第47話:私たちの家に
サーシャとセラフィムの尽力により、無事に『呪い』から解放された太一郎。
馬車の中でサーシャに膝枕されながら、太一郎はサーシャに自らの胸の内を語ります。
そんな太一郎にサーシャが語った事とは…。
ケイトが運転している、王都へと帰還する馬車の中で、サーシャが太一郎を膝枕しながら椅子の上に寝かせていた。
サーシャの温もりに優しく包み込まれながら、太一郎が規則正しい寝息を立てて安らかに眠っている。
その夢心地のまどろみの夢の中で、太一郎は父・雄太と対峙していた。
太一郎が高校生だった頃に、交通事故に巻き込まれて死んだはずの雄太が、そこにいたのだ。
そして太一郎はこれが夢の中だという事を、敏感に感じ取っていた。
あれから自分がどれだけ意識を失っていたのかは分からないが、これが夢だという自覚はしっかりと持っているのだ。
とてもニヤニヤしながら、雄太は太一郎を見つめている。
「親父…。」
「おい太一郎。お前本当にうらやまけしからん奴だな。こんな可愛い女の子に膝枕されるなんてよ。」
「感動の再会の第一声がそれかよ。」
深く溜め息をつきながら、呆れたような表情で雄太を見つめる太一郎。
「全て見ていたよ。お前がこの異世界に飛ばされてから3か月もの間、お前と真由の事をずっとな。」
「見てたのかよ。つーか何で親父がここにいるんだよ?」
「別にいいじゃねえか。細けぇ事は気にすんな。」
「まさか親父も、この異世界に転生してたとかいうオチじゃないだろうな?」
太一郎の質問に応えず、雄太もまた深く溜め息をつき、今度は真剣な表情で真っ直ぐに太一郎を見つめる。
「…真由の件については、本当に残念だったな。」
「…ああ。」
「だがな、あれは事故のような物だ。お前が悪い訳じゃねえ。全ては一馬の責任だ。それだけは絶対に忘れるな。お前が責任を負うような事じゃねえんだ。」
イリヤやアリスとの対話が成立しかけていたというのに、一馬の暴走が引き金となって、最悪の結末を招いてしまった。
そう、悪いのは全て一馬だ。一馬が全てを台無しにしてしまったのだ。
太一郎が真由を守り切れなかったのは事実だが、その責任は太一郎には無いし、必要以上に責任を感じる必要など無いのだ。それを雄太は太一郎に忠告しているのだ。
太一郎がいつまでも真由の死を、引きずらないようにする為に。
「だからよ。いつまでも背負い込むなよ?な?」
「それ位の事は僕も分かってるよ。親父。」
そしてそれは、太一郎とて理解していた。胸の内に刻み込んでいた。
そう、いつまでも真由の死を背負い込んでなどいられない。
太一郎は死んでしまった真由の分まで、真由の命と託された『異能【スキル】』を無駄にしない為にも、これからもこの異世界で生き続けなければならないのだ。
生きる事。それが今の太一郎に出来る、守り切れなかった真由に対しての、精一杯の償いなのだから。
「それでよ。お前これからどうするんだ?騎士団に残るのか?それとも辞めるのか?」
「それは…。」
「ま、どうせお前には女王様から多額の慰謝料が出るだろうし、金なんか無くても転生者の特権で衣食住がタダで手に入る身分だからな。騎士団を辞めた所で、いきなり路頭に迷うなんて事はねえだろうけどよ。」
「何だよ親父。僕に騎士団を辞めろって言いたいのか?」
その件に関しては、恐らく王都に帰還して太一郎の体調が万全の状態に戻ってから、サーシャとクレアを交えた上で、3人で腰を据えて話し合いをする機会が設けられるはずだ。
何しろシリウスが太一郎たち転生者に対して『呪い』を掛けるなどという、非人道的な行為をやらかしたのだ。
実際に太一郎も真由も3ヶ月もの間、『呪い』のせいで散々苦しめられ、生き地獄を味合わされ続けたのだから。
ここまでされた以上は、もうサーシャもクレアも太一郎に対して、この国の人々の為に戦ってくれなどとは、口が裂けても言えないだろう。
仮に太一郎がブチ切れて騎士団を辞めると言い出しても、最早2人には太一郎を慰留する権利も資格も無いはずだ。
シリウスはそれだけの事を、太一郎たちにしでかしてしまったのだから。
「お前の父親としての意見を言わせて貰うけどよ。俺はお前には即刻騎士団を辞めちまえと言いたいわ。」
「だろうな。親父なら絶対そう言うと思ったよ。」
「当たり前だろうが。俺が心の底から愛している可愛い息子を、あそこまで酷い目に合わされたんだぞ?」
「おえええええええええええええええっ(泣)!!」
「おいおい、それが息子に愛情を向ける親に対する態度か?あ?」
一瞬アッーな事を想像してしまった太一郎なのであった…。
い、いかん、それを想像したら、また吐き気が…。
おぶええええええええええええええええええええええええええっ!!
