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 どうやら自分が未開人だったらしいという衝撃の事実は、そっと心の宝石箱にしまっておくことにした。ダイヤルロック式の頑丈なやつにな。そしてコンクリで固めてマリアナ海溝に沈めに行く。


 曲がりなりにも文明国の一員、先進国の雄であると思い込んでいたふるさとが、まさかのまさか、宗教的な世界観にどっぷり浸かった後進国だったとは恥ずかしすぎて誰にも言えまい。宗教が科学に敗北したと思っていたが、単に設定がガバガバすぎる民間信仰が緻密に練り込まれたインテリ宗教にねじ伏せられただけだったのだ。


 まあ多少、ほんの僅かにショックがないとは言えない。かろうじて残ってた記憶に依拠するなけなしのアイデンティティーが崩壊したわけだから、まあ当たり前にね、多少は混乱したいし呆然としたいし、寒波と荒波の打ち付ける断崖絶壁でうずくまって慟哭したい。

 だが、どうせいつかは立ち直るのだ。そのとき過去を振り返ったら、ベタベタな絶望シチュエーションは確実に黒歴史だ。だからこう、未来を見据えて冷静に行動したい。折角都合よく記憶喪失なんだから、残った記憶なんてなかったことにして一からやり直そうと思う。そして正しい知識を身につけて、いずれ国の至宝と呼ばれるまでの才が萌芽し、わたしを野蛮と誹った輩がこぞって爪の垢を舐めたがる。そんな日が来るのが楽しみだ。それでいい。


 ……故郷に帰れないのは、別に、いいのだ。どうせ忘れてるんだし。原罪を抱えた地上人から生まれたとは思えないほど美しく清らかなこのわたしに、仮に、もし仮に、親兄弟なんてもんがいたとしても、わたしはそんなの知らないのだ。会っても思い出せんのだ。だから、別に、いいのだ。


「博士」


 発言許可を求めて挙手しながら呼ぶと、ほっぺたを抓ったままだった指がすっと離れた。そうやって一度下ろした手を、何を思ったのか再び持ち上げて、抓った場所をさわさわと親指の腹でなでてくる。

 そんな気遣いを見せるくらいなら、安易に暴力に訴えるのはよしてほしい。しかし、視界の隅に青緑の光が映ったことからして、恐らくこの博士どのは、治せるから、安易に暴力に訴えるのだ。ゆ、歪んでいる。

 サイコドクターのサイコっぷりの新たな側面を垣間見て、ちょっとだけ震えが走った。これ絶対、適正職業診断に拷問吏とかあるやつ。


「は、ははは博士」

「……なんです。聞いていますが」


 眉をひそめた顔もやっぱりさまになっている、が、もう軽率に博士の顔を金銭授受に利用することを考えるのは止めようと思う。きっとガチな話に発展し、最悪マネージャーも責任を問われる。


「博士」

「だから、先ほどからなんですか」


 仕切り直したい気持ちでもう一度呼んだら、さすがに苛立ちの滲んだ声が返ってきた。もう余計なことは考えないようにして、単刀直入に切り出した。


「わたし、知らないことが山ほどあるようなんです」

「ようやく自覚を持ったのですか」

「女の子にはいろいろあるんです」

「……そうですか」


 何やら疲れた顔である。だからあんな無茶な早起きは毒でしかないと言ったのに。疲れさせているのがわたしであることは棚に上げる。


「まあとにかくそういうわけなので、いろいろ、教えてください」

「改めて言われなくとも、わたしはそのためにここにいます」

「うん、まあ、そうですね。ただのけじめです。けじめ」


 なにぶん自覚を持ったもので、と言うと、どこか胡乱そうな顔をしつつも首肯を返してくれた。

 よーしそれじゃあ張り切っちゃうぞー。教養講座なんて五分か一週間か……ひと月もあれば完璧にマスターしてやるぞー。何しろ凡人とは頭の出来が違うからね!


