第26話:交わらない想い
今回の舞台はパンデモニウム城。
定例会議の最中、専守防衛を掲げる魔王カーミラを「甘い」と罵るドノヴァン。
真っ向から食い違う魔王カーミラとドノヴァンの意見。紛糾する会議ですが、果たしてどうなるのか…。
ラインハルトらサザーランド王国騎士団の襲撃を受けた魔都パンデモニウムだったが、それでもラインハルトが民間人や建物に一切の被害を出さなかった事もあり、城下町が受けた被害は全くの皆無だった。
民間人に死傷者が1人もおらず、損傷や倒壊の被害にあった建物も存在しない。
お陰でパンデモニウムの魔族たちは、襲撃を受けた直後であるにも関わらず、これまでと全く変わらない日常を送る事が出来ていた。
だがラインハルトがどれだけ民間人に被害を出さないように気を遣おうが、それでも人間たちに対して怒りと憎しみの感情を持つ魔族たちも少なくない。
サザーランド王国だけではない。周辺の国々の幾つかが正義の名を振りかざし、幾度にも渡ってパンデモニウムへと武力介入を行っているものの、その度に魔王軍の必死の抵抗により返り討ちにされてしまっているのだ。
先代の魔王カーミラとは正反対の、慈愛と母性に満ち溢れた魔王カーミラを慕う魔族たちは確かに多いのだが、それでも無益な殺生を嫌い、専守防衛を掲げる彼女を「甘い」と罵る魔族たちも決して少なくはない。
そして、翌日の朝9時。
パンデモニウム城の会議室において行われている、魔族の上層部たちが集結した定例会議において、ドノヴァンが顔を真っ赤にしながら魔王カーミラに食ってかかっていた。
「微温い!!微温い微温い!!微温い微温い微温い微温い微温い!!」
「そんなにエステリーゼが淹れてくれた紅茶が微温かったの?ドノヴァン。」
「そうではありませぬ!!カーミラ様の仰る事はあまりにも微温過ぎると言っているのですぞ!!」
机を派手にバン!!と叩き、魔王カーミラを睨みつけるドノヴァン。
周囲のメイドの女性たちがドノヴァンの怒声と圧力に思わず怯えてしまうが、魔王カーミラはドノヴァンに決して怯む事無く、毅然とした態度で椅子に座りながら、興奮しているドノヴァンをじっ…と見据えている。
「サザーランド王国騎士団が敗走した今こそ、奴らが体勢を立て直す前に、こちらから追撃をかけるべきですぞ!!」
「それは決して許さないと言ったはずよ?私が掲げる理念は、あくまでも『専守防衛』…こちらから人間たちに手を出す事は絶対に許しません。」
「そんな甘い考えで、このパンデモニウムを守れるとお思いか!?そもそも汚らわしい人間共などに、何故我々が気を遣わなければならんのだぁっ!?」
「ただ闇雲に武力を振りかざすだけでは、貴方が言う『汚らわしい人間共』と何も変わりはしないわよ?」
真っ向から互いの意見を対立させ合う、ドノヴァンと魔王カーミラ。
サザーランド王国に追撃をかけるべきだというドノヴァンに対し、魔王カーミラは無益な争いを避け、あくまでも『専守防衛』に徹するべきだと主張しているのだ。
そんな魔王カーミラを、侮蔑に満ちた表情で睨みつけるドノヴァン。
とても部下が上司に対して向けるべき視線ではないのだが…ドノヴァンが魔王カーミラをどう思っているのかという事を、明確に現わしてしまっていると言えるだろう。
だが魔王カーミラとて、ドノヴァンの気持ちは充分に理解しているつもりだ。
これまでに5度にも渡ってサザーランド王国騎士団からの侵略行為を受けているからには、こちらから攻勢に出てサザーランド王国その物を潰してしまうべきだと…その主張は政略上、決して間違っている主張や判断だとは言えないのだ。
それに魔王カーミラがこの世界に転生させられる前の話になるが、ドノヴァンは人間たちに家族や友人、恋人を皆殺しにされた事があったらしい。
それだけにドノヴァンが人間たちを憎む気持ちは、魔王カーミラも痛い程理解していた。
それを分かった上で魔王カーミラは、血気溢れるドノヴァンをたしなめているのだ。
向こうから仕掛けるならば決して容赦はしないが、あくまでも人間たちとの無用な争いを避け、専守防衛を貫くべきだと。
殺したから殺して、殺されたから殺されて、互いを憎んで憎んで憎しみ合って、その果てに一体何が残るというのだろうか。それを魔王カーミラは懸念しているのだ。
そんな魔王カーミラを「甘い」と罵る魔族たちが大勢いる事も、魔王カーミラ自身も充分に承知している。
