一章第四話 姫との邂逅
王との対話を終え、玉座の間から出てきた俺は深く息を吐いた。
隣のシャインは笑いを堪えているようだったが、俺が睨むと平静を繕う。
「いや、すまんな。王も少し遊びすぎたようだ。異世界からの旅人という珍しい客人だからな。嬉しかったのだろう」
「そういえば、姫さんが俺を見つけてくれたんだっけか」
「ん、あぁ。見つけたというよりは予知、感じたというほうが正しいかな。んー、姫様もヒロト殿に会いたがっていたし、部屋まで案内しよう」
「いいのか?」
姫は俺にとっては命の恩人みたいなものだろう。訳も分からず襲われていた俺に助けを寄越してくれたのだから。ドジ女神と違って。
『あれ、なんか背筋がゾクっと』
「ヒロト殿は私と同等の権利を持っているんだ。当然だろう。姫様の部屋はこの階の一番奥だ。多分今もまだ部屋にいらっしゃるだろうから向かってみよう」
王の間前の左手に続く廊下へ進む。窓の外から見えた空は紅く染まっている。夕方、なのだろうか。そういえばこの世界に来てからまだ一日も経っていないのだ。
色々あった身体は割と悲鳴を上げている。全力で走った足は棒を通り越して小枝のようだ。入浴したことも相まって眠さが脳を休ませようとする。
あくびを我慢している間に姫様の部屋の前に着いたのか、シャインは立ち止まった。
「姫様、いらっしゃいますか?」
軽く二回ノックして彼女は中へ問いかける。少し待って「どうぞ」と可愛らしい声が返ってきた。
シャインがドアを開けると、中に招き入れられる。少し良い匂いが鼻腔をくすぐった。花のような香り。
白くきめ細かい細工が目を引く椅子に座っていたのは、見た瞬間に分かる。姫様だろう。
髪の長さはシャインと同じ程度だろうが、姫は背が低く、立ち上がると髪を解くと先が床に着いてしまいそうだ。注目すべきはその髪色。上下のツートンカラーである。生え際は白く、毛先にいくにつれ真ん中辺りから淡い桃色になっている。
こちらに会釈をした際に前へ垂れた髪をかき上げる仕草は、女慣れしていない俺を惚れさせるには充分過ぎるものだった。
こちらを見据えた琥珀の瞳。吸い込まれそうな、見る者を魅了してしまいそうな魔力を携えたその瞳は、憂いを帯びて俺を見つめている。
息を飲んだ。これほど美しいモノに俺は会ったことがあるだろうか。
メメーリアやシャインも綺麗だと言える人物だったが、彼女は度を越えている。
「あの……」
「は、はいっ――!」
「もう少し……こちらに」
話しかけられて声が裏返ってしまった。これはどうしたことだろう。
王と対面した時以上に心臓が高鳴っている。耳は赤くなっていないだろうか。前へ歩く俺は不格好ではないだろうか。そんなことを思ってしまう。
シャインはそんな俺を見透かしているのか何も言わない。メメーリアさえも沈黙を守っている。
姫の目の前に立つと、自然と跪いた。
「あ……そんな畏まらないで。貴方が……異世界からの?」
「はい。ヒロト……と申します。その……」
「私の名前はローラ。ローラ・リンドブルム。このリンドブルムの第二王女です」
(第二……?)