「ジオ」


 心の中で高笑いを響かせていたら、突然、名前を呼ばれた。


 なんだ、その改まった声は。


 やめろ。重苦しい顔をこっちに向けるんじゃない。


「あなたがどんな環境で生きてきたのか、わたしは知りません。そして恐らく、これからも知ることができないのだと思います」


 うるさい。いーんだよそんなこっ恥ずかしい過去のことは。失くしたんじゃなく捨てたんだよ。もういいから掘り返すな。


「ですが、現在を保障することはできます。今と未来を、知って支えることができる。あなたが何を望むとしても、未来のことは、わたしが全て肯定します。助力は惜しみませんから、望みがあれば言いなさい」


 何言ってやがる。大事なモルモットに餌をやってるだけのくせに。肥らせてからバラすつもりのくせに。ヤのつく自由業を目指しても応援してくれんのかよ。


 そう思ったけど、下手に反抗してその場でオペを始められても困るから黙っておいてやる。ちょっとだけ視界がぼやけたから、一瞬捉えた気がするスカイフィッシュを探して目玉をグルグル回し、しきりに瞬きをしておいた。その後、めちゃくちゃ勉強した。





 陽が翳るまで続いた詰め込み教育の結果、世界の仕組みについて非常に造詣が深くなった。学者並みに詳しくなったと言っても実力詐称で訴えられることはない。なぜなら学者直伝だから。それを専門にしてない学者が持っている知識と一般人が有している知識の量に大差がない事実からは目を逸らす。


 ともあれ、詳しくなったこの世界の名はトリトカーム。精で構成される平らかな世界。精と言うからには、後ろには霊がつくのかと思ったら、そうではなかった。ノビタさんのエッチ! って儀礼的に言わされる単語にもならない。たぶん、精髄という使い方が一番近い。


 精は万物の核であり、その周囲に纏う素によって形を持つ。そんで水になったり空気になったり草になったり人間になったりガンプラになったりする。実を言うと、本当はあまり理解してない。言葉のまんま覚えてるだけである。この辺の説明で半日潰し、博士どのの精神に多大なる負荷をかけさせて頂いたが、限界は存在した。話が難しくなると途端に理解を拒み出す機能が脳に搭載されているので致し方ない。試験には丸暗記で挑むタイプだ。


 まあそれで、生き物には、その形を作っている精と、体内を巡っているエネルギーとしての精がある。魔力というのは後者を指すわけで、魔術ってのは放出した体内の精や自然界の精に働きかけて、望む素を纏わせる技術になる。ということだった。


 治癒魔術だけはちょっと特殊で、生き物の形を作っている精にも働きかける技術であり、適正のない人間はどんだけ修行を積もうとも扱えないものらしい。失敗すると無惨な肉塊が生まれますとか、そういうR15Gな話じゃなくてよかった。スプラッタが苦手だとかそういうわけではなくてな。何しろ治癒魔術を使える人間がごくごく身近にいるからな。そして既に自分の身に施されてしまったからな。気がかりな夢から目覚めて毒虫に変わっているような未来を迎えたらシャレにならん。ほんと安心した。


 その治癒魔術の才能は、わたしには確実にないらしい。魔力の流れが弱いからだと、博士に言われた。怪我を治したときに否応無しにわかってしまったらしい。いとも容易く行われるプライバシーの侵害。まあそのくらい気にはしないけど貸しひとつにしておく。


 とはいえ、魔力を扱う練習はしなければならない。それができなければ、未来永劫連れションし続けるか、レトロという響きで全てを誤摩化したローテクな家屋に好んで住み続けねばならない。


 あんまり素敵な将来像には思えなかったので、今日も座学の後はひたすら修行に明け暮れたが、なんの成果も得られなかった。


 数分前に別れた博士からは、空き時間は全て費やし、寝る前にも布団の中でイメトレしろと言われた。凄まじいスパルタである。

 残念なことだが自学自習の趣味はないので、明日また頑張ろうと思う。

 というか、詰め込み式のお勉強で頭が重たくて、最早なんの意欲もわかない。今日はもう十分に頑張った。こういう日はさっさと寝るに限る。


 重たい足を引きずるようにして調査局から割り当てられた自室に戻ると、部屋の鍵を忘れたことに気がついた。要するに博士である。扉を開けるのに魔力が必要なことをすっかり忘れていた。嘘だろ。もう探しにいく気にもなれん。

 ところが運のいいことに、隣の部屋の住人もちょうど帰ってきたところで、おや、と声をかけられた。


「今帰ったの。随分疲れた顔してるけど、大丈夫?」


 四日先輩の通過者、元魔術師の卵ユミルさんである。

 一日中絶世の美女と顔を突き合わせていたおかげでなんだか造型がぼんやりして見えるため、世間一般的にはイケメンの部類であるはずの笑顔には癒されなかったが、優しい気遣いにはほっとした。美女は全然飴をくれないのだ。今日の飴は、あのスカイフィッシュ事案で品切れだった。


