一章第三話 王
「ここがヒロト様のお部屋になります。御汚しになっても私共が掃除するので気にすることはありません。ありませんが――ここは我が王の城なので粗相はなさいませぬようお願い致します」
「……はい」
「浴室は左の扉の先に。お手洗いは右の扉。備え付けてあるお茶は自由にお飲みください。それでは、リコッテは席を外します。そちらのテーブルにあるボタンを押していただければ数分ほどで参りますので……あまり押しすぎないように」
「…………はい」
謂れもないこのプレッシャーはなんなのだろうか。警戒されている?
先ほどの騎士様との仲を見る限り、一緒に歩いていたことに嫉妬とかか。いやまさかそんな子供っぽい。
静かに扉を閉めてリコッテは廊下を去っていく。足音が聞こえなくなってきたころ、俺は女神を呼びつけた。
「メメーリア。よーやく落ち着いて話が出来そうだなぁ?」
『あはは、顔が怖いですよぉヒロトさん』
どこからともなくモニターが現れて、そこに目を逸らしながら笑ってるメメーリアが映し出された。
「そもそもそれどうなってるんだ……出たり消えたり」
『あぁ、これは私が発動しているというよりヒロトさんから発動しているといった感じですからね』
「――俺から?」
『あの私の部屋――というか神の部屋ですね。あの扉を通って異世界へ行く際に旅行者には"烙印"が捺されるのです。目には見えませんが神の監視の証。それは神個人が持つ奇跡のようなもので、烙印を捺された者は捺した者と近くにいなくても通信、念話が可能になるのです。このモニターはその烙印が形になったようなもので、消えてる時はヒロトさんの中にある烙印に戻ってるって感じですかねー』
「なんて便利な……」
『これぞ神の御業、ですっ!』
物凄く自慢げに、鼻高々に胸を張る。便利なのは間違いないから言い返せない。
「ていうか、そもそもなんでこの世界に来てしまったんだ? パラメータがいじくられていたのは?」
『うぐ――! それは……目下調査中であります』
「俺の荷物は?」
『おそらく時空の狭間に落ちてどこかの異世界に飛んでしまったと……』
「俺はいつ帰れるんだ?」
『こちらからの移動手段も分かっていないので……その……』
問い詰める度に声が小さくなってついでにモニターも小さくなっていく。いらない機能がついているものだ。
「まぁ、とりあえずメシの心配はしなくていいだろうから構わないが……なんなんだよあのスキル。便利そうで使いづらいじゃないか」
『元はデメリットなしで使えるもののはずなんですけどね。これもまたバグというかなんというか』
「はぁー……違う世界に来ちゃったけど俺の貯金額とかってどうなってんだ?」
『それは元の口座に戻してあります。といっても数百円しかありませんでしたけど』
「言うなよ……悲しくなるから」
『それと、先ほどご家族やご友人の方に今の状況を伝えて謝罪をしておきました』
「――そうかい。で、なんか言ってたか?」
『あー……皆さん口を揃えて「今度は長続きしそうで良かったな」と……』
(やっぱりな!)
「……そういえば、物だけ召喚してこの世界で転売するって手もあるな」
『それは条約に引っ掛かるので止めてください。というか、市場を見た感じだとそれほど物価に違いがないみたいですね。通貨も銅のコインが十円。銀が百円。金が五百円。それ以上の取引では王の印が捺された紙に金額を書いて使用しているようです』
「小切手かお米券みたいなもんか? ……いつの間にそんなこと調べたんだよ」
『ヒロトさん達が町を歩いている時ですよ。私はヒロトさんの周りなら割と見える範囲が大きいので』
「あぁ……烙印が俺の中にあるからか」
そりゃ監視するためには俺の周りが見えてなければいけないか。
俺は風呂の湯船をシャワーで溜めながらお茶へ手を伸ばす。テーブルの上にはポットがある。形は違えど、明らかにいつも使っているポットと同じようなものだ。浴室のシャワーもそう。この世界は何かちぐはぐさを感じてならない。
魔術を使用しているというのは先ほどリコッテを呼び出していた時になんとなく分かる。ボタンで呼ぶのも魔術の応用だろう。このポットだって火だか熱だかの魔術を使えば作れるのかもしれない。
だが、昔何かの小説で読んだことがあるのだ。魔術が繁栄する世界は科学が繁栄しない、その逆も然り、と。
