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王立究理院未確認現象調査局の、就労人数に対して贅沢すぎる敷地面積を持つ真っ白な建物は、研究都市ガフオルムの西の外れにある。
と言うのは正確ではない。ガフオルムという街は、北も南も西も東も、なんなら北西も北東も南西も南東も、四方八方王立究理院に囲まれている。
そもそもの成り立ちとして、ここは王宮の付属施設に収まりきらなくなった学者や研究者を究理院という組織に纏め、王都から適度に遠く適度に近い位置に移すために選定された土地だった。
最初に究理院の総本部が建ち、その周囲に工学局やら地理局やらと部署ごとに与えられた研究所が建ち、当初はどこも本当に最低限の研究用設備しかなかったため自宅からの通勤が嫌になった社畜はその周囲に掘建て小屋を作り、建設業者への細々した商売のほかに学者相手の堅い商売でちょこちょこ顔を出していた商人がそんな社畜相手の日用品販売を始め、するとどうせ自宅にいるのは一日二時間だし自分も移住しようと決意する社畜が加速度的に増加し、商機が増えれば商人も増えて商売形態も移動販売から固定店舗へと変わり、それに伴い商人たちも付近に住居を構え以下省略。
施設群からは少し離して街を併設する予定はあったのだが、その土地自体が勝手に街になってしまっていた。
当然、土地の支配権を持つのは究理院である。王立って名前の通り国王の裁可でその場所への普請が決まったわけで、職員たちが勝手に建てた簡易住居はともかく、商人その他に対しては一方的に立ち退きを宣言することもできたらしい。
しかし、既に両者は融合し、そこは『都市』となってしまった。分離しようとしても最早デメリットしかない。究理院は現実を見据え、予算と工期の都合でまだ着工されていない部局については、街の辺縁部に建てることにした。
一次計画で決まっていた施設の整備が完了してからも、街は広がり続けた。必要に応じて細分化したり分裂したり新設されたりする部局に専用の施設が必要になると、それもやはりその時その時の最外縁に土地が用意された。
とはいえ、いつまでも無限に肥大化し続けたらただのバグか怪奇現象なので、百年ほど前には移住も住宅の新築も制限された。究理院の建物については制限は設けられていないが、むやみに部局が増えるわけでもなく、街の大きさは六十年前から変わっていない。
つまり、研究施設と都市が融合して成長していったのがガフオルムであり、未確認現象調査局が西の外れにあると言うよりも、ガフオルムの西端、ひいては王立究理院の西端が未確認現象調査局なのだ。
――というのが、博士による洗脳ギリギリの詰め込み教育によって覚えさせられた街の歴史。正直、これが何の役に立つのかは全くわからない。シムシティの栄枯盛衰を見ていた方がよっぽどためになる。
だが、そう思ってなおざりに聞き流すと、当然の顔して出される理解度チェックテストで悲惨な点を取り、罰則を科される。心根と性癖の歪んだ人間らしく、博士が思いつく罰は非常にレパートリー豊富だ。今のところ、一番つらかったのは床に置かれた食事を正座で食べた日。そのくらいがどーした、って余裕ぶっこいてたけど、すごく精神的にこたえた。
その博士とは、食堂で別れた。別れ際、自分で負わせた傷を恩着せがましく治してくれながら、みんなに迷惑をかけるなと八回も言っていた。まるで、日々自分が迷惑をかけられていながらもじっと耐えているかのような言い草。なんて女だ。世話になっている自覚はあるが、それは貴様の仕事である。迷惑をかけた覚えは全くない。
その証拠に、ジリアちゃん、ミューネちゃん、ツィアリさんと一緒に徒歩で調査局を出てから、非常に和やかな雰囲気が続いている。もうね、これでわかってしまいますね。博士とわたしがいかに馬の合わない二人であるかと言うことがね。あの人は細かすぎるし真面目すぎるし完璧主義過ぎるし、たぶん乙女座のA型。
不本意な新生活が始まって以来の開放感で、ミューネちゃんと手なんか繋いじゃったりしながら石畳の街道を歩く。
「ほらほらあれ見てジオ。あれがガフオルム名物の学生罰則図だよお。あの子たちはレポートの盗用をしたみたいだねえ」
ちょいちょい、と腕を引かれて示されたのは、なんかびしょ濡れで号泣しながら、本人のものと思しき書籍を焚き火にくべて叫んでいる若者である。和やかな雰囲気で歩いているわたしたちだが、会話が非常に不穏。大丈夫、誤差の範囲だ。
研究都市ガフオルムには、未来の学者を育てるための大学府もある。事実上の王国最高学府である。どうせ学者はほとんど貴族だろと思っていたが、実はガフオルム大学府の門戸は結構広く、どん底の貧乏人でも、頭が良ければ国からの補助金で入学できる。
