一章第十話 過去を求めて
図書室の中は閑散としていた。まぁ当たり前だろう。図書室といえば静かな場所というイメージがある。そのイメージの通り、部屋の中は静かだった。ただし、人も居なかったが。
頭の中の声も今は聞こえない。上司と何やら相談しなければならないことがあるそうで、メメーリアは通信には応じない。時間の軸とかどうなっているのかは分からないが、どうもリアルタイムで繋がっているもののようだ。
部屋に入ってすぐ見えたのは大きなテーブル。六人掛けほどのテーブルが二つ繋がっており、それが二セット。計二十四人が座れるほどここは広いようだ。本棚も結構な数があり、奥の方までは見えないが、入りきらない本が床や本棚の上に積まれていて少し危ない。棚の上部横にはご丁寧にジャンル分けの札が吊るしてある。
ふと右を見るとカウンターの向こうに司書らしい、本を読んでいる女性がいる。黒髪の前髪を伸ばし眼鏡をかけた、いかにも私文系少女ですと言いたげたな背の小さい女性だ。しかしそれ以外の人影は見当たらず、足音だけが響いている。
「随分とまぁ、誰もいないとは」
「あぁ、ここの兵士はあまり読み物を好まないからな。来るのは民かメイドくらいなものだ。民にここを開放しているのは昼までだから今はこんなものさ」
俺もかたっ苦しい書物とかは苦手なので気持ちが良く分かる。趣味読書の内容は漫画ライトノベル、エロ本くらいだしな。ジャンル分けの札を見ていった所残念ながらそういった種類の本はないと思う。隠してあったら分からないが。
シャインは足早く目的の棚、歴史書と札に書かれた場所まで行くとブツブツと何かを呟きながら本を指で追い探す。しかし中々目的の物が見つからないのか、表情が曇ってきた。そこへ小さな人影。先ほど入り口で見た司書だ。おずおずと、本棚の影から此方を覗いてきた。
「あ、あのー。シャイン様?」
「あぁ、レナ。悪いけどここにあった歴史書知らないか?」
「それなら姫様が昨日からお部屋に持っていってますけれど……」
貸出中ということか。しかし姫様とはなんというか、本を読んでいる姿が絵になる気がする。あれ以来忙しくてすれ違い様に挨拶をする程度で、基本部屋に籠り切りの彼女と会話する機会はそれほどなかった。
ついでというわけではないが、彼女の部屋にお邪魔させてもらおう。そうシャインに伝えると、快く承諾してくれた。
司書――レナへ礼を言って図書室から出る。目指すは二階西の部屋。
久しぶりだからか緊張する。女の子の部屋に入るというのは慣れていないからかもしれないが、この歳になってもこそばゆい。シャインが姫の部屋をノックし自分の名前を告げると、中から少し気の抜けた声がした。
ドアを開ける。やはりというかどこか甘い香り。最初に来た時とは少し違うようだが、花の種類でも違うのだろうか。ベッドから少し離れた場所にあるテーブルの上に置いてある花はバラ。だが最初に姫へ渡した物とは恐らく別の物だろう。
その隣の椅子に彼女は座っていた。ローラは驚愕した顔でこちらを見ていたが、その理由はなんとなく感じ取れた。その姿はパジャマだった。なんとも油断した格好であろうか、髪はまだ梳いてなく寝ぐせが目立つ。まさしく寝起きといった状態で椅子に座り分厚いハードカバーの本を読んでいた。
「な、あ――ヒロト様? どうしてここに……」
慌てふためく彼女をシャインは呆れたような目で見ていた。
「姫様。また夜遅くまで読書されていたのですね……だから申したではありませんか。いついかなる時も気を抜いてはいけませぬと。こうして来客があるかもしれないのですよ?」
「いや、だって、今日は何の用事も……うぅぅ」
随分とイメージが違う。この間のは少し気を張っていたということだろうか。姫として。いや、このギャップは結構グッとくるものがあるが。
「だったら姫様もヒロトの稽古を見てみれば宜しいのでは? いつも廊下の窓から覗いているのが兵士達に知られているようですが」
「えぇっ、変装していたはずなのに!」
「いくらメイドの服装をしていてもそのお美しい髪で分かります。恥ずかしいのは分かりますが、傍で見ていてくれればヒロトも力が入るだろうというのに――」
「それをヒロト様の前で言わないで下さい!」
その通りだ。聞いているこちらが恥ずかしい。今までの鍛錬を覗かれていたとは。しかしシャロンの言うことも一理ある。近くで見ればいいのにわざわざ窓から見るなんて、余程外に出るのが辛いのかはたまた衆人の目に晒されるのが恥ずかしいだけなのか。
シャインの言葉に耳まで赤くする彼女は、本を開いたまま口元を隠して友人でもある騎士をジトっと睨んだ。シャインはそんな彼女の近くまで寄っていくと、その本を取り上げる。茶色い表紙には軽く装飾がしてあって結構値段が高そうな代物だった。
「照れ隠してもダメです。しかし、何故今になって歴史書をそんな読み耽っていたのですか?」
「そ、それは……少し、気になることがあったんです」
「気になること?」
「シャインにも確か言いましたよね? この国に暗雲が立ち込めていると」
「えぇ、伺っております。私にも、ということはヒロトにも話したのですね」
シャインには恐らく、俺との結び付きは話していないのだろう。俺のことは単なる異邦人、監査官としてしか理解していないはずだ。
「はい。もしかしたらその闇の正体になるヒントが何かあるのではないかと、直感的に思ったんです――遠い、遠い昔。神と神の戦いがまだあった頃、闇によって世界は覆われた。世界は割れ異界の生物が押し寄せ、混沌に包まれました。神は世界の滅亡を感じ、同じく異界から勇者を召喚し共に戦いました。神の犠牲がありながらも、勇者は果敢に立ち向かい、魔物を滅ぼしたのです」
「はぁ……確かに本の内容をかいつまんで言えばそうなりますが……そこにヒントが?」
俺がマハ・マカから聞いた話よりも大分違うようだ。尤も、歴史書というのはいつの時代も確かな物とは言えない。本自体もそれほど古い物とは思えないし創作の可能性だってある。
「魔物――この本には滅ぼしたとありますが、今もまだ存在しています。魔物を召喚させるために世界を割ったという闇。その闇が現在でも続いているとしたら――」
シャインの問いに答えたローラの言葉は、的を射ている気がした。確かに、あの老婆の話の中で神殺しの男は異世界から魔物を召喚していたはずだ。ローラの言う闇。それがその男だと言うのなら彼女はかなり核心に触れている。
「魔物が生まれる場所……星の門」
この世界の魔物の発生元とされる場所。誰も到達したことのない魔物の巣。シャインはそう繋げた。もしかしたらそこに神殺しの男が?