その上で自分の理想を曲げるつもりは、魔王カーミラは微塵も持ち合わせてはいなかった。
それに魔王カーミラの懸念は、それだけではない。
「そもそも私は専守防衛を掲げるって書いた親書を、昨日ラインハルト君に託したばかりなのよ?それをこちらから破ったりしたら、一体どうなると思うの?」
そう…親書とは、国が国に対して送る公式文書だ。
それ故にその文面は非常に『重い』代物であり、それを送った側が一方的に破るというのは、重篤な国際問題にもなりかねないのだ。
魔王カーミラは、既にラインハルトに
「こちらから人間たちに手出しをするつもりは無いが、そちらから攻撃を仕掛けるのなら一切容赦はしない。」
という内容の親書を、既にラインハルトに託してしまっている。
ラインハルトが親書を無くしてしまったというのであれば、まだ有耶無耶に出来るだろうが…それでもあれだけ有能なラインハルトだ。そこまで馬鹿ではないだろう。
にも関わらず、魔王カーミラがサザーランド王国に対しての武力介入をドノヴァンたちに命じようものなら、一体どうなるのか。
やはり魔王カーミラは親書破りを平気でするような危険な存在だと、パンデモニウムの魔族たちを放置しておくわけにはいかないと、世界中の人間たちから危険視される事にもなりかねないのだ。
特に魔王カーミラが警戒しているのが、『閃光の救世主』を擁するフォルトニカ王国だ。
こちらから武力介入をしていない現状では、静観の構えを見せているようだが…もし完全に敵に回すような事態になってしまったら、一体どれだけの凄惨な戦いになってしまうのか。
魔王カーミラは『閃光の救世主』の事はよく知らないが、それでも凄まじいまでの剣術の達人だという事は、部下たちから話だけは聞かされている。
出来れば敵に回したくないというのが、正直な心情なのだ。
睨み合う魔王カーミラとドノヴァンを、アリスがイリヤの身体にしがみつきながら、オロオロしながら不安そうな表情で見つめている。
そのイリヤは腕組みをしながら、興奮するドノヴァンを呆れたような表情で侮蔑してしまっているのだった。
「先代のカーミラだったあの男は、人間たちだけでなく我々魔族さえも奴隷にするような、どうしようもない下衆な男だった…!!」
歯軋りしながら、ドノヴァンは先代の魔王カーミラの事を思い浮かべていた。
今、目の前にいる魔王カーミラとは正反対の、まさしく外道という言葉をそっくりそのまま体現したかのような、あまりにも愚劣極まりない男の事を。
「あの男に比べれば、確かに貴女はまだマシだ!!だがそれでも貴女は腑抜け過ぎる!!専守防衛!?平和主義!?ふざけるのも大概にして頂けませぬか!?」
「ドノヴァン卿、暴言が過ぎるのではないですか?カーミラ様の御前ですよ?」
「俺は事実を言ったまでの事だ!!新参者如きが余計な口を挟むなエキドナぁっ!!」
魔王カーミラを庇うエキドナに対し、興奮しながら食って掛かるドノヴァン。
「我々は薄汚い人間共を根絶やしにする為に、転生術で貴女を魔王カーミラとして召喚したのですぞ!?それなのに貴女はぁっ!!」
「それはドノヴァン卿の勝手な都合でしょう?カーミラ様は決してドノヴァン卿のマリオネット(人形)などではありません。カーミラ様にはカーミラ様のご意思という物があるのですよ?」
「それがどうした!?魔王たる者、魔王としての責務を果たすべき!!俺は当たり前の事を言っているだけだぁっ!!」
遂に堪忍袋の緒が切れたドノヴァンが魔王カーミラに食ってかかろうとしたのだが、そこへイリヤとアリスが魔剣ヴァジュラとグレートソードを、ドノヴァンの首筋に突き付けたのだった。
2人がドノヴァンに向けたのは、凄まじいまでの「圧力」。
そのプレッシャーの前に、思わずドノヴァンは動きを止めてしまったのだが。
「アンタ今、カーミラに何しようとしたのよ?」
「あ、あのあの、カーミラ様を傷つけるのなら、その、絶対に許しません…!!」
「き、貴様ら…!!この俺にこんな真似をして、只で済むとでも思ってい」
見かねた魔王カーミラが、さらに凄まじい「圧力」を3人に向けて放ったのだった。
「めっ!!」
威風堂々と毅然とした態度で椅子に座したまま、ドノヴァンたちを「圧力」だけで無理矢理黙らせた魔王カーミラ。
