第60話:それでも
この世界の人間たちに失望し、フォルトニカ王国の宮廷魔術師として復職する事を拒むシルフィーゼ。
そんな彼女を必死に説得するシリウスが、彼女に対して提案した事とは…。
魔王カーミラと『相討ちになって』戦死したとされていた明日香…しかしシルフィーゼから語られた真相は、明日香が龍二に『殺された』という驚愕の事実だった。
そうとも知らず、他国との政治的な駆け引きという止むを得ない事情があったとはいえ、サーシャとクレアは龍二たちの事を『英雄』として、世界中に名声を広げてしまった。
シルフィーゼがフォルトニカ王国に失望するのも、仕方が無いと言えるだろう。
フォルトニカ王国をシメる(支配する)などという下らない野心の為に明日香を殺し、自身も瀕死の重傷を負わされた。
どんな事情があったとしても、そんな相手を英雄呼ばわりするような国に、素直に協力する事など出来る訳が無いだろう。
悲しみの表情でシルフィーゼを見つめるサーシャも、流石にショックを隠せないようだったのだが。
「明日香の遺体は聖地レイテルに丁重に埋葬したわ。あの子が使っていた聖剣ティルフィングも一緒に安置したのだけれど、まさか魔王軍の幹部に奪われるとはね。」
「では、私が討伐してしまったエルダードラゴン殿は、まさか…。」
「彼はたまたま偶然あそこで暮らしていただけであって、私とは全くの無関係よ。殺してしまった事を貴女が気に病む必要は無いわ。そこは安心しなさい。」
そもそも聖地レイテルの一件に関しては、一馬の暴走が引き金になったのであって、サーシャが気に病む必要など微塵も無いのだ。
それ位の事はシルフィーゼも分かっていたからこそ、サーシャを責めるような真似はしなかったのだが。
「だけど私が不満に思っているのは、明日香の事だけじゃないわ。」
ふとシルフィーゼが、壁に立て掛けている聖杖セイファートに目を向けながら、サーシャたちに対して不満…というか愚痴をぶちまけたのだった。
「私が聖地レイテルでたまたま偶然手に入れた、この聖杖セイファートに関してもそう。どこで嗅ぎ付けたのかは知らないけれど、色んな国の上層部たちが一斉に私の元に訪れて、色々な難癖を付けて一斉に所有権を主張してくるんだもの。」
聖杖セイファートが圧倒的な性能を有している事を理由に、優秀な魔術師とはいえ一個人に持たせてしまうのは危険だから、シルフィーゼに危害が及ばないようにという名目で、我が国で厳重に管理するだの。
聖地レイテルの占有権は元々フォルトニカ王国ではなく我が国にあり、そこで発掘された聖杖セイファートも、当然我が国に所有権がある代物であるだの。
そういった話し合いや平和的解決で済まされるのならまだいいのだが、時には脅迫や武力行使、暗殺すら試みる国まで幾つかあったそうだ。全てシルフィーゼが即座に返り討ちにしたらしいのだが。
これではシルフィーゼが人間たちに嫌気が差して、森の奥深くに引き籠ってしまうのも仕方が無いと言えるだろう。
伝説の武器欲しさに自分の命まで狙うような愚かな連中を、どうして魔王軍や魔物たちから守ってやらなければならないというのか。
中には伝説の武器の所有権を巡って、国同士での戦争にまで発展してしまうような事例もあるのだが…それに巻き込まれてしまったシルフィーゼにしてみれば、心底たまった物では無い。
「シリウス。貴方にしてもそうよ。転生者たちに『呪い』を掛けるだなんて、随分と非道な真似をしたものね。」
そしてシルフィーゼの批判の矛先は、太一郎たちに『呪い』を掛けて3カ月もの間苦しめ続けてきた、シリウスにも向けられたのだった。
「…確かにな。それに関しては君の言う通りだ。一切の弁明はしないよ。」
「龍二たちと同じように、太一郎たちに謀反される事を恐れたから…王女様はそう言っていたけれど、それでも結局は一馬たちに謀反されてるんだもの。これはもう笑い話にしかならないわ。」
全く何の反論の余地も無いからこそ、シリウスは自戒の意味も込めて、シルフィーゼの言葉を黙って胸の内に秘めていたのだった。
シリウスが太一郎たちに『呪い』を掛けたのは、先代の転生者である龍二たちと同じように、現在の転生者である太一郎たちに謀反される事を恐れたからだ。
この世界の人々では決して扱う事が出来ない、転生者たちだけがその身に宿す『異能【スキル】』という強大な力に溺れ、過信し、分不相応な野心に心を支配され、結局はサーシャとクレアに殺された龍二たちと同じように。
実際には太一郎には『呪い』の発動条件を迅速的確に分析されてしまったし、また一馬たちの暴走を止める事も出来なかった事から、全く何の抑止力にもなっていなかったのだが。
しかもサーシャの話では、サーシャの手で『呪い』から解放された太一郎に対して、リゲルら大臣たちが『呪い』を再付与すべきだと主張したらしいではないか。
