一章第八話 マハ・マカ
気が付いた時、俺は暗い草原の上で寝ていた。ぼんやりとした頭の中で、俺はこの場所を想像する。
横には暖かい光。たき火のようだ。パチパチという爆ぜる音に加え、話声が聞こえる。片方は頭の中でよく響く女神の声、そしてもう一方は、聞いたことのない老婆のような皺がれた声だった。
『あ、ヒロトさんが起きたようですよ。マハ・マカさん』
(マハマカ?)
俺は未だはっきりしない頭でその名前を思い出す。ぼやけた目を凝らすと、たき火の向こうに黒づくめのローブを着込んだ小さい背の人間がいる。
声の主がこの人だというのなら、老婆、女性であろう。
俺が起き上がろうとすると、頭の下には布を丸めただけの枕が置いてあることに気づく。身体にはボロボロだが毛布がかけられていた。
老婆を見やる。フードで顔が隠れていて表情は見えない。話に聞いていた通り、顔を見せたくはないらしく、覗き込もうとしても顔を逸らされてしまう。
『一時間ほど寝ていましたね。ヒロトさんにとっては衝撃的な事実ですから無理もないですけど。タイムマシン、時間旅行なんて神ですら無理な部類ですし。ていうかどうやって転移したしって感じですしね!』
そう口早に捲くし立てた彼女はどことなく怒っているように見える。モニター越しで本気で心配していたのだろうか。
老婆はそんな俺らを見ながら立ち上がる。背はそれほど高くない。というよりやけに小さい。百五十かそれ以下だろうか。
ここはどこなんだ。そう尋ねた俺に、老婆は答える。
「城の地下。かつて繁栄し、既に滅んだ世界。神とヒトが争い、神の力を無理やり行使した男によって地下へと埋もれた前時代の遺跡。言わずもがな、君が居た世界の遥か未来の結末だよ」
神と人が争った? 俺の世界で? そんな馬鹿な!
そう言ってやりたかったが、彼女の話はどうしてか耳の奥に残った。俺がこの世界――いや、この未来へ転移してきた後、一体何が起こったのか。
それをどうしても知りたかった。
「あまりそれを言うのは芳しくないのだけど。"あの後"一人の男が研究の末、神の力――魔法を習得するに至った。魔術ではなく魔法。神のみ扱えたはずのソレを手にした男は神から危険視され、世界からの追放を受けた。しかし、男は魔法を駆使し転移を自由自在に操作して神殺しを始めたんだ」
「神殺し……」
『うっわー……聞きたくない私の未来』
「そうだね。メメーリアは聞かないほうがいいのかもしれない。男は神を殺し始めてから、その魔法で恐怖政治を敷き仲間を集めた。そうして戦争が始まったんだ。最初は神が優勢ではあったが、ヒトの抵抗は意外にも神を追い詰めていった。神は己らを凌駕する域まで至ったヒトを侮蔑し、恐怖し、自らの姿を隠すまでに至った」
『これぞまさしく神隠し――!』
「言ってる場合か黙ってろアホ女神」
「ふふ――男は隠れた神をあぶり出すために禁忌の魔法へも手に染めた。大地を焼き、破壊した。しかし神もやられてばかりではいられない。反撃を開始する。神々は神代兵器と呼ばれる物を創造し戦争へ持ち出した。男も異世界から魔物を呼び出しそれに応戦する」
「神代兵器?」
『聞いたことないですね』
「君らの時代ではまだ開発されていないだろうからね。戦争は苛烈を極め、結果は相打ちとも取れた。僅かに残った神々は古い大地の上に新しい大地を作り、ほんの少しだけ残ったヒトをそこに住まわせた。それから気が遠くなるほどの時が流れて、人々は再び栄え始めた。今度は間違わぬようにと、神々は自ら姿を消して」
話は一段落する。休憩だと言わんばかりに、彼女は座り直すと足元にあった水筒から薄緑色の液体をグラスに注いで渡してきた。
とても懐かしく感じる緑茶の匂いだ。湯気が立っておりとても熱そうであったが、ゆっくりと口を付ける。身体の芯まで温まるようだ。
自分なりに今までの話を整理してみると、人間と神の戦争で滅びて新しく作られた世界がこの俺が今いる場所。
となると、いよいよ何故俺が飛ばされてきたのか分からない。何か理由があるのか。その理由をこの老婆は知っているのか。
「――まだ終わっていないんだよ」
そんな俺の疑問を、心を読んだかのように老婆は呟いた。間抜けな声で返す俺に、彼女は続ける。
「神殺しは再び始まった。どこかに潜む奴の影が、この世界を覆うとしている」
姫の言葉を思い出していた。大きな闇が迫っている。そんな彼女の言葉は、俺の頭にずっとしこりのように今も残っている。
だが、マハ・マカに気を付けろと忠告してきたあの老人のことも忘れてはいない。この老婆を信用していいのかという疑念も生まれる。
しかし彼女の言葉、声はどこか真実味を持たせてしまう。
「アンタはなんでそんなこと分かるんだ。まるで見てきたかのように」
「まだ分からないかい。私は現存する神の一人。滅びを見守ってきた者だよ」
その言葉にはさほど驚きもしなかった。恐らく自分のどこかでも予測はついていたのだろう。
俺の表情にそういった反応が見えなかったからか、彼女は少しムッとしたような気がする。顔は見えないので多分気がするだけだろうが。
『私の知ってる方ですかね』
「……さてね。お互いの過去未来を知ることは今さして重要ではないよ」
「それもそうか。んで、アンタは何したいんだ? ここを俺に見せて」
