4話 1LDK より
萩愛華の目線で進みます。
「起きて下さい」
制服姿の萩愛華は憂鬱そうに見下ろしている。
「まったくぅ…、眠いのっ!二度寝よぉ!」
布団の中から寝起きとは思えない元気さで返事が返ってくる。
「もうっ!ご飯できてるんですよ!」
「昨日遅かったの知ってるでしょ?まだ寝てたいのよぉ〜」
「問答無用!」
掛け声と共に愛華が布団を引っ剥がすと、1人の女性が丸まっていた。「さむぅい〜」と言いながら、まだなお布団にすがってくる女を愛華は引き起こす。
「いい加減しっかりしてください」
冷たい表情の愛華を見て、女はしぶしぶ座卓に向かう。テーブルクロスの上にはすでに焼けたトーストやスクランブルエッグ、オニオンスープなどが用意されている。
「愛華ちゃんがしっかりしてくれてお姉さん嬉しいような悲しいような…」
ぶつぶつ言っている女を無視して、布団を干した愛華も座卓に向かい、2人で手を合わせる。
「いただきます」
「いただきますぅ」
2人で食事を取ることができるときは、一緒に食べるのが萩家でのルールになっている。
「緋奈さん、そろそろ生活を改めていかないと本当に行き遅れになりますよ」
「わたしには愛華ちゃんがいるからいいわよぉ〜」
口にトーストを運びながら、緋奈と呼ばれた女が答える。
「私はよくありません」
「つめたぁ〜い。ホントはそんなこと言ってぇ、わたしに男がいないこと安心してるくせにぃ〜」
それは緋奈の言う通りだ。学校から徒歩数分の場所のアパートに緋奈と愛華は2人暮らしをしている。築30年ほどの1LDKだが、2人での生活でさして困ったことはない。仮にもし緋奈に彼氏でもできようものなら、ここでの生活が気まずくなることは愛華にもわかる。
「それに相手になら困らないわよぉ〜」
これもまた事実だ。愛華から見ても緋奈はとても綺麗な人だと思えるほど容姿が整っている。愛華と同じ黒い長髪だが、長さは腰まであり色はまさに濡羽色だ。天然ではないが、ふんわりとした独特の雰囲気も女性として魅力的だと愛華は思っている。だが長い間一緒に暮らしても、男の気配すら匂わせないのは自分がいることが原因ではないかと、ここ最近の愛華は考えていた。
「ならさっさと良い相手を見つけて来て下さい。そのときは隣の部屋に1人で」
言い終わらないうちに、コツン と緋奈に頭を小突かれる。
「あなたはまだそんなことを考えなくていいのよ」
緋奈はすぐに手を広げ、愛華の良い匂いのする頭をわしゃわしゃと優しく撫でながら、真っ直ぐに愛華の目を見つめて言葉を続ける。
「さっきも言ったでしょ。あなたがいるからそれでいいって。今はわたしのことじゃなくて、年相応に高校生活を楽しむことだけ考えていればいいのよぉ」
緋奈は子供を甘やかすかのように愛華の頭をポンポンとしたあと、自分の食事に戻った。
(昔からそうだ…)
愛華は心の中で呟いた。緋奈との生活の中で、何かを我慢しようとすると必ず頭を撫でられる。
愛華と緋奈は血縁の関係ではない。愛華は5歳の時に両親を殺されている。犯人は母が昔関係を持っていた男らしく、殺した母を弄んでいる間に通報により警察が駆けつけ、逮捕された。愛華自身はショックで忘れているが、以前の自宅で、目の前で起こった出来事だった。その後、児童福祉施設に保護され、その施設長の友人である萩緋奈に養子縁組によって引き取られた。
愛華は緋奈に大切に育ててもらっていることを感じ取っていた。辛い過去を埋め合わせるかのように、欲しいものは何でも買ってくれて、遊びに行く時はいつも一緒だった。緋奈が仕事で家を留守にする時はもといた施設に泊まり込みになったが、友達も多く、職員の皆も変わった人たちだがとても優しいので、むしろ楽しみにしていたくらいだ。
頭の賢い愛華は小学5年生あたりから緋奈のおかげでとても幸せなことを理解し始め、迷惑をかけまいと何かと我慢をする様になった。当然ながら緋奈はすぐにそのことに気づき、いつも頭を撫でたり、抱きしめたり、優しく「わがまま言ってもいいんだよぉ」といつも言ってくれた。意地の張り合いで喧嘩になることもあったが、結局その優しさに負け、緋奈の腕の中で泣くことが常だった。母でもあり姉あり親友でもある緋奈に対して、愛華は心の底から感謝している。返しきれないものをもらっていることを、よくわかっている。だからこそ早く彼女のもとから独立をしようと思っていたが、今回もまたいつもと同じだった。
「ほらもぉ〜〜」
いつの間にか横に来ていた緋奈に抱きしめられ、堪えきれなくなった涙が溢れ出る。堪えようとしても、どうしても嗚咽が漏れてしまう。
「もゔいいから…」
そう言いながら突き放そうとしてもよりいっそう抱きしめられ、頭を撫でられる。
「愛華ちゃんはとってもとっても偉い子ね」
緋奈はそのまま、強く優しく、愛華が泣き止むまで抱きしめていた。
干した布団を勝手に取り入れ、再びすやすや眠りについた緋奈を玄関先からもう一度見てから、ドアを静かに閉め鍵をかける。
学校は家からすぐそこにあるので、家の掃除や片付けをしてからでも十分に間に合う。あの後くしゃくしゃになった髪を緋奈に梳かしてもらい、くだらない冗談を言う緋奈を無視しながら食事を済ませた。冷めた料理でもとても美味しく感じたことを思い出しながら、住宅街を通り学校へと向かう。
昔は緋奈もそれなりにしっかりとした人だった覚えがあるのだが、最近一緒に暮らしているとその記憶に自信が持てなくなるくらい緋奈がだらしなくなっている。緋奈がそうなるぶん自分がしっかりすれば良いと考えていた愛華だが、自分がしっかりするほど緋奈が堕落しているのかな?ーーなどと考えているうちに学校に着いていた。
いつもの体育教師に挨拶をし、自分のクラスへと向かう。愛華は学校が嫌いではない。施設での生活と似ている部分もあり、なにより友達と過ごすことは楽しいと感じている。
だが、男子が苦手だ。とても苦手だ。高校生活が始まってからすでに1ヶ月ほど過ぎているが、もう3回程告白されている。中学でも告白された経験が何度もあり、言われる前に相手が告げにくくなるような言動をとるようにしていたが、それでも告白されるのだ。単に男が苦手なわけではなく、好意や興味といった目線を向けてくる男が生理的に無理なのだ。告白には勇気が必要なのは理解できるし踏みにじるようなことをしたくはないとも思うが、やはりにキツイ対応になってしまう。そもそもあまり喋ったことすらないのに、容姿だけを見て告白されることにも抵抗がある。
今も左前の方からチラチラと向けられる視線を感じている。「こっち見ないでよ」 と、小さく呟きながら市立図書館で借りた本に集中するように意識を向けた。