一章第九話 一ヶ月後
また、夢だ。誰かの夢。いや、これは他人ではなく、俺自身の夢だ。俺が歩む事のなかった。別の話。未来へと飛ばされなかった、正しく異世界へ転移した別の俺の話。
旅をしていた。果てのない旅。隣に寄りそうのは、メメーリアだ。彼女と共に俺は草原を歩いている。そういう未来もあった、という事だろうか。この夢を見る事は、俺にとって何か意味があることなのだろうか。
金髪の少女は豊かに笑う。お互いがお互いを小馬鹿にしつつも、表情には信頼感が見て取れた。背中に生えていた翼は恐らく隠しているのだろうか見当たらず、隣に居る俺と同じような旅人の服を着用していた。
羨ましくもあり、微笑ましくもある。今の俺と交代して欲しい。そうも思う。また逃げるのかと、俺の心が訴えかけてきたような気がした。
今までの俺の人生は逃げてばかりだった。高校も中退し、バイトが気に入らなければ辞め、そのバイト先で築いた友人関係も全てリセットする。親はそんな俺に愛想を尽かし田舎へ移り住んだ。
癖になっていた。逃げ癖というやつだ。自分は大丈夫、独りだしバイトでもやっていける。そう思いながらも、心は休まらない。何か自分を変える出来事はないか。そう期待していた。
勿論、そんなことは起こるはずもない。何の行動もしてこなかったのだ。ただ、無駄に時間を消費していただけ。
運良く移住権を引き当てた時、俺の心は困惑に満ちていた。結果軽い気持ちで行く事を決意し今、俺は神殺しとかいう男の話を聞かされ、逃げようとしている。
俺は何のために生きてきた? この時のためか? 俺は何を欲しがった。平和か、刺激か?
「いくら自問自答しても答えは見つからない。どうせ今まで流され続けてきたんだ。ならやってやろうじゃないか。なぁ俺。怖いか、そうだろうな。でもな、安心しろ。俺には女神の加護が付いている」
そう、夢の中でもう一人の俺が言った気がした。目を覚ました時、俺の心は確かに変わっていた。
「ふぅん。中々様になってきたな。君がいきなり本格的な訓練をしてくれと頼んできた時は驚いたけど、鍛錬の賜物だな! いや、これは師匠である私が優秀だということかフフフフ」
昼下がり。城近くの鍛錬場。汗をかきながら手足を振り回す俺を見て、ツリ目の女騎士は不気味に笑った。ただ振り回すと言っても、戦闘を想定とした動きである。徒手空拳ではあるが、正直剣や槍などは扱える気がしない。それこそここの兵士よりも使えないだろう。
あの夢を見てから、一ヶ月ほど経った。あれから毎日、バイトをしては訓練をし、夜はクタクタでメメーリアと文句を言い合いながら寝る。そんな日々が続いた。何度か死ぬような目にもあったが、こうして生き延びているのは偏に俺のうんのよさのおかげだろう。
彼女は今の俺を様になっていると表現してくれたが、お世辞で言っていることぐらい俺には分かる。兵士や彼女と組手をしても到底勝てるとは思えない。元々それほど筋肉のなかった俺は力もないただ一人の村人Aなのだと苦汁を舐めさせられた。
兵士に聞いた話から少々汚い手を使い彼女の苦手な蛇などを使ってみたが、逆に怒らせて反撃されたこともある。リンドブルムにおける最強の騎士でありギフト持ち、レッドオーガ。高身長とその怪力で付いた、それが彼女の異名。それを耳にすると異名を口にした兵士を連れて夜どこかへ去ると噂もあるという。
組手をすれば、彼女の実力は一目瞭然だった。驚異的な反射神経。これは元々彼女が持つ身体能力からだろう。それに加えた"怪力"のギフト。一度試しに剣で挑んではみたが、折られる以前に一撃で俺の手が痺れてしまう。
彼女さえ居ればこの国は心配ないのではないだろうか。その疑問に、ちょくちょく俺の様子を見に来るマハ・マカはそれに対して――
「彼女は頼もしいが、完全に味方とは言えない。私は慎重にコトを運ぶ予定でね。今の所君以外に話すつもりはないよ」
と答えた。無論周りに誰もいないのを確認してだ。彼女の声は明るかったものの、その言葉には孤独が紛れていたのを俺は忘れない。
息を整えて俺はシャインを見る。腕を組み自信満々で頷く彼女は、俺の視線に気が付くと咳払いをして近づいてきた。俺をどこかに案内してくれるらしい。少し大きめの袖で俺は額に流れる汗を拭うと、先へ城へと歩んでいく彼女について行った。
城の中は少しひんやりとしていて涼しい。すれ違う人は割と見知った顔も多く、俺やシャインに挨拶をしてくる。城の者には俺が異世界から来たということを明らかにしているが、未だその話が外の町に流れたということは聞かない。なんと口の堅い兵達だろうか。
