第62話:対話への模索
今日掲載するのは厳しいかもしれないと以前伝えましたが、予定が変わって土曜日の仕事が午前中だけになって時間が空いた事もあり、何とか今日掲載する事が出来ました。
魔王カーミラの正体が瑠璃亜だと知った太一郎は流石に動揺しますが、瑠璃亜はサーシャに対し、クレアと対話をさせて欲しいと要望します。
そんな瑠璃亜に、サーシャは何を語るのか…。
魔王カーミラの正体が、もう二度と会う事は叶わないと思っていた瑠璃亜だった。
この衝撃の事実に流石に戸惑いを隠せない太一郎だったのだが、感傷に浸る暇も与えられないまま、感極まった表情の瑠璃亜が物凄い勢いで太一郎に抱き着いてきたのだった。
「…太一郎君っ!!」
「どああああああああああああああああああああああああああああ(汗)!?」
目を潤ませながら、太一郎の身体をぎゅっと抱き締める瑠璃亜。
彼女の柔らかい胸の感触、仄かな香水の匂い、そして身体の温もりに、思わず太一郎は顔を赤らめてしまう。
「か、母さん!!気持ちは分かるが、取り敢えず落ち着いてくれ!!」
慌てて瑠璃亜の両肩を優しく掴んで引き離し、瑠璃亜の顔をじっ…と見つめる太一郎だったのだが。
とても潤んだ瞳で、瑠璃亜は太一郎の顔をじっ…と「見つめていたのだった。
人間から魔族に転生した影響からなのか、瑠璃亜は肉体的に20代前半…太一郎と同い年位まで若返ってしまっている。
だが今太一郎の目の前にいる女性は、間違いなく瑠璃亜なのだ。
何しろ向こうの世界で太一郎は、ずっと瑠璃亜と一緒に暮らしていたのだから。
どれだけ若返ろうが、太一郎が瑠璃亜の事を見間違える訳が無い。
義理とは言え母親が自分と同い年になってしまったというのも、何とも変な話ではあるのだが。
そう言えば雄太は夢の中で太一郎に対し、瑠璃亜がこの異世界のどこかにいると語っていた。
だがまさか…まさかこんな形で瑠璃亜と再会する事になろうとは。
「そ、その、今は皆が見てるし…それに再会を喜ぶのは取り敢えず後にしよう。今は色々と立て込んでるからさ、シルフィーゼを連れて王都に帰還して、それからええと…。」
流石にテンパってしまっている太一郎の無様な醜態を、瑠璃亜が太一郎を抱き寄せながら、苦笑いしながら見つめていたのだが。
そんな2人の微笑ましい光景を驚愕の表情で見つめながら、まさかの事態にイリヤは重い「罪」の意識に苛まれてしまっていたのだった。
太一郎は、瑠璃亜の事を「母さん」と呼んでいた。
そして聖地レイテルでの戦いでイリヤが殺した真由は、太一郎の事を「お兄ちゃん」と呼んでいた。
太一郎が瑠璃亜の息子で、真由が太一郎の妹。
これらが意味する残酷な事実…それは…。
「じゃあ、何…!?アタシは…アンタの娘をこの手で殺したって言うの!?」
そう…イリヤは自分が敬愛する人物の娘を、この手で殺してしまったのだ。
自分が魔剣ヴァジュラから放った無数の小さな刃で無惨に切り刻み、全身から血を流して泣き叫ぶ太一郎に抱きかかえられながら、死んでしまった真由。
その光景を今になって鮮明に思い出してしまったイリヤは、知らなかった事とは言え自分がやらかしてしまった行為に絶望してしまったのだが…次の瞬間。
「くっ…!!があああああああああああああああああああああああああ!!」
そこへ『潜在能力解放【トランザム】』の『異能【スキル】』を長時間発動した事による強烈なバックファイヤが、今になってイリヤの身体を情け容赦なく蝕んだのだった。
対照的に1秒間しか発動しなかった太一郎は、軽度の筋肉痛に襲われてはいるもののイリヤ程重篤な症状ではなく、平気そうな顔でピンピンしている。
こんな、これ程までの凄まじい反動に、以前の戦いの後に太一郎は耐え抜いたとでもいうのか。イリヤは驚きを隠せずにいたのだった。
とても辛そうな表情で両膝を付き、地面に突き刺した聖剣ティルフィングで身体を支えながら、その場で崩れ落ちるイリヤだったのだが。
「イリヤ!!」