なので、国中から集った前途洋々たる秀才たちが日々切磋琢磨しているはずなのだが、まあ若いからね。いろいろとね、やんごとない事情がね、どうしても生じてしまってね、具体的には堕落。その一言に尽きる。その結果、不正行為に手を染める者が出てくる。
しかし、彼らが欺こうとする相手もまた、どんなに禿げ散らかし腹を突き出していようとも、最高学府で己を鍛えた麒麟児の成れの果てである。なのでバレる。逆にそれが燃料になって、決してバレずに不正を完遂することに人生を賭けている倒錯した変態もいるらしいが、彼らもまた厳正に誅罰を下される。大体は晴れ渡った青空の下で。そしてそれは、近年では観光名物としても利用されている。結果、卒業生や近隣住民はもちろん旅の風来坊も、天下の往来で号泣している学生を見つけると微笑ましげに見守っているという。拷問か。
学者という生き物はなんて残酷なことを考えるのか。
学生たちの自業自得だから、っていうんでみんな笑ってるのだろうが、日々博士から体罰を受けているわたしは恐怖に震えるしかない。地面にトレーを置いて昼食をとってきなさいと言われたら、わたしのガラスの心は死んでしまう。
ひょっとして、こんなところで育つから、学者たちの精神は歪んでしまうのではないか。そうだ、そうに決まっている。学府とは、知識と引き換えに人間らしさを奪われる悪魔のねぐらだ。決めた、将来はエクソシストになろう。
「ジオ? 難しい顔してどうしたの?」
「わたしはついに、己の目指すべきものを見つけました」
「わあー、不正完遂連盟に加入するの? オススメではないけど応援してるねえ」
「怖っ、連盟とかあるんですか怖っ。そんな変質者とわたしを一緒にしないでください。わたしはエクソシストになるんです」
「えっ何何? 今なんて言った? それ聞いたことない単語だけどジオちゃんの故郷の言葉? 記憶の混濁によってうっかり生み出しちゃった架空の言語? もう一回言って! 意味は?」
失礼な思い違いをしているミューネちゃんの思い違いを正した瞬間、前を歩いていたツィアリさんがえらい勢いで食いついてきた。すごい、なんか、ぐるんて、すごい勢いで、体が捻れるような動きで、なんだ、これは、デジャ・ヴュ、知っているぞ、これは、これこそ、悪魔の仕業!
まあどっからどー見ても人間なんだけど。本当にエクソシストが必要なくらいの気持ち悪い動きで振り返ってきた。
ツィアリさんは、ガリガリヒョロヒョロの不健康美女。それで美女に分類できるのが解せぬ。わたしが言葉を交わした職員の中で危険度が二番目くらいに高い研究者だ。目的のために手段を選ばないどころではなく、目的しか見えてない人非人。飢えたときに野生の可愛い猫ちゃんを見つけたら問答無用で槍を投げるし、死んだオウムを買ってきても餌代が浮くからいいかとか言うタイプ。
「ねえねえジオちゃん教えて教えて!」
「やめてください物理的にグイグイ来ないでくださいミューネちゃん助けて!」
「やだやだあ。僕を挟まないでよお! ツィアリ、興奮すると鼻息が荒いんだよ、やめて、ちょっ、ほんとに興奮してるほんとにキモい!」
悲痛な叫び声が聞こえる。すまん。多いに反省している。だが、わたしも自分の身が可愛いのだ。許せ。
暴れられても決して手を離さず、華奢な背中にしがみついたまま攻防を続けていたが、ついにミューネちゃんも我慢の限界が来たらしい。「やめ、てめえ、ツィアリ」と、美少女らしからぬ言葉遣いが耳を掠めたと思ったら、次の瞬間には思いっきり右腕が振りかぶられ、振り抜かれ、ツィアリさんが道端に吹っ飛んでいた。
「いい加減にしろクソッタレ! 次暴走したらぶっ殺すぞ!」
ゆるふわは、ブチ切れるとめちゃくちゃ怖い。それはこの世のセオリー。逃れられぬ真理。
存外に野太い声で同僚に罵声を浴びせるミューネちゃんの後ろ姿を見上げながら、先人の偉大さを思い知った。テンプレは、裏切らないからテンプレなのである。
因みにわたしは、右腕が振りかぶられた段階で顔面に肘鉄を食らって地面にへたり込んでいる。たぶん狙ってやられた。誠心誠意謝るので許してほしい。
ひとり、巻き込まれないように距離をとっていたジリアちゃんが制止するまでに、ミューネちゃんは倒れたツィアリさんを罵倒しながら五回くらい蹴りつけていた。それでだいぶ気が晴れていたのか素直に気を鎮めてくれて、わたしもほっと胸を撫で下ろす。それと同時に、往来で目立つ行為をしでかした居心地の悪さと、誰からも注意されなかったことへの疑問が湧き上がる。
周囲を見渡すと、誰もが微笑ましげな顔をこちらに向けていた。観光名物の一種だと思われている。この街が、情緒を解さない冷血人間を増産する悪の本拠地であることが確定された。
狂ってる!
