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バディ。それは、相棒とか親しい友人とか、そういう相手に対して使われる呼称だった気がする。
それがなぜ、わたしと博士の関係を表す言葉になるのか。
問いつめようとしたのだが、お勘定を済ませたジリアちゃんたちが出てきてしまい、タイミングを逃した。
落ち着いて話ができるようになったのは、小洒落た喫茶店で遅めの昼食を終えた後だった。
喫茶店の内装もまた質素、質実、シンプルイズザベストだったが、当店のお勧めメニューはずっしり、どっしり、こってりだった。岩竜のもも肉を弱火でじっくり炙り、小さく刻んで秘伝のタレに漬け込んだものを、刺羊のチーズと飛び兎の挽肉、野菜、煮詰めた果実、香草と一緒に鳥の腹に詰めて秘伝のタレをぶち込み秘伝のタレをかけながら回し焼く、餌詰め鳥。ミートインミート。それから角牛の舌肉と尻肉たっぷりのチーズシチューと、川竜の生ハムとサラミの盛り合わせ、のびーるチーズのと木の実がたっぷり入った羊肉パイ。ミートアンドミート。肉オンパレード、時々チーズ。サウデ大島北西部、急峻な岩山が連なるシルキア皇国北山帯で供される伝統的なごちそう。喫茶店で出すような料理ではない。まさか喫茶店の定義すらも、都会と辺境では異なるのか。わたしの常識はどこまで試されねばならないのか。
ともあれ、博士の教育の賜物で料理の知識もばっちりだが、特に役立ちはしなかった。せいぜいが、この肉は岩竜……この肉は川竜……と一次生産者を意識しながら肉を噛み締めたくらいである。違いはよくわからなかった。
肉を肉で流し込むようにして肉を平らげ、ほのかに柑橘類の香りがする水で疲れた顎を冷やし、食べ足りない顔をしているミューネちゃんと向き合う。これ以上なんの肉を食べるつもりだ。いや、聞くべきことはそれではない。
「バディってなんですか」
前置きもクソもない豪速ド直球である。それだけでわたしがどれほど焦れていたかおわかりいただけると思う。ミューネちゃんはこてんと首を傾げた。はいはい可愛い。
「バディ? 通過者と、その面倒を見る職員の呼び名だけど?」
「いや、まあ、それはそうなんでしょうけど、なんでそんな呼び名が」
「うーん、そうだなあ……ただ面倒を見るだけならおカネを渡せば済んじゃうし、局内にいてくれれば、何があってもすぐに僕らが対応できるから問題ないでしょ? でも現実には、通過者にはどうしても精神的な負担がかかっちゃう。そこのとこを支える存在、不安な心に寄り添って親身になってくれる特別な存在が、健全に過ごすために必要になるよねえ、ってことでバディなんだけど」
……一瞬理解ができなかった。それは確かに、いつでも寄り添って生活をサポートしてくれる博士と、サポートされているわたしの関係性の説明になるような気がしないでもないが、確実に気のせい。
精神的な負担を支えるという表現は何かの言い間違いか。物理的なお世話のほかは、物理的な圧力を受けた覚えしかない。強いて言えば、心理的な負担が博士の手によって増やされている気はする。
混乱しているわたしをよそに、ツィアリさんがうんうんと頷く。
「信頼の度合いは、多くの場合、共有した時間の長さに比例する――やっぱり、最初に言葉を交わした人間が自動的に一番信頼されることが多いんだよね。だから大体は、最初に状況を説明した職員がそのままバディになる。ね、ジオちゃんはいっつもわたしたちを目の敵にしてるけど、案外真摯でしょう」
は?
「だから人員の交換もあるわけだよ。理屈じゃなく、どうしてもそりが合わないってことはあるからね」
は?
「でも、できれば自分で満足してほしいけどバディの交換も可能だからー、なんて伝えるのは結構気が重い
んだよねえ。その場でチェンジって言われちゃうのは、わたしもいつもショックだからね」
は?
常識と倫理観の欠如したモルモットマニアの解剖願望の塊が、何の面下げてそんなこと言ってるんだ。今日はミューネちゃんがブチ切れたから大人しいだけで、本当は鳥肉よりわたしとジリアちゃんの肉を切り分けたいとずっと思ってたくせに。
いや、それは今はいい。問題は、わたしが魔力を使えないとかそういうことを抜きにして、どうやら最初から博士がお世話係になることが決まっていたらしいと言うこと。めちゃくちゃ不本意そうな態度しかしてなかった気がするんだけど。そもそも初っ端に猿って罵られた覚えもあるんだけど。局員側の希望は聞いてもらえないブラックな職場なの? あの人が大人しく理不尽に耐えられるようなタマには思えないんだけど?
