第18話:太一郎の過去
今回は太一郎の過去編です。
完全復活した太一郎に対してクレアが興味本位で、彼が夢幻一刀流を学ぶ事になった経緯を問います。
そこで語られた太一郎の、壮絶な過去とは…。
早朝の散歩は、クレアの毎日の日課だ。
毎朝6時に起床後、朝食を食べる前に、城内やその近辺の王都内を自らの足で30分程歩き、見て回る。
その度に通りがかりの人々に笑顔で挨拶され、クレアもそれに笑顔で相対する。
これだけでもクレアが、フォルトニカ王国の人々に慕われている良王だという証だと言えるだろう。
こうして自らの足で歩き回るのは健康の為というのもあるが、何よりもクレア自身の目で国民の様子を見ておきたいから、というのが最大の理由だ。
「おはようございます、女王様。」
「おはよう。今日はとてもいい天気ね。」
昨日の雨とは打って変わって、今日は朝陽がとても清々しい満面の青空だ。
城の中庭にある訓練施設を通りかかった際、そこで早朝の訓練をしていた兵士たちに挨拶されたのだが。
「そう言えば女王様。太一郎殿にはもう会われましたか?」
「今日はまだ会ってないわ。朝食を食べた後に様子を見に行こうかと思っていたのだけれど。」
「そうですか。なんか刀を持って屋上に向かうのを見かけたんで、もう身体は大丈夫なのかなーって思ったんですけど…。」
「え?」
「風邪と過労で倒れたって聞いた時は心配しましたけど、たった1日で完治するなんて流石ですねー。」
太一郎が倒れたとはいっても、所詮はただの風邪と過労だ。
まだ若くて健康な太一郎だ。1日で完治させた事自体は別に驚きはしなかった。
だが、わざわざ隼丸を持って、屋上まで一体何をしに行ったというのか。
「屋上ね。分かったわ。教えてくれてありがとう。」
「はっ。」
兵士から太一郎の居場所を伝えられたクレアが、屋上まで足を運ぶと…そこではいつもの背広姿で隼丸を手にした太一郎が、とんでもない神技を披露していたのだった。
太一郎が鞘から抜いて前方に伸ばした隼丸の刀身の先端に、木製のコップが置かれている。
それを太一郎が隼丸で頭上に放り投げ、隼丸を鞘に収める。
そして落ちてきたコップに目掛けて、即座に隼丸を『抜く』。
すぐさま隼丸の刀身の先端で、器用にコップを受け止めたのだった。
クレアが見守る最中、太一郎がこの一連の動作をさらに加速させる。
投げて、抜いて、受け止め、投げて、抜いて、受け止め、投げて、抜いて、受け止め。
寸分の狂いも無く、まるで精密機械のように、太一郎はコップを全く地面に落とす事無く、コップを全く傷付ける事無く、全く同じ動作を何度も何度も繰り返したのだった。
並外れたボディバランスに居合術の精密さ、そして集中力。これらが全て揃っていなければ到底出来ない芸当だろう。
感嘆するクレアの存在に気付かないまま、太一郎はさらに速度を上げる。
太一郎の周囲に、無数の『閃光』がほとばしったのだった。
「…閃光…。」
「え?」
クレアの言葉にびっくりした太一郎が、コップを地面に落としてしまう。
乾いた音を立てて、コップが地面に転がったのだった。
「御免なさい太一郎。修行の邪魔をしてしまったかしら。」
「いえ、リハビリがてら、軽く身体を動かしていただけですから。」
「身体の方はもう大丈夫なの?」
「問題ありませんよ。」
コップを拾った後、とても穏やかな笑顔でクレアを見つめる太一郎。
昨日と比べて顔色も随分良くなっている。体調に関してはもう問題無さそうだ。
太一郎の活躍ぶりはクレアも部下たちから聞かされてはいたものの、こうしてクレアが自分の目で実際に彼の太刀筋を目の当たりにするのは、これが初めてだった。
まさに『閃光』の如き剣閃…クレアは素直に感嘆させられたのだった。
「ねえ太一郎。1つだけ聞かせて貰っていい?」