「双子の兄がいるのだ。今は隣国へ勉強に行っており国を留守にしているがな」
答えたのはシャイン。なるほど、王位継承者である兄の王子が第一で、こちらの姫様が第二か。
「ふふ、先ほどヒロト様の話はシャインから聞いたのです。出会い頭に抱き着かれただとか……」
「――姫様になんてこと言ってるんだ! シャイン!」
「そういった男もいるからお気をつけくださいと言っただけだ。君のような不埒な輩に姫を汚させるわけにはいかないからな」
そんな根も葉も……あるけどそんな噂を流されては困る。ローラ姫は手で口元で押さえ声を上げて笑うのを我慢しているようだ。楽しそうに俺とシャインの漫才のようなやり取りを寂しそうに眺めていた。
「あ、ごめんなさい。私……笑ってしまうなんて失礼ね」
「いや、そんなことは……」
「私、お友達少ないんです。昔から病弱で、床に伏してばかりで。友達と呼べるのは、そこにいるシャインさんだけ」
シャインは「そんな、恐れ多い……」などと口にするが、その表情は寂しくも嬉しそうだ。
「それに、おかしな贈り物も持っていますから」
ギフト? 聞きなれない言葉だが、彼女の予知能力と関係しているものなのだろうか。
ローラは椅子に座ったままテラスの外を見る。外は暗くなり始めていて、星が瞬いている。
「天からの、神からの贈り物。まるで奇跡が起きたかのような力を発揮するもの。その力をギフトという。姫様は予言のギフトを持つ」
『――神からの贈り物……ですか』
シャインの説明を聞いてから頭の中で呟くメメーリアの声は小さい。意図しない呟きだったということか、少し疑いを含んでいそうな声色だった。
ということは俺が持つこの力もこの世界ではギフトと呼ぶのか。ていうかこういうのって俺だけが持ってるものじゃないのかこの展開だと。
(チート能力手に入れて遊びまくってやるとか考えてたのに!)
「予言と言っても、私のギフトは私の意思で発動出来るものではなく、夢を見るように今起こっていること、この後起こることが分かるという中途半端な能力ですけれど――」
「そんなことないんじゃないか? 実際その能力がなければ今の俺はないんだし、凄いじゃないか」
「ヒロト様……」
シャインに同意を求めると、彼女はそれに頷く。が、その表情はどこか厳しい。腕を組んで何か奥歯にものが挟まったような。それをローラも察し、表情に影を落とす。
「ギフト……神からの贈り物とは言うがな。ギフトを持っていない者からしたら畏怖の対象でしかないということもあるのだ」
それは正直分からないでもない。自分が持っていない能力。普通ならばそれはただの嫉妬、尊敬で済むだろうが、使う者によって害でしかない能力も存在するだろう。
ローラのソレは、人がまず見ることのない未来を見てしまうという恐怖だ。それが例え一秒先、二秒先のことでも、寝ている間にしか見えないものだとしても、未来を見るということはいずれ滅びを知ることになる。
持たない者から見た予知もそうだが、ローラとしても気が気ではないだろう。自分で見る事柄を操作出来ないのだから。もし見たものが、誰かの――身近な者の死や裏切りだとしたらどれだけ悲しいことだろう。
予知で見るということは二度、それを体験しなければならないのだ。
「そんなの――使いようだろ。悪用している奴を片っ端から取り締まってやればいい」
「それが出来れば苦労しないのさ。ギフト持ちの絶対数は多くないからな。私ならともかく、騎士ですら敵わない相手というのは多い」
「シャイン、お前が異常なだけなんじゃ……」
「シャインは……一応"怪力"のギフト持ちですから……」
(あぁ、納得。だからあの山羊の頭を一刀両断出来たわけか……)
「む――。なんか分かったような顔をしていないか? ヒロト殿」
「あぁいや、いいじゃないか。怪力。ローラの予知と、シャインの怪力がなければ俺は死んでいたかもしれないんだ。ありがとうな」
『私のナビも役立ちましたしね!』
(こいつはどうでもいいや)
姫様に大分笑顔が戻ってきた気がする。うん、憂いを帯びた表情よりも笑っているほうがやはり可愛らしい。
なんだろう、可愛い妹が出来たような。そんな感じだ。
俺とシャインも椅子に座り、何気ない話をしていた。主に俺の世界の話だ。
友達がどうとか親がどうとか日本がどうとか。そんなどうでもいい話をしていた。何時間くらい話していただろう。外は既に暗くなっており、町から聞こえる賑わいも小さくなっていた。
「姫様、そろそろ……」
そう申し訳なさげに切り出すシャインに、ローラは分かりやすく落ち込む。
「そうですか。もうそんな時間……あの、ヒロト様と少し二人きりでお話がしたいのですが――」
「え、俺?」
俺は一足先に立ち上がっていた騎士を見る。最初は強張った顔をしていたものの、仕方ないといった風に嘆息する。
「私は部屋の外で待機してありますので、何かあれば大声で叫ぶように。いいですね?」
(え、俺そんなに信用されてないの?)