そんなイリヤを瑠璃亜がぎゅっと抱き締め、その豊満な胸に彼女の顔を埋めたのだった。
「分かってる!!貴女は何も悪く無いわ!!あれは事故のような物だったのだから!!全てはフォルトニカ王国の転生者たちの愚かな暴走が招いた事なのでしょう!?」
「カーミラ…っ!!」
「そもそも以前も言ったけど、あれは私の指示ミスでもあるのだから!!」
「うああ…うわああああああああああああああああああああ!!」
目から大粒の涙を流して泣きじゃくりながら、聖剣ティルフィングから両手を離し、ぎゅっと瑠璃亜の身体を抱き締めるイリヤ。
そんな彼女の表情からは、先程までの太一郎への復讐心、殺意は完全に消え失せてしまっていた。
知らなかった事とはいえ、大切な人の娘を自らの手で殺してしまった。
それに対する深い罪の意識と絶望に打ちひしがれる、ただの1人の可憐なだけの弱い少女が、そこにいたのだ。
もしこの異世界に運命の神様とやらが本当に存在するのであれば、そいつはどこまで残酷で意地汚い存在なのだろうか。
真由が瑠璃亜の娘だという事を知らないまま、イリヤに真由を殺させた。
そして太一郎にアリスを殺させ、イリヤに太一郎への復讐心を植え付けた。
さらに追い打ちをかけるかのように、真由が瑠璃亜の娘だという事を、よりにもよって「イリヤが真由を殺してから」イリヤが認知するよう仕向けたのだ。
こんなの、イリヤが罪の意識に押し潰され、絶望してしまうのは当然だろう。
そんなイリヤを瑠璃亜はぎゅっと抱き締め、その優しさと温もりで包み込んだのだった。
貴女は何も悪くは無い、責めるつもりは一切無い、あれは事故だったのだからと、それをイリヤに伝える為に。
今更この事を悔やんだ所で仕方が無い。起きてしまった事は最早どうにもならない。
それよりも瑠璃亜が今この場でやらなければならない事は、こんな悲劇をもう二度と、絶対に繰り返させない事だ。
「貴女がサーシャちゃんね?」
「は、はい。」
「貴女のお母さんに…クレア女王に会わせて貰えないかしら?」
イリヤを抱き締めながら決意に満ちた表情で、瑠璃亜はサーシャに語りかけたのだった。
「イリヤが真由ちゃんを殺し、太一郎君がアリスを殺した…こんな悲しい出来事を、もう二度と引き起こす訳にはいかないわ。」
今、瑠璃亜がサーシャに提案しようとしている事は、もしかしたらこの異世界全土を震撼させてしまうかもしれない。
それどころかフォルトニカ王国という国自体が、世界中の国々に「逆賊」だと認定されてしまう事にもなりかねないかもしれない。
それはつまりフォルトニカ王国騎士団に所属する近衛騎士である、ようやく再会出来た最愛の義理の息子である太一郎に対し、さらなる過酷な戦いに身を投じさせる事にも繋がりかねないのだ。
だがそれでも瑠璃亜は、サーシャに自らの想いを告げなければならない。
こんな馬鹿げた悲しみを、絶望を、もう二度と引き起こさせない為に。
恐らくドノヴァン辺りが、魔王失格だと瑠璃亜を侮蔑する事だろう。
そしてパンデモニウムで暮らす魔族たちの中には、今も一馬たちの愚かな暴走行為に激怒し、人間たちに対して敵意を剥き出しにしている者たちも少なくない。そんな彼らからの反感を買ってしまう事も十分に有り得る話だ。
だが、それでも…それでもだ。
人間と魔族による、愚かな憎しみ合い、殺し合い…それを何としてでも、今ここで終わらせなければならないのだ。
戸惑うサーシャの瞳をじっ…と見据えながら、意を決した表情の瑠璃亜がサーシャに告げた事…それは…。
「私たちパンデモニウムは貴女たちフォルトニカ王国に対し、停戦協定と同盟和議を締結したいと思っているの。」
この瑠璃亜のサーシャへの提案が、何を意味するのか。
聡明で頭が切れる太一郎は、その意味を即座に理解したのだった。
そう…フォルトニカ王国とパンデモニウムが同盟を結ぶという事は、両者が戦争状態に陥る事は確かに無くなる事になる。
