111、恋する令嬢
今回は、レイブンを追っているストーカーチックの令嬢の話。
「やっと見つけましたわ。レイブン様!」
ケイ達がルフ島から戻って二日後、休養を得て依頼を受けようとギルドに向かう途中で、護衛を連れた女性が立ちはだかるかのように現れた。
彼女の口からレイブンの名が出ると名指しされた本人は、どうやら知っている人物だったようで困惑の表情を浮かべている。そういえば初めてマライダに船で向かった時、とある令嬢から猛烈なアピール攻撃を受けていると言ったことを思い出す。
この女性のことだろうかとケイが首を傾げる。
「トラボルト男爵の令嬢ね」
「知ってるのか?」
「彼女はリスティ・トラボルト。家は代々絵画や美術品を扱っているの」
リスティ・トラボルト
ダナンに住んでいるジダン・トラボルトの一人娘。
古美術を扱っている家柄だが、彼女自身はあまり詳しくないらしい。
噂によると、とある冒険者の男性を探しているようだ。
困惑気味のレイブンに、リスティは目を輝かせて詰め寄る。
ふんわりとした栗色の髪色に女性らしい淡いピンク色のワンピースを着た女性に迫られたら男性ならすぐさまコロッと落ちそうだが、レイブンは努めて冷静に彼女に言った。
「何度も言っているが、君とは一緒になれない」
「なぜですか!?お金のことでしたら私がなんとかいたします!けして不便な思いはさせないと…」
「そういうことを言っているんじゃないんだ。俺は娘や世話になった人たちに恩返しがしたい。今はそういうことは考えられないんだ」
「今は!といいますと、いつ考えてくれるのですか!?」
「だから…」
なんとも強欲な令嬢である。
シンシアの話によると三年前にレイブンが護衛の依頼を受けた際、リスティがレイブンをいたく気に入ったようで、以来、常々彼と結婚したいと言っていたそうだ。
彼女の両親は、最初の時は冒険者ということで首を縦に振らなかったが、リスティの強引かつ一人娘の補正がかかり、本人がいいというならという条件で許したらしい。本音を言えば両親も好感を持っていたようでぜひと言っていたらしいが、レイブンが断るとそうだよねという表情で引き下がったそうだ。
レイブンは、伯母のメリンダや親代わりに育てているコルマの事を気遣っている。いつでも会えるわけではないので、せめて彼女たちが貧しい思いをしないことや伯母に恩義を感じ、冒険者で稼いだほとんどを家に入れている。
レイブンとリスティのやり取りに、彼女の護衛をしていた二人の男性がどうするべきかと互いに顔を見合わせ唸っている。
互いの意見が平行線なのは目に見えているため、ケイが間に入り二人を止めた。
「はい!はい! ストップ!ストップ!!」
「なんですか!?あなたは!」
「俺はレイブンの仲間だ。こいつが嫌がっているだろう?止めてやれよ」
「嫌がっていると言ってませんわ!ね?レイブン様!」
レイブンの表情には明らかに困ぱいしている様子が窺える。
何度も断っているのに、一向に話を聞かない令嬢にお手上げの状態だった。
「あなたは私を男爵令嬢と知って言っているのですか?だとしたら衛兵に言いつけますよ?」
「はん!上等だ!やれるもんならやってみろ!人の話を聞かない鶏姉ちゃん?」
もはや火に油、売り言葉に買い言葉。
貴族相手に三歩歩けば忘れる鶏の侮り言葉を放つケイに、我慢ならないと命令する令嬢に狼狽える護衛。町のど真ん中で行えば野次馬が集まり出すのは明白だ。
「あれ?シンシア達じゃないか?」
そんな状況で一人の男性がケイ達に声を掛けてくる。
着崩した服装に茶色い髪を縛った男性と、その後ろには商人とおぼしき小太りの男性と二人の護衛らしき男たちを引き連れている。
声を掛けてきた男性はケイ達が見知った人物、ガルシア・メルボルクだった。
