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(3)

「おい、待てよ菜津。ちょっと、どうしたんだよ!」

「美月のことなら心配ないよ。一輝に頼んできたから」

「いや、そういう話じゃなくて!」


 石橋神社でキャッチボールをしてから数日後の昼休憩のことである。


 弁当を食べようとしていたところ、急に菜津に「蓮斗、来て」と腕を強制的に引っ張られてしまったのだ。普段は元気いっぱいの菜津の雰囲気が最近おかしいことも気にはなっていたが、それ以上に、引っ張る腕の強さが、何かに縋っているように思えて、変に振り払うことも出来ずにされるがままになっていた。


 そうして、到着したのは人気ひとけのない屋上だった。

 普段使っている教室棟からいくらか離れた、特別教室棟である。この昼休憩中にここまでくる生徒もそうはおらず、また、最近は暑いためにわざわざここまで来る人もいないのだとか。


 出入口は影が差しており、高い場所なので風が通るためか、比較的暑さは感じなかったのだけれど。


「ここならいっかな。バスケ部の先輩が、ここは人があんまり来ないから、密会するのに良いよって教えてくれたんだけど、まさか蓮斗と密会することになるとは思わなかったけどね」

「そもそも『密会』じゃないだろ。俺は無理矢理連れてこられたし、連れて行かれるのをほとんどのクラスメイトが目撃してたじゃないか」


 それもそっか。と、特に何の感動もなく、菜津は声を落とした。


 やはりおかしい。普段の生活では今まで通りに、鈍感に楽しそうに過ごしているのだけれど、こうやって、ふとした瞬間に顔に影が差す。そんな表情が、何故か酷く気になっていたのだ。


 菜津は何かを考えているような態度で、口元に指を当てて何かをぶつぶつと呟いていた。そしてそれを振り切るように、指を拳に固めて、言う。


「ねぇ蓮斗、気づいてるよね。蓮斗が気づいてないわけないよね」

「何が。急に言われたって、それがわかんないと何も言えないだろ」

「嘘! だって気にしてるでしょ!? いつもそう・・だったけど、あの日からはそれ以上だった!」


「だから何だって……」

「──美月のことよ!」


 一文字一文字ヒートアップしていく菜津を落ち着かせるべきかどうなのか迷いながら答えていた蓮斗を遮って、菜津は悲鳴のような声を上げた。


 蓮斗に掴みかかってくるような形の彼女の、見上げてくる瞳に水分が見える。

 そして、蓮斗はああ……と、腹の中に落とすように理解をする。


 あの、石橋神社へ行った日。あれから、どうしても美月の態度が気になって、何かにつけ視線を送っていたのは間違いない。けれど、以前から蓮斗が美月を気にして気遣っているのは周知の事実だったので気づかれていないと思っていたのだ。そして、美月の傍にいることの多い菜津の雰囲気に気がついていたのもまた、そのせいであった。

 同じく、あの日の様子からずっと違和感を覚えていた菜津は、美月を気にする中で蓮斗の視線を感じ、それが、以前とはまた違った雰囲気であると察したのだ。


「あの、石橋神社に行った日からずっと、美月はおかしいの」


 顔を俯かせて、自分の考えを肯定してほしいのか否定してほしいのかわからぬまま、菜津は言葉を紡ぐ。蓮斗の制服に掛けられた手は、縋るような様子のまま、どんどんと力が込められていった。


 普段は変わりないのだ。けれど、菜津が『石橋神社』の話題を出すと、何かに怯えるような態度をとる。特にそれが顕著だったのは、一輝が言っていた『逸話』について話題に出した時だ。とにかく早くそこから会話を終わらそうと、別の話題に移ろうと必死になるのである。


「絶対、何か隠してる。それも、凄く重いもの。なのに何も言ってくれないの……」

 この数日、美月が何の単語に引っかかるのか、何の単語を逸らそうとしているのか、考えながら会話をしていたのだと彼女は言った。ずっと手探りで、友人に対して酷い態度をとっていた自覚はある。


 けれども、どうしても気になって仕方がなかった。


 そして今日、纏まった考えを蓮斗と摺り合わせたくて、一輝に頼み込んで美月の足止めと問題が起こった時──普段は蓮斗がしていること──の対処をお願いして、蓮斗を引っ張ってきたというわけである。


