第11話:怒りのサーシャ
太一郎と真由が城内の敵を相当している最中、遂に王都にて相対し、激突するサーシャとアルベリッヒ。
2人の壮絶な戦いの結末は…?
太一郎たちが城内に侵入した、特殊工作部隊の女性たちを討伐している頃。
城下町ではサーシャが先頭に立ち、周囲の兵士たちの消火活動、市民たちの避難誘導の陣頭指揮、並びに精霊魔法による負傷者の治療を行っていた。
太一郎と真由が帰還した以上は、城内の心配は最早要らないだろう。じきに特殊工作部隊の女性たちは根こそぎ捕縛される事になるはずだ。
問題はサーシャが担当となった、この城下町だ。
消火活動や市民の避難誘導、特殊工作部隊の女性たちの捕縛に関しては、滞りなく進んでいるのだが。
「ふはははははははは!!貴様ら雑魚共では相手にもならんわ!!死にたくなければ、そこをどけどけどけぇーーーーーーーーーい!!」
「「「「「ぐあああああああああああああああ!!」」」」」
そんなサーシャの尽力を無駄にするかのように、槍を手にしたアルベリッヒが豪快に兵士たちを蹴散らしながら、物凄い勢いで城を目指して突撃してきたのだった。
「こんな雑魚共を倒した所で面白くも何とも無いわ!!『閃光の救世主』はどこだ!?この俺様が直々に相手をしてやるぞ!!」
「生憎ですが太一郎さんと真由さんには、城内の敵の鎮圧を手伝って下さっています。この城下町にはいませんよ。」
そうはさせまいと、サーシャがアルベリッヒの前に立ちはだかる。
ソードレイピアを鞘から抜き、威風堂々とアルベリッヒを見据えていた。
身長2mを超える筋肉質の、屈強な肉体を誇るアルベリッヒに対して、いかにも年頃の女の子といった感じのサーシャ。
そのあまりにも両極端な2人を、周囲の市民たちが心配そうな表情で見守ってる。
「フン、サーシャ王女か。貴様のような小娘風情が、果たしてこの俺様を楽しませる事が出来るかな?」
「どうでしょう?果たして貴方は、私との戦いを『楽しむ』事が出来るのでしょうかね?」
「ふぁーーーーーーーーっはっはっはっはっは!!随分と自信満々だな!!」
あからさまに自分を見下しながら豪快に笑うアルベリッヒを見据えながら、サーシャは左手に無数の光の粒子を生み出した。
「かの者たちの傷を癒やしたまえ。」
その光の粒子が先程アルベリッヒに手傷を負わされた兵士たちを優しく包み込み、瞬く間に傷を癒やしていく。
「おお…!!姫様、感謝致します!!」
「彼は私が相手をします。皆さんは引き続き市民の避難誘導と消火活動を。」
「「「「「はっ!!」」」」」
サーシャの精霊魔法によって傷が癒えた兵士たちが再び立ち上がり、救護活動の為に散らばっていったのだった。
そんな兵士たちに完全に興味を無くしたアルベリッヒは、妖艶な笑みを浮かべながらサーシャを睨みつける。
以前からサーシャが剣術と精霊魔法の達人だとは聞いていたが、実際に目にしてみると中々どうして、相当な実力者のようだ。
あれだけの手傷を負わせた兵士たちを、あの短時間に完全に治療してしまうとは。
こんな事は相当な精霊魔法や神聖魔法の技術を持っていなければ、到底出来ない芸当だ。
これは久しぶりに楽しませてくれそうだ…アルベリッヒの戦意がみるみるうちに高揚していく。
「プロテインを持てい!!」
「ははーーーーーーーーーーーーーっ!!」
傍に控えていた兵士から、牛乳と混ぜられたプロテインを受け取ったアルベリッヒが、サーシャの目の前で豪快に一気飲みしてみせたのだった。
「ング…ング…ング…ブハーーーーーッ!!やはり戦いの前のプロテインは最高だな!!サーシャ王女よ!!貴様もどうだ!?」
「絶対に嫌ですよ。貴方みたいな筋肉ムキムキになって、太一郎さんに嫌われたくありませんから。」
想像しただけで吐き気がしたが、まあそんな事はどうでもいい。
本当はまあ、どうでもよくは無いのだが…サーシャは豪快に笑うアルベリッヒに対して本題をぶつけたのだった。