「ま、そんな減らず口を叩ける余裕があるってんなら、もう大丈夫そうだな。」
「まあ冗談はさておき、それに関しては僕の中で、もう既に答えは出ているよ。」
「そうか。ま、後悔だけはしないようにな。お前はしっかりしてるから、恐らく大丈夫だとは思うが。」
とても穏やかな笑顔で、太一郎を見据える雄太だったのだが。
「それとな、太一郎。これは物凄く重要な話なんだけどよ。」
だが次の瞬間雄太は、太一郎が全く想定していなかった事を口走ったのだった。
「瑠璃亜はこの異世界のどこかにいるはずだ。だからこそお前と真由が、フォルトニカ王国に転生させられるという奇跡が起きた。」
「何だって!?」
瑠璃亜が生きている。この異世界のどこかにいる。
まさかの雄太の言葉に、愕然としてしまう太一郎。
無理も無いだろう。シリウスが言っていたのだ。転生術はフォルトニカ王国だけが独自運用に成功している代物で、クレアの判断で門外不出にしているのだと。
そしてシリウスが召喚したのは太一郎たち10人だけで、転生術の再発動には最低でも半年は掛かるのだと。
だからこそ瑠璃亜がこの異世界に転生させられるなど、絶対に有り得ない事だと思っていたのに。
「馬鹿な!?母さんもこの異世界に飛ばされたっていうのか!?一体どういう事なんだ!?母さんは今一体どこにいるんだ!?」
「分からん(笑)。」
「分からん(泣)!?」
雄太の姿が、どんどん希薄になっていく。
それと同時に、自分が夢から覚めていくのを、太一郎は敏感に感じ取っていた。
「おっと、そろそろお前のお目覚めの時間だな。お前と姫様がイチャイチャするのをこれ以上邪魔するのも悪いからよ。俺はこの辺で失礼するわ。じゃあなー(笑)。」
それだけ告げて、爆笑しながら雄太は突然消え失せてしまったのだった。
「おい、ふざけるなよ!!肝心な事は何も言わずに消えやがって!!せめて母さんがどこにいるのか位は教えやがれ!!」
まどろみに包まれていた太一郎の意識が、現実へと引き戻されていく。
雄太がいた場所に必死に手を伸ばす太一郎だったのだが、それも虚しく太一郎の意識が急激に現実へと引き戻されていく。
「親父!!おい待てよ!!このクソ親父がぁっ!!」
温かな光に包まれながら、太一郎は静かに目を覚ましたのだった。
そして。
「…この…クソ…親父が…っ!?」
寝言を呟きながら、うっすらと目を覚ました太一郎の目の前にいたのは…とても穏やかな笑顔で自分を見つめているサーシャの姿。
「もう。太一郎さん、私は貴方のクソ親父などではありませんよ?」
「サ…サーシャ…!?」
「うふふ。」
最後の雄太への罵声が寝言となって、サーシャに聞かれてしまっていたのだ。
その事実に急激に恥ずかしくなってしまい、思わず顔を赤らめてしまう太一郎。
そんな太一郎の可愛らしい表情を、サーシャが苦笑いしながら見つめている。
「…ここは…?」
「馬車の中です。今、王都に戻る所ですよ。」
「そうか…僕はどれ位寝ていたのかな?」
「1時間程です。ぐっすりとお休みになられてましたよ。」
サーシャの膝枕の感触と温もりが、何だかとても心地良い。
ケイトが太一郎に気を遣って、穏やかに馬車を走らせてくれているお陰で、太一郎はとても快適にサーシャに身をゆだねる事が出来ていた。
カタンコトンと規則正しい音を響かせながら、ケイトが走らせる馬車が穏やかに王都への道を走っていく。
当然この異世界にアスファルトなんてある訳が無く、舗装されていない道なので、石ころとか踏んだ馬車がたまに揺れるのだが、それでもケイトの運転のお陰で、太一郎はそれ程不快さは感じなかった。