「何でしょうか、女王陛下。」
「貴方のその夢幻一刀流…一体どんな経緯で身に着けたのか、教えて貰えないかしら?」
このフォルトニカ王国騎士団の精鋭部隊である近衛騎士さえも、遥かに凌駕する程の戦闘能力、そしてクレアも今初めて目の当たりにしたが、『閃光』がほとばしる程の凄まじい剣閃。
一体どんな経緯で、これ程の剣術を身に着ける事になったのか。どんなきっかけがあったというのか。それをクレアは純粋に興味が湧いたのだ。
クレアに促された太一郎は、朝陽に包まれた王都の街並みの光景を見つめながら、ふうっ…とため息をつき、遠い目をして語り出す。
「それを話すには、まずは僕自身の過去について語らないといけないですね。」
「過去?」
「ええ、僕が夢幻一刀流を学びたいと思った理由…僕たち家族にとっての忌まわしい過去ですよ。」
クレアに見つめられながら、太一郎は静かにクレアに語り始めた。
向こうの世界での、太一郎にとっての忌まわしく理不尽な出来事…その壮絶な過去を。
『本当に申し訳ありませんでした!!うちの馬鹿息子が迷惑をかけてしまったみたいで…!!』
『一体貴方はこの子にどういう教育をしているザマスか!?何でもかんでも暴力で解決出来ると思ったら大間違いザマスよ!?』
『はい!!私の方からきつく言っておきますので!!どうか今回の所は穏便に解決して頂けないでしょうか!?』
太一郎が小学5年生の頃…太一郎が通っている小学校の応接室において、太一郎の父・雄太が、太一郎が殴ってしまった同級生の少年の母親に、太一郎と共に深く頭を下げていた。
少年の母親は汚物を見るかのような目で、太一郎と雄太を睨みつけている。
そもそもの話、何故こんな事になってしまったのか。
それは同級生の少年が、太一郎と真由が異母兄妹である事、瑠璃亜と雄太が再婚した事を理由に、この3人に対して言われなき誹謗中傷を行った挙句に太一郎に暴力を振るってきた事で、太一郎がカッとなって反射的に殴り返した事に起因する。
どう考えても太一郎の正当防衛であり、しかも誹謗中傷を行った少年側に明らかに非があるのだが、それでも少年が盛大に鼻血を出す程の酷い怪我を負ってしまったのだ。
しかもこの少年の父親が、太一郎が通っている小学校に多大な影響力を持つ、大富豪の重鎮だというのも問題だった。
このまま少年を加害者にしてしまったのでは、学校の運営にも影響が出てしまう…それを危惧した学校側がよりにもよって、太一郎が全面的に悪いという事で処理してしまったのだ。
この理不尽過ぎる学校側の対応に当然太一郎は激怒したのだが、たかが小学6年生の子供如きがどう叫んだ所で、どうにかなるような問題でもない。
大人たちの身勝手な都合によって、完全に太一郎は小学校において悪者扱いされる羽目になってしまったのだ。
『フン!!まあ今回の所は貴方の誠実な対応(慰謝料10万円)に免じて、これで勘弁してやるザマスよ!!』
『はい!!ありがとうございます!!すみませんでした!!』
『ですが次に同じ事があったら、貴方が職場をクビになる事を覚悟しておくザマスよ!?いいザマスね!?』
あまりにも身勝手で横暴な脅しを吹っ掛けた少年の母親が、我が物顔でその場を去っていく。
とても悔しそうな表情で、太一郎が雄太に突っ掛かって来たのだが。
『何で俺たちが怒られなきゃいけないんだよ!?先に手を出してきたのはあいつの方だぜ!?そもそもあいつが真由も親父も母さんも馬鹿にしやがったんだ!!』
『分かってる。それは分かってるよ。だけどな太一郎、どんな理由があったとしても暴力だけは絶対に駄目だ。相手を傷付けるだけじゃない。お前自身の心も体も傷付く事になるんだからな。』
太一郎の母親が事故死し、雄太が瑠璃亜と再婚して真由を授かってからというもの、太一郎たちは周囲から理不尽な差別、迫害を受けるようになっていた。
