3話 出会い より
入学式翌日の土曜日、優平は心地の良い風とやわらかい日差しで目を覚ました。休日のため、まだ寝ている家族を起こさないように手早く支度を済ませ、高校の周りを散策しするために自転車を走らせた。まだ少し肌寒い風だが、暖かい日差しでとても心地がいい。
自転車で出かけることが趣味の優平は、天気の良い日は決まって午前中にでかける。高校の入学祝いに両親がプレゼントしてくれたロードバイクで、ここ最近は行動範囲が大きく変わってた。
漕ぎ進めるのを楽しんでいるうちに、もう学校の前まで来ていた。
土曜日であることから、誰もいないだろうと思っていたが校門が開いている。右手に見える駐輪場には、部活で来たと思われる学生の自転車がちらほら停めてあるのが見えた。入ろうかと迷ったが、私服であり、まだ門をくぐるのに違和感があるので、優平は高校の周りを走ることに決めた。
誰もいないプール、グラウンドにいる野球部やサッカー部を横目に学校の周囲を時計周りに進んでいくと、高校から見下ろせるところにある桜並木が目に入った。川に沿ってかなりの長さがあり、子供を連れた親やカップルが花見に訪れている。その川が境のようになって、川の向こう側は田んぼが広がっており、さらに奥には森が見えた。
優平は坂を下り、川沿いの道に出る。舗装されていない土手の上を川の流れと一緒に進む。視界から人工物が大きく減り、長く続く桜並木と開けた田んぼの景色が優平に遠くに来たように感じさせていた。
ふと、視界の遠くに1つの人影が写った。漕ぎ進めていくと、その人物が土手に座り込み本を読んでいることがわかった。近づくにつれて少しずつスピードを落としていくと、その人影が昨日見たものと重なった。
入学式のあと、クラスに入ると一番最初に目についた人だ。肩甲骨の辺りまで伸ばされた綺麗な黒髪がとても印象的で、入学式当日から1人で静かに本を読んでいた。その雰囲気を表しているかのように、凛とした端正な顔立ちが、早々多くのクラスの男子の視線を集めていることはすぐにわかった。
入学式の翌日に、いい雰囲気のなかで気になっている子に出会ったら誰でも話しかけたくなるものだ。普通なら運命だと過信してもおかしくはないと思う。
中学では女子と話すことに抵抗はなかったが、自分から話しかけることは少なかった。好意を告げられたこともあったが、付き合ってみようという気持ちになることはなかった。恋愛に対してあまり興味を持てなかったのだ。
そんな過去忘れ、浮かれた気分とドキドキの緊張の中、後ろから声をかけようとしたときに凛とした声が遮った。
「話しかけないでくれる?」
自分に向けた言葉であることまでは理解することができた。どうすればいいのか分からなり困っていると、
「同じクラスの人よね?」
「仲良くする気はないから話しかけないでね」
こちらを振り返りながら、彼女は言った。
「えっと……」
優平に目もくれず、彼女は優平が進んできた道を戻るように歩いていった。優平は黒髪を背中で揺らすその影が、小さくなっていくのをただ呆然と眺めていた。
気分が少し落ち着き、次に耳に入ってきたのは小鳥の鳴き声と川のせせらぎの音だった。さっきまでとても心地の良かった陽気に対してなのか、急に腹部が粟立つような感覚を覚え、家に向けて急いで自転車を漕ぐ。
自転車を玄関の横に立てかけると、母の呼ぶ声が聞こえた気がしたが無視して階段を駆け上がった。カーテンを閉めて布団を被り、顔を枕に埋める。
(なんだよ、あいつ…)
彼女が悪くないことを優平は分かっていた。自分からドキドキしながら声をかけようとし後、勝手に混乱しているだけなのはわかっていたが、そう思わずにはいられなかった。
するとスリッパの音と共に、母が上がってくることが分かった。
「優ちゃんってば!返事くら」
「「「うるさいっ!」」」
自分でも思っていた以上に大きい声が出て、自分でも驚いた。
「………。」
母がしばらくの沈黙とともに、自分を見ていることがわかった。扉が閉まる音がした後、スリッパの音が遠ざかっていくのが聞こえる。
混乱に加え、新たに自己嫌悪が追加された。母は優しく、察しも上手な人だ。とてもうざい時もあるが、とても優しく、素敵な母に恵まれていることを優平はよく理解しているつもりだ。
(あとで謝ろう…)
睡魔に引きずられていく意識のなかで、優平はそう思った。
目が覚めたとき、カーテンと部屋の薄暗さから随分寝ていたことを理解した。下の階からテレビの音と、母が台所で何かを作っている音が聞こえてくる。
ハンバーグの焼ける良い匂いがする。こういうことがあった日は母は決まって、優平の好きなものを用意してくれる。その優しさが心に染みていくことを感じながら、今日出来事を冷静に整理をし、優平は呼ばれる前に階段をおりた。