「あら?ガルシアじゃない?」
「珍しいな。ここで、一体何をしてるんだ?」
先ほどアーベン着の船で到着したガルシア達は、町の中央で人だかりができていることが気になり覗いてみて驚いたそうだ。シンシアが今までの経緯を説明すると、あーいつものねと困った表情で納得をする。
「ガルシア達は?」
「俺たちは、アルバラントに美術品の商談があって向かってる途中なんだ」
「もしや、そちらはジダン様のご令嬢ではないですか!?」
商人の男性がリスティに近寄り、まさかこんな場所で会うとはと目を輝かせる。
それを、笑顔で向かえる彼女の引きつった口角をケイは見逃さなかった。
場所は変わってここは宿屋『ポーサ』。
一階の食事スペースの一部をケイ達とガルシア一行、トラボルトの令嬢達が占拠する。宿屋の女将のマリーと料理人で夫のドルマンが、困った表情をしてケイに耳打ちをする。
「ケイ、一体これはどういうことなんだい?」
「あー説明すると、レイブンと令嬢の戦いに商人が乱入したってことかな?」
「なんだか、よくわからないねぇ~」
ケイの説明を他所に、ガルシアに同行している商人がリスティにあれやこれやと話しかけている。商人はムスタファという人物で、メルボルク家と交流のある商人だという。
ムスタファ
メルボルク家と交流のある商人の男性。
真摯な対応で貴族からの人気も高く、メルボルク家に気に入られているようで、度々彼の元を訪れている。
「そういや、美術品をアルバラントに運んでいるって言ってたけど?」
「実はアルバラントに住んでいる子爵家のご令室が、改築した部屋の内装に合う絵画を所望してたんでそれを届けにやってきたんだ」
寝室に置く絵画を見繕ってほしいと依頼されたようで、ムスタファお抱えの護衛の腕には布に包まれた絵画が三つ。絵画を絞り込むことができたが、ムスタファ自身あまり絵画には詳しくなく、有名な画家から直接買い入れたとのこと。
ケイも芸術作品には詳しくないが、有名人が描かれた絵ならどれを飾ってもいいのではと考える。
「そうだ!ムスタファさん、今ここにはトラボルト家の令嬢がいますので、どの絵画がいいのか助言をお願いしたらどうですか?」
ガルシアの一声に、それはいい案ですねとムスタファが笑顔で返す。
その横でリスティが笑顔のまま固まっている姿が見えるが、ケイ以外に気づかれることはない。
ムスタファの指示で、護衛の男性二人が三つの布を取る。
横に並べられた絵画は、どれも魅力的に見える。
ムスタファは、普段絵画を目にすることがないケイ達にも分かりやすく説明をしてくれた。
「まず右側の絵から。こちらは最近若手実力者と名が上がっています、画家のフィリップさんの作品です。題名は『金色畑と少女』になります」
金色畑に佇む一人の少女が描かれている。
白いワンピース姿の少女がこちらに背を向け、畑を見渡している場面である。
金色の畑が広がり、そのはるか彼方にはルフ島のヴノ山を模した大きな山が描かれている。
「真ん中の絵画は、ゾッソ画伯の『ユホのまなざし』です」
二人の男女が庭園の様な場所で寄り添っている。
男性が女性の肩を抱き、女性が男性を見つめる構図になっている。
ユホと言うのは女性の名前だろうか?二人とも穏やかな笑みを浮かべている。
「最後に左側の絵は、風俗画の巨匠と言われておりますリブロの『水を汲む少年たち』です」
風俗画は庶民の日常生活の様々な場面を描いた作品のことである。
その絵には、少年が井戸から汲んだ水の入った桶を地面に置いた水瓶に移している場面が描かれている。その傍らには別の少年が水瓶を零れないように押さえ、その後ろには少年の弟とおぼしき年端もいかない少年がその様子を見ている。
並べてみると、風景画・人物画・風俗画とそれぞれテーマが異なる。