瑠璃亜が15歳以上も歳の離れた、しかも大企業の重役で高収入の雄太と再婚した事で、今も瑠璃亜は近所の人たちから、どうせ遺産目当てでの結婚だなどと言われなき誹謗中傷を受けているのだ。
太一郎にしても真由と異母兄妹である事を理由に、今回のように小学校で同級生にからかわれたり暴力を振るわれるなんてのも日常茶飯事だ。
人というのは、どこまでも愚かな生き物だ。
協調性を大義名分にした挙句、自分たちとは違う異質な者、同調しない者たちを排除せずにはいられない物なのだ。
『ただいま。今帰ったぞ瑠璃亜。』
『お帰りなさい雄太さん。どうでした?』
『ま、今回の所は穏便に許して貰えたよ。だけど次に太一郎が何かやらかしたら、俺が仕事をクビになるってさ。ははっ(笑)。』
『ははっ(笑)じゃないでしょう。太一郎君も大丈夫だった?何か酷い事をされなかった?』
瑠璃亜がとても心配そうな表情で、太一郎の頭を優しく撫でたのだが。
その瑠璃亜の優しさが、太一郎には本当に申し訳無かった。
申し訳無くて申し訳無くて、そして無力な自分では何も出来なかった悔しさから、ただただ涙が止まらなかった。
『母さん…御免よ…俺のせいで親父が…。』
『いいのよ。太一郎君は何も悪く無いんでしょう?他の誰も理解してくれなくても、私はちゃんと分かってるから。』
そんな太一郎を安心させる為に、ぎゅっと太一郎を抱き締める瑠璃亜。
瑠璃亜の豊満な胸に顔をうずめながら、太一郎は必死に泣きじゃくる。
『おいおい太一郎。お前本当にうらやまけしからん奴だな。瑠璃亜のおっぱいは俺のなんだからな(笑)?』
『もう、何を馬鹿な事を言ってるんですか。後で幾らでも触らせてあげますから。』
『いよっしゃあああああああああああああああああああ(爆笑)!!』
雄太の冗談に苦笑いしながら、瑠璃亜は穏やかな笑顔で、太一郎をぎゅっと抱き締め続けたのだった…。
そして2年後の6月…太一郎が中学に進学して、2か月が経った頃。
突然雄太が太一郎に、とんでもない事を持ち掛けたのである。
『おい太一郎。お前、古武術を学んでみてえと思わねえか?』
『はあ!?いきなり何言ってんだよ親父!?』
雄太が太一郎に見せたのは、新聞の折り込みに入っていたという一枚のチラシだった。
夢幻一刀流、門下生募集…チラシにはそんなような内容の宣伝が書かれている。
『お前も俺に愚痴ってたじゃねえか。剣道の部活動じゃ全然話にならないってな。』
『それは確かにそうだけどさ。だからっていきなりこんな…大体夢幻一刀流って何なんだよ。そんなの見た事も聞いた事も無いんだけど。怪し過ぎるだろ。』
『まあ物は試しって奴だ。一度足を運んで、お前の愚痴だけでも聞いて貰ったらどうだ?世間話だけでも、お前の今後の人生の参考になるかもしれねえぞ?』
そうして土曜日の朝、チラシに書かれた住所に行ってみた太一郎は、心底驚かされた。
どうせその辺によくある、街の片隅にポツンとあるような小さな道場なんだろうと思っていたのだが。
ところがどっこい、いやいやどうして、周囲の建物からは完全に浮いてしまっている、日本政府から国の歴史的文化財にでも指定されて、所有者が固定資産税の支払いを免除されてもおかしくない、それどころが建物の維持の為の費用を逆に国が支援してくれそうな、中々に立派な古風の豪邸だったからだ。
指定された住所に辿り着いた太一郎が、明治時代にでもタイムスリップしてしまったのかと錯覚してしまった程だ。
呆気に取られてしまった太一郎だったのだが、その時だ。
『駄目駄目。君たち全員不合格。私の道場の敷地を踏ませる訳にはいかないね。とっとと帰りな。』
