一章第七話 氷解する世界
「アンタ、ギフト持ちだったのかい?」
子分が逃げて行ったのをぼけっと見ていると、脂汗のようなものをかいた女将が俺に恐る恐る話しかけてきた。
あの男に蹴りを入れた瞬間上がった歓声は鳴りを潜め、今はシン――と静まり返っている。
しまった。そう思った時にはもう遅いが、何も持っていなかった手から砂が出てきたのだ。誤魔化すのは難しいだろう。
「すまないねぇ……ありがとうねぇ」
女将の口から零れたのは予想していた言葉ではなく、謝罪と礼だった。
何故謝罪なのか、礼ならわかるのだが。
「ギフト持ちってのを人に言いたくない奴は少なからずいるんだ。それを……この子を助けるために使っちまうなんてねぇ。シャインもそうだが、お人好しもいいとこだよ」
女将にすがり付いていた少女がおずおずと俺を見る。小さい声でありがとう、とだけ言うと、また女将の影に隠れる。
女将が言うにはどうやら人見知りのようで、それをどうにかしたくてこの仕事を選んでいたらしい。初めて注文を取りに行った客がアレだとは気の毒だが。
少し遅れて、シャインがやってきた。息を切らしながらその長い髪を炎のように揺らめかせ、店の中に飛び込んできた。
静かな店内と注目を集める俺と女将の姿に彼女は疑問符が浮かんでいるようだ。剣の柄に手をかけているところを見ると突入と同時にあの男をたたっ切るつもりだったのだろうか。
彼女に事情を話すと、怒られると共に褒めてくれた。
「勝手に戦おうとするな! 君に何かあっては私が王に顔向け出来ん! だが、奴を追い出してくれたことには礼を言う。魔物から逃げてたからただの臆病な青年だと思っていたが、見どころはあるみたいだな」
もちろん店の裏である。王城内以外では俺は旅人ということになっているからだ。傍から見たら仕事に失敗して怒られている新人に見えるだろう。
現実だったら次の日からバックレ確実である。
彼女の声が止んだ頃、女将が店から顔を出した。手には二つのジョッキ。中に入っているのはどうやら酒ではなくジュースのようだ。
お礼だと言って振舞ってくれる好意に甘え俺はジョッキに口を付ける。甘い香りが口の中に広がる。
一方シャインは、自分は何もしていないからと断っていたようだが、女将に詰め寄られ渋々受け取った。
「それとこれ、今日の給料だよ」
麻袋に入れられた金貨を受け取る。店の中にある掛け時計を覗き見ると、三時を回っているようだ。確かこのバイトを始めたのが十一時ほどだったはずだ。働いたのは四時間ほど。
麻袋の中には金貨が二十枚ほど入っていた。
『ヒロトさんの世界で約一万円ってとこですかね』
(時給二千円!? 割が良すぎじゃねーかな)
ちょっとした危険なアルバイト並みの給料である。女将に間違っていないか聞こうとしたが、既に店へ戻ってしまっていなかった。
仕方なくシャインに聞くと、このぐらいが普通のようだ。一万円。この短時間で一万円。俺は頑張れるかもしれないと心で思った。
「――さてヒロト。この後なんだが」
「え? あぁ、城に戻るのか?」
「……一応な。だが、少し付き合ってもらう」
彼女はどこか歯切れが悪い。顎に手を添えうむむと唸っている。
歩き始める彼女についていくと、どうやら城とは違う所へ戻っているようだ。途中までは城へ戻る道のりであったが、橋の手前で右へ曲がる。その道の先には小さめの建物と、大きなグラウンド。
いや、練習場か訓練場とでも言ったほうが的確であろうか。兵士が木人を相手に剣を振っていたり槍を突いていたりする。
シャインはそこへ入っていくようだ。道中一言も話さなかったが何を考えているのだろうか。分からないまま俺も中へ入る。
兵士の声が聞こえてくる中、彼女はくるっと振り返った。こちらを見据え、何かを期待しているような眼差しだ。
「うむ、これから、ヒロトを鍛えようと思う」
「――はぁ!?」
『あらー、ご愁傷様ですねヒロトさん。ぷぷ』
「ヒロトはこの国でも少ないギフト持ち。せっかくこの国にいるのだ。少しは鍛えていくといい」
「いや、俺はそういうのNGなんで……」
「何を言っている。あのバフォメット相手に逃げているようじゃ情けないままだぞ!」
『……。この世界でもあの形状ってバフォメットと呼ばれてるんですね』