「アルベリッヒ殿。戦う前に1つだけ、質問してもよろしいですか?」
「おう、何だ!?言ってみろ!?」
「貴方は何故我が国の転生術を欲するのですか?無関係の村人や民を巻き添えにしてまで、これだけ大規模な戦闘を仕掛けて兵たちを傷つけ、命を犠牲にしてまで、何故貴方はシリウスを捕縛しようなどと画策したのですか?」
半年前に突如この世界に出現し、多くの国々を蹂躙し、人々を奴隷扱いした魔王カーミラ。
その魔王カーミラは3ヶ月前、太一郎たちの先代の転生者たちとの壮絶な死闘の末に、相討ちになったとされている。
その魔王カーミラが復活した事で、エリクシル王国の人々を守る為、強大な力を誇る魔王軍に対抗する為の力がどうしても必要になったのだろうか。
その為にこのような愚劣な強行策を取り、両軍共に多くの負傷者、そして死者まで出してしまった事は決して褒められた事では無いのだが。
何にしてもサーシャが期待していたのは、アルベリッヒのエリクシル王国の統治者としての、国や民を想うが故の、そういった内容の弁明だった。
だがアルベリッヒは妖艶な笑みを浮かべながら、サーシャの期待を大きく裏切る、あまりにも愚劣な言葉を口にしたのである。
「そんな物は決まっておろうが!!転生者共を戦略兵器として活用し、この俺様がこの世界を支配する為よ!!ふぁーーーーーーーっはっはっはっはっは!!」
「な…!?」
「魔王カーミラも貴様らも他の国の連中も、全てこの俺様が屈服させてくれるわ!!転生者共の力を使ってなぁ!!」
戦略兵器。この世界を支配。
一体この人は何を言っているのか。
サーシャは目の前で豪快に笑うアルベリッヒに対して、激しい怒りと憤りを顕わにしたのだった。
「…そんな事の為に…!!」
「あ?」
「そんな事の為に貴方は!!これだけ多くの人々を巻き込んで!!傷つけて!!貴方は命と言う物を何だと思っているのですかぁっ!?」
まさに『愚王』と呼ぶしかない。
サーシャは鬼気迫る表情で、目の前で妖艶な笑みを浮かべるアルベリッヒを怒鳴り散らしたのだった。
こんな男のせいで、こんな男に振り回されたせいで、どれだけ多くの人々が傷ついたのか。どれだけの命が失われたというのか。
普段はあんなにも穏やかで心優しいサーシャからは、全く想像もつかない…いや、アルベリッヒの傲慢さが、愚かさが、ここまでサーシャを激怒させてしまったのだ。
「フン!!何を言うかと思えば下らん事を!!所詮この世は力こそが正義!!強者が弱者を支配するのは自然の摂理よ!!」
「貴方のような人を、これ以上のさばらせておく訳には参りません!!覚悟して下さいね!!アルベリッヒ殿!!」
「ならば貴様自身の力でもって、この俺様を見事屈服させてみせよ!!」
最早これ以上の問答は無用。
そう言わんばかりに豪快に槍を構えたアルベリッヒが、妖艶な笑みを浮かべながら、ソードレイピアを構えるサーシャに突撃した。
「食らえぃ!!暗黒流猛牛槍奥義!!破岩突!!ブルルルルルル!!ブルルルルルルルルルルルルル!!」
凄まじい威力の槍の一撃を、サーシャがソードレイピアで軽々と受け流す。
勢い余って壁に激突してしまったアルベリッヒではあったが、激突された壁が物凄い勢いで粉々になってしまったのだった。
「ダァーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
それでも全く何のダメージも受けなかったアルベリッヒが、勝ち誇りながら槍を高々と掲げ、ポージングを取る。
本来ならこれだけ凄まじい勢いで壁に激突したとなると、技を繰り出したアルベリッヒ本人も無傷では済まないはずなのだが…彼の鍛え抜かれた筋肉質のマッチョな肉体は、全くの無傷だった。
まさに鋼の如き強固な肉体…アルベリッヒが口先だけの男では無いという事を、市民たちは否応なく思い知らされる。