絵画に詳しくないケイはそれぞれの絵に鑑定をかけ、詳細を確認した。
「リスティ様、参考までにお伺いします。もしご自身が寝室に絵を飾るとしたらどの作品を飾りますか?」
ムスタファはリスティに笑顔で問いかけた。
リスティは少し考えてから真ん中の絵画を指し示す。
「私なら『ユホのまなざし』ですわ。愛し合う二人の仲睦まじき姿に心を躍らせます。寝室に飾るとおっしゃっておりましたので、夫婦の仲をより深めるいいきっかけになると思いますわ」
高らかに声を上げ、ムスタファに自分の意見を告げる。
寝室という場所に飾るというのであれば、それもまた一興である。
「さすがトラボルト家のご令嬢でありますな。ちなみに皆さんならどれを飾りますか?」
ムスタファは、ケイ達にも意見を尋ねた。
領主の娘であるシンシアや王族の護衛を務めていたアレグロとシンシアならいざ知らず、ザ・庶民の男性三人は困った表情を向ける。
「私なら右側の絵ね。画家のフィリップは兄の友人で、画家としての腕もいいと聞いているし、前にそのよしみで庭の絵を描いて貰った事もあるわ」
まずシンシアが意見を述べる。
どうやらフィリップという画家は、彼女の兄であるアーヴィンの学生時代からの友人らしい。今はフリージアに住んでいるようだが、たまにダナンに来ては兄と一緒にいろんな場所を巡っているのだそうだ。
「私は左側の絵ね。風俗画は私が好きな構図でもあるの。日常の何気ない場面を絵で表現するなんて素敵じゃない?」
「私は右側の絵です。色彩豊かでありながらも品の良さを感じます。よく見てみますと、麦の一粒一粒の着色が細かく表現されています。一言で金色と言いますが、本当の金色ではなく、幾度にも重なった色が金色として表現されている辺りは繊細さを大事にされている方なのだなと感じます」
アレグロとタレナはそれぞれ別の絵を指し示す。
当然だが双子でも好みは違う。
アレグロは日常の何気ない風景が好きなようで、もし自分の家があったら風俗画を飾りたいなと言っていた。タレナは風景画が好みのようで、最近では風俗画を専門としているシャンカールという画家にハマっているらしい。
「俺は左側の絵だな。今借りている家に飾るとしたら、真ん中はちょっと違うし、右側の絵は少し派手すぎる」
「俺は右側の絵かな。家の中が華やかな雰囲気になる気がする」
現実志向のアダムと、伯母の家に飾ることになるとと考えるレイブン。
絵画に関して詳しくない二人は、それぞれ自分の家または家族の家に飾るならと想像している。たしかに真ん中の絵は、一人暮らしのアダムの家には悲しすぎるし、レイブンの伯母の家に飾るとなるとなんか気まずくなりそうだ。
「ケイは?」
「俺は左側だな」
「どうして?」
「この絵って面白いんだよ」
シンシアに尋ねられたケイは、左側の絵を示した。
美術の美の字も絵画の絵の字もよくわからないケイだが、左側の絵に自身の好奇心と感心を向ける。
「左側の絵をよく見てみろ」
「よく見てって・・・この絵のなにが面白いの?」
「この絵の水の部分のところだ。よく見てみると下書きがそのまま生かされているんだ。絵というのは下書きをしないで描くヤツもいれば、下書きを隠したり消すように塗りつぶすことがある。だけどこの絵は下書きで描いた水の部分をうまく取り入れて表現しているんだ」
水を表現するとなると青色などの寒色系を思い浮かべがちだが、その時の情景や状況によって表現の仕方が違ってくる。
この『水を汲む少年たち』は、灰色を使って水の濃淡を表現し、光の部分を白色、影の部分を下書きの黒で表現している。
特に桶から水瓶に移し替える時の、流れ出る水の表現力には目を見張る。
液体という不定形なものを色や明暗だけで表現しようと、素人ではどうしてもバランスが悪くなる。そこを本職と言われる画家達は、複雑さを正確に的確に把握し表現をしている。やはりプロは偉大である。