――と、やや予定外の事態も発生したが、それ以外は概ね予定通りである。
怒気を抑えたミューネちゃんに「チョコチップイチゴアイスあーんってしてくれたら許すよお」って言われたのも概ね予定通りである。その程度で済むならお安いものである。美少女の口元に可愛いアイスを運ぶだけの美味しいお仕事である。……なぜか一口一口を極めてゆっくりと味わってお食べになられておきながら「溶かしたら殺す」と仰られたのも概ね予定通りである。大人しくなったツィアリさんが、横から魔術で冷やしてくれた。寒かった。
ジリアちゃんの買い物はこまごまとした日用品と、魔術用の道具だった。
通過者としてケージ内で大事に飼育されているわたしたちは、基本的に支給品だけで生活が可能だ。必要なものは揃っているし、欲しいものは言えば用意してもらえる。らしい。わたしは生きるのに必死でその権利を行使したことがないからわからない。
しかし、ジリアちゃんは記憶を失ったとはいえ魔術師の卵としていろいろこだわりがあるようで、ノートや筆記具なんかをじっくり選んで購入していた。勿論財布はツィアリさんだ。まあ経費だけど。
それに付き合っていくつも店を見て回るうちに、わたしは今朝のトロネさんとユミルさんの言葉を思い出した。
質素、質実、シンプルイズザベスト。
そんな秘密の合い言葉が街中を満たしている。よく考えたら、道すがら見かけた草花も、質素、質実、シンプルイズザベストであった。強いて言うなら、そこに洗練、ハイソ、おシャンティが加わる感じ。この街で育つ幼女は、セボンスターを知らぬまま大人になってしまうのだ。
宗教的な禁則でもあんのかと思わず聞いてしまったら、ジリアちゃんが鼻で笑った。
「ここ、ケンキュー都市って言われてるじゃないですか。だから、ぜーんぜんカンケーのない人たちも、みょーにプライドが高いんです。よーするに、見栄です」
「見栄」
よくわからなくて鸚鵡返しにすると、顔をしかめて頷かれる。
「そー見栄。ちょーっとでも可愛いものとか、ハデなものとか、品質の低めなものとか、そーいうものを使うと、チャラチャラして、浮ついて、お下品で、アタマが悪く見えると思ってるんです。バッカみたい」
「ジリアちゃんは保護されてから初めて街に出た日に、髪の毛をふわふわさせてレースのリボンをしてたんだよねえ。それを妙にじろじろ見られた挙げ句、昼ご飯を食べに入った店で『随分可愛らしいですね』って嫌味に笑われて以来、ずっと怒ってるんだよ」
語気荒く吐き捨てるジリアちゃんを宥めるように撫でながら、ツィアリさんが教えてくれた。そりゃあ怒る。ほんとに歪んでんなこの街は。早いとこ調査局を出てやる気ではいたが、この街自体さっさと出るべきだ。なんというこの世の地獄。
ジリアちゃんは変態に触られても嫌がらず、それどころかしっかり落ち着いた様子で、ひとつ溜め息をついた。
「売ってるものの質がいいのはホントだから、よけーに腹が立つんですよね。これなんか魔術書に最適。これにします」
そう悔しそうに言って、財布を連れて奥のカウンターに向かう。わたしとミューネちゃんは反対に、店の外に出て二人を待つ。
「ミューネちゃん、魔術書って何に使うんですか」
待つ間に、ふと疑問に思ったことを聞いてみる。博士による魔術の原理講座によれば、魔術は精に作用し、纏う素を操作する力。魔法陣を書くとか、本に魔法を仕込むとか、そういうどっかで聞いたような技術には発展しそうにない。が、それくらいしか魔術書の内容が思いつかない。
ミューネちゃんは一瞬きょとんとしてから、一方の手で反対の肘を支え、支えられたほうの手を顎に当てて「うーん」と唸る可愛いポーズをした。はいはい可愛い可愛い。見た目だけなら本当に可愛いけど、ゆるふわの仮面が剥がれた衝撃からまだ時間が経っていないので、純真な目で見ることができない。
「まあ、魔術師が魔術についていろいろ書き留めるノート、かなあ」
「大仰な名前がついてるのが信じられないくらい普通ですね」
というよりもショボい。
「うーん、そうなんだけどお。難しいなあ。なんていうか、中身はただ、魔術のコツとか手順とか作法とか、そういうのを書くだけなんだけど、それって、それだけでひとつの研究成果になるんだよねえ」
「……そういえば魔術師って徒弟制なんすよね。ひょっとして魔術って、考えるな、感じろ、の世界なんですか」
