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「はっ? なんで」

 蓮斗は声を上げた。

 右手に持ったスマートフォンが伝えてくる熱が右の頬を温めてくる。


 本日は風がよく通る、気持ちの良い日だ。そのせいか、窓を開け放っている室内はやや肌寒く感じられて、外の陽気から反転して室内が暗く感じられた。その明と暗の境目が少しだけ、何かを伝えてくるようで、少しだけ苦手だな、と思う。


『ごめん、ほんっとーーーに、ごめん! 今日は体育館の設備点検の日だったんだよ、本当に!』

 機械を通した声が、普段の会話以上に鼓膜を揺るがすのは困りものだ。特に、電話のような耳元で会話の声が聞こえるタイプは。


 週末の休日。今日は、菜津と二人で石橋神社に行って、美月が何を隠しているのか調べようと約束した日だった。

 本来ならちょうど、午後から体育館の設備点検があるからと、バスケ部の彼女は午前中だけの部活の予定だったのだ。それが何故か、業者の都合によりその作業が延期になったのだという。


「はぁ、仕方ないな。とりあえず、今日は俺一人で行ってみるよ」

『本当にごめん! またなんかわかったら教えて』

「ああ、また何かあればちゃんと相談するから。ありがとな」


『何が。あたしは美月の親友なんだからこんなのあったりまえ!』

 高校に・・・上がって・・・・気づいた・・・・。菜津のそれが、どれほどに稀有けうなことなのか。


 美月にハンディキャップがあることを蓮斗は理解しているし、対応もしている。しかし、全員が全員そうとは限らないのだ。

 会話がしづらい、コミュニケーションが困難だ。そういうことで、人は容易に離れていく。事実、高校入学直後、美月の様子に気がついたクラスメイトの幾人かは離れていった。


 その中で美月に一目惚れしたからと、ぐいぐいと突き進んでは親友枠を勝ち取った人間。それが、菜津だったのだ。


 だから実は、今回のことといい、美月の友人であってくれることといい、感謝こそすれ、怒ってなどいない。彼女が言ってくれなければきっと、蓮斗は同じところで足踏みばかりをしていただろう。


「うん、ありがとう。じゃあ、行ってくるから」

『うん、ごめん、よろしくね!』

 その言葉を最後に通話は終了した。


 さて行くか、と、蓮斗は半袖の上にシャツを羽織る。以前ボールが飛んだ辺りを探すというのなら、林の只中に入っていくことになる。薮蚊の餌食になるよりは暑い方を選ぶ。そんな意識のチョイスだ。

 出かける予定だったので昼食は済ましてあったため、母親に声を掛けて家を出た。


 石橋神社は近所だが、十分弱かかる道のりだ。

 住宅街から少し道をずれ、竹林を通り、石畳が見えると後もう少し。広場の方に向かうため、鳥居の横から入る道に進んでしばらく行くと開けた場所に出た。


(ここでキャッチボールをしてて、で、一輝の投げたボールがこっちに飛んでいって……)

 ぶつぶつと呟いて一つ一つ確認しながら、あの日の行動を追っていく。その先には、やはり彼女がどうしても行くと聞かなかった林……。


 木が密集しているため、初夏のこんな昼下がりの時間だというのに薄暗い。

 それが、何かを誘っているようで、何かを拒絶しているようで、少しだけ背筋が冷えた。


 ごくり。


 飲み込んだ唾液が、無駄に体内でこだまする音を耳の近くで聞く。

 そのまま食道を通って胃の腑に流し込まれるまでを感覚で捉えながら蓮斗は一歩を踏み出した。


 進んだ林は林だった。

 何の変哲もなく、木が生い茂っているだけの。ただ、やはり藪蚊は酷い。これは上着を着ていて良かったなと胸を撫で下ろした時だ。


(道……?)

 林の先に、土と砂利の小路があるのだ。ちゃんと見なければわからないほどの、それは獣道を少しだけ広げて整備したような、人一人がやっと通れるくらいの道だった。


 蓮斗はちょうど道の半ばに出たようで、一方は神社の境内の方へ、一方は敷地のさらに奥へと繋がっている。


「もしかして、ここが……?」

 この先が、そうなのか。

 腹の中で納得を一つ。


 近所で暮らし育っていた自分さえ知らない、隠された道の先。それを彼女が知っている理由には思い至らないが、隠されている存在というものに思い出すものはある。


「『逸話』、ね……」

 暑さか、緊張か。額からこめかみへと流れていく汗を感じながら呟いた。


 手の甲で軽く拭って、また足を進める。

 一歩一歩、進むごとに重くなる足。

 落ちてくる汗が、身体に絡みついてくるようだった。


 しばらく歩いた先に見えたのは、林が広がった小規模のスペース。林の脇に群生するどくだみの花がぼんやりと浮かんで目に飛び込んでくる。


 そしてその最奥にあるのが、小さな祠、だった。


 木でできた、蓮斗の腰の高さくらいの、本当に小さな。

 正面にはしめ縄に紙垂しでが下げられており、格子戸の奥には何か光るものが────




  *




 走って、走って、走って、走って。


 喉の奥の血の香りは無視をした。

 流れ落ちる汗は風に任せた。

 棒のようになっていきそうな足を叱咤して。


 進んだ道はここ約一年で慣れたはずなのに、何故か酷く遠い。

 砂利道に取られる足が邪魔だった。

 でも、この足がないとあの人の許へ行けないの……!


(蓮斗くん……、お願い、お願いだから……!)


 行かせたくないのだ。

 見せたくはないのだ。


 ……違う。知ってほしくない。

 自分本意のあの願いを。それをよしとした自分の浅はかさを。

 何を引き留めてしまったのかなんて。


 そうやって願いながら走ったのに、見えた光景は願いを打ち砕くものでしかなかった。


「み、づき……」

 走ってきた足音に気づいたのか、振り向いた姿は美月が何よりも求めていた姿で。そして──絶対に見たくないと思っていた光景だった。


『れんとくん……!!』


 差し伸べた手が空を切る。

 一瞬も触れなかった手が悲しみに震えた。


 限界を訴えた膝が笑って。

 彼女は地に伏す。


 目の前に落ちたのは、彼が羽織っていたシャツだった。


 持ち主の香りがそっとくゆって、風に流れた。




  *




 ──ぱちり、と。


 ベッドの上で目を開けた蓮斗は、あれ? と首を傾げた。

(おかしいな、俺、石橋神社に行ったと思ってたんだけど……。え、夢……?)


 頭を振って、伸びをして、ベッドから抜け出る。

 何か、長いような短いような、不思議な夢を見ていた気がするのだ。


 ……ピリリリリ……!


 そんなことをしている時に携帯が鳴り出したものだから、肩が揺れたのは仕方のないことだろう。

 暴れた心臓を落ち着かせつつ慣れた手つきでスマートフォンを触って、

「もしもし……」


『美月が!! 美月が消えたの……!!』


「──は……?」


 鼓膜に突き刺さる声で、変化を知る。



 ──落ちた先は。

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