『んだよ、折角来てやったのによ!!こんな古臭い道場なんざ、こっちからお断りだっつーの!!ぐるぐるマップでお前の悪評を垂れ流してやるからな!!覚悟しとけよクソババァ!!』
『ババァとか失礼な事を言うんじゃないよ。私はまだ27だよ?バリバリの20代のお姉さんだよ?』
見るからに不良なガラの悪い高校生の少年たちが、1人の道着姿の女性に文句を垂れながら、門から出ていく。
呆気に取られる太一郎に、少年たちがいきなり不機嫌そうに突っかかって来たのだが。
『んだよてめぇ!?何俺らにガン飛ばしてんだコラァ!?あーっ!?』
『いや、俺は別に何も…!!』
『こらこらこらーっ!!そんなんだから君たちは全員不合格だって言ってるのよ!!』
そんな太一郎の前に女性が立ちはだかり、太一郎を守ってくれたのだった。
110番にかけたスマホを耳に当てながら、少年たちをしっしっと追い出そうとする。
『これ以上騒ぐってんなら、警察を呼ぶよ!?…もしもし警察ですか?私の道場にガラの悪い子たちが押しかけて、入門希望者の少年にちょっかいを…。』
『…けっ!!もういいわ!!行こうぜ!!』
流石に警察を呼ばれたらまずいと判断したのか、少年たちはその場からそそくさと去っていく。
あのガラの悪い者たち数人に絡まれても、全く物怖じしない、威風堂々とした態度…太一郎は思わず関心してしまったのだった。
そんな少年たちを無視して、スマホで警察に断りを入れた女性が、笑顔で太一郎に向き直る。
『君が渡辺太一郎君だね?君のお父さんから電話で話は聞いてるよ。』
『はい、よろしくお願いします。』
『それじゃ、今から君の事を見定めさせて貰うとしようかね。さあ、遠慮しないで中に入りな。』
女性は太一郎に、小鳥遊沙也加と名乗った。
小鳥遊というのは日本全国に30人程しかいない極めて珍しい苗字だとか、そんなしょーもない豆知識を沙也加は太一郎に自慢していたのだが。
沙也加が言うには、この道場は先祖代々から続いている場所なのだそうで、沙也加が会社勤めの一般男性と結婚した事を契機に、本格的に跡継ぎを育成したいと考えた、との事らしい。
沙也加が将来産む事になる子供に継がせたら駄目なのかと太一郎が聞いたら、出来ればそれが一番の望みだが、それでも自分の子供には将来を自分で決めさせてあげたい、などと笑いながら語ったのだった。
そして道場の畳の上で互いに正座をしながら、向かい合う形になった太一郎と沙也加。
早速沙也加は本題に入った。
『太一郎君。君は何故夢幻一刀流を学びたいと思ったの?力が欲しいから?強くなりたいから?』
『確かにその通りです。ですがそれは俺にとって、ただの前提条件に過ぎませんよ。』
『前提条件に過ぎない?君は中々面白い事を言うんだね。』
『俺はただ、俺の大切な物を守る力が欲しいだけなんです。最強の力だとか、そんな物はどうだっていいですし、俺はそんな下らない物に興味は無いんですよ。』
太一郎は、沙也加に自分の思いの丈の全てをぶつけた。
自分の異母妹だからという理由だけで、保育園で他の園児たちにいじめられる、歳の離れた妹の真由。
歳の差カップルだという理由だけで、近所の人たちから『どうせ遺産目当てでの結婚なんでしょ?』などと、事実無根の誹謗中傷を受ける瑠璃亜。
そんな理不尽な迫害から、大切な家族を守りたいと思ったから。
その為の力が欲しいと…だから夢幻一刀流を学びたいのだと。
『今、君が学校の部活でやってる剣道では駄目なのかな?』
『部活動では駄目なんですよ。結局は上級生が俺たち下級生を、我が物顔で偉そうにパシリにするだけの日々なんです。剣道の腕じゃ全然俺に敵わない癖にですよ。あそこで得られる物なんで何もありませんよ。』
太一郎が言うには顧問の先生や学校側も、教育委員会で問題にされてしまうのを恐れて何もしてくれない…むしろ必死に隠蔽しようとする意図さえも感じているとの事らしい。