常々、博士と一緒に魔力行使の練習を始めてから常々思っていた疑問を口に出すと、ミューネちゃんはぱんっと両手を打ち合わせた。
「そ! そんな感じ! いろいろね、理論を確立しようとはされているんだけど、結局みんな感覚的に操作しちゃってるんだよねえ。僕らも、どうやってるのか改めて言葉で説明しようとするとわかんなくなっちゃう」
これでわかった。なぜ歩くウィキペディアみたいな博士が、魔力の練習に関しては「やる気はあるのですか」と「気合いが足りません」を連発するのかを。
あの人も説明できねーんだな。
完璧無比な博士にもできないことがあると知っても、全然嬉しくない。わたしはこれからも、フィーリングで要求される課題と向き合わねばないからである。
「だから、魔術師がその理論の欠片でも書き残してたら、すごい大発見。ほんとはもう明文化されているけど、魔術師だけで共有して秘匿してるんじゃないかとも言われてるんだよお。ま、それは公式に否定されてるけどねえ。でも信じられない人もいて、帳面を盗もうと狙ってる。同業者にも、知識を奪う目的で狙う人がいる。だから、帳面という形に止揚されている精を操作して、書かれた文字を隠す。それが魔術書ってことなんだけど、止揚されている精を変質させることは本来ものすごく難しいことだから、できない魔術師は一切記録を残さない。できる人でも、少しでも精に干渉し易いように使う紙を厳選する。自分以外に精を復元されないように複雑な手法を編み出したりするから、人によってやり易い紙も違ってくる。ジリアがあの帳面を魔術書に最適って言ったのは、そういうこと。……なんだけど、わかったあ?」
申し訳ない、きっとまたいつか、三回くらいお願いすると思う。
海綿のように吸収性が良く同時に通気性も抜群なわたしの脳には、半分くらいしか言葉が留まらなかった。ちゃんと聞いてたんだけどな。いろいろすっぽ抜けた。
返事を聞かなくても反応はわかっていたようで、ミューネちゃんは弧を描いた唇の隙間からちろっと舌を覗かせて肩を竦めた。
「ごめんねえ。僕も一応知識としては知ってるんだけど、やっぱり魔術師じゃないから、聞きかじったままの説明になっちゃうんだよねえ」
「え? しかしいつぞや、魔術を使っていたのでは……」
勿論、わたしが魔術を見せろと強要して回ったあの日である。ミューネちゃんは笑って両手をぶんぶん振った。
「違う違う。ガフオルム大学府に入ると、教養課程で簡単な魔術が習えるの。免許のない人にも使用が認められてる程度の、ほんとーに簡単なやつ。よっぽど魔力が弱いとか不器用だとか、そういうことがなければ誰でも使えるようになるよお」
ここでポイントなのは、大学府に入れるほどの秀才なら誰でも、という但し書きがつくこと。さすが、学者さまは言うことが違う。
「学府には専修学科があってね。魔力が強ければ希望して魔術師科に行ける。で、高度な魔術を習えて魔術師になれるけど、弟子入りするのとほとんど同じ形態になって、在学期間も長引くし、卒業後の進路もかなり限定されちゃう。だから、ウチには魔術師はほとんどいないんだよお」
「すると、あの冷血漢の博士さまも魔術師ではない……?」
あんなにぽんぽん治癒魔術の安売りをしているから、魔術師なんだと思い込んで確認したこともなかった。違うのか。あれだけできても魔術師ではない。逆に言えば、あのくらいなら弟子じゃなくても教えてくれる。案外太っ腹だな魔術師。
だがミューネちゃんは、こてんと首を傾げた。はいはい可愛い可愛い。
「冷血漢の博士さまって、ジオのバディのこと? あの人は魔術師免許持ってるよお。確か母親が魔術師で、その人に師事したって」
なんだ、やっぱり魔術師なのか。そりゃあそうか。そんなに心が広そうには思えないもんな、魔術師。それにしても母親が魔術師とは。とんだサラブレッドである。美女で貴族で王立の研究所に勤めてて治癒魔術が使えて魔術の師匠は母。天は一体、あの人に何物を与えたら気が済むんだ。いやわたしだって二物も三物も与えられてるけどね。まず顔がいい、気だてがいい、身持ちがかたい。だめだ、インパクトが足りない。
そんなことを考えて聞き流したことにしようと思ったけど、無理だった。
バディってどういうことだ。