「どうだ見たかこれが暗黒流猛牛槍の真髄よ!!岩をも容易く穿つ天下無双の一撃!!貴様のような小娘にどうにか出来る代物ではないわ!!」
こんな恐ろしい男を相手に、一体どうやったら勝てるというのか。
市民たちはとても不安そうな表情でサーシャを見つめていたのだが、しかしサーシャは微塵も慌ててはいなかった。
いや、むしろアルベリッヒが言う所の『強者が弱者を支配する』かのような、毅然とした余裕の態度だ。
「この俺様の暗黒流猛牛槍で、『閃光の救世主』など軽々とねじ伏せてくれるわ!!」
「貴方、何か勘違いをしていませんか?」
「はあ!?勘違いだあ!?」
「貴方の実力など、太一郎さんの足元にも及びませんよ。」
サーシャは実際に太一郎と手合わせをした事も無ければ、彼の戦いぶりをその目で目撃した事も無い。
せいぜい部下たちから『閃光』のような剣閃だった、あんな凄まじい剣術は今まで見た事が無い、などと口頭で聞かされた程度だ。
だがそれでもサーシャは、あの日の謁見の際に太一郎の何気無い立ち振舞いを一目見ただけで、他の転生者たちとは遥かに一線を画す、彼の圧倒的な戦闘能力を敏感に感じ取ったのだ。
太一郎がサーシャとクレアを一目見ただけで、その圧倒的な戦闘能力を敏感に感じ取ったのと同じように。
だからこそ、サーシャには分かるのだ。
もしアルベリッヒが太一郎と戦えば、太一郎に圧倒されてしまうのがオチだと。
そして、この程度の実力しか無いアルベリッヒなど、自分の敵では無いという事も。
「今度はこちらから行きますよ。アルベリッヒ殿。」
そしてここからが、サーシャの真骨頂だ。
剣術と精霊魔法…その両方の達人であるサーシャだからこそ出来る芸当。
「雷刃剣!!」
精霊魔法でソードレイピアに雷を纏わせ、真っすぐにアルベリッヒを見据える。
「そんな物、この俺様の屈強な筋肉の前では、蚊に刺され…っ!?」
いつの間にかサーシャの姿が消えていた。
そしていつの間にか背後に回り込んでいたサーシャが、アルベリッヒに雷を纏わせた斬撃を浴びせる。
太一郎の縮地法にも決して劣らない、サーシャの高速移動術だ。
「速いな!!だが無駄な事だ!!そんな女の細腕で何が出来る!?」
「はああああああああああああああああああああっ!!」
「この俺様の鍛え抜かれた筋肉で、貴様の軟弱な剣など弾き飛ばしてくれるわぁっ!!ぬりゃああああああああああああああ!!」
気合を入れながらポージングを取るアルベリッヒ。
鋼鉄の如き強度と化したアルベリッヒの屈強な肉体が、サーシャの斬撃を真っ向から受け止める。
「マッスルガードおおおおおおおおおおおお!!」
サーシャの斬撃がアルベリッヒの背中に直撃するものの、鋼鉄の如き強度と化したアルベリッヒの屈強な肉体には、傷一つ付けられない。
妖艶な笑みを浮かべるアルベリッヒだったが…次の瞬間。
「ぬぎゃあああああああああああああああああああああ!?」
感電。
突然アルベリッヒの身体に、サーシャのソードレイピアに帯電した電撃による『衝撃』が襲い掛かったのだった。
身体の内側からアルベリッヒの全身を容赦なく駆け巡る、サーシャの精霊魔法によって生み出された、魔力を帯びた電撃。
「お、おのれ…っ!!小賢しいわぁっ!!」
鬼のような形相でアルベリッヒがサーシャに槍を浴びせるも、またしてサーシャの姿が一瞬で消え、アルベリッヒの槍が空を切る。
そして今度はアルベリッヒの右側面に回り込んだサーシャが、ソードレイピアによる斬撃をアルベリッヒの右腕に浴びせたのだった。
「ぐおあああああああああああああああああああ!!」
またしてもアルベリッヒに襲い掛かる、凄まじい威力の電撃。
サーシャの斬撃自体は、アルベリッヒには大して効いていない。
己の肉体を鋼の如き強度に変えてしまうアルベリッヒの前では、生半端な物理攻撃など到底通用しないだろう。
だが今回のように、ソードレイピアを通じて身体の内部に直接電撃を流し込まれたのでは、アルベリッヒの肉体がどれだけ強固だろうと関係無いのだ。