メメーリアの声色に少し気になる所があったが、俺にその真意は分からない。俺はそうだなとだけ小声で返すと、右手で髪をかき上げる。
困った。シャインは本気で俺を鍛えようとしているようだ。少し何かを思案している素振りをした後、
「とりあえず、体力作りだ」
そう呟いた。
「ゼェ……ハァ……」
空が暗く染まり始めた頃、俺は跳ね続けている心臓を抑えようと必死だった。ランニング、素振り、腹筋や背筋。ほぼ休みなしで動きっぱなしだった俺の身体は悲鳴を上げている。
「なんだ。やっぱり体力ないなヒロト」
「いきなり……こんな身体を動かしても……意味ないんじゃ……てか、なんでお前そんな元気なんだ……」
伊達に親衛隊隊長をやっているわけではない。この騎士様はギフトに頼らずともそれだけの体力をつけているということだ。
彼女の呼吸は多少乱れている。頬が紅潮しているが運動をしたせいであって、彼女は先ほどまでと変わらず元気いっぱいなままだった。
「鍛えてるからな。今日はこの辺にしておこう。夕食の時間だ」
「あ、あぁ……今日は、ね。うん。分かってた」
明日もやると言うことだ。なんとか逃げる口実を考えておかなければ。
バイトや手伝いならともかく、身体を鍛える気は毛頭ない。今日の感じだと暮らす分にはバイトだけで困らなさそうである。
深呼吸で息を整え、背伸びをする。流れた汗を手で拭うとやたら空腹なことに気が付いた。
(そういや昼からなんも食ってねぇ)
最後に食べたものはあの店で昼頃に貰ったまかないくらいである。きっと夕食は素晴らしく美味く思うことだろう。
訓練場にいた兵士も続々と城へ戻っている。あの小さな建物は宿舎になっているようで、城で夕食をとってきたであろう兵士達が疲れた面持ちで中へ入っていった。
城へ戻る道中聞いた話では、全ての兵士は城で食事が振舞われるようになっており、宿舎も用意されているようだ。
そう出来るのもこの国が豊かだからであろう。その豊かさが一体どこから来ているのか、俺には分からないが。もしかしたらどこかに金が掘れる洞窟があるのかもしれない。なんてことを思いながら城の門をくぐった。
「…………」
『食べてからすぐ寝ると牛になりますよー!』
夕食を腹一杯食べ、シャロンと別れ、部屋に戻ってきたときには疲れ果てていた。服も着替えずベッドに横になっている俺を、メメーリアは非難する。
「お前、俺がスパルタ受けてるとき一言もちょっかい入れてこなかったな。何かあったのか?」
『私そんな暇じゃないです。これでも女神ですし!』
見習いだろ。とつっこみを入れたかったが、天井付近を浮いているモニターの向こうではパソコンのキーボードを打つ音が微かに聞こえてきている。本当に忙しいのか、その音は止まない。一体なんの仕事をしているのだろうか。
『よし、素晴らしい小説が出来上がりましたよ! さっそく投稿ですよー!』
「執筆!? 趣味じゃねーか!」
『渾身の出来です! もしかしたらスカウト来ちゃうかもですよ』
女神と小説家の二足の草鞋なんて聞いたことない。モニター越しにパソコンの画面を見せてきたので真面目に読んで見せる。
彼女はその横から子供のような爛漫な瞳を向けてくる。どうやら感想を言うしかないらしい。なので、
「つまらん」
『そんな――っ!!』
と一蹴してやった。お世辞に言っても面白いものではなかったので彼女のためでもあるのだ。
恥をかくくらいなら事実を伝えてやったほうがいいだろう。
「ていうかお前この転移の原因調べてるんじゃなかったのか……遊んでていい立場なのか?」
『それなんですけどねー。少し気になる所が色々あって……もーちょっと待ってほしいんですよね』
これは意外。少しは調査が進んでいるらしい。ただ食って寝てゲームやって趣味に没頭しているだけの女神かと思っていた。
『なんか今失礼なこと思いました?』
「なんでもないぞ。うん。メメーリアはよくやってくれてる」
『やったー!』
なんだろう。この子供をあやしているような感覚は。傍にはいないのに近くにいるような温かさを少し感じる。これも女神のなせる業だろうか。
(いや、違うか)
単なる俺の勘違いだ。そう思って寝ることにした。と、その前に喉が渇いた。
お茶を飲もうとベッドから這い出て歩く。が、ポットの近くにいつも置いてあるはずのカップがなくなっていた。