バディの交換が可能だということもおかしい。それが相性を考慮して行われるというなら、博士から交換を打診することも可能なはず。しかしそんな話はされたことがないし、説明すら受けてない。
一体あの人の頭ん中はどうなってるんだ。今まで何を考えてわたしのお世話をしてたというんだ。
ますます混乱するわたしに、ツィアリさんは満面の笑みを向けた。
「でも今はわたしも、ジリアちゃんのバディなんだよねえ。初日はいつもちょっと興奮しちゃって、いつも交換されちゃうんだけど、ジリアちゃんはすぐにわたしを受け入れてくれたから本当に嬉しくって。もー毎日ジリアちゃんが可愛くって仕方ないんだよねえ」
突っ込みどころがたくさんあった。あり過ぎて何も言いたくなかったから、無言でジリアちゃんを見る。
おそらく十四歳くらいだろう。変質者の嗜好の魔の手からギリギリ逃れたか、まだ守備範囲に収められているか、微妙なラインのお年頃。彼女の華奢さには、まだ骨格が完成してないような印象がある。
魔術師の卵とはいえ、きっと幼い女の子。特殊な趣味があって、人目でツィアリさんを気に入ったとは思えない。何か弱みでも握られてるか、騙されてでもいるんじゃないか。
わたしの視線に気づいたジリアちゃんは、拗ねたように口を尖らせた。はいはい君も可愛いから過剰な可愛いアピールはもう控えてほしい。可愛さがゲシュタルト崩壊してわたしの美少女というステータスがそろそろ消え去りそう。
「別に、あたしは誰でもよかっただけです。めんどーだし、コーカンしてもらった相手がツィアリより酷くってもヤだったし」
「もー、ジリアちゃんってば照れ屋さんなんだから!」
「ほんとのことです」
「そんなとこも可愛い!」
「違うったら! いー加減にしてください!」
ほんのり顔を赤らめて怒るジリアちゃん。そんな彼女の頭を抱えるようにして抱きしめるツィアリさん。更に怒るけど本気で拒絶してるわけじゃないのが傍目にもわかるジリアちゃん。以下エンドレス。
そうか、本当に仲がいいんだな。解せん。
「ジオ、どーしたのお? 農耕機に挟まれて死んだ岩蜥蜴みたいな顔してるけど」
「どうしてそんなに具体的な名称を挙げるんですかそんなに似てるんですか」
じとりと睨んだら、ミューネちゃんは冗談だと笑った。
「目の前で臆面もなくいちゃいちゃされたら、そういう顔にもなっちゃうよねえ」
「まあ、それだけでもないんすけど……」
別に隠すようなことでもないのだが、ついつい言葉尻を濁してしまった。別に、言いたくないわけじゃないんだけど。別に、恥ずかしいことでもないんだけど。
しかし、先を促されてのろのろ開いた口からは、やっぱりモゴモゴした声しか出なかった。
「いや、だって、わたしと博士さま、こんな仲良くないんすもん」
これではまるで、わたしが仲良くなりたいと思っているかのようだ。
そういうんじゃないんだ。本当に。誰だって、トゲトゲした態度で接されてグリグリこめかみを抉られるよりは、談笑したり一緒に外出したり、良好な関係を築きたいと思うもんだ。それが四六時中一緒にいる相手なら尚のこと。そう、それだけである。今更博士に暖かみのある笑顔を向けられたって、おぞましさに失神する自信がある。どちらかといえば、博士との仲を深めるよりも、別の人にバディになってほしい。別にツンデレとかじゃなくて本心からの叫び。
そのように、誤解のないよう誠意を込めて説明したが、ミューネちゃんは全然聞いてないようだった。なんか難しい顔をして、ぶつぶつと口の中で呟いている。
しばらくして顔を上げたミューネちゃんは妙に真剣な顔をしていた。つられてわたしも背筋を伸ばす。
「ジオ、バディのこと知らなかったんだね」
「知りませんでした」
「当然、交換できることも聞いていない」
「聞いてませんでした」
「そんで、毎日一緒にいるのに、仲良くないんだ?」
「良くないですね」
尤も、遠慮なしに相手をどつける関係という意味では、一方的に仲がいいことにはなるかもしれない。博士の中ではそういうことになっているという可能性も否定はしきれない。恐ろしすぎる。
「毎日なんの話してるの」
「一般常識やどう考えても生活に必要なさそうな雑学など主にお勉強のお話をしております」
「それ話って言わない!」
「そのほかには、日々バリエーション豊富な言葉で罵られたり注意を受けたり、溜め息や舌打ちを毎日耳にしております」
聞かれたことに素直に答えていくと、突然、ミューネちゃんが頭を抱えて唸り出した。
「もおおおー! バカじゃん!」
……今罵られたのはわたしなのか博士なのか、どちらでもないのか。発言の意図はわかりかねたが、頭を抱えたまま両脚をばたばたさせてるミューネちゃんが机を蹴倒しそうだったので、とりあえず両肩を押さえておく。
「……バカだねえ」
ぽつりと、向かいの席からも哀れむように声が漏らされた。おいこれ本当に誰のこと言ってるんだ。主語のない非難は周囲に不安をまき散らすだけなのでお控えください!
だが、それを問おうとした矢先、衝撃的な言葉で思考が強制停止させられた。
「もおお、だったら僕がジオのバディやったのにー! 何考えてるのあの人!」
「えっ」
ミューネちゃんがバディ。毎日お世話してくれる。キャッキャウフフしながら毎日幸せに起きて幸せにお勉強をして幸せにご飯を食べて幸せに眠る。やだ、幸せ。
「もー! もー! もー! だってさー! 平気だって言うからさー! 僕、ジオのお世話したいの諦めたんだよおー! なのにこんな、こんなさあ! もおおバッカじゃないのー!」
「本当、バカだよねえ。ここまでくると可哀想」
ツィアリさんが何かに同情しているのが気持ち悪いし、結局なんのことを言っているのかはさっぱりわからない。
が、わたしがミューネちゃんに好かれていることはわかった。その割にはどさくさに紛れて八つ当たりのように足を蹴られている気がするが、過剰な愛情として感受しよう。近頃、自分もだいぶ歪んできたような気がする。