「えぇ、ありがとう。シャインさん」
頭を下げ「それでは失礼します」とシャインは部屋を出ていく。最後まで心配そうだったが、心配していたのはローラのことだろうけれど。俺が何かすると思ったのか、はたまた彼女の身体を思っていたのか、それは分からなかった。
姫様は立ち上がり、ゆっくりとテラスの方へ歩いていった。俺も続いて立ち上がる。先回りしてテラスへ続く扉を開き、外へ姫様を連れ出した。
少し肌寒い風が身体を震わせる。ローラはストールを肩にかけてやってきたが、それでもどこか寒そうだ。
長い髪は風に揺られ自由な動きを見せていた。
「はー、こんなに話したのは久しぶりです。とても楽しかった……ありがとうございます。ヒロト様」
「いや、俺の方も楽しかったよ。この世界に来た時はどうなるかと思ってたけど。シャインやローラがいれば大丈夫だな。やっていけそうだ」
「そうですか……それは良かったです」
優しく笑うものだ。気品を感じられる笑み。彼女は俺に微笑みかけてから外――町のほうを見ると、真面目な顔をした。
「お父様――王とお話をした時に言われたと思います。貴方は、世界に影響を与える人物だと」
「え、あぁ……確かに言ってたな。全然そんなことないと思うけど」
「私の予知ではそこまで詳しくは分かりませんが……その、なんと言ったらいいのでしょう。襲われているヒロト様に希望の光が見えたというか……」
「それは……俺が監査官だからとかじゃないのか?」
「いえ、監査官としてではなく。独りの、迷い子として――予期せぬ世界へ紛れ込んでしまった放浪者。戻れなくなってしまったヒロト様が、この世界の希望になる夢を見ました」
「――!」『あら、見事にバレてますね』
「あ、大丈夫です。誰にも言うつもりはありません。ヒロト様の身の安全が最優先ですから……」
「そう、か。なんだ。最初から分かってたのか。だからシャインを外に?」
「はい。監査官としてではないヒロト様と話がしたかったので」
「つっても世界の希望ってな……元の世界じゃ仕事もしてないなんの取り柄もない人間だぜ? それに、この国は平和じゃないか。争いだってない。そりゃギフト持ちを悪用してる犯罪なんかはあるかもしれないけど……」
「それは……私にもわかりません。ですが、どこか不安なのです。何か大きな闇が迫っているような……そんな不安」
それは、魔王とかだろうか。だとしたら異世界から転移してしまった俺が勇者になって倒すという展開もなくはないだろう。この能力で倒せるかは別にして。
しかし、聞いてみればそうではないようだ。それは一個人ではないと。
闇。漠然とした何かがこの世界を覆うとしている。
「ヒロト様。あんなことを言った手前申し訳ないのですが……どうか無理をなさらずに……」
彼女は上目遣いで俺を心配してくれている。これは……可愛い。ずるいと思う。
月明かりに照らされた彼女の肌は輝いて見える。俺の顔は赤くなりすぎていないだろうか。不自然ではないだろうか。
誤魔化すために、俺は半ばヤケに能力を使った。
ポンッ――
俺の手に握られたのは――
「バラ……ですか?」
『あ、マイナス二百円ですね……』
「あー、うん。この世界にもあるんだな。よかった。俺の能力は物を召喚出来ることだ。といっても代償としてお金持っていかれるんだけどな。こんな能力で世界の役に立つか分からないけど、頑張ってみるよ。無理はしないけどな」
そう言いながら一輪のバラを渡す。何か意味が――そう、何か意味があったわけではない。偶々思いついたのがこの真っ赤な花だったのだ。
花を受け取った彼女は、凄く嬉しそうに笑ってくれた。
予知で俺を救ってくれた礼、というには少し――いやかなり安上がりだけど、持っていてくれと告げる。
少し肌寒い、優しい風はまだ吹いている。あまり長く外にいるのもいけないと、俺と姫様は部屋へ戻った。