こればかりはアルベリッヒがどれだけ必死になって身体を鍛えようが無意味だ。もう本当にどうにもならない。
もっと分かりやすく言うならば、物理防御力がカンストしていて物理攻撃が全く通用しない敵を相手に、物理防御力無効の貫通ダメージを与えているような物だ。
「見せてあげましょう!!お母様直伝の、イグナイト流舞踏剣術の真髄を!!」
「ぎにゃあああああああああああああああああああ!!」
まさに蝶のように舞い、蜂のように刺す。
凄まじい勢いでアルベリッヒを翻弄しながら、斬撃を連打連打連打。
その度にアルベリッヒの身体の内部に直接電撃が流し込まれ、アルベリッヒに深刻なダメージを与えていく。
アルベリッヒは必死にサーシャに槍の一撃を浴びせるが、どれだけ威力があろうとも大振りで鈍重なアルベリッヒの斬撃では、高速で動き回るサーシャを捉え切れない。
戦いには相性という物があり、得手不得手という物がある。
誤解の無いよう言っておくが、決してアルベリッヒが弱いという訳では無い。
むしろフォルトニカ王国騎士団の皇族直属の精鋭部隊である近衛騎士を、完全に凌駕する程の実力を有しており、この世界全土を見渡しても充分上位に君臨する実力者だ。
だがそれでもアルベリッヒにとってサーシャは、あまりにも相性が悪過ぎる相手なのだ。
アルベリッヒの鋼鉄の筋肉は、生半端な物理攻撃が通用しない程の強度を誇る。それ故に物理攻撃が主体の相手なら大きなアドバンテージを得る事が出来る。
だがそれでも今回のように、物理防御力が全く意味を成さない攻撃をされたのでは、どれだけ屈強な肉体を有していても全く意味が無いのだ。
アルベリッヒがサーシャの攻撃を防ぎ切るには、サーシャの攻撃を全て避けなければならないのだから。
だが高速で動き回り、かつ精密斬撃を繰り出すサーシャの攻撃を全て避けるなど、身長2mを超える巨体かつ鈍重なアルベリッヒでは到底不可能な話だ。
自分にとって相性最悪のサーシャを、本気でマジ切れさせた…その時点でアルベリッヒは、もう既に完全に詰んでいたのだ。
「ぐ…がはっ…!!ば、馬鹿な…!?こ…こんな事が…っ!?」
鍛え抜かれた屈強な筋肉は全くの無傷。だが身体の内部に魔力を帯びた電撃を何度も何度も何度も浴びせられた事で、アルベリッヒは遂に膝をついてしまったのだった。
そんなアルベリッヒの首筋に、サーシャが冷淡な表情でソードレイピアの先端を突き付ける。
「この俺様が!!貴様のような小娘如きに!!こんな馬鹿な事が!!あってたまるかぁっ!?」
先程、アルベリッヒはサーシャに高々と宣言していた。
『力こそが正義、強者が弱者を支配する事こそが自然の摂理』だと。
だがそれはアルベリッヒが今までの人生において、常に自分が『強者』であり続ける事が出来たからこそ言えた事だ。
サーシャという『強者』に敗北し、自らが『弱者』となってしまった今…彼は一体何を思うのだろうか。
「…風刃剣。」
今度は精霊魔法で、ソードレイピアに風の刃を纏わせるサーシャ。
サーシャの身体から放たれる、凄まじいまでの『殺気』。もう完全に殺る気マンマンだ。
そう、サーシャはフォルトニカ王国の王女として、アルベリッヒをこのまま生かしておくわけにはいかないのだ。
「アルベリッヒ殿。シグマ村で起きた事については、先程太一郎さんから報告を受けました。貴方は随分と卑劣で残酷な真似をするのですね。」
「た、たかが辺境の村を1つ潰した位で何だと言うのだ!?」
「潰れてはいませんよ。太一郎さんと真由さんが命懸けで守って下さいましたから。いずれにしても貴方のような残虐非道な方を、このまま生かしておくわけには参りません。」
太一郎と真由を王都から引き離す…そんな事の為にアルベリッヒは、何の罪も無いシグマ村の人々の命を理不尽に危険に晒したのだ。
挙句の果てに転生者を戦略兵器とし、その圧倒的な力を利用して、この世界を支配するとまで言い出した。