もし太一郎の言う事が事実なら、一体何の為の教育機関だと言うのか。
『だから俺はここで強くなりたいんです。俺にここを紹介したのは親父ですけどね。最初は半信半疑でしたけど、俺の目で沙也加さんを実際に見て確信しましたよ。沙也加さんなら俺の事を正しく導いてくれるってね。』
そんな太一郎に、沙也加は深く興味を抱いたのだった。
夢幻一刀流を学びたいと道場の門を叩いた者たちは数多くいたが、そのほとんどが沙也加を納得させるには到底及ばない者たちばかりだったからだ。
これまで沙也加に弟子入りを志願した者たちは、力が欲しい、強くなりたいとか言いながら、結局は先程沙也加が追い出した少年たちのように、手にした力で良からぬ事を考えている事がバレバレの者たちがほとんどだった。
また学校でいじめられているから強くなりたいと言い出したのはいいが、精神的に非常に不安定で、とてもじゃないが強大な力を持たせてしまうのは危険だと感じた者たちも大勢いた。
中には健康やダイエットの為に夢幻一刀流を学びたいなんて言い出す者さえもいた。それ自体は決して間違いではないだろうが、それならば近くにあるヨガやフィットネスのクラブにでも通えば充分だろう。
そんな中で、太一郎だけは違ったのだ。
ただ家族を迫害から守りたい、それ以外はどうでもいい、最強の称号なんか要らない、むしろ下らない事だとまで断言した。
そんな事を言い出したのは、これまで数百人いた弟子入り志願者たちの中で、太一郎が初めてだったのだ。
また太一郎はとても中学生とは思えないような、既に精神的に完成されているような…上手く言えないが、そんな感じを受けたのだ。
家族を守りたい…その強い責任感と覚悟、そして周囲から理不尽な迫害を受け続けた環境が、まだ中学一年生の太一郎を精神的に成熟させてしまったのだろう。
この子になら、夢幻一刀流を授けても問題無いんじゃないかと…必ず正しい事に使ってくれるはずだと…そう沙也加は思ったのだった。
『うん、分かった。君の弟子入りを認めてあげる。』
『本当ですか!?ありがとうございます!!』
『ただし条件があるよ。部活には行かなくていいから、必ず学校にはきちんと通って、しっかりと勉強して赤点を取らない事。ここに来るのは学校が終わってからと、あとは土曜日だけにしておきなさい。日曜日と祝日はしっかりと休んで、家族との時間も大切にする事。いいわね?』
『はい!!』
それから他の兄弟子たちと共に、太一郎の修練が始まったのだが。
実際に太一郎に木刀を素振りさせてみた瞬間、沙也加は確信した。してしまった。
太一郎は史上稀に見る、とてつもない才能を持った剣術の天才だと。
普段から部活動で竹刀を触っているというのもあるが、それを差し引いても太一郎の剣術の才能は素晴らしい物があったのだ。
自分の持てる技術を全て叩き込み、夢幻一刀流の全てを継承させれば、太一郎は日本の…いいや、世界最強の剣士になれると。なれてしまうと。
剣道やフェンシングでオリンピックの金メダルを取る事だって夢じゃない。それだけの凄まじい資質を持っているのだと。
今、この瞬間、沙也加は確信してしまったのだ。
『駄目だ駄目だ!!もっと重心を低くするんだ!!』
『はい!!』
『体勢を崩された後の立て直しを、もっと素早く!!そうだ!!それでいいんだ!!』
『はい!!』
『諦めたらそこで試合終了だよ!!』
『はい!!』
何人もの兄弟子たちが、沙也加が課す厳しい稽古に耐え切れずに次々と脱落していく最中、唯一必死に沙也加に食らいつく太一郎。
そしてこの頃から太一郎は、自分の事を『俺』ではなく『僕』と呼ぶようになったのだ。
理由は明白だ。自分自身を律する為だ。