理由はどうあれ、そのような非人道的な行為を平然と行うような者たちに、どうしてシルフィーゼが力を貸してやらないといけないのか。
「ああ、そうだ。私の事ならどれだけ笑ってくれても、誹謗中傷してくれても構わない。私は彼らにそれだけの事をしでかしてしまったのだからな。」
だが、それでも。
「だが姫様が仰ったように今のフォルトニカ王国は、かつてない程の危機に晒されているのだ。魔王カーミラだけではなく、転生術を狙う他国にしてもそうだ。」
そう、復活した魔王カーミラだけが脅威になっているのではない。
フォルトニカ王国だけが独自運用している転生術欲しさに、フォルトニカ王国に侵略しようと企む国々も存在している始末だ。
実際にシリウスも、危うくエリクシル王国の特殊工作部隊に拉致されてしまう所だったのだから。
それに対話を持ち掛けてきたイリヤとアリスを暴走した一馬たちが騙し討ちした挙句、戦場での正当防衛とはいえ太一郎がアリスを殺してしまったのだ。
お礼参りというのは言葉が悪いが、その報復として魔王カーミラがフォルトニカ王国に攻めてこないとも限らないのだ。
特にアリスを殺してしまった太一郎は、猶更その危険に晒されてしまっていると言えるだろう。
「転生者たちは全滅し、生き残った者は太一郎1人だけになってしまった。この機を逃すまいと他国が今も虎視眈々とフォルトニカ王国を狙っている状況だ。このかつてない程の危機を乗り切る為には、どうしても君の力が必要なのだ。」
「言ったでしょう?あんな低俗な人たちの為に、どうして私の力を…。」
「それでもだ!!」
とても真剣な表情で自分を見据えるシリウスに、思わずドキッとしてしまったシルフィーゼ。
「確かに君の言うように、人というのはどこまでも欲深い愚かな生き物だ。それにフォルトニカ王国にもリゲル卿のような、愚劣な者たちがいる事は否定しないよ。」
シリウスもまた一歩も引かない。彼が言うように今の危機的状況を乗り切る為には、シルフィーゼの力がどうしても必要なのだから。
「だがそれでも太一郎は、私とレイナの命を預けるに足る男だ。そして彼ならばフォルトニカ王国を輝かしい未来へと導いてくれるはずだ。いっそ君が王になれと言ったら嫌がられてしまったがな。」
そこでシリウスはシルフィーゼに対して、ある提案をしたのだった。
この世界の人々の愚かさに失望したシルフィーゼが、フォルトニカ王国の宮廷魔術師に復帰する事に、納得してくれるであろう妥協案を。
「どうだろうシルフィーゼ。君が言うような『低俗な連中であるフォルトニカ王国の人々の為』では無く、『太一郎の為に、個人的に』力を貸すというのはどうだろうか。」
「そんな個人的な私情で宮廷魔術師として復帰しろと言うの?私は吝かではないけれど…。」
「君だって彼の事は気に入っていると、先程彼と戦って敗れた時に言っていたじゃないか。君にとって悪くはない話だと思うが?それで構わないでしょうか姫様。」
いきなりシリウスに話を振られたサーシャは、一瞬びっくりしてしまったのだが。
「え、ええ。私はそれでも別に構いませんが…。」
特に反論する事無く、シリウスの提案を了承したのだった。
確かにシリウスの提案にも一理ある。誰だって嫌いな者の為に命を賭けて戦いたくなんか無いだろう。
だったらシルフィーゼが嫌っているフォルトニカ王国の人々の為ではなく、彼女が気に入っている太一郎の為に働いたらどうか、というのがシリウスの提案なのだ。
シリウスの言うように、これならばシルフィーゼにとっても決して悪い話ではないだろうから。
「そうですね、シリウスの言いたい事は分かりました。ならばシルフィーゼさんが宮廷魔術師として復職して下さった際は、太一郎さんの付き人として働いて頂く事にしましょう。かつての明日香さんの時と同じように…どうですか?シルフィーゼさん。」
「私が明日香とツーマンセルを組んでいた時と同じように、フォルトニカ王国の事はどうでもいいから、彼の事を最優先して動いても構わないって事なの?」
「はい、それで構いませんよ。」
「ちょ…(汗)。」
全く何の躊躇いも無く、笑顔であっさりと言い切ってしまったサーシャに、シルフィーゼは思わずぎょっとしてしまったのだった。
国の事なんかどうでもいいから、太一郎の事を最優先に考えて行動しろなどと。
こんな事は一国の王女という公的な立場にあるサーシャが、軽々と口にしていい言葉ではないはずだ。それ位の事はシルフィーゼも理解していた。
いや、サーシャにとって…いいや、フォルトニカ王国にとって、太一郎はそれ程までの大きな、そして信頼に足る存在だとでも言うのか。
「…はぁ…やれやれ。」