向こうの世界での自動車と同様に、馬車の運転には運転手の性格が出る物なのだ。
「…ぐっ…!!」
「まだ寝てなきゃ駄目ですよ。大人しく私の膝枕を堪能してて下さい(笑)。」
起き上がろうとして全身に激痛が走った太一郎を、サーシャが優しく膝の上に寝かせたのだった。
エキドナの暗黒魔法によってサーシャの回復魔法が阻害されてしまっている状態で、さらに身体に負担の掛かる『潜在能力解放【トランザム】』の『異能【スキル】』を発動してしまったのだ。
自分の身体がこうなる事は、当然太一郎も想定はしていたのだが。
「御免なさいね。『呪い』を除去したら私の魔力がすっからかんになってしまったので、太一郎さんの身体を蝕んでいる暗黒魔法の浄化は、明日まで待って貰えますか?」
「別に構わないよ。歩けない程じゃないし、この程度なら自力で治せるからね。」
ただの全身筋肉痛だ。そこまで酷い症状ではない。
自分の身体の事、それに『潜在能力解放【トランザム】』の特性をしっかりと理解していた事もあり、太一郎もそれ位の事は理解していた。
サーシャに暗黒魔法を除去して貰わずとも、この程度ならば安静にしていれば、数日あれば完治してしまうだろう。
「サーシャ。これから君に大切な話があるんだけど…。」
一度深く深呼吸をした後、サーシャの膝枕に身を委ねながら、太一郎はとても真剣な表情でサーシャを見つめたのだった。
サーシャもまた、とても穏やかな笑顔で、太一郎をじっ…と見つめる。
「はい、何ですか?」
「これから僕は君に対して、一切の隠し事はしないと約束するよ。君とセラフィムのお陰で、もうそんな必要は無くなったからさ。」
シリウスに『呪い』を掛けられてしまっていた以上、太一郎は真由たちが『呪い』によって苦しめられる事を防ぐ為、サーシャに対して色々と隠し事をせざるを得なくなっていた。
だがその『呪い』はサーシャとセラフィムによって、無事に消滅させられたのだ。
だからもう太一郎がサーシャに対して何を話そうが、もう『呪い』に苦しめられる事は無い…隠し事をする必要が無くなったのだ。
そしてサーシャの膝枕の温もりに包まれながら、太一郎はサーシャに全てを話した。
自分たち転生者に『呪い』を掛けたシリウスに対して復讐を企て、これまでシリウスに対して悪質な嫌がらせを繰り返してきた事。
そして自分たちに掛けられた『呪い』を解く為に、サーシャやクレアの信頼を得なければならないと思っていた事。
その為にシリウスに命じられるまま、敢えて命懸けの戦いの中に身を置き続けていた事。
この2人の信頼を得られれば王都や城で動きやすくなるし、サーシャやクレアからの命令で、シリウス自身の手で『呪い』を解かせる事も可能になるからだと判断した事。
そしてサーシャとクレアには極秘で、『呪い』を解く切り札となる聖剣ティルフィングの入手を企て、聖地レイテルに安置されている事も突き止めていたのだが、既にイリヤとアリスに先を越されてしまっていた事。
さらに一馬がサーシャとクレアの抹殺と、フォルトニカ王国の支配を企んでいた事。
その為にエルダードラゴンをわざと怒らせ、サーシャとの対話が不可能な状況に追い込み、互いに殺し合いをさせて潰し合わせ、生き残った方を殺すつもりだった事。
一馬たちは太一郎が倒したが、そんな中で突然現れたイリヤとアリスに対話を持ち掛けられるものの、一馬の暴走のせいでイリヤとアリスの怒りを買ってしまい、対話が破談に終わり交戦状態に陥り、真由も一馬たちもイリヤとアリスに殺された事。