魔術などと便利なものがあれば機械は廃れていき行き場を失う。俺のいた現実世界も機械が魔法の域へ達しようとしており、魔術など趣味の範囲でしかない。
どうも、その辺りがこの世界は曖昧な気がする。この部屋も、どこかホテルの一室のような。そんな気がしてならないのだ。
俺のいた世界とこの世界はとても近い。とても似ている。きっとすぐに帰れるだろう。
(それまでは異世界ライフを楽しませてもらおう)
「それじゃ俺は風呂に入るからまた後でな」
『あ、ちょっと――!』
モニターが消える。なるほど。俺が強く願えば消えるらしい。俺の中に烙印があると聞いたのでもしかしてと思ったが。
メメーリアは出てこない。風呂に入るべく俺は脱衣所へと向かっていった。
風呂から出ると、ベッドの上に綺麗な衣服が置いてあるのを見つけた。確か入る前にはなかったはずだから入浴中にリコッテが置いていったのだろう。一声かけてくれればいいものを。
着替えて鏡の前に立つ。黒を基調としたその服は、少し大きめではあるものの、捲れば着られないものではない。首元のマフラーのような白い布や腰につけたベルトなどは慣れないせいか邪魔臭くもある。
(まぁ、こんなものか。あの汚れた服より大分いいだろう)
明らかに安物とは違うその服に満足しながら、俺は自分が着てきた衣服を畳み、脱衣所のカゴの中へ入れた。
「メメーリア! 出てこい!」
『もう! 勝手に閉じたと思ったらまた勝手に――』
モニターが出現した瞬間文句を言われる。王に謁見する前に聞かなければいけないことが一つあったのだと思い出したのだ。
「監査官ってなにすればいいんだ?」
『え? あー……その世界が平和か、大きな争いは起こってないかとか……衣食住に異常性はないかとか……そんなことを調べて報告する仕事ですよ』
「うわ、めんどいな……」
『そう言わずにー。ある程度報告がないと怒られてしまいますからね!』
「……お前がだろ?」
『私が怒られたら悲しいですよね!?』
「いや別に」
『この薄情者!』
まだ一日と経ってないのにこの女神とは大分打ち解けた気がする。のはきっと気のせいだろう。
とにかく今は監査官として仕事しながら帰る手立てを模索しなければ。
『結構魔術とか盛んみたいですから、その辺りから攻めていくしかないですね。もしかしたら転移魔術とかあるかもですし』
「それの応用でなんとかなるってか? どうにか出来る自信はないなぁ」
どこまで行っても俺は所詮ニート、いやフリーターである。専門的なことにはてんで弱い。魔術なんてもっての他である。ゲームや漫画でしか見たことがない。
今の人間にとって魔術や錬金術とは禁忌である。神の力、奇跡に近づくということだ。元々常用していた異世界では神の管理の下使われているが、魔術よりも化学が発達した世界ではそうでもない。
神が魔術と科学の融合を恐れているのか知らないが、俺の世界で魔術を使われることはまだない。
よって俺にも魔術の知識などない。といって科学の知識があるのかといえば、ないのだけど。
呼び出しのボタンを押してから数分。部屋のドアが控えめにノックされた。それと同時にメメーリアのモニターは姿を再び消す。
「やぁ、着替えは終わったか? ヒロト殿」
入ってきたのはシャインとリコッテ。シャインの前だからリコッテはどこか大人しそうにメイドらしさを見せている。
「我が王の下へご案内致します。ヒロト様。どうぞこちらに」
丁寧に、恭しく首を垂れる。そうか。ここから既に王への謁見は始まっているのだ。
俺は一介のフリーターではなく、俺の世界を代表する監査官。俺がそう思っていなくても、この世界の住人は俺をそう思っているのだ。
気を引き締めなければ。失言を避け礼節を重んじなければ。俺の生活が危うい。
そう思うと心臓がバクバクと、今まで聞いたことのない速度で跳ねているようだ。
思えばこうした重圧のかかる場面には出くわしたことがない。逃げ続けてきたツケが回ってきたのだ。責任は持ちたくない、俺は自由なフリーターでいい。そんなことを思っていたのは昨日までのこと。
俺は、そんな暮らしから去らなければならない。だが不思議と、緊張に期待が混ざっていた。
「あぁ、お願いします」
決意に満ちた瞳で廊下に出る。新しい靴は特に違和感もなく、床に小気味良い音を立てた。