こんな危険な男をこのまま生かしておけば、このフォルトニカ王国だけでなく他国にまで被害が及ぶ事は最早明白だ。
情状酌量の余地は全く無い。彼は今この場で殺してしまわなければならないのだ。
このフォルトニカ王国を、そしてこの国に住まう大勢の国民たちを守る為に。
「覚悟はよろしいですか?アルベリッヒ殿…!!」
「ひ、ひいいいいいいいいいいいい!!」
サーシャの斬撃がアルベリッヒに迫るが、次の瞬間。
間一髪の所で駆けつけた太一郎が、隼丸でサーシャのソードレイピアを受け止めたのだった。
城内の敵を全て掃討したので、怪我人の治療を真由に任せ、クレアからの指示でサーシャの救援にやってきたのだ。
予想外の出来事に、サーシャもアルベリッヒも驚きを隠せない。
「ちょ、太一郎さん!?」
「王女殿下!!こんな下劣な男の為に、貴女の手を血で染めてしまう訳にはいきません!!」
「何故です!?彼をこのまま生かしておくわけには…!!」
自分を庇う太一郎の後ろ姿に、一転して歓喜の表情になるアルベリッヒ。
だがその歓喜の表情は数秒後に、一転して絶望に染まる事になるのである。
「ふ、ふははははははは!!そうか貴様は俺様の軍門に下りたいと言うのだな!?よかろう!!貴様ほどの強者ならば大歓迎…」
「勘違いするな!!王女殿下の代わりに僕が貴方を斬ると言っているんだ!!アルベリッヒ!!」
「な、何だとおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
サーシャのソードレイピアを弾き飛ばした太一郎が、隼丸を鞘に収めてアルベリッヒに向き直ったのだった。
その瞬間、太一郎の全身から放たれる、凄まじいまでの『殺気』。
「き、貴様ああああああああああああっ!!」
「太一郎さん、一体どうして…!?」
「王女殿下。魔物を斬るのとは訳が違うんですよ。人を斬るというのは物凄く『重い』行為なんです。私も人を斬った事は一度もありませんが、向こうの世界で私に夢幻一刀流を授けてくれた師匠が忠告してくれたんです。人を斬る事の『重さ』をね。」
「…太一郎さん…。」
「貴女に人殺しをさせる訳にはいかない。だから私が彼を斬ります。」
太一郎は向こうの世界で警察官だった頃、任務の際に居合刀の帯刀を許可されていたとはいえ、警察官という職業柄、人を斬った事は一度も無い。
せいぜい凶悪犯罪者を相手に、銃弾や拳銃を居合刀でぶった斬った事がある程度だ。
そしてこのフォルトニカ王国に転生させられた後も、太一郎は魔物を斬る事はあっても、人間が相手の場合はこれまで全て峰打ちで済ませてきたのだ。
理由は簡単だ。人を斬る事の『重さ』、人を斬った後に襲い掛かる『罪悪感』『悪夢』という物を、師匠から念入りに教え込まれてきたから。
殺虫剤で蚊や蜂を退治するのとは訳が違う。人を斬るというのはとても『重い』行為なのだと。何の訓練も準備も覚悟も無しに人を斬れば、あっという間に『飲み込まれる』事になりかねないのだと。
だがそれでも太一郎はこの国の人々を守る為、アルベリッヒを斬らなければならない。
バルゾムや特殊工作部隊の女性たちのような雑魚とは訳が違う。アルベリッヒは極めて危険な男なのだから。
そして人を斬る事の『重さ』、人を斬った後に襲い掛かる『罪悪感』『悪夢』を、こんな年端も行かぬ17歳の少女であるサーシャに、絶対に味合わせる訳にはいかないのだ。
太一郎も人を斬った事は一度も無いので、斬った後にどんな後味の悪さが残るのかは想像出来ないのだが。
それでも『飲み込まれる』事の無いよう、しっかりと覚悟だけはしておかなければならない。
一度深く深呼吸をして心を落ち着かせてから、太一郎は隼丸の柄に右手を添え、アルベリッヒの首元に狙いを定めたのだった。
「アルベリッヒ。王女殿下の代わりに僕が貴方を斬る。覚悟はいいか?」
