一章第十二話 過去からあなたへ
事後処理をしたのは王とシャインだった。部屋に入ってきた時、倒れた俺とバジェスを見て王は兵も呼ばずに俺の介抱をシャインに任せた。姫は気絶をしていただけのようでその日の夜には目を覚ましていたという。
バジェスの死体は極秘裏に処理された。血の付いた家具は全てローラが目覚める前に取り換えられ、床も念入りに掃除。俺は意識が朦朧としながらもシャインに礼を告げる。シャインと王はそんな俺を申し訳なさそうに見ていた。
次の日の昼。目を覚ました俺は、湿った空気の中に居た。座って眠っていたようで尻が痛む。足には枷。目の前には錆びかけた鉄格子が嵌められている。窓はなく、奥の階段から入ってくる風が唯一の空気だった。天井から落ちてきた滴が頬に当たる。ここは牢屋。城の地下。
仕方のない事だ。隣国の魔術師を殺した俺は国への反逆者として牢にぶち込まれた。王は謝罪していたが、隣国への示しをつけるためには俺を処刑するのが最善のはずだ。だが俺を死んだということにし、そうしなかった王に俺は感謝しなければならない。俺は元々この世界の人間ではないし、死んだ事にするのは簡単だったことだろう。
ローラは俺を心配してくれているらしいが、面会は出来ないと言われた。そんな俺に、一日ぶりに顔を見せたメメーリアは罵声を浴びせる。
『まったく、口を滑らせた挙句に姫様を危険に遭わせてこんな牢屋に入れられるなんて……考えなしにも程がありますよヒロトさん!』
返す言葉もない。彼女はモニターとして出現して俺の前でくるくると回る。画面に映った顔は心配そうにしていた。
「で、上司との話はどうなったんだ?」
「あぁそれなんですけどね。とりあえず調査はしてくれるようです。未来云々は隠して神の力を盗み取ろうとしてる輩はいないか告げたんですよ。最初は一蹴されましたけど不肖メメーリア頑張りました!」
「これで元凶の男が見つかれば、この世界は変わるのか?」
「いえ、それはないでしょう」
仄かに期待していた希望を事も無げに彼女は否定する。過去を変えれば未来も変わる。そう思っていたのだがどうも違うらしい。
「未来は幾重にも分かれていますから、ここはその一つに過ぎません。私がここで行動を起こしても新しい未来が一つ増えるだけです。ヒロトさんが今居る世界はなんら変わりません」
並行世界、というやつだ。こことは少し違う数多なる世界。異世界も似たようなものだろうと俺は思っている。
「中々大胆なことをしたようだね。ヒロトさん」
「マハ・マカ――」
背の低い黒づくめのローブがゆらりと近づいてきていた。顔は相変わらず見えないが、金髪である事がローブから覗くお下げで確認出来る。その声には失望の色は見えない。それどころか、そこはかとなく楽しそうに言葉を紡いでいく。
「バジェスが危険な者だったとは、私もそこまでとは思わなかったよ。姫を救ってくれて礼を言う。あの男とは別人のようだが、何らかの関係があると見て間違いないだろう。さて、君はどうするのかな」
「ここから出て隣国へ行く。あいつがそこの魔術師だったなら、その王なら何かを知っているはずだ」
「さて、どうかね。バジェスは特殊な状況下にある相手の中に入り込み中から操作出来るような魔術を持っていたようだ。もしかしたらアンフスバナの王も傀儡となっているかもしれないよ」
「だとしてもここでこうしているわけにはいかないだろう。バジェスが死んだとなれば味方である元凶の男も黙っていないはずだ」
「そうだね。これでこの世界は大きく動き出す事になる。君らのおかげでね」
その言葉に俺は少し戸惑った。まるで俺がこうする事を予測していたようだ。彼女の声は俺を責めているわけではない。むしろ感謝している。そう言わんばかりに黒いローブは揺れた。
「君は、異世界とは何か知っているか」
一息置いて、俺とメメーリアの反応を見る。メメーリアは彼女が何を言おうとしているのか分かっているようでモニターの奥では視線を落としていた。
「異世界。異なる世界とは言っているが、それは違うんだ。元は"同じ"始まりを持った世界なんだよ。始まりが違うだけで、君達が異世界と呼ぶ世界は全て同じ地球の事を指すんだ」
異世界が地球? んな馬鹿な。とは思うが俺にそれを反論出来る程の知識はない。
「先ほどメメーリアが未来の話をしていたろう? その分かれた未来も君達にとっては充分な異世界だ。近すぎるためゲートは繋がり難いけどね」
未来の中で大きくかけ離れてしまった世界が異世界としてゲートで繋がられているということか。しかし何故、この老婆は今こんな事を話すのか。
「私は一つ、君に勘違いされているのではないかと思ってね。君はここを単なる未来だと思っているようだがそれは違うんだ。君にとってここも異世界なんだよ。とても似た、近しい世界。確かに遥か昔この世界には秋山ヒロトという人間は存在していた。運によって異世界移住権を獲得し、異世界に渡った人物がね」
眉唾物だ。やっぱりここは異世界でしたなんて……なんて出来の悪い脚本だ。まるで翻弄される蛾のように、俺は足の鎖を引き摺った。
そうか。俺が何度か見たあの夢。あれは、この世界に生きていた秋山ヒロトの記憶なのだろうか。
「調べたのか、俺の事を」
「…………。違うね、知っていたんだ」
「え――?」
そして彼女は、そのフードを脱いだ。そこに見えたのは、やつれた顔をしていた、とても見知った顔。
『あ、あぁ……』
メメーリアの声は震えていた。無理もない。俺も声が出ない。
「ヒロトさん。物語は動き始めました。もうすぐ決着します。長い、とてつもなく長い物語の終わりが」
優しく笑いかける。いつも俺を見つめていた見習い女神がそこに立っていた。
「マハ・マカがメメーリア……? の、未来……?」
「はい。神殺しの男から身を隠していましたが、もう後戻りは出来ません」
"いつもの口調"で彼女は俺にその眼差しを向ける。モニターの中とは違う黒く歪んだような瞳。
「私はこの時を待っていました。貴方が再び私の前に私と共に現れることを。あの時からずっと。ようやく会えたというのに姿も明かせず寄り添うことも出来ないのはとても苦しかった。あぁ、貴方に言っても仕方ありませんね」
『未来の私……? いやでも――』
「混乱するのも無理はない。私もここで正体を明かすつもりはなかった。でも、バジェスを斃した時点で運命は決定してしまった。君達はもう逃げられない。貴方達はもう戻れない。だってホラ――」
マハ・マカが不気味に笑う。メメーリアと同じ顔で見せたことのない笑み。背筋がゾクリと震えた瞬間――頭上で激しい音が鳴り響いた。