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 王立究理院未確認現象調査局におけるわたしの生活は、一日三食昼寝なし介護付き、になった。


 理由は単純。魔力が行使できなかったから。


 これが固定金利1.5%返済年数三十五年とかで堅実につましく建てられた一般住宅だったら、余計な抱き合わせサービスはその場で解約してしまえた。或いは築ウン百年の歴史を誇る文化財という名の廃墟でも、熨斗つけて返品することが可能だった。


 しかし恨めしいことに、王立究理院というのは、この国の知と技の象徴であった。従って最先端の技術がクドいくらいに生活の隅々までを浸食していて、とても魔力なしでは生きられない、およそ人が住むには相応しからぬ空間と化していた。


 そんなところで誰が生きてけるんだ、と憤慨してみたところ、わたし以外には赤ん坊くらいしか困らないらしい。魔術として技術を洗練することはともかく、魔力を放出する程度のことなら、普通の人間は物心つく頃には自然にできるようになる。そう、まるで、幼児が立つことを覚え言葉を覚えるついでに魔力の出し方も覚えていくかのように、自然に身に付くことなのだ。


 んなわけねーだろ! そんな幼児教育がまかり通ったらてじな〜にゃのヒットの裏側が問われてしまうだろ! とわたしはもっと憤慨した。


 ところが、強要してみたところ、調査局員二十六名に加えて穀潰しの記憶喪失者八名まで全員魔力を使うことができた。記憶を失ってもその行使に支障が出ないほど、体に染み付いた技術らしい。

 なんの詐欺かドッキリかと疑いに疑ったものの、局員二十三名が魔術と称して掌から水球を飛ばしたり全身を燃え上がらせたりするに至り、信じるしかなくなってしまった。

 ついでに、四日先輩のお隣のユミルさんとその更に隣のジリアちゃんも魔術が使えた。魔術師というのは、徒弟制ながら最終的には国に申請して免許を取得しなければならないものなので、この二人はすぐに身元が判明することが確実らしい。研究対象として横暴な扱いを受けていないのはそのためらしい。


 なんて生々しい。魔力による格差は生活水準にも身分の保障にも、他人から受けられる親切にも差を付けるのだ。


 それを思い知ったわたしは、当然ながら努力をした。嘘だ嘘だと騒いで調査局内で出会う人間に片っ端から魔力を使ってみせろと言い募った時間以外は、ほとんど一日、魔力を使うための練習に費やした。

 が、結果ははかばかしくなく、自分の体を巡っているという魔力の存在さえ感じることができなかった。


 そうして言い渡されたのが、介護付き生活というわけだ。


 まあ、ね。まあ、わたしが通ろうとするドアを誰かが先んじて開き、そしてわたしが通り抜けるまで待っているとか、仮にイケメンにされてしまったら不覚にも恋に落ちてしまうかもしれないとか、結構思った。VIP扱いされんのも悪くねーなとか、そこそこ思った。ただでさえ美少女なのに、そんなにかしずかれたらお嬢様ランクが上がりすぎて凡人には直視もできなくなっちゃうだろってちょっとは思った。


 ただ、昨日局内を回って分かったのだが、ここには男性が少なかった。究理院の一部局としてそもそもこぢんまりとしていることは研究内容的にも予想がついていたが、男女比は一対四くらいだった。つまり、二十六名の局員のうち男性は五名しかいなかった。残りの二十一名が女性だった。アダルトコミックの設定としてはやや男性が多すぎるが、それでも現実としてはちょっと可哀想に思える偏りだ。

 そんな人員構成なので、男性がわたしの足の向く先に赤い毛氈を敷いてくれる確率はぐんと下がる。その低い確率のうち、イケメンに当たる確率は更に下がる。具体的に言うと十三分の一に下がる。

 その上、お節介な道徳観念から花香る年頃の乙女に男性をつけることを懸念する意見が出て、確率は更に更に下がる。また、職場でしか出会いを得られない女性局員の嫉妬により、確率が更に更に更に下がる。