これだけでも魔王カーミラが、相当な実力者だという事が理解出来るだろう。
深く溜め息をつきながら、魔王カーミラは唖然とした3人を見つめている。
「アリス、イリヤ。私の事を守ろうとしてくれてありがとね。だけど今の状況で、私たちが味方同士で争い合ってどうするの?」
「あわわわわ、あわわわわわわ、あわわわわわわわわ(泣)!!」
「だって、この馬鹿がアンタを襲おうとしたから…。」
不貞腐れた表情で武器を鞘に収め、椅子に座り直すアリスとイリヤ。
その場に取り残されたドノヴァンが、魔王カーミラが放った「圧力」の前に立ちつくしながら、唖然とした表情で魔王カーミラを睨みつけている。
「ドノヴァン。貴方の気持ちは私も理解しているつもりよ。だけど私の意志は変わらないわ。向こうから攻めてこない限りは、こちらから人間たちに手出しをする事は決して許しません。いいわね?」
「ぐっ…!!この甘ちゃん魔王が!!貴女がそのザマでは、いずれこのパンデモニウムの魔族たちは奈落の底に落とされる事になりますぞ!!」
「そうさせない為に、私たちが今ここにいるのよ。」
「もう良いわ!!これ以上は議論の無駄だ!!俺は俺で好きにやらせて貰うわぁっ!!」
それだけ吐き捨てて、その場を去っていくドノヴァン。
去り際に魔王カーミラに対し、クズ魔王だとか侮蔑の言葉を残しながら。
「あいつ、まだあんな事を…!!」
「良いのよイリヤ。彼が私に対して怒るのは当然よ。それは理解しているわ。」
「カーミラ、アンタ…。」
人間たちに家族や友人、恋人を皆殺しにされ、人間たちに対しての強い憎しみの心を持つドノヴァンが、魔王カーミラに「絶対にこちらから手を出すな」と命令されたのだ。
それを納得出来ないというドノヴァンの主張は当然の事だと、魔王カーミラも重々承知しているつもりだ。
いや、ドノヴァンだけではない。彼と同じように人間たちに対して、強い怒りと憎しみの心を抱く魔族たちが大勢いるという事も、魔王カーミラは充分に理解していた。
それを理解した上で、魔王カーミラは自分の理想を曲げるつもりは毛頭無いのだ。
専守防衛を貫き通し、こちらから人間たちに対して決して危害は加えない。
だがそれでも、向こうから仕掛けるというのであれば、決して容赦はしないと。
確かにドノヴァンの言う通りだ。魔王カーミラにはパンデモニウムの魔族たちを守る責務があるのだから。
それにしても、魔王カーミラは改めて思う。
何でこんな事になってしまったのかと。何で自分が魔王なんかになってしまったのかと。
この世界に転生する前は、向こうの世界ではただの保険会社の営業ウーマンでしかなかったというのに。
普通に働いて、人並みの給料を得て、平凡な日々を送っていただけだったというのに。
それなのに交通事故で死んでしまったと思ったら、いきなり魔王呼ばわりだ。
世の中本当に、何が起こるか分かった物では無い。
だがそれでも魔王カーミラがパンデモニウムの魔族たちを、人間たちの理不尽な迫害から守りたいと願う気持ちは本物だ。
パンデモニウムの魔族たちは、いきなりこの世界に転生させられて右も左も分からない魔王カーミラに気を遣ってくれて、全力で支えてくれたのだから。
彼らは魔族だというだけで、別に何か罪を犯した訳では無い。
それなのにこのパンデモニウムは、正義の名を振りかざした人間たちから、これまでに何度も度重なる攻撃を受けているのだ。
そんな彼らを守りたい…この想いに関しては、例え思想や理念は違っていても、魔王カーミラもドノヴァンと全く同じだ。
「エキドナ。念の為にドノヴァンへの監視を怠らないようにね。あの様子だと何をしでかすか分かった物では無いから。」
「は、承知致しました。」
「マクギリス。セレーネちゃんたちに壊されたバレストキャノンの修理状況は…。」
ドノヴァンの事は気がかりだが、それでも彼の事はエキドナに任せておけばいい。
そう、魔王カーミラ1人だけで全てを背負う必要は無いのだ。エキドナたちのような有能で忠義に厚く、信頼出来る部下たちだっているのだから。
それよりも今は、目の前の案件を処理していく事が最優先だ。
部下たちに的確に指示を出しながら、魔王カーミラは今後の事について頭を巡らせていたのだった。
次回の舞台は再びサザーランド王国。
ラインハルトが投獄された件に関して、チェスターに反抗的な態度を取るセレーネですが…。