎになってしまったのだった。
切腹って。どうしてそんな極端な話になってしまったのか。
「せ…切腹!?え!?えええ!?…えええええええええええええ!?」
「皆が戸惑うのも無理も無い。だがそれでも俺たちを何事にも揺るがぬ鉄の結束で結びつけ、今後も規律を正し統率を維持し続ける為には、絶対に必要不可欠だと思ったのだ。」
「そ、そんな、副隊長殿…!!」
「話は以上だ。今日はわざわざ時間を取らせてしまって本当に済まなかった。各自持ち場に戻ってくれ。」
他の隊士たちが大騒ぎするのを尻目に、菱川が威風堂々とその場を去っていったのだが。
慌てて鈴音が菱川を追いかけ、彼の左肩を後ろから右手で掴んだのだった。
「おい菱川。ちょっと待て。」
普段は温厚な鈴音にしては珍しく怒気を含んだ声で、鈴音は無茶苦茶な事を言い出した菱川を呼び止める。
仁戦組も組織である以上、規律を正す為に一定のルールを設ける事自体は、別に間違ってはいない。
だがそれでも、このような理不尽な内容のルールを一方的に押し付けるなど…菱川は隊士たちを、仲間たちを何だと思っているのか。
せめて切腹などではなく罰金や謹慎にするなど、もっと穏便なやり方はあったのではないか。
これではまるで隊士たちは、仁戦組や幕府の為に命を捧げる奴隷ではないか。
「何だ、鈴音殿。」
「そなた正気か?そなたは自分が隊士たちに何を言っているのか、本当に分かっておるのか?」
もし今この場に権藤がいたのなら、一体権藤は菱川に何と言うだろうか。
菱川の言い分から察するに、恐らくこれは事前に権藤に相談する事無く、菱川の独断で決めた事なのだろう。
「先日の反幕府連合の浪士に対する、そなたが行った凄惨な拷問にしてもそうだ。そなたは物事の解決にあたって、あまりにも力による抑止力に頼り過ぎてしまっておる。」
「何だと!?」
「力によって従わせるのではなく、まずは互いに話し合い、理解し合う事が先決ではないのか?さもなくばいずれそなたは隊士たちに見放され、誰もそなたに付いて行かなくなるぞ。」
怒鳴り散らすのではなく諭すような言い方で、鈴音は菱川を糾弾したのだった。
菱川の考えている事は、鈴音も大体は理解している。
何しろこれだけの大所帯になってしまった仁戦組だ。統率を維持する為には絶対的なルールを設け、逆らう者は切腹処分という『恐怖』を与える事で、隊士たちの規律を強引にでも正す事が必要だと…大方そんな所なのだろう。
菱川は特に仁戦組の中でも徳山家や幕府に対しての忠誠心が人一倍厚く、反幕府の思想を掲げる者に対しては一切合切容赦はしない事で有名だ。
それは鈴音が語っていたような、先日の反幕府連合の浪士に対しての凄惨な拷問が物語ってしまっていると言えるだろう。
それ故に菱川は隊士たちから『鬼の菱川』などという侮蔑の言葉で呼ばれているのだ。
だが力や恐怖による支配など仮初の代物…鈴音に言わせれば所詮はただのハリボテだ。
それによって一時的に隊の規律を正す事が出来たとしても、より強大な力の持ち主が現れて仁戦組の脅威となった場合、一気に飲み込まれて瓦解する事になりかねないのだ。
そう…例えば鈴音にとって因縁深い『あの男』のような者が反幕府連合に加入し、敵として現れたとしたら…。
「鈴音殿…!!部外者の貴女は引っ込んでいて貰おうか!!」
それでも菱川は鈴音からの提案を、あっさりと一蹴したのだった。
自分の左肩を掴む鈴音の右手を無造作に振り払い、菱川は鬼の形相で鈴音を睨みつける。
その菱川の鬼のような凄まじい気迫を前にしても、鈴音は一歩も引かない。
鈴音は仁戦組の用心棒として、隊の皆の為にも、今ここで菱川に屈する訳には行かないのだ。
「いいや。引く訳にはいかぬ。私は最早ここまでそなたらと深く関わってしまったのだからな。」
確かに鈴音は菱川の言うように、仁戦組の正式な所属ではない。
だがそれでも隊の皆を想う気持ちに、嘘偽りなど微塵も無い。
幕府から与えられた仕事として隊士たちを全力で守るのは当然の事だが、決してそれだけでは無いのだ。
「局中法度…これがもたらすのは、そなたが思い描くような隊士たちの鉄の結束などではないぞ。」
「何だと…!?」
「むしろ内部崩壊による自滅だ。」
鈴音の主張は100億%間違ってはいない。普通に考えれば極めて正当な代物だ。
そりゃそうだろう。前述のように仁戦組に加入した300人の誰も彼もが、権藤や菱川のように幕府への絶対的な忠誠心を持っている訳では無いのだから。
それなのにこんな局中法度などという無茶苦茶なルールを押し付けられたら、そりゃあ不満を爆発させた隊士たちが暴動を起こすに決まっているだろう。
「私はそなたが言う所の部外者故に、そなたが提唱する局中法度に付き従う道理は無い。ただの徳山家に雇われた用心棒でしか無いのだからな。だが…。」
それを菱川に分かって貰おうと、鈴音は必死に菱川を説得したのだが。
「今からでも決して遅くは無い。考え直せ。最悪の結末を招かぬ内にな。」
「何を馬鹿な事を…!!内部崩壊による自滅だと…!?そうさせない為の局中法度なのではないか!!」
それでも菱川は鈴音を『ただの用心棒』『部外者』だと侮蔑し、鈴音の警告に全く耳を貸さなかったのだった。
鈴音のお陰でどれだけ多くの隊士たちの命が救われたのか…それを分かろうともせずに。
「菱川!!」
「話は終わりだ!!これは決定事項だ!!貴殿が今更何を言おうが変わる事は無い!!」
「おい!!」
「俺たちは幕府に絶対の忠誠を誓う、真の狼集団にならねばならぬのだからな!!」
鈴音の言葉に聞く耳持たず、ずけずけとその場を去っていった菱川。
その後ろ姿を鈴音が、とても厳しい表情で見つめていたのだった。
こんな時に隊長である権藤が将軍家への謁見で不在だというのが、何とも恨めしい話だ。 これから先、仁戦組は…隊の皆は一体どうなってしまうのか。
仁戦組による連日の攻勢、そして鈴音の大活躍によって、反幕府連合は幹部が次々と討ち取られ、戦況は確実に仁戦組の優位に立ちつつある。
このまま上手く行けば今回の戦いは確実に仁戦組の勝利に終わり、徳山政権による真の恒久統治が実現する事だろう。
そう…あくまでも『このまま上手く行けば』の話なのだが…。
だが後に鈴音の忠告通り、この局中法度がきっかけとなって仁戦組が内部崩壊を起こし、それによって徳山家が滅亡する事になってしまう大惨劇を、この時の菱川は知る由も無かったのであった…。
菱川が提唱した局中法度は鈴音の警告通り、隊士たちを鉄の結束で結びつけるどころか、逆に隊士たちの謀反を引き起こす結果になってしまいます。
この非常事態を何とかして収めようと必死に奔走する権藤と菱川ですが、この機を逃すまいと反幕府連合が一斉に襲撃を仕掛けてきて…。