 きっとそういうしち面倒くさい過程をいくつも経たに違いない。そして最終的に栄えあるわたしの介添えとなったのは、何度見ても顔だけは完璧無比な氷の女王様であった。

 なんでだ。



「……わたし、思うんですけど、博士さまは人間とのコミュニケーションが不得手なんじゃないでしょーか」


 居室の扉を開けるためという名目で、陽の昇る前から部屋に押し掛け、ぐっすり眠っていたわたしから羽毛布団を奪い取った挙げ句に髪を引っ掴んで叩き起こしてきた博士は、朝も早よから絶好調に美しく、無表情で、そして冷血であった。


 我が身に降り掛かった昨日までの事の顛末を振り返り、どうにか状況を理解して弱々しく抗議したが、弱すぎて博士の耳には届かなかった。


「甚だしく失礼なだけで意味のない事を言っていないでさっさと起きなさい。いつまで寝ているつもりですか。そんな図体をして幼児以下の知識しかない現状に危機感はないのですか」

「……それはひょっとして、顔を洗ったらすぐにお勉強が始まるということでしょーか」

「食事の時間くらいはとってあります」


 クレイジーだ。


 どうやら博士の頭の中には、既に今日一日のスケジュールが出来上がってるらしい。それも驚くほどギッチギチに予定が詰まってるやつ。しかもその大半がお勉強で埋まってるやつ。


 ひょっとしたら何かが気に食わなくて合法的な殺人を企てられてるのかもしれない。例えば局内の美少女枠を奪われそうなこととか。こんなブラック企業みたいなやり方、過労死を狙ってるとしか思えない。過労死なのになぜ合法かといえば、恐らく現状のわたしの生活には労働という定義が適応されないだろうという予想からだ。法の穴を衝かれている。いやしかし、これは虐待の範疇になるのでは?

 一生懸命考えたが、法律の知識が足りなかった。こんなことならもっと真面目にニュースを見とくんだった。ポケット六法を売り払うんじゃなかった。現代の娯楽を享受するのに著作権法さえかじってれば十分だとか、怠慢の上にあぐらをかいてピザポテトなんかかじってるんじゃなかった。


 後悔したって後の祭りだ。法の知識が不十分なわたしは、法を盾に自分の身を守る事はできない。


 ならば金だ。金の力は裏切らない。


 しかし残念な事に、調査局に寄生しているわたしの財力とは、即ちサイコドクターどもと財源を同じくしているのだった。さすがのわたしも、そこまで恥知らずな真似はできない。


 最早大人しく首を差し出すしかないと悟って、粛々とベッドを下り、身支度を整える。

 博士はその様子をじっと見ていた。言いたい事があるなら口で言って欲しいという抗議さえ押し込める、無言の圧力をかけられている。陰険だ。


 いくら同性間であっても、なんてことない行動であっても、見張るように見つめられ続けたら居心地が悪い。有り体に言えばイライラする。そんなに見たけりゃ金を払え。非合法な有料映像の無料公開が横行する裏で、素人の自撮りAVに払われている金だってあるんだからな。大抵ハメ撮りだけどな。どっちにしろ違法。


 そんな感情や思考は押し殺して、大人しく着替えを続ける。民族的にね。積極的に波風は立てられないからね。


 それにしても、渡された衣服はとても着づらい。わたしが「ジオ」になってから着替えをした回数は片手の指で数えられるが、記憶を失う前に本当に毎日こんなものを着込んでいたとは信じたくない。


 形としては、長袖タートルネックで引きずるほどに丈の長いワンピース。しかし、上から下までびっしりボタンがついているのにまず閉口するし、個々人に合わせた丈の調整のために、よくわからんベルトや留め具が腰回りにゴチャゴチャしているのを見て気が遠くなる。毎朝その場でシーツを裁断して被った方がマシなレベルの効率の悪さ。