だが同時に「汚らわしい魔族と同盟を結んだ」という口実を盾に、フォルトニカ王国が他国から戦争を仕掛けられる危険が増してしまう事も意味してしまうのだ。
今も他国から厳しい圧力を掛けられ続けている、パンデモニウムと停戦協定を結んだサザーランド王国のように。
だがその件に関しては、あくまでも政治的な話だ。
近衛騎士である太一郎が、直接口出し出来るような問題では無い。
ここから先はサーシャとクレアの戦いだ。太一郎が2人を支えてやる事は出来るが、あくまでも出来るのは「支えてやる事」だけだ。
サーシャとクレアがどんな決定を下そうが、近衛騎士である太一郎には、それに従う以外に選択肢は無い。
まあ薄汚いリゲルたちと違って話が分かるサーシャとクレアなら、決して悪いようにはしないだろうが…。
「母さん、本当にいいのかい?」
「いいも悪いも無いわ。それに私だって太一郎君と殺し合うなんて冗談じゃないわよ。」
「だよな。僕もそれだけは絶対に嫌だ。」
肩をすくめて苦笑いしながら、イリヤを抱き締めている瑠璃亜を見つめる太一郎。
「お互いに転生術を巡って、他国から狙われている立場なんだもの。だからここは互いに協力し合い、手を取り合い、助け合うべきだと思うのだけれど…どうかしら?」
瑠璃亜からの提案に、サーシャは顎に右手の親指を当てながら思案したのだが。
「…魔王カーミラ…いいえ、瑠璃亜さん。」
やがて意を決した表情で、サーシャは瑠璃亜に向き直ったのだった。
「同盟和議に関しては、私1人の一存で決められる事ではありません。ですが貴女がお母様との対話をお望みというのであれば、私にはそれを拒む理由がありません。」
「じゃあ取り敢えずクレア女王と、話だけはさせてくれるという訳ね。」
「はい。それに貴女は太一郎さんの継母なんですよね?私も太一郎さんの妻として、瑠璃亜さんの事をお母様に紹介しないといけませんから。」
「ありがとう。感謝するわ。サーシャちゃん。」
とても穏やかな笑顔で、サーシャに感謝の意を示した瑠璃亜。
と言うか、それにしても。
サーシャは太一郎の妻と名乗ったが、中々どうして、とても可愛らしくて素敵な奥さんではないか。
向こうの世界でも瑠璃亜は太一郎に対し、
『もう24歳なんだから太一郎君も素敵な奥さんを見つけて、孫の顔を私と真由ちゃんに見せなさい。』
などと、結婚相手どころか彼女さえも碌に作ろうとしなかった太一郎に対して、苦笑いしながら釘を刺していたのだが。
まさかこの異世界において、こんなにも可憐な少女と結婚する事になろうとは。
「それにしても、こんなにも素敵な奥さんを娶るなんて…太一郎君も中々隅に置けないじゃない。うふふ。」
「あ、いや、僕は…。」
「さあ、そうと決まれば善は急げよ。すぐに私たちをフォルトニカ王国に案内してくれないかしら?」
「ラムダ村に馬車を待機させているから、そこまでシルフィーゼに転移魔法で送って貰う事になっていたんだ。そこから馬車でフォルトニカ王国まで送るよ。」
「だったら私とエキドナの『転移【テレポート】』でラムダ村まで送ってあげるわ。」
「助かるよ、母さん。」
馬車の中で瑠璃亜と色々と話したい事が、沢山ある。
まさか瑠璃亜が魔王になっていたとは想像もしていなかったが、それでもどんな形であれ、瑠璃亜はこの異世界で生きていてくれたのだ。
そして瑠璃亜が魔王カーミラとして、フォルトニカ王国と同盟和議を結びたいと言ってきている。
果たしてそれが、一体どんな結末を迎える事になるのか。
太一郎もそれは分からないが、それでも太一郎がやるべき事は、サーシャとクレアと…そして瑠璃亜を支えてやる事だけだ。
とても穏やかな笑顔で、太一郎は瑠璃亜に優しく右手を差し出す。
そんな太一郎の右手を、瑠璃亜もまた穏やかな笑顔で、右手で優しく握り返したのだった。
次回、王都へと案内された瑠璃亜は、クレアとの対話に臨みます。
それを快く思わないリゲルが「太一郎が魔王カーミラの息子である」という事実を利用し、クレアやサーシャ、太一郎を陥れようとするのですが…。