江戸時代~現代迄の教科書展で感じた事
7月11日に地元の民俗資料館で地元の江戸時代~現代迄の教科書展が開催されていたので見て来ました
結論から言えば、物凄く勉強に成りました
江戸時代から、日本人の教育熱心さは海外の方々も感嘆しています
ドイツのシュリーマンは、1865(慶応元)年に日本を訪れた時の印象を、著書で次のように記した。「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」<『シュリーマン旅行記 清国・日本』(ハインリッヒ・シュリーマン著、講談社学術文庫)より>
江戸末期に日本を訪れたペリー提督も、日本人の識字率の高さに驚愕しています
これに対し、1837年当時のイギリスの大工業都市での就学率は、わずか20~25%だった。
19世紀中頃の、イギリス最盛期のヴィクトリア時代でさえ、ロンドンの下層階級の識字率は10%程度だったという。
フランスでは1794年に初等教育の授業料が無料となったが、10~16歳の就学率はわずか1.4%にすぎなかった。<『大江戸ボランティア事情』(石川英輔・田中優子著、講談社)より>
如何に日本人が教育を重視していたかわかります
江戸時代は各藩で独自の教育を施していたそうですが、私の地元の伊達藩は農民・武士・商人・職人分け隔て無く、寺子屋で一律に現代で言う所の初等教育を施していたそうです
武士は寺子屋終了後、藩の教育機関で学び、大商人の子弟は行儀見習いや、家庭教師等で学んだようです
驚くべきは、男尊女卑と良く言われる過去の日本ですが、少なくても伊達藩では、女性も家庭の優劣に関係なく、寺子屋で学んでいた事ですね
やはり歴史を学ぶと、色んな事が見えて来ます
明治時代に入ってからも、暫くは各都道府県で独自の教育方針で教育が行われたそうですが、宮城郡(みやぎごおり・現在の宮城県) では、何と就学率97%で当時日本一だったそうです
伊達藩からの名残なんでしょうね
明治時代当時は男子と女子で教育内容が違ったそうです
女子は家事仕事や礼儀作法、他家へ嫁ぐ際の心構えや和歌の教養を教えていた様です
勿論初等教育終了後です
他家へ嫁ぐ時の心構えの最初のベージで「他家へ嫁ぐ際は、夫・舅・姑の言う事を良く聞き、嫁ぎ先に可愛がられる様に成りなさい、他家で可愛がられず不平不満を申して実家に戻されるわ、嫁の親の教育が悪い」と言う一文は、当時の日本の生活規範を偲ばせます
現在の価値基準だと男尊女卑と取られるのは、戦後の価値基準から来る物ですね
戦前迄は、女子にはこの様な道徳教育が成されていた様です
男女関わらず戦前にあった礼儀作法教育では、「朝学校に出かける時も、お使いや遊びに出かける時も、正座して両手を着いて両親・祖父母に、行って参りますと挨拶しましょう」「帰宅したら正座して両手を着いて、只今帰りましたと挨拶しましょう」と書かれていました
ここ迄徹底すれば、両親・祖父母に逆らったり生意気な態度を取る子供は少なくなるでしょう
現代でもキチント挨拶する礼儀作法教育はやった方が良い様な気が致します
両手をついて正座は兎も角
更に戦前迄の道徳教育では、先生・両親・祖父母を敬い、尊敬しなさいと1ページ目に書かれていました
この様な教育がなされていれば、先生を舐めて掛かる生徒など少なく成るでしょう
これも現代の教育に採り入れても良い様な気がします
教育勅語も全文を初めて見ましたが、簡単に言うと、天皇陛下云々はさておき、皆と仲良くしなさい、親兄弟を大切にしなさい、等の道徳観念が主な内容でした
決して戦時的・軍事的な物では有りませんでしたね
ただ、戦前の毎朝の教育勅語やラジオ体操、男の子は全員学ラン半ズボン丸坊主、女の子は全員お下げかワカメちゃんカット(ショートボブ)此をアメリカ軍が進駐して見聞きしたら、現在で言えば北朝鮮の様な異様な姿に見えた事でしょう?
私達が北朝鮮の様子を見て異様に感じる様に
アメリカ人からすれば、議会制民主主義では無く、立憲君主制の軍事独裁に見えても仕方無かったかも知れないと感じました
しかし戦前の教育に比べ、初等教育のレベルは確実に落ちている気が致しました
特に、数学は小学2年生で万の桁の足し算引き算が有りましたから尚更ですし、礼儀作法や道徳教育は寧ろ戦前の教育の方が優れていた様に個人的には感じました
現代日本はまだまだ教育改革が必要な気が致しました
如何でしたでしょうか?
過去の教育の歴史を知る事で、如何に今の教育・・・特に歴史がどうしようもない状況かが良く分かりました
道徳もそうですが躾に相当する事も、教科として戦前までは学校でも教えていた様です
道徳や躾教科の復活も、今後は必要かも知れませんね?
勿論歴史教科は、早く自虐史観から脱却しなければ成りません