 それが内長衣うちちょういという名であることから明白な、がい長衣という無意味に長いベストのようなものを上に羽織り、こっちは胸から腰までのボタンを留めて、またよくわからんベルトをよくわからんところと繋げて完了。因みに完了しても、外長衣の裾は背後にでろでろと引きずる事になる。まさに汚すための重ね着。モップスリッパの亜種類型か。理解不能。

 これが普段着でありこの国の文化的に最軽装であるというから、文明のほどが疑わしい。


 もたもたと時間をかけてどうにか着込むと博士はまだ、じっと人のことを凝視していた。

 まあね、ここまで済んでしまえば心に余裕が生まれるからね、ドヤ顔して胸を張ってやろうじゃないか。五回説明されて三回バンザイしてお着替えさせられたりしただけで、こうして完璧に身支度を整えられるようになった辺り、優秀な記憶喪失者だと言わざるを得ないね。どうも見くびられているようだけど、基礎スペックが幼児とは違うからね。


 しかし、わたしの自信は博士の無慈悲な言葉によって粉々に打ち砕かれた。


「……いつになったら気づくかと思っていましたが、内長衣のボタンを掛け違えています。なぜ一番下まで留めて気づかないのです」


 ボタンが多すぎるからだよバカヤロー!


 あといくら魔術灯の光があっても、博士さまが光量絞ってるせいで薄暗いんだよ! 部屋が! 今何時だと思ってんだたぶん四時くらいだぞたぶん!


 と大声で喚いてやりたかったのだが、発声のため息を吸い込んだ時点で博士が身を屈めて顔を寄せてきたので、できなかった。

 顔と顔が至近距離にある状態で怒鳴るのはさすがに気が引けたってのもあるし、急にそんなことするから、なんだほら、キッスされちゃうのかとかほんの一瞬、寸毫、本当にごくごく僅かにね、動揺したせいもあった。同性だろうと異性だろうと、ドキドキしちゃうだろ、こういうのは。

 なんて息をのんでしまったわけだが、別に博士は情熱的な接吻を求めていたわけではなく、淡々とわたしの掛け違えたボタンを上から直しているだけだった。別にわたしだって求めてないけどね。紛らわしい真似は控えてほしい。


 ぷちぷちぷちぷちと子供のようにボタンをはめてもらうのは、既にちょっと慣れつつあるとはいえなかなかの羞恥プレイだった。


 慣れつつあるというのはちょっとマズい気もするが、でもそれは、わたしと歳も身長も大差のない麗しきボクっ娘ミューネちゃんに「早く独り立ちしてくださいねえ。僕らのお世話に期待しちゃダメですからねえ。あんまり無知で無防備だと襲われても泣き寝入りですからねえ」って言われながら着替えを手伝ってもらったからだ。体育の授業後、女友達とキャッキャしながら着替えをしてる感じ。健全。何をどう間違ったのか、女王様がわたしの足下に跪いてる現状はものっすごく恥ずかしい。


「終わりました」


 結構な時間が経ってからやっとこさ立ち上がった博士に、平静を装って口を開いたところ、出てきた言葉は「苦しゅうない」だった。


 まあ、まあ合格点かな。動揺してるにしてはね。理想としてはなんでもなさそうにさらっとお礼を言って部屋を出たかったけどね。声が上ずったりどもったりしなかっただけでいいとする。自己採点はグラブジャムン並みに甘い。自分に優しく他人に厳しく。自分にさえ優しくできない人間が他人に優しくできるわけがない。わたしまだ、自分に優しくし足りてない。


