通州事件
支那事変の原因にも成った、通州事件を見てみましょう
通州事件とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国の通州において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃し、大量虐殺をおこなった事件。通州虐殺事件とも。通州特務機関は壊滅し、日本人居留民のうち女性はほとんど強姦されて殺害され、殺害方法も猟奇的なものが多かった。
1937年7月27日に中華国民政府はラジオ放送を行いその中で「盧溝橋で日本軍は二十九軍に惨敗し、豊台と廊坊は中国軍が奪還した」との虚偽報道に続き、「最近北京における軍事会議の結果、蔣委員長は近く二十九軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州の敵を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにあげる」と報じた。この南京放送は、デマを流すので有名であった。これを受けて冀東保安隊が日本人を襲撃することとなった。
1937年7月29日午前2時、3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍へ攻撃を開始、殷汝耕を捕獲し、日本軍守備隊、特務機関を襲撃、日本軍は壊滅し、また日本人居留民を襲撃し、在留日本人385名のうち223名が虐殺された
冀東政府保安隊は日本軍を全滅させると、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し、略奪・暴行・強姦などを行なった。
7月30日午後通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長の萱島高の証言によれば、飲食店の旭軒では40から17~8歳までの女7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺されていた。日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、「血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった。
第2連隊歩兵隊長代理の桂鎮雄の証言によれば、旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺さされ、また陰部は刃物でえぐられていた。帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた。女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった。カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた。南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。
当時、同盟通信特派員の安藤利男はこの近水楼に宿泊していたが脱走に成功した。
また支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の桜井文雄の証言によれば、守備隊の東門には、数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた。鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた。14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた。
(wikiより抜粋)
実に痛ましい事件です
被害者のご冥福をお祈りします
さて、この事件『南京大虐殺』に大変似ていませんか?
学校で習ったか、聞いた事がお有りと思いますが、日本軍が南京攻略戦のさいに、南京居留民を虐殺したとされる事件です
私が勉強した限り、『南京大虐殺』は中国のプロパガンダに過ぎないと考えますがそれは又別の機会に触れたいと思います
この『南京大虐殺』で日本軍が行ったとされる蛮行と、この通州事件で中国人が行った蛮行が見事に一致します
中国人や左翼が主張する三光作戦『殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす』は、正に中国人が通州事件で行った蛮行その物ではないでしょうか?
日本人にはこの様なメンタリティや作戦は有りません
中国人が過去何千年にも渡ってやって来た事です
史記や三國志にもこの様な蛮行が出てきます
中国人がやるから日本人もやると勝手に勘違いしているだけです
この様な蛮行をやられて、日本人が怒り心頭に成るのは当然の結果です
又それが中国国民党軍の狙いでした
日本を戦争に引き摺り込む為に
この事件を切っ掛けに『死して虜囚の辱しめを受けず』と言う思想が生まれました
日本人に息ずく武士道精神の『恥』の概念に根差した物で有りましょう
万歳クリフに於ける集団自決は、生きてなぶり殺しにされる位なら、綺麗な身体で誇り高く死ぬと言う高潔な思想から来た物で有りましょう
それでも生きて居るべきだと考える方々もいらっしゃるでしょうが、当時の日本人の大多数は、通州事件の余りの残虐さから、『生きて虜囚の辱しめを受けず』を選んだのです
当時と現在では考え方が違います
単純には比較出来ないし、現在の価値基準で論じて良い物では有りません
歴史を学ぶ者の大前提で有ります
売春行為が当時は合法かつ当たり前の商売だった事を、現在の価値基準で批判は出来ないのです
それはさておき、中国人が狡猾に、日本人や日本軍を如に戦争に引き摺り込む謀略を巡らして居たかが分かります
そして、アメリカや欧州で反日活動を行い、自分達がやった事を日本人や日本軍のせいにして、アメリカや欧州の力で日本を敗戦に追いこんだのです
三國志や史記にも散々出てくる作戦です
日本人は江戸時代から中国史を学んで居たにも関わらず、中国人の謀略に嵌まってしまったのです
いい加減、この愚かな繰り返しを絶たなければ成りません
近隣国だからと言って、仲良くする必要は微塵も無いのです
その近隣国が悪意を持って日本に接して居るのですから
それは現在も変わらないのは、中国・韓国の反日活動や日本政府に対する数々の内政干渉からも分かります
国同士は決してお友達では無いのです・・・
如何でしたでしょうか?
この様な残虐な事件が、『支那事変』が開戦する以前に起きていたのです
日本人居留民が非常に残虐な方法で、正に『虐殺』されている訳です
これを知った日本人が怒り狂うのは当然では無いでしょうか?
ましてやその残虐な殺され方を知り『外国人に捕らわれると何をされるか分からない、ならば綺麗な身体で死のう』と考えたのが、所謂『死して虜囚の辱めを受けず』なのです
日本人の集団自決は、決して軍に強要された訳では無いのです
当時の風俗を知らずに歴史を見ては、判断を誤ります
支那事変【日中戦争】は日本の侵略から始まった訳では無いのです