一言でいえば、それは壮観であった。すれ違う執事や兵士、その全てがシャインや俺に対し頭を下げていた。よく見てみればシャインの服は鎧のままであるものの、髪型や飾りが多少異なっている。
恐らく俺の服やシャイン、リコッテの佇まいがそうさせるのだろう。
門近くの階段から上へ。その先に一際豪華な装飾が施された扉がある。横に立つ兵士が敬礼をし、ゆっくりとその扉を開けた。
「王よ。監査官殿をお連れしました」
心臓が張り裂けそうとはこのことだ。赤いカーペット、その先にある三段ほどの段差。そして一つの大きな玉座と、その左右後ろに小さな玉座が二つ。
その真ん中の大きな一つに、その男は立っていた。
「うむ、ご苦労である。さぁ監査官殿こちらへ。オレに顔を見せてみろ」
『わお、超絶イケメンじゃないですか!』
見る者を魅了させる輝く金色の髪。どこまでも深い蒼の瞳。すらっと伸びた背は恐らく俺よりも高い。
イメージとは大分違う。俺はどこか好々爺然としているかと思っていた。しかしその王は若く、四十歳を越えていないように見える。
俺とシャインは前へ進み跪く。リコッテは扉の外で待機しているようでついてはこなかった。
「ほう、若いな」
(それは俺の台詞だ)
「事情の程はシャインから聞いている。我が国――だけではないが、遥か昔から継がれる文献では示唆されていたこことは異なる別の世界。そこから来ているのは貴様だけか?」
「は、はい。そのはずです」
「――何を驚いている。よもやオレが老人とでも思ったか? 先入観を持ちすぎることは己をダメにするぞ青年」
『やはり過去に異世界からの来訪者がいたのですね……ヒロトさんの世界からやってきたかどうかはさすがに分かりませんか……』
「さて監査官殿よ。この国を最初の監査対象に選んだことへ礼を言おう。そして誇るが良い。この国は素晴らしい。民は明るく騎士の忠誠は深い。ここまでの国は異世界を探してもそうそうなかろうよ」
(す、すごい自信家だな……)
「はい。私もそう思います。ここまで賑わっている国はそうそう見れるものではありません」
とりあえず持ち上げておこう。俺は思いつく限り丁寧な言葉で連ねるが、それは少しまずかったようだ。
「国を観る監査官がそれでは困るな。悪い所を見つけてこその監査だ。完璧な国などあるはずがあるまい。そのような国、あれば他に小国など出来ぬわ。気にするな。貴様がオレに気を遣うことはない。世界の代表と国の代表。オレと監査官殿は対等の立場にある。自信を持ち、この世界が異世界と繋がりを持つに相応しい世界だと知って欲しい」
「――――」
試されていたか。わざと自信家のように振舞って俺がだたヨイショをするだけの男かどうか見たってことか。少し悔しい。ここにおいて流されてしまった自分が情けない。
「明日から仕事を始めてもらう。簡単な仕事だがな。それで民と触れ合い少しずつ知っていくがよかろう。城の者との会話も忘れずにな。監査官殿には騎士団長であるシャインと同じ権利を持たせよう」
傍らにいた世話係であろう女性が一つの品物を手にこちらへやってきた。掌サイズのプレート。精巧な龍の彫り物を施されていて綺麗な銀色をしている。
「それを見せれば町の色々な場所へ赴ける。民から本音を聞き出すにはそれを使わないことも大事だがな」
「何故……そこまで信頼してくださるのですか。見ず知らずの――俺を。異世界監査官など嘘かもしれないというのに」
「ふむ。尤もだが、オレは娘を信じているのでな」
「娘……?」
「オレの娘だ。アレは貴様の来訪を予知した。昔から未来予知に似た力をみせることが多くてな。邪悪ではない、この世界に影響を与える人物が我が国に来訪すると。その者が今暴れた魔物に襲われていると姫から報告を受けてな。シャインを向かわせたというわけだ。それがよもや異世界からの来訪者とはな。面白いことだ」
(影響を与える――? 俺が? この世界に? ンな馬鹿な)
シャインが所々口にしていた姫とは、そういうことだったか。王は厳しかった表情を破顔させると少し強気に「それにな」と続けると。
「貴様がこの国で暴れてもたかが知れている。騎士どもがすぐさま片を付けてくれるだろうよ」
(王よ、冗談に聞こえません)
その後の高笑いが俺の耳にしばらく残っていた。