アリスは死闘の末に太一郎が殺し、イリヤも殺す寸前まで追い詰めたものの、突然現れたエキドナに負傷させられ、聖剣ティルフィングもエキドナに奪われてしまった事。
そして夢の中に出てきた父・雄太が、太一郎の母・瑠璃亜がこの異世界のどこかにいると告げた後に、消えてしまった事。
それら全てを、一切の嘘偽りも無く100億%馬鹿正直に、太一郎はサーシャに話したのだった。
太一郎の話をサーシャは、太一郎を優しく見つめながら、静かに耳を傾けている。
「一馬は僕に言っていたよ。僕のやり方は微温過ぎる、本気でシリウスに復讐する気があるのかってね。シリウスも君も女王陛下も、皆ぶっ殺せば済むだけの話だとも言っていたよ。」
サーシャから視線を外し、太一郎は静かに物思いに耽る。
そしてあの時の一馬の言葉を、苦々しい表情で噛み締めていたのだった。
「一馬が言っていたように、僕のやり方は微温かったのかな?」
サーシャの膝枕に優しく包み込まれながら、太一郎は自戒する。
一馬の言うように、皆ぶっ殺せば済む話だったのかと。
「僕が最初から君や女王陛下を本気で殺すつもりで立ち回っていたら、あるいは結末が変わっていたのかな?真由たちは死なずに済んだのかな?」
君を殺していれば…太一郎のその言葉にさえもサーシャは全く動揺する事無く、ただ静かに耳を傾けている。
そして太一郎は自らが発したこの言葉を、一馬が太一郎に忠告していた事を、即座に否定したのだった。
「いや、それでは駄目なんだ。仮にそれで結果的に『呪い』を解く事が出来たとしても、怒りと憎しみの連鎖が増えるだけだ。それで一体何が残るっていうんだ。」
殺したから憎まれて、殺されて、憎んで、殺して、恨まれて、また殺されて。
それで『呪い』を解く事が出来た所で、果たして一体何が残るというのか。
一馬は皆ぶっ殺せば済む話だと太一郎に言っていたが、やはりそれでは駄目なのだ。
「じゃあ僕は一体どうしたら良かったんだろう?どうしたら真由たちを死なせずに済んだんだろう?」
警察官だった頃もそうだが、こういう仕事をしていると、太一郎は本当に後悔ばかりだ。
あの時、もっと上手く立ち回っていれば、被害者を減らす事が出来たのではないのか。
どうすれば、犯人を取り逃がさずに済んだのか。
あそこで判断を誤らなければ、守れる命もあったのではないのか。救える命もあったのではないのか。
「どうしてこんな事になってしまったんだろう…どうして僕だけがこうして生きているんだろう…ただ1人無様に生き残って、生き恥を晒してしまって…僕は…。」
転生者たちは全滅し、太一郎だけが唯一の生存者となってしまった。
この最悪の結末を、一体どうしたら防ぐ事が出来たのか。
一体どうしたら、真由たちを死なせずに済んだのか。
そうやってぐるぐるぐるぐると、後悔ばかりが太一郎の頭を駆け巡る。
だが、それでも。
「太一郎さん。聞こえますか?心から貴方を心配する村人たちの声が。」
そんな太一郎に、サーシャが優しく声を掛けたのだった。
いつの間にか近隣の村の人々が、唯一の生存者で意識不明の重体になったと報じられた太一郎を心配し、こうして馬車の周りに集まってきていたのだ。
「おい近衛騎士の姉ちゃん!!『閃光』の兄ちゃんは本当に大丈夫なんだろうな!?」
「あいつがボロボロになったって聞かされて、俺ぁ心配で心配でよぉ!!」
「俺たちはあの兄ちゃんに命を救われたんだ!!家も畑も守って貰ったんだ!!だから俺たちに何か出来る事はねえか!?」