一階中央、階段前。南から見て左に行けば俺が世話になっている部屋がある。彼女はその分かれ道を左へ曲がった。勿論俺もそれについていく。少し奥ばった暗い場所に、ドアがあった。そのドアを開け部屋を覗くと中は倉庫の様になっており、様々な武器や鎧が乱雑に仕舞ってある。
「ここにある品物の中で好きな物を選ぶと良い。王からのお許しは頂いているからな。くれぐれも、使いにくい得物は使うなよ?」
彼女は壁に立てかけてある身の丈ほどもある大斧を見てそんなことを言う。誰が使うかあんな物。俺はとりあえず隅に置いてある木箱を漁る。短剣やグローブのような武器が詰め込まれていた。俺が使えるとすれば、こういった小物類だろう。
手を傷つけぬよう中身を取り出していくと、とても軽い物を手に取って俺は止まった。短剣、なのだろうか。全長はおおよそだが二十センチぐらいだろう。柄の部分が手に馴染むが、剣や刀とは違い鍔の部分がない。銀の装飾がされている鞘から抜くと刀身は両刃になっており、黒く鋭かった。
『それは……ダークですかね。ヒロトさんの世界では十八世紀頃良く使われていた武器らしいですよ』
頭の中にメメーリアの声が響いた。メイン武器として少し心許ないかも知れない。が、長物を扱うよりかはマシだとは思う。
「む、そんな物がまだ残っていたのか。それはダーツと言ってな。主に隠し持って投げて使う。投擲用の武器だな」
ダーツ? ダークではないのか。
『もしかして遊戯のダーツとダークが混ざったんでしょうかね。投擲用のダークが投げる遊びのダーツと混同されていったとか。魔術が発達してしまったせいで短剣としてよりも投げたほうが効率的……とか?』
なるほど。俺は納得してしまったが、本当にそうなのかは分からない。投げ物か。俺は迷ったが、何も投げて使わなくたっていいのだ。探ってみると同じような物があと三本あった。計四本。
これだけあれば充分だろうか。なくなったら俺の能力で……これ一本いくらなんだろう。
『この時代の相場で金貨四枚程のようですね』
安いな。仕事は続けているもののお金を使う機会は全然ないから結構溜まっている。訓練では能力を使う必要なんかもないし、いざという時に残しておきたい。
これに決めた。そうシャインに告げると彼女はどこか不満そうな顔をしていた。多分剣やなんかを選ぶと思われていたのだろう。軽く持てる短剣を選んだのが割と不服なようだ。
「あぁいや、すまん。この国ではそういった投擲用の短剣はアサシンが好んで使用していたのが印象深くてな……ちょっと複雑な気分なんだ」
暗殺者? やっぱりそういうのもいるんだな。複雑な気分、ということは過去に何かあったのだろうか。そういえば俺はこの未来についての過去――ややこしいな。この国の過去をよくは知らない。マハ・マカに聞いたことぐらいだ。
「――なぁシャイン」
「どうした?」
「この国には過去の文献が残ってるんだったよな。それって見せてもらえるようなもんなのか?」
「あぁ、自由に閲覧可能だ。ここの二つ隣の部屋が図書室になっている。知らなかったのか?」
知らなかった。部屋と仕事先、鍛錬場の行き来ぐらいだったからな……。異世界に来てまで社畜とは我ながら情けない。
せっかくなので案内してもらおう。図書室に行くだけならともかく、その文献というものが何処にあるのかは分からないし付いてきてもらった方がいいだろう。俺はダークを置きに部屋まで一旦戻ると、廊下で待ってくれていた彼女と合流した。と、シャインはリコッテと話していたようだった。
「丁度良い所に居たな、リコッテ」
「なんですかヒロト様。シャイン様を独り占めした挙句、私に命令までされるなんて偉くなったものですね」
なんでこの娘はこうも俺に厳しくしてくるのか。ていうか――
「別に独り占めしているわけじゃないだろう」
「独り占めしてます! 毎日毎日シャイン様の個人授業なんてあぁ過ちなんて起こったら――!」
「起こるわけないだろ……」
シャインは確かに美人だがスパルタ過ぎて手を出そうとも思わない。そんな渦中の彼女は微笑ましそうな顔でリコッテを眺めている。妹のような感じなのだろうか。シャインがリコッテの頭を優しく撫でると、リコッテの顔はとろけるような顔に豹変した。
「それよりもだ。リコッテ、私達は今から少し図書室へ行ってくる。そこで悪いのだが、時間があったら短剣を四本携帯出来るホルダーをヒロトのベルトに取り付けてやってくれないか」
「お安い御用で――! ……うぇぇ?」
俺が頼もうとしていたことを代わりに言ってくれた。だがシャインはこのメイドの性格を良く分かっていたようで、彼女からのお願いは断れないのだろう、最初は喜ぼうとしていたが俺の名前を聞いて凄く微妙そうな顔をし、渋々了承してくれた。俺からお願いしたら罵詈雑言を浴びせられたに違いない。
「悪いな……リコッテ」
残念ながら俺のその言葉に返答はなかった。