『閃光の救世主』と呼ばれているからには、どれ程の物かと思っていたのだが。
まさか一国の王女に、こんなとんでもない事まで言わせる人物だったとは。
確かにシリウスが言うようにフォルトニカ王国の為では無く、太一郎の為に働くというのも悪くは無いかもしれない。
呆れたように深く溜め息をついてから、苦笑いしながらシルフィーゼはサーシャに向き直ったのだった。
「いいわ。シリウスと姫様がここまで言ったんだもの。本日付けで宮廷魔術師として復職してあげる。」
「本当ですか!?ありがとうございます、シルフィーゼさん!!」
「私は今もフォルトニカの為に戦う気にはなれないけれど、太一郎の事は気に入っているもの。彼の力になれるのだったら、私の力を貸してあげてもいいわよ。」
あのシリウスに『私とレイナの命を預けるのに相応しい。』とまで言わせたのだ。
あのサーシャに『国の事なんかどうでもいいですから、太一郎さんの為に働いて下さい。』とまで言わせたのだ。
シルフィーゼは俄然、今も家の外で警戒態勢を敷いている太一郎に興味が湧いてきた。
リゲルのような己の欲を丸出しにするような低俗な者たちの為に、命を賭けて戦うつもりは微塵も無い。
だがシリウスがここまでの信頼を寄せる太一郎が、一体どんな道を歩むのか。どんな未来を切り開くのか。
シルフィーゼはそれを、彼の傍で見てみたくなったのだ。
「感謝します、シルフィーゼさん。では城に戻り次第、人事担当者に諸々(もろもろ)の手続きをさせますね。貴女の住まいに関しても、以前貴女が使っていた城の一室を綺麗に掃除させますので、そこを使って下さい。」
「ええ、それで構わないわよ。」
「給与に関しては、この条件で問題ありませんか?」
サーシャが提示したメモ用紙に書かれた金額を見たシルフィーゼは、特に不満の態度を見せなかったのだが。
「これ、交渉の余地はあるのかしら?」
「御免なさい。お母様からマネーゲームだけは絶対にしないように、シルフィーゼさんがどうしても納得して下さらないなら、今回の件は無かった事にしなさいと、強く念を押されていますので…。」
「そう。ま、当然の話よね。」
サーシャからの返答に、シルフィーゼはあっけらかんと同意したのだった。
確かにフォルトニカ王国の国庫はクレアの善政のお陰で相当潤っているのだが、それでも使える資金には限りがあるのだから。
それにシルフィーゼ1人だけを特別扱いしてしまっては、城で働く他の兵士や職員たちから、
『何で彼女だけが。』
『俺だって頑張ってるのによ。』
などと不満の声が続出し、組織の内部崩壊を引き起こす事にもなりかねない。
シルフィーゼに是が非にも復帰して欲しいのは事実だが、それでも条件の引き上げにだけは絶対に応じる訳にはいかないのだ。
シルフィーゼの実力と過去の実績を考慮し、周囲も納得するであろう条件は提示したが、それで納得して貰えないのであれば、残念だがシルフィーゼの再雇用を諦めるしかない。
それにサーシャにしてもシルフィーゼに対して、決して安い条件を提示したつもりは無いのだから。
そもそも太一郎が近衛騎士として高額の給与を得ているのも、それに見合うだけの凄まじいまでの実績と大活躍を残してくれているからなのであって、だからこそ国中の人々の誰もが、太一郎の給与の額に納得しているのだ。
太一郎が元いた世界でのプロ野球球団『忠実トラフォンズ』の球団社長が、FA宣言をした選手たちに対して、
『君たちは全員うちに残って貰いたい選手だが、マネーゲームだけは絶対にしないからな。提示条件に納得が行かないなら辞めてくれ。』
とまで言い切ったのは、向こうの世界では非常に有名な話なのだが…それと全く同じ事だと言えるだろう。
使える資金には限度があるのだから、条件の上乗せをする訳にはいかないのだ。
シルフィーゼ自身もそんな事は最初から理解しているようで、素直にサーシャに対して笑顔で頷いたのだった。
「いいわ。この条件で契約してあげる。」
「では契約成立ですね。再び貴女の力を貸して頂ける事を、心の底から僥倖に思っていますよ。」
穏やかな笑顔で、互いに握手を交わすサーシャとシルフィーゼだったのだが。
「さっきも言ったけど、私が貴女たちに再び力を貸すのは、太一郎の事が気に入ったからよ。雇用契約を結んだ以上は彼の為に全力を尽くすつもりだけれど、そこだけは勘違いしないでね。」
「ええ。我 が 最 愛 の 夫 、太一郎さんも、きっと喜んで下さる事でしょう。」
物凄い笑顔で全身から漆黒のオーラを放ちながら、そこだけはシルフィーゼに強く念を押すサーシャなのであった…。
次回、イリヤ強襲。
死闘を繰り広げる太一郎とイリヤ。その混乱の最中に魔王カーミラと太一郎が遂に邂逅します。
アリスを殺してしまった太一郎に対して、魔王カーミラが語った事とは…。