「大丈夫ではないので自室でHPを回復しにきました。ユミルさん……は今日もそこのモニアさんにモルモットにされてたんですねお疲れさまです」


 ご近所付き合いの基本として他愛のない話をしようとして、長身のユミルさんの背後に悪の調査局員が一人隠れていたことに気がついた。


 タレ目眼鏡で手入れ不足の長髪をもしゃもしゃと絡まらせたモニアさん。巨乳でないのが惜しまれるが、この人も美人だ。視力の都合で今は普通の顔に見えているが。


「もージオちゃんはそうやってわたしたちを悪者扱いするんだから。痛いこととか、全然してないんだよー。ほら、ユミルくんからも言ってあげて」

「うん、今日は身体検査と、退行催眠で記憶を探ってもらっただけだよ。いつも通り、成果はゼロだけどね」

「ユミルさんがいいならいいと思いますけど、それで黒歴史が掘り起こされたって訴訟しても勝てませんよ」


 どうせ何も出ないと決めてかかってるから余裕なのか、黒歴史でもいいから自分の過去を知りたいと思っているのか、本当にどうでもいいのか。何を考えているのか知らないが、随分な大物である。


「そうだね、僕は構わないからやってもらっているし、どうしても嫌ならそう言えば無理強いはされないから、ジオはやめておいたらいいよ」


 などとにこにこ笑って言えるのが本当に信じられん。そんなにもわたしと彼とでは扱いが違うのだろうか。嫌だって言ったくらいでやめてくれるほどここの職員が温厚なら、博士に度々暴力をふるわれている現実はなんだというのか。


 思わずじとっとした目を向けると、ユミルさんは笑顔のまま首を傾げる。イケメンは何してもさまになるからいいよな。わたしだって何しても許される美少女だけどな。あんまり恩恵に与れている実感はない。

 八つ当たりを込めてしかめ面を作ってみせると、悪の職員がにやにやと笑いながら割り入ってきた。


「それで、どうだった?」

「どう、とは?」


 脈絡もなく切り出すな。意味がわからなくてしかめっ面のまま聞き返すと、まるで恋愛の相談をする思春期の若者みたいに、こそこそと熱っぽい声で追求される。


「今日一日、ずっとおべんきょしてたでしょ。何か思い出したりした? しちゃった?」


 何かと思えば、結局その話である。やはり研究者とは変態ばかりだ。


「出すわけないじゃないですか。ていうかモニアさん本職のくせにどうして安易に期待を抱いちゃうんですか」

「んん? だって、ジオちゃんはほかの人と違うわけだし。可能性が僅かでもあったら、諦めないのが研究者ってもんだよー」

「違いません凡庸であっという間に大草原に埋もれてしまう十把一絡げの雑草ですわたしに興味を持たないでください」

「ジオは変わってるなあ。君だけが特別、って言われたら、なんとなく嬉しくならない?」


 やり取りを傍観していたユミルさんが、そんな茶々を入れてくる。大物過ぎて空いた口が塞がらんとはこのこと。この人はイケメンで気遣いもできるが、少々感性が悪の研究員寄りではないかと、今気づいた。この異郷の地では、ツラが良いほど心根が歪むというのか。


「そうですね。家畜の品評会で最高級の栄誉を賜ってもあまり嬉しくはならないと思いますね」

「あっはは。ジオはほんとに、研究に協力させられるのが嫌なんだね」

「当たり前じゃないですか」

「体を切り開かれたりしないっていうのは本当だよ?」

「ユミルさんだってまだ日は浅いでしょ。それに油断はできないんすよ。なんせわたしは、君だけが特別、なんで」

「特別なのは確かだけど、そんな野蛮なことはしないよー」


 野蛮という言葉がちょっと胸に刺さったが無視した。


 しないよーとか軽い調子で言いながら、じゃあ何をするつもりかってのに触れようとしない辺り、ここの人間は全く信用できない。


 それからしばらくかなり一方的な雑談を聞き流してから、部屋のドアを開けてもらって、更に疲れの増した体をベッドに投げ出した。

 大丈夫、わたしはまだ若いから、一日寝ればHPは全快する。

 しかし自分の歳など知らなかったことに気づいたので、今日はプロフィールを練りながら眠ることにした。

 歳は十七歳、趣味はお料理、特技はお裁縫、まで考えたところで意識が飛んだ。

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