俺は少し思案する。だとすれば簡単だ。そこに行って元凶を断てばそれでこの世界は平和だ。しかし上手く行くだろうか。バジェスの事も気になる。彼とも何度がすれ違い様に話をしたが、マハ・マカのことは何も言っていなかった。世間話程度だったろう。
彼ともう一度話す必要があるのではないか。ローラではないが俺は直感でそう思った。
「しかし……遠目に見たことはありますが、あそこは魔物が多くてとても近寄れません。倒しながら進むのも難しいでしょう。他の国に協力を仰ぐとしても信じてもらえるかどうか」
彼女の力、予知は他の国どころかこの国でも知れ渡っていない。ローラの身に危険が及ぶのを避けるためだ。未来を視るなんて力危険視されても仕方がない。ただでさえギフト持ちは敬遠されているというのに。
「もし世界中のギフト持ちを集められたらなんとかなるとか、ないか?」
「無理だな。集めるとしても何処に集める? ギフト持ちがそれだけ集まればどの国も黙ってはいられない。警戒するだけならいいが、一網打尽にされては立つ瀬がないぞ」
「……そんなに嫌われてんのかよ」
「物の例えだ。そういう国も中にはあるだろうということだ。姫様、この事を王に相談致しますが、宜しいでしょうか」
「はい、もちろん。ですが……飽くまでも私個人の想像に過ぎませんので、あまり鵜呑みにされては――」
「分かっております。その事を踏まえて報告に上がります。それでは私はここで」
綺麗な一礼。赤い髪を優雅に揺らし、彼女は部屋を去っていった。妙に焦っていたのはローラの為を思ってだろうか。
残された彼女と俺は顔を見合わせる。と、爆発音が出そうなほどの勢いで顔を赤くさせた。
「す、すみません。こんな格好で……」
「いやいや、良いと思うぞ。うん。普通に可愛い」
「か、かわ――」
彼女は顔を先ほどよりも赤くして俯いてしまった。うん、可愛い。ついでだからちょっと追撃してしまおうか。
「最初に会った時や廊下ですれ違った時は肩肘張ってるというか姫らしく振舞ってるみたいだったから新鮮だったよ。さっきシャインが言ってた窓から覗いてるの件もな。そんな見て楽しいものじゃないだろうけど――」
「そんなことはありません。ヒロト様は一所懸命に修行に明け暮れていました。仕事で疲れた身体に鞭を打って、あの鬼教官に耐えたのですから。それは凄い事です。私が話した事で気にしているようなら申し訳ないと思って――」
それは違う。正直彼女の話はそうなのか程度にしか思っていなかった。あの惨状、あの老婆から話を聞くまでは眉唾物だったのだ。謝らなければいけないのは俺の方だ。
「私には何も出来ない。お兄様の様な戦闘能力はないし、お父様の様に頭も良くありません。ですから、少しでもお役に立てるよう図書室の本を読み漁って――」
彼女なりに力になってくれようとしていた。自分の見た予知を不安に思い、何も出来ない自分を歯がゆく思い、それでも前に進もうとしている。
彼女になら、話してもいいのではないだろうか。マハ・マカの話。この世界の過去と、俺の世界の真実を。それを話したことで彼女に危険が及ぶようなら、俺やシャインは命を賭して守るだろう。それで守り切れるならの話だが。
「――姫様」
俺は意を決して、目じりに涙を溜める彼女と目を合わせる。一瞬躊躇う。少し詰まったが、言葉は何とか絞りだした。
「お話しておきたいことがあります。この世界に関わる重要な事です」
「ヒロト――様?」
「マハ・マカ。彼女とこの世界。そして、俺がいた世界の繋がりについてです」
俺なりの説明の仕方で、それを伝える。この世界は俺がいた世界の未来だということ。神殺しの男の話。この世界を覆う闇は、その男だと思われる事。老婆は女神であるという事と、俺が何故か世界を救う鍵となっている事。それらは一度出てしまえば、流れるように紡ぎ出た。俺は誰かとこの事を共有したかったのかもしれない。
だが、それを聞いた彼女の瞳には光が消え"闇"が宿っていた。そして――
「ワカッタ」
彼女ではない野太い声で、そう呟いた。