一斉に集まって来た村人たちに道を塞がれてしまい、馬車を止めて困惑するケイト。
「ちょ、皆さんお願いですから道を開けて下さい!!お気持ちは分かりますが、太一郎殿ならご無事ですから!!ちゃんと生きてますから!!」
「お~い、兄ちゃん!!しっかり治して、また元気な姿を俺らに見せてくれよな!!」
「お願いですから道を塞がないで下さい!!王都に戻ったら城の医療スタッフに、ちゃんと精密検査をさせますから!!命の心配は要らないと姫様も仰っておられますから!!」
「俺らは待ってるからな!!ちゃんと怪我を治して、この村に遊びに来いよ!?」
誰もが太一郎の身を案じ、心配そうに馬車の中の太一郎に声を掛けてくる。
やがて「邪魔だから早くどけ」と遠回しに語るケイトの言葉に、村人たちの誰もが納得したのか、再び馬車はゆっくりと動き出したのだった。
確かに太一郎の耳にも届いていた。村人たちが自分を気遣う声が。
自分の無事をケイトに聞かされ、誰もが安堵し、喜ぶ声が。
「確かに貴方はシリウスに『呪い』を掛けられ、戦う事を強要され続けていたのかもしれない…ですが貴方はそれでも、これだけ大勢の人々の命を救って下さったのですよ?これだけ大勢の人々に感謝されているのですよ?」
そう、これまでの3ヶ月にも渡る太一郎の戦いは、決して無駄では無かったのだ。
確かに太一郎は、真由たちを死なせてしまった。
だがそれでも太一郎によって救われた命が、こうして数多く存在しているのだ。
例え太一郎の戦いが、『呪い』によってシリウスに強要されていた物だったとしても。
太一郎が多くの人々を救ったという事実だけは、決して揺るぎようが無いのだ。
太一郎がこの異世界に来てくれなかったら、この国は本当に今頃どうなっていたのか。
それを思うとサーシャは、改めて心の底からゾッとしたのだった。
「それに貴方は確かに『呪い』を解く為に、私とお母様の信頼を得るのに必死だったのかもしれない。ですがそんな事とは関係無く、貴方が私に優しくして下さったのは、決して外面などでは無かったのでしょう?」
「それは…だけどサーシャ、僕は…。」
「それと、今から私は太一郎さんに物凄~く大事な話をしますから、ちゃんと私の目を見て話を聞いて下さいね。」
太一郎の頬を優しく両手で包み込み、自分から視線を逸らして物思いに耽っていた太一郎の顔を、無理矢理自分に向けさせたサーシャ。
困惑する太一郎に、サーシャは穏やかな笑顔を見せたのだが。
太一郎の頬を両手で優しく包み込んだまま、サーシャは太一郎に語り掛ける。
そのサーシャの両手の感触が、何だかとても温かくて、くすぐったい。
「私はね、太一郎さん。3か月前のあの謁見で、初めて貴方を見た時…あ、結構かっこいい人かもって…そんな程度の認識でしか無かったんです。」
自分の存在を太一郎に刻み込むかのように、太一郎を深く、深く、じっ…と見つめ続けるサーシャ。
「あの時は私が貴方に対して、まさかこんな想いを抱く事になるなんて、正直思っていませんでした。」
潤んだ瞳で、サーシャは太一郎を見つめ続けている。
そんなサーシャから、太一郎は視線を逸らす事が出来ない。
いや、サーシャに両手で頬を包まれて、物理的に視線を逸らせないんだけれども。
「貴方と毎日接している内に、私は貴方の優しさにどんどん惹かれていった…この気持ちは日を追う毎に、どんどん大きくなっていったんです。だから私は貴方が兵士たちにキャバクラに連れていかれた時、心の底からプンスカしてたんですよ(笑)?」