そして力を手にしてから暴力に身を任せるようになった野蛮な男だと、そう周囲に思われたくないから。
『…で、出来た…!!』
太一郎が沙也加に弟子入りしてから、1年後。
自分の居合術によって放たれた衝撃波が、遥か遠くにある空き缶を吹っ飛ばしたのを見て、太一郎は満面の笑顔を浮かべる。
『そう、それが維綱だ。今の感触を忘れるんじゃないよ?』
『はい!!沙也加さん!!』
妊娠してお腹を膨らませた沙也加が喜びを爆発させる太一郎を、まるで自分の本当の息子であるかのように、とても慈愛に満ちた笑顔で見つめていたのだった…。
「沙也加さんの道場には僕以外に兄弟子が何人かいたんですけど、全員が途中で厳しい修練に耐えられなくなって、僕以外の全員が途中で脱落してしまったんです。結局免許皆伝まで辿り着けたのは僕1人だけだって、沙也加さんが僕に愚痴ってましたよ。」
「そうだったの…。」
「沙也加さんは物知りで、色々な事を僕に教えてくれました。夢幻一刀流という戦闘技術だけじゃない。一般常識、礼儀作法、ビジネスマナー、テーブルマナー、相手を思いやる心…そして『生きる』という事の根本的な事を僕に伝えてくれたんです。」
「貴方をただの戦闘マシーンにさせない為ね?」
「そうですね。ただ強くなるだけでは、君たちを迫害する連中と何も変わらないよって…沙也加さんは口癖のように常日頃から僕に言っていましたよ。」
もし太一郎が沙也加と出会わなかったら、今頃どうなっていただろうか。
もしかしたら世の中に絶望し、道を踏み外して不良かヤクザにでも堕ちていたか、あるいは引きこもりにでもなっていたかもしれない。
それを考えると、太一郎は今になってゾッとしたのだった。
「僕の事なんかより、女王陛下だって苦労してきたんですよね?サーシャを産んですぐに戦争で旦那様を亡くされたって、ロファールさんから聞かされましたよ。女手一つでサーシャを育て上げたって。」
「私は貴方に比べれば、まだマシな方よ。貴方と違って理不尽な迫害なんか受けなかったし、サーシャも凄くいい子に育ってくれたもの。私なんかには勿体無い位にね。」
とても穏やかな笑顔で、太一郎を見つめるクレア。
夫を早くに亡くし、サーシャ以外の子宝に恵まれなかったクレアにとって、今となっては太一郎も真由も、手間のかかる息子と娘みたいな物だ。
復活した魔王カーミラと戦う為の戦力になってほしい…そんな自分たちの身勝手な都合でクレアはシリウスに命じて、向こうの世界で事故死してしまった2人を転生させた。
勿論クレアは、シリウスが極秘で2人に掛けた『呪い』の事など知らないのだが。
それでもクレアは魔王カーミラを打倒した後も、2人にはずっとこの国にいて欲しいと…自分の傍にいて欲しいと…そう本気で思っているのだ。
ただし一馬ら『ブラックロータス』の度重なる問題行動、それに伴う近隣の街や村からの、毎日のように王都に届けられる苦情。
それだけはクレアも頭を痛めている、気がかりな問題ではあるのだが。
「あ、太一郎さん、お母様、こんな所にいたんですか。」
そこへサーシャが、笑顔で太一郎とクレアに話しかけてきた。
「太一郎さん、身体の方はもう大丈夫なんですか?」
「うん、君と真由の看病のお陰だよ。ありがとな、サーシャ。」
「はい、どういたしまして。2人共、朝食の用意が出来てますよ。私の手作りのパンプキンシチューです。」
「そうか。君の料理は凄く美味いから楽しみだよ。」
「ふふっ、期待していて下さいね~。真由さんがお腹を空かせて待ってますから、早く行きましょう。」
笑顔で語り合う太一郎とサーシャの後ろ姿を、クレアがとても慈愛に満ちた笑顔で見つめていたのだった…。
次回は何故か太一郎が兵士たちに、復帰祝いとしてキャバクラに連行される事に。
その現場を偶然にもサーシャに目撃されてしまい…。