「皆さんの意見、大変参考になりました。しかし何故、リスティ様以外はどなたも真ん中の絵を選ばないのですか?」
「ムスタファさん、彼らは絵画の価値を理解していないのですわ。現に『ユホのまなざし』は子爵家の寝室に飾っても違和感がないと思います」
ムスタファの疑問にリスティが当然この絵一択だろうという表情で語る。
その後ろでは、シンシアが「いや、だから・・・」と口ごもっている様子が窺える。
シンシアとレイブンは真ん中の絵の本当の意味を知っているようで複雑な表情を浮かべ、ガルシアはどうするべきかと思案している。アダムとアレグロとタレナは、どれも素敵な絵たねと互いに意見を交わしているため、真ん中の絵の意味は知らないらしい。
最初に並べられた絵画を見て、予め鑑定をしてよかったとケイは思った。
しかし子爵のご令室が並べられた絵の意味を知っていた場合、ムスタファの商人歴に傷をつけかねない。
「ムスタファ、真ん中の絵は止めておいたほうがいいぞ!」
ケイが声を上げる。
ムスタファはどうしてと言わんばかりの表情でケイを見つめる。
「ちょっと!トラボルト家の私の意見にケチをつける気なの!?」
「ケチはつけてないが、無知だと思ってる。ムスタファの商人の履歴に傷をつけるというのであればどうぞ」
「ケイさん、どういう意味ですか?」
掴みかからんばかりのリスティに困惑の表情のムスタファが尋ねる。
ケイは首を後ろに向け、仲間達の表情を見た。
仲間の三人はポカンとした顔をしている。シンシアとレイブンはケイが意味を知っていると理解し、まかせると言った表情を向けている。
隣にいるガルシアが、ニヤニヤした顔で立っているのが少し腹立たしい。
「だってその真ん中の絵“春画”だぞ?」
その発言にその場の空気が凍りついた。言ってしまったが仕方がない。
ムスタファは顔を瞬時に青くさせ、リスティはその意味すら知らないのか疑問の色を浮かべる。
「ホント、お前は何も知らないんだな?春画と言うのは性を描いた絵画のことだ」
「それによく勘違いされるけど、『ユホのまなざし』のユホは人の名前じゃなくて『誘惑』を意味する言葉よ?」
「それを知らないで堂々と宣言するんだもんな!無知は罪なりってことだ!」
ケイとシンシアがリスティに向かって説明をした。
ケイにいたっては半分皮肉めいた発言をしているが、彼女はその言葉をやっと理解したのか恥ずかしさのあまり顔を赤くさせる。
後ろでは三人が、選ばなくて良かったと別の意味で安堵している様子が見えた。
「いや~、よかったなムスタファ!貴重な意見が聞けて!」
「ガ、ガルシアさん知ってたんですか!?」
「直前に指摘すればいいやって思って黙ってた」
「そ、そんなぁ~」
もし、ムスタファ本人が他の人からの意見を聞きたいと言わず、そのまま子爵のご令室に見せたとなると一体どうなってたことやら。
そんなリスティの姿に周りにいた他の客たちは、ある者は彼女を指をさして連れと内緒話、またある者は仲間と酒を片手に豪快に笑っている。そしていたたまれなくなった彼女は、顔を赤くさせたまま勢い良く宿屋を飛び出し、護衛の二人も「お騒がせしました」と一礼をして店を後にした。
リスティはその後、その騒動が原因で父親から烈火の如く怒られたのだという。
一時期、巷では『鶏のリスティ』と言われていたが、自分の無知を反省し、男爵令嬢としての心構えはもちろんのこと美術品や絵画などの芸術を片っ端から勉強したのだという。
その結果、数年後には古美術の専門家として名を馳せることになるのは別の話。
なんとか令嬢を退けたケイ達は、次回王都アルバラントに向かうことになります。
次回の更新は12月18日(水)です。