「…君は一体何を言ってるんだ?」
鈍感な太一郎は、サーシャの言葉の意味を全然理解出来ていなかったのだが。
そんな太一郎の鈍感さに、ここまで言っても分からないのかと、思わず苦笑いしてしまったサーシャだったのだが。
やがてサーシャは自らの想いを、はっきりと太一郎に告白したのだった。
「好きです。太一郎さん。こんな私でも、貴方の妻にして頂けますか?」
「…は?」
好き。好きとは。
妻。妻とは。
一瞬、頭が真っ白になってしまい、思わずポカーン( ゜д゜)となってしまった太一郎だったのだが。
「…はあああああああああああああああああああああああああああ!?」
すぐにサーシャの言葉の意味を理解し、仰天してしまったのだった…。
「いやいやいやいやいやいやいや!!いやいやいやいやいやいやいやいやいや!!いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!」
「そんなに私を妻に娶るのが嫌ですか?」
「いやそういう事じゃなくて、いや僕はむしろ…痛い痛い痛い痛い痛い(泣)!!」
「ほら、まだ寝てなきゃ駄目ですよ。」
慌てて起き上がろうとして全身に激痛が走った太一郎を、再びサーシャが膝枕して寝かせたのだが。
普段は冷静沈着で聡明な太一郎が、もう完全に取り乱してしまっていたのだった…。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょちょちょちょちょ、ちょっと待ってくれ!!僕の事が好きとか…て言うか…妻あああああああああああああああああああああああ!?」
と言うか、いきなり妻にしろとか、無茶苦茶話がぶっ飛んでるような気がするのだが。
太一郎が住んでいた向こうの世界では、絶対に有り得ない事だ。
もしかしてフォルトニカ王国では告白してきた女性を、友達も恋人もすっ飛ばして妻にするのが常識なのだろうか…。
王都に戻ったら、取り敢えず精密検査を受ける時に、医療スタッフにでも聞いてみよう。
「マジで!?」
「マジで。」
一応念の為に再確認をした太一郎に向けて、きしし、と、年相応の笑顔を見せるサーシャ。
「サ、サーシャ!!僕に同情しているのか!?それとも贖罪のつもりで、僕にそんな事を言っているのか!?だ、だったら僕は…っ!?」
言い掛けた太一郎の口を、サーシャの右手人差し指が優しく塞いだのだった。
「むぐぐ(泣)!?」
「私がそんな安い女に見えましたか?大体私は貴方だからこそ、『呪い』を解く為にキスをする選択をしたんですよ?一馬さんたちだったら口の中にマジックポーションを突っ込んだ状態で、パーフェクト・キャンセレーションを使ってましたよ。」
酷い言われ様である。
「真面目な話、あの程度の『呪い』を解くだけなら、別にキスする必要は無かったんですけどね。単に口移しで私の魔力を直接体内に流し込んだ方が、効率が良かったっていうだけの話です。」
「そ、そうなんだ…。」
「私だって、好きでもない人にキスするなんて絶対に嫌ですよ。言っておきますけど私は聖女なんかじゃありませんからね?貴方だからキスしたんですから。」
いや、確かにサーシャの気持ちは嬉しい。嬉しいのだが。
本当にいいのだろうか。許されるのだろうか。
世間がそれを、許してくれるのだろうか。
そう…太一郎とサーシャとでは、あまりにも身分が違い過ぎるのだから。
だが、それでも。
「いやでもさ、僕はたかだか騎士団に所属する一兵士でしか無いし、君は王族の娘として、そのうちどこかに政略結婚する事になるんじゃ…。」
