大日本帝国は、ファシズムだったのか?
最近、中国や韓国が『日本はファシズムだ~!!』『安倍内閣はファシスト政権だ~!!』と自分の国の実情をかえりみないで言っております
中国などは、中国共産党の独裁国家で言論統制や国民総動員法が有るのですから、完全なファシズム何ですけどね
それはさておき、私が学生の頃もそうでしたが、皆様も学校で戦時中の日本は『軍事独裁政権』でまるで日本の暗黒時代の様に習わなかったでしょうか?
今回は第二次世界大戦中の日本の様子などを書いて行こうとおもいます
ちなみに、日本が明治政府に成り、大日本帝国に成った時、大日本帝国議会は2院制の議会制民主主義で、最初は投票権に規定が有って国民全員が投票出来たわけでは有りませんでしたが、キチンと国民による選挙が行われていました
第一次世界大戦や日露戦争・日清戦争が有った時もそれは変わっておりません
さらに第一次世界大戦後 、日本は国際連盟に『人種差別の撤廃』を提案しています
世界で初めて人種差別の撤廃を国際社会に訴えたのは日本政府でした
>人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。イギリス帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定で否決された。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
(Wikiより抜粋)
この様に大日本帝国は、世界に先駆けて『人種差別撤廃』を主張し、それを当時のアメリカやイギリスが反対致しました
そして第二次世界大戦中の日本はどうだったのでしょうか?
別に全然明治政府発足当時と変わらず民主主義でした
むしろ、一般国民に投票権が付与される様になりましたから、第一次世界大戦当時よりましなぐらいでした
大正デモクラシーのおかげで、色々な国民の権利が昭和初期にはそろい始めました
大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)とは、日本で1910年代から1920年代にかけて(概ね大正年間)に起こった、政治・社会・文化の各方面における民主主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称である。信夫清三郎『大正デモクラシー史』(1954年)がこの言葉の初出である。
(Wikiより抜粋)
第二次世界大戦中の大日本帝国は普通に民主主義でした
それは現在とは多少違いますが、間違っても当時の『ナチスドイツ』や『イタリアのムッソリーニ政権』とは全然違いました
もちろん、ファシズムによる独裁政権でも有りません
単なる『戦時特別体制』なだけだったのです
その証拠に東条内閣は、諸説あるにはありますが、普通に選挙で選ばれた内閣でした
ヘブライ大学の有名なユダヤ人教授、ベン・アミー・シロニー博士は、1982年に出した著書『天皇陛下の経済学』(光文社)の中で次のように書いていらっしゃいます
そもそもナチスドイツと戦時下の日本との最大の相違点は、両者の国内統治体制にみられます。
ドイツでは、政府、政党、秘密警察が、国民に権力をふるい、人々を裁判もせず投獄し、殺しました。
国民全体が、独裁者ヒトラーのもとで支配されており、独裁者の権力は、無限であり、その威光は、最高をきわめていました。
しかし、日本の場合はそうではありません。明治時代に発達した政治体制は、変わらず、憲法も廃止されずにそのまま維持され、帝国議会は、戦時中も事あるごとに開かれていました。昭和17年に、日本で普通選挙が行なわれるようになり、大政翼賛会の候補者に加えて多くの無所属議員が出馬し、当選しました。
非推薦で当選した主な議員は、三木武吉、三木武夫(のち首相)、赤尾敏、鳩山一郎(のち首相)、尾崎行雄(憲政の神様・議会政治の父)、斉藤隆夫(反軍演説)、中野正剛(右翼・のちに割腹自殺)、川島正次郎(のち自民党副総裁)、笹川良一、西尾末廣(前・後の民社党初代委員長)らでした。
ナチスと日本の政治姿勢の違いは、占領下の人々にどう対処したかによく現われている。日本は過酷な戦いを挑みながらも、少なくとも公式上の扱いは、まるで兄弟のようであった。
日本の声明、宣伝は、日中戦争を、まるで兄である日本が弟である中国に教訓を与えるために懲らしているのだと説明した。日本政府の目的は、占領下にあるアジアの国民との兄弟的な交わりをもつことであるといった。
このやり方は、ヨーロッパの、非アーリア人種を従属させ、奴隷にし、時には絶滅をはかるという、ナチスドイツの基本方式とは、まったく異なっていた。日本人が中国やフィリピンで、人道を逸した行為をした時でさえ、ナチスなみの計画的大量虐殺などという発想はみじんももっていなかった。この意味で、日本の大東亜共栄圏構想は、ドイツ第三帝国とは根本的に異なっていた。だからこそ、アジア諸国の民族主義運動の多くの指導者は、日本が西洋帝国主義との絆を断ち切ってくれるという確信のもとに、日本人に対し協力的であったのである。
東條は最高責任者であったが、彼はヒトラーの権威も権力ももっていなかった。東條は当たり前のように有力者となっていき、戦時中、批判が高まると、当たり前のように権力の座から引きさがった。
東條は国家の主権者でもなく、総司令官でもなかった。東條は陸軍や海軍の参謀本部に指図する権限はなく、自分の見解に反対の大臣たちを追放することはほとんど不可能であった。
東條は、ヒトラーやムッソリーニという同盟国の独裁者たちよりわずかな権力しかもっていなかっただけでなく、軍隊に命令を下すことのできたルーズベルトやチャーチルのような敵国の民主主義者たちの権力さえももっていなかった。スターリンや蒋介石と比べる必要は、もはやないであろう。
※『日本は第二次大戦中、正当な合法的方法で内閣が二度変わった唯一の主要戦闘国であった。』
ヒトラーやムッソリーニやスターリンが、暴動が起こることもなく、流血もなく、拘引されることもなしに、全面戦争の真っ最中に権力の座から降りることができようとは、誰が考えるだろうか。東條が辞職したときには、誰も殺されることも拘引されることもなかったのである。
独裁者の国ではよく起こるような、後継者たちの非難も東條に対してはなされなかった。その後も東條は、つねに尊敬されるべき国民であり、天皇に助言を与えるべき人物であったのである。
外国人の目から見ても、当時の日本は民主主義でしたし、東条英機氏は立派な人物だと評価しおります
第二次世界大戦中の日本は、確かに戦時中と言う意味では『暗黒時代』かも知れませんが、日本国内はむしろ、外国人の研究者から見ても、世界的に非難される様な国では有りませんでした
テレビや新聞、雑誌が第二次世界大戦中の日本が『軍事独裁体制』だったと言っているのは、左翼的な政治宣伝と、前にも話しましたアメリカのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム) の影響が未だに残ってるからだと思われます
皆様如何でしたでしょうか?
大日本帝国は決して『ファシズム』では有りませんし、東条英機氏は『ファシスト』でも有りません
如何でしたでしょうか?
今回は長文なので後書きは割愛致しますが、大日本帝国は『ファシズム』では有りませんでしたし、東条英機氏は『ファシスト』では有りませんでした
今回はその事をご理解頂ければ幸いです