「やれる物ならやってみろ若造が!!この俺様の鋼鉄の如き鍛え抜かれた筋肉の前では、貴様の刀など何の意味も成さぬわ!!」
これはむしろチャンスだと…アルベリッヒが一転して狂喜の笑顔になったのだった。
アルベリッヒがサーシャに圧倒されたのは、電撃という手段でもって防御不可の攻撃をされてしまったから。
それに対して刀による物理攻撃しか出来ない太一郎では、物理攻撃に対して圧倒的な耐性を誇る、自分の屈強な筋肉を傷つけられはしないと。
だがそんなアルベリッヒの淡い期待は、僅か数秒で打ち砕かれてしまう事になる。
「マッスルガードおおおおおおおおおおおおお!!」
再びアルベリッヒの鍛え抜かれた筋肉が、鋼の如き強度と化す。
だが、その瞬間。
「おぶれらあっ!?」
太一郎の隼丸が、アルベリッヒの首を情け容赦無く刎ねたのだった。
頭部を失ったアルベリッヒの死体が、どうっ…と、地面に倒れ込む。
そう…『斬鉄』さえも可能にする太一郎の居合術の前では、アルベリッヒの屈強な筋肉など何の意味も成さなかったのだ。
自身の物理攻撃への圧倒的な耐性を過信し、完全に太一郎を見くびっていた事…それがアルベリッヒの死を早める結果になってしまったのだ。
「ア、アルベリッヒ様が死んだ!!に、逃げろーーーーーーーーーーーーー!!」
「「「「「うわあああああああああああああああああ!!」」」」」
傍に控えていたアルベリッヒの部下たちが、一斉にプロテインが入った瓶を投げ捨て、その場から逃げ出していったのだった。
そんな彼らを無視し、太一郎は一息ついて隼丸を鞘に収めたのだが。
「…はぁっ…はぁっ…はぁっ!!」
その直後に太一郎の顔色が急激に悪くなっていく。呼吸が荒くなっていく。
無理も無いだろう。太一郎は人を斬った。生まれて初めて人を殺したのだから。
いつものように魔物を斬るのとは訳が違う。太一郎は人殺しをしたのだ。
その生々しい感触が、太一郎の右手に纏わりついて離れない。
「くっ…まさか…ここまで『来る』物だとは…っ!!」
途方も無い罪悪感。右手に残る、首を刎ねた感触。目の前に転がっているアルベリッヒの、今も自分の死が信じられないといった表情の生首。そして首から先が無くなった死体。
正真正銘、太一郎が殺したのだ。
その逃れようのない事実が、太一郎の心を情け容赦無く蝕んでいく。
「くっ…がはっ…はぁっ…!!」
「太一郎さんっ!!」
膝をついて崩れ落ちてしまい、辛うじて隼丸で身体を支えている太一郎の首元を、サーシャが背後から優しく抱き締めたのだった。
生まれて初めて人を殺し、その罪悪感に打ちひしがれる太一郎の心を安心させる為に。
サーシャの豊満な胸が太一郎の背中に当たっているのだが、今の太一郎にはそんな事を気にしていられるだけの余裕など微塵も無かった。
「太一郎さん、貴方は何て優しい人…!!そして命の重みという物を心から理解していらっしゃる人…!!」
太一郎は敢えて自らの手で人を殺すという禁忌を犯し、サーシャの心を守ろうとしてくれたのだ。
サーシャに人殺しをさせない為に。サーシャを苦しませない為に。サーシャの心を壊させない為に。
その結果、こんなに罪悪感に苛まれる事になるのを分かった上で。
サーシャは目に涙を浮かべながら、太一郎の首元を背後からぎゅっと抱き締め続けたのだった。
「ぼ、僕は…人を殺した…!!僕がこの手で彼を…!!」
「分かっています!!大丈夫!!大丈夫ですからね!!誰にも貴方の事を責めさせませんから!!そんな事は私が絶対に許しませんから!!」
「王女殿下…!!僕は…僕はぁっ!!」
「太一郎さん、私が貴方を支えます…!!貴方の心が落ち着くまで、私はいつまでもこうしていますから…!!だから安心して下さいね…!!」
「…サーシャ…っ!!」
サーシャの温もりと感触を背後から感じながら、太一郎は自らが犯した人殺しの咎に耐え続け、静かに嗚咽し続けたのだった…。
次回は太一郎の入浴シーンです(誰得)。