「確かに大臣たちの中には、私の婚約者候補だとか勝手に名乗っている人たちが、何人かいますけどね。ですが私は貴方とじゃなきゃ結婚しません。これだけは、はっきりと言っておきますからね?」
そんな太一郎の懸念さえも、サーシャはあっさりと吹き飛ばしてしまったのだった。
「返事は今すぐでなくとも構いませんよ。ゆっくり考えて下さいね。」
太一郎から視線を外し、窓から外の景色を見ながら、サーシャは静かに太一郎に語り掛ける。
今、自分が膝枕している太一郎が命懸けで戦って守り抜いてくれた、このフォルトニカ王国の平和で美しい、自然豊かな光景を見つめながら。
「ですが、今は帰りましょう。王都に…私たちの家に。」
「…私たちの家に…か…。」
サーシャの言葉に太一郎は、思わず感慨深い気持ちで一杯になってしまった。
そして目からうっすらと涙を浮かべながら、太一郎は静かに目を閉じて、自分が今生きているのだという事を改めて実感したのだった。
「…うん…そうだね、サーシャ…帰ろう…。」
こうして聖地レイテル調査任務は失敗に終わり、聖剣ティルフィングもエキドナに奪取されてしまった。
エルダードラゴンとの交渉は一馬たちの謀反と暴走により失敗。近隣住民を守る為に、サーシャとケイトによって討伐せざるを得なくなってしまう。
また太一郎たち転生者に対してイリヤとアリスが、魔王カーミラの命を受けて交渉を持ち掛けるものの、こちらも一馬たちの暴走が引き金となり決裂。
その結果、互いに殺し合う…と言うよりもイリヤとアリスによる一方的な虐殺劇を招く事態に陥ってしまい、転生者たちは全滅、太一郎以外の全員が死亡。
魔王軍側もアリスが太一郎との戦いで戦死するという、凄惨な結果を招いてしまう。
この一件は瞬く間に世界中へと広まり、この異世界はさらなる混迷の渦へと飲み込まれる事になるのである。
何故こんな事になってしまったのか。一体どこで間違えてしまったのか。
一体どうすれば、こんな凄惨な結末を変える事が出来たのか。
だがそれでも起きてしまった事は、もうどうにもならない。
真由たち転生者たちは全滅した。アリスも死んだ。
この残酷な事実だけは、最早どう足掻いても覆す事は出来ないのだから。
だからこそ太一郎もサーシャもケイトも、この聖地レイテル調査任務で無事に生き残り、こうして命を繋いだ以上、死んでいった真由たちの分まで精一杯生きていかなければならないのだ。
あの時、『呪い』が太一郎に警告したように、このまま王都に戻った所で、太一郎に明るい未来など無いのかもしれない。
自分の存在を疎ましく思っている大臣たちによって、理不尽な破滅を招く事になるだけなのかもしれない。
だけど、自分が決してそんな事はさせない…サーシャはその決意を改めて胸に秘めたのだった。
そして太一郎もまた、このまま易々と破滅させられるつもりは微塵も無かった。
死んでしまった真由の分まで、精一杯生きると…太一郎は心に決めたのだから。
だから、今は帰ろう。王都に。自分とサーシャの家に。
今頃はクレアが自分たちの無事を心から願い、自分たちの帰還を心から待ち続けてくれているはずだから。
その想いを胸に秘め、太一郎はサーシャの膝枕に優しく包み込まれながら、ケイトが運転する馬車に乗せられ、王都へと帰還していったのだった。
次回で第6章完結です。
舞台は再びパンデモニウムへ。
アリスの葬儀に駆けつけてきたラインハルトとセレーネは、魔王カーミラやエキドナと共に、イリヤの元に向かうのですが…。