「あれ、もしかして洗ったのを補充し忘れたのか、リコッテ」
『食堂行けばあるんじゃないんですかね』
それもそうか。メイドとしては珍しい。なんて思ったけど人間なんだし忘れることもあるだろう。食堂は中央階段を挟んで逆側の通路にあるのだが、少々面倒くさい。
頭を掻いて、仕方ないと部屋を出る。部屋の壁にかけてあった時計は短針が十の位置を指していた。
廊下は暗く、少し寒い。恐らくほとんどの者が部屋に戻っているのだろう。そういえばあの魔術師に会ったのもこの時間だっただろうか。
「――――?」
ふと、部屋と部屋の間に隙間があるのを見つけた。いや、隙間と言うには少し大きすぎる。人ひとりが軽く通れるほどの空間がそこに開いていた。
普段ここを通る時にこんなものがあっただろうか。気が付かなかっただけで、本来ここにあるべきものなのだろうか。
その空間に近づく。闇の中に、階段のようなものがあるのを確認した。
心臓が高鳴る。その先に行ってはいけないと、頭の中で警鐘が鳴り響く。夕食が逆流し、胃の中がグツグツと煮えたぎっているような感覚に襲われた。
この先に行けば、何かとてつもなく重要な世界の秘密を知ってしまう。そう、俺の"うんのよさ"が告げていた。
「…………」
しかし俺は、階段に一歩踏み出した。全身の毛が逆立つような錯覚。メメーリアが止めるような声は聞こえない。何も聞こえない。階段の下、闇から吹く僅かな風が俺の頬を撫でていった。
一歩――一歩――。階段を降りる。
一体何段降りたのだろうか。暗い、暗い闇のそこに、その空間はあった。
「――――!」
足元に感じた感触は、アスファルトのようだった。その空間は広く、目が闇に慣れてきたのかはっきりとしてきた。
天井は高い。まるで空のように。後ろの階段は何かの建物になっているようで、外から見ていれば二階への階段のようにも見える。
先へは空間が広がっていて、地平線のようなものも見える。地下の大空洞。そんな言葉が浮かんだ。
だが、そこはただのだたっ広い場所ではない。そこに、俺の驚く光景があった。
建物。ビル。信号。駅。線路。まるで都市。俺の世界でよく見る姿だった。ただその光景は荒廃していて、人などいるわけがない。信号は折れ地面に這いつくばり、駅の看板は取れてところどころの壁が剝がれている。
線路には穿たれたような穴がいくつも開いており、電車のような物体が横倒しにされていた。
「なんだ――ここは――」
そこはまさしく、人が住んでいたであろう都市部の遺跡だった。
『――ロトさん! ヒロトさん!! やっと繋がった!』
「メメーリア!」
女神の声が聞こえる。どうやら部屋の外に出た時から何故か通信が繋がらなくなっていたらしい。
彼女はこの現状を把握しているようで、出現したモニターは静かに都市だったものを眺めている。
『ここは……やっぱり……』
「知ってるのか。メメーリア――」
『色々思うところがあって、合わせてみたんです』
「……なにをだ?」
『この世界の位置関係と、ヒロトさんの国の位置関係です』
「――え?」
何故そこで俺のいた国。日本の話が出てくるのだろう。問いかけたかったが、そんな暇もなく彼女は続ける。
『この世界の知識レベルでは開発不可能に近い機械類、日本を大きくしたような大陸地図。とても近い価格設定。そしてこの、ヒロトさんの世界ととてもよく似た都市の荒廃した姿――この城……ヒロトさんの世界で言う東京と転移座標が一致しているんです』
「それは――」
『転移座標というのは転移する際に設定する数値のことです。この世界がこちらのシステムで把握できなかったのは、東京と完全に一致しているからです。本来ならその数値を入力すると東京の、この駅の前に転移するんですから』
駅。つまりはあの壁が剥がれ階段が崩れ落ちている駅のことだろう。看板がないので分からないが、あれが東京都のどこかの駅だと言うことは、
「俺は――俺がいるところは……?」
半ば懇願するような目で、モニターを見る。彼女の表情は、絶望に満ちたような顔をしていた。
『そこは……異世界じゃないです。恐らく、未来――。世界が荒廃した後の、遠い時が経過したあとの、東京――』
覚めていくのを感じた。頭が冷たく、手足は凍り付いたように動かなくなる。
そこで――俺の意識は途切れた。