薄ぼんやりとした明かりが地上を照らしている。地上であった場所を。それは陽の光でも月明かりでもない。ましてや電気の明かりでもない。ただ頭上に見える本来の地上で埋め尽くされているこの地は、目視で先が確認出来るほど明るかった。
「私はこの世界は再興したい。もちろん、上の地上は残したままでね。そのためには神々の協力が再び必要だ。しかし彼らは消滅させられるのを怖がり出てこれない。ならば、元凶を打ち破るしかないだろう? 過去からの来訪者である君を頼りたい。"召喚"というギフト持ちの君をね」
「召喚……ね。消滅と言うが、なんでアンタは消滅させられていないんだ?」
「良い質問だね。疑念を向けられているような質問だ」
その通りだ。などとは言わない。多分それはこの老婆も分かっている。
「私はね、神名が知られていないんだ」
「神名?」
『神の名。正確な本名のことですよ。例えば、私ならメメーリア・レヴェリティーリフ・ディヴァインといった具合に』
初めて聞いた。そんな本名だったのかこいつ。長ったらしいというかやけに偉そうな名前である。
「そう。そして、神というのはその神名を相手に知られない限り消滅させられることはない。私はそれほど有名な神ではなくてね、他の神と違って名前が知れ渡っていないんだ」
そもそも神の本名が知れ渡っているという状況はどうなのだろう。とは思ったが、そういえば俺が居た世界では神は身近な存在であった。
神が異世界を管理するという手前フレンドリーではあったし、スターゲイザーに赴けばごろごろといるのだから。
しかしそれが仇となって神殺しの事件が起き始めてしまったのだろう。皮肉なものだ。
「だから元凶は私には手を出せない。私を追い詰めることは出来ても消滅させることは出来ない。それは今も隠れている神達も同じだが……まぁ臆病な彼らではこの状況を打開することは不可能だろう」
「俺でも無理だと思うぞ」
『私もそう思います!』
モニターを睨む。が、俺とマハの間にいて彼女の方を向いているのでモニターの裏を睨む羽目になってしまった。
だが自分でも言ったように、俺なんかが神を殺すほどの男を何とか出来るとは思わない。
「その内分かるさ。君がこの世界に選ばれた理由が」
彼女は話を切り上げて一息入れると、よいしょという掛け声と共に再び腰を上げる。話すことはもないと言いたげにこちらに背中を向けた。
まだ話したいことがあったのだが、話続けて彼女も疲れているだろう。メメーリアも同様の思いらしく、それ以上は何も喋らない。
静寂の中、火の爆ぜる音が聞こえ俺は火照った頬に手の甲を当てていた。
城へと戻るには、入ってきた階段を上っていけばいいだけだった。
膝がガクガクと震えだした頃、ようやく城の中へと入ることが出来たのだが、地下へと続く階段は消えている。
階段を上る前に見送ってもらった老婆は、いつの間にか廊下の闇から現れていた。先端が雷のように曲がりくねった樫で出来た杖を持ち、ローブを引きずりながら。
部屋からメメーリアとの通信が切断されていたのは彼女が俺を地下に招き入れるため、空間を捻じ曲げていたせいのようだ。
神殺しの男に接触され傀儡にされる前に世界の真実を教えておきたかったと、老婆は頭を下げて謝罪した。無理やりにでも地下を見せなければならなかったと結構反省しているようだ。
俺は実際のところそんな気にしてはいない。確かに衝撃的ではあったが、帰れないことには変わりないのだ。
バジェスという魔術師については言及しなかった。不用意に言ってしまうと面倒なことになりかねないと俺の勘が告げたからだ。
だが、どちらかといえば俺は老婆の方に付くだろう。マハ・マカ。彼女にはバジェスにはない懐かしさがあったし、嘘を言っていないという根拠のない信頼感もあった。
部屋に戻った俺は、メメーリアにそのことを伝える。彼女も同じことを思っていたようで、賛同をしてくれた。
『しかし"召喚"のギフトですか。今のところ怪力と予知。それと……あの男の人のはなんですかね。酒場の――』
「ビズだっけか。拳とか言ってたから"鉄拳"ってとこじゃないか」
俺はベッドの上に胡坐をかいて右手を開いたり閉じたり、何かを確かめるようにしていた。
メメーリアはモニターを浮かせながら、俺の目の前で掌を興味深そうに見ている。
目を閉じて、俺はなんとなく思い耽た。やがて閉じた右の掌に熱がこもり――
『なにを出そうとしてるんですか?』
「いや、疑問に思ったんだ。何で遠い未来なのに過去の物が呼べるのかって、俺が呼んでいる物が本当に過去の物なのか確かめようと――」
ポン――と軽い音が弾けた後、俺の掌に三角状の、柔らかい生地で出来た薄い白と青のストライプ柄の布が握られていた。
『んなぁ――っ!』
慌てて顔を赤くし、腕をモニターには見えない下のほうへ動かすのを見て俺は確信した。
「やっぱり過去から来てんだなー。しかも瞬間的に――しかしお前、縞パンかよ。九百歳にもなって――ぐほぁ!!」
言い終わるが否やモニターが思い切り俺の腹へ体当たりをかましてきた。固い鉄の感触が胃に溜まったものを吐き出しかねない勢いだった。
『――なんてことするんですかこの助平!!』
メメーリアは顔を今まで見たことがないほど茹蛸のように赤くしながら、外に聞こえてしまうほどの大声で叫んだ。