⑧二郎 3
新宿のごみごみした感じのボロアパートから出てきた健二郎は、東京に来てから始めた合気道の道場へ向かっていた。
「ダルいな……でも今日もサボると師範の小林にキツく絞られるからな~……」
健二郎は東京に来て間もない頃、ゴールデン横丁で飲んでいた時にチンピラに絡まれた。絡んできた男は簡単にねじ伏せたが、その後に男の仲間が来た。その中にボクサー上がりの男がいた。
田舎では喧嘩で負けたことがなかった健二郎は簡単にやってやろうと思い一戦交えたが、あっという間に逆にやられてしまった。
生まれてはじめて兄の幸一意外に喧嘩で負けた。地面に叩きつけられ、新宿の裏通りの小便やタバコの吸殻も混ざった汚い水溜まりに顔を浸けられて意識がもうろうとしていたとき、中年の酔っぱらいが通りかかった。
「おうおう兄ちゃん達、そのくらいにしてやんな。見たところそのぼろ雑巾みたいになってる奴は田舎者で都会の怖さをまだ知らないんだよ」
「おっさん、こいつの知り合いか?」
「まぁ、知り合いじゃないけどその辺にしないとそろそろ警察も来るぜ」
「そうだな。そいつの面倒頼むよおっさん。じゃあな」
「ちっくしょう……まだ負けてね~!!」
「おいおい小僧、お前はとっくに終わってるんだよ。その辺に公園があるから便所で顔を見てみろ。フランケンみたいな顔になってんぞ」
「ま、都会の洗礼を受けたな。養生せいや。じゃあな」
目覚めたのは次の日の正午だった。
子供の声で目が覚めると、足や顔に砂がかけられている。どうやら公園の砂場らしい。
「うぇ!なんだよ!ガキ、やめろ!」
「ママー!!動いた!生きてるみたい‼」
「兄ちゃん、生きてたん?死んでたら埋めたのに」
「ババア!このガキどうにかしろよ!」
「酔っぱらいの子汚い不審者がなに調子こいてるんだ?」
「わかった!わかったよ。すいませんけど、あの~お水頂けませんか?綺麗なお姉さん」
バシャッー!!
「わ!冷てーな!!」
「ご希望通りの水だよ!お!顔がきれいになってよく見たらけっこうイイ男がじゃないかい」
「ハイハイありがとございます」
「じゃ、せいぜい喧嘩で顔が不細工にならないようにきをつけな」
江戸っ子ヤンママは去っていった。去り際に魚肉ソーセージを置いていった。口の中が切れて痛いが、魚肉ソーセージは優しく胃の中に納まった。
「東京も悪いことばかりじゃないな……」とつぶやいた。
数日後裏通りをそれとなく歩いていると、道場で稽古をしている声が聞こえてきた。
「ん?何かの道場だな」健二郎はなんとなく好奇心から覗いてみた。
「剣道じゃないな。空手か?柔道か?」
「おいそこの君!ジュース飲むか?」
「え!?俺っすか?」
「そうだよ。暇だからジュース飲んでいけよ」
「は、はい……」
歩いて行くと「ん!?何か見覚えあるような、ないような……」健二郎は記憶をたどった。
「お~、君はこの前派手にやられてた所を助けた兄ちゃんか」
「は、はい……(くそー)」
「傷は治ったか?」
「まぁ、なんとか……」
「うまいか?ジュースは」
「はい……」
「初めてか?」
「飲んだことあるよ!!ジュースくらい!田舎者だからってバカにすんな!」
「出身は?」
「群馬の館森です」
「群馬は電気通ってるのか?」
「通ってるワイ!どんだけ群馬バカにすんだよ‼」
「ほう」
「一応な~、館森の実家にはテレビも洗濯機も掃除機も、車だって3台あるんだぞ!」
「ほ~、その田舎のボンボンで井の中の蛙が都会にいきがって出てきて早速ボコボコにされたわけか?」
「く~……」図星だった。正にこの男の言った通りだった。何も言い返せない。
「おい、今のままだとこの辺りで喧嘩したら殺されるぞ。ちょっと教えてやろうか?」
「え!?おっさん強いの?」
「アホ。強いから道場の師範なんだよ」
「じゃあ見せてくれよ」
「打ってこい‼」
健二郎は隙をついて渾身の右ストレートを顔面に向かって放った。次の瞬間頭から落ちていた。
2·3分気を失っていただろうか。道場の子供達に顔を落書きされている最中に目が覚めた。
「う!?どこだ?」
「まったくお前の攻撃は解りやすすぎなんだよ。あんなんじゃ格闘技かじった奴なら簡単に避けられるぜ」
「あの~……先生弟子にしてください‼」
こうして健二郎は今までまったく興味のなかった合気道を始めることになったのだった。