「ねぇ、蓮斗は何か知らない? 美月とは幼稚園の頃から一緒だったんでしょ? 何が美月をあんなに怖がらせてるのか。本当にわからないの!?」


 畳み掛けるような菜津の言葉の中の一単語。それに吸い出されて出てきたのは、ある夕暮れの会話の際に浮かんだ意識だった。


「……そういえば、俺……美月と会話した記憶があるんだけど……でも、……」


 目を見開いて、唇を震わせて、蓮斗は続ける。


 眉を顰めて見上げてくる菜津の視線が痛い。


 じりじりと焦げつくような太陽の暑さが、今は何故かいやに冷たい。


 この言葉が変えるいくつかの事柄は、きっと彼らが気づかずに大切にしていた日常の欠片だったのだろう。


 その先に進むことへの危険性を、きっと、彼はどこかで気づいていたのに。


「美月の声が、出なくなったのがいつなのか、記憶にないんだ……」


 瞠目した菜津の目に、同じく瞠目した自分が映っているのが見えて、何故か不思議に、笑みが浮かんだ。

 くっ、と持ち上げた口の端が、何故か頬を痛める。


「え、何よ。嘘?」

「違う違う。馬鹿みたいだなって思ったんだよ」

 何がよ、と咎めるような声で言ってくる菜津に、蓮斗は俺がだよ、と自嘲しながら返した。


「俺、何も気づかなかったんだ。美月が声を失くしたことも、その理由も、全然覚えてない」


 手を顔を覆って、屋上の出入口の壁に凭れ掛かって、ずりずりと地に座る。


 コンクリートの材質が、寄り掛かったところから冷たさを伝えてくれた。

 二人に覆いかぶさってくる出入口の影が、また一層、濃さを増した気がした。


「美月のこと気遣ってたつもりだったんだけど、本当に『つもり』だけだったんだな。美月が笑ってくれるからって、そのままにしてたんだと思う……」


 あーあ。と、出てきた溜息は自嘲を含めた後悔だ。


 あの日からぎくしゃくし出したものを、気遣うことで、伺うことで、どうにか保とうとしている。加えて菜津はどうしても調べる必要を感じているし、四人の中で唯一変わっていないのが、一輝だけなのだ。


(あいつは気づいてないだけだろうけどな……)


 友人に対しての認識が辛辣ではあるが、菜津も同意見である。しかしそれが、救いになっていることもまた、理解していた。


「ねぇ、あたし考えたんだけど。あの、美月がどうしても行くって聞かなかった、ボールが飛んで行ったところ、……」


 その先の一言を、蓮斗はわかっている。おそらく、自分がしようとしてどうしても踏み出しきれなかった行動だ。


「──行ってみようよ。調べてみよう、二人で」


 ここ数日、特にこの会話中に雰囲気をがらりと変えてしまった彼女だけれど、その真っ直ぐな瞳はずっとそのままだ。

 自分を見上げてくるその瞳に、蓮斗は一つ。ゆっくりと、頷きを返したのだった。




  *




「──行ってみようよ。調べてみよう、二人で」


 少女の、少しだけ水分を含んだ、けれどきっぱりとした声を、少年は聞いていた。


 最初は昼食も食べないといけないし、やらないといけないこともあるからとあまり気にしないようにしていたが、どうしても、菜津が蓮斗を無理矢理引っ張っていく必要性を知りたくて追いかけてきたのだった。


 ほとんどを聞いていなかったけれど、誰が、どこに行くかまでは把握できた。


 その後も二人の会話は続いていて、菜津の部活が早上がりする休日に、一緒に行こうという流れになっている。


 しかし……追いかけて来てみたは良いものの、その日は用事が入っていて、どうしてもついて行けそうにないなと、口の中で滑らせた。


「あーあ……まぁ、『最悪の事態』じゃなさそうだからよかったか……」

 呟いた声は、思った以上に、屋上に出る前の階段に響き渡った。


 そこに何があって、それが何を意味するのかはわからないけれども、少年にとって今重要なことは別のことだ。


 彼女が随分思い詰めていたようだったから心配になったけれど、親友がいるからどうにかなるだろうと、軽く考えていたのだ。


 だってあいつは信用できる。




 ──安易な考えを、どれだけ後悔するとも知らずに。

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