 博士は聞こえよがしな舌打ちをしてから、ゆっくりと溜め息をついた。


「あなた、まさか本当に他人に世話を焼かれる立場の人間だったなんて言いませんよね」

「全く有り得ないことではないと思います」


 自分でも全然考えていなかったが、本当に有り得なくはない。やむを得ぬ事情で調査局に捕われたわたしの未来は薄暗いが、過去は可能性に満ちあふれている。

 博士は暫く無言で何かを考え込んでいるようだったが、やがてゆっくりと首を振った。


「気の迷いでした。そんなことがあったら、とっくに連絡が入っています」

「もっとよく可能性を吟味してください。あるかもしれないでしょう、故あって公にされていない庶子だとか隠された子供だとか、秘密裏に養育された神祖の血筋とか!」

「平民や僻地の情報はともかく、どの国でも、ある程度身分のある人間については出生記録が王城にまとめられています。そこに名がなければ、血筋がどうあれ国が保護する必要はありません。そこに名があるというのに捜索願が届いていないなら、確実に厄介払いをされているので、我々が配慮をする必要はありません」

「し、しかしまだ、わたしが新生活を始めてから三日しか経ってないのであってだな……」

「上流階級から通過現象に関して報告が上がれば、どの国も最重要事項として受け止め、ココルを飛ばします。そうでなくても、それなりの地位にあればどこだって、国の内外を問わず間諜の一人二人を抱え込まされている。三日もそういったけはいがなければ、ひとまずは十分です」


 鬼のようなマニュアル人間である。

 親しい誰かが必死で探してくれない限り、わたしがここから出られないということがはっきりとした。

 過去の自分が親孝行で博愛主義で、周囲の全てに平等に優しく接し、その美貌で誰からも愛され通りすがりの石油王から油田を贈られて管理に困っちゃうくらいの聖女であったことを祈るしかない。


 やや俗な欲望を交えつつ神に祈って、ふと思いついた。


「博士の出生記録は城にあるんですか」

「一応、子爵家の出ですので」


 あるのか。

 爵位の順番なんて知らないが、貴族であることは間違いない。

 なるほど、博士は貴族。ひょっとすると、然るべき機関で高等な教育を受け一定の成績を修められる人間ってのは、主に金の問題でほとんどが貴族なのかもしれないと、唐突に天才的に閃いた。つまりここの局員は大半が恐らく貴族。……ってことは。


「あの、博士」

「なんです」

「もしも博士が通過者になったら、国が総力挙げてすぐに捜索開始してくれるんすよね」


 さりげない雰囲気を全身から醸し出しつつ、他意のない無邪気な顔を繕っていたわたしの顔面が、瞬時に何かに覆われた。

 いや、うん、見えてた。手です、手。作り物みたいな博士の手がね、グワッと顔面を覆ってギリギリと頭部を握りつぶそうとしている。めっちゃ痛い。


「痛い痛いごめんってちょっと気になっただけ、ほんとただの好奇心で他意はないです神に誓います痛いですやめてください!」

「あなたの神はさぞかし気さくでいい加減なんでしょうね」

「親愛なる博士さまに誓います!」


 ほとんど悲鳴に近い声を上げたら、ようやく解放してもらえた。リンゴでも潰せそうな馬鹿力だった。間違った護身術でも習ってんだろうか。


「我々は」


 涙目で頭皮をほぐしていると、ぼそりと、低い声が聞こえた。


「外から見ればなんの成果も上がらないお飾りの部署に見えるでしょうが、それでも各々の頭脳には価値があり、自負もある。真理の解明のために身を捧げろと言うならば、受け入れる覚悟もある。屍の上に樹木が育つならばそれを拒むつもりはない。しかしピットの先には何もない。己が抜け殻になる未来しか存在しない。それは、我々にとって最も堪え難い結果です。だからこそ、現状のわたしたちがどれ程無様であろうと、何を言われようと――それだけは絶対にできません」

「……すんませんした」


 反省した。多いに反省した。

 茶化していいような事ではないと、強く学んだ。

 いや茶化してないけど。正直に言って、わたし自身が近い将来強要されそうな蛮行を自分たちに責任の負える範囲でどうにかして欲しいという無力な少女の切なる願いであるわけで、冷静に考えたら責められる理由がわからないんだけども。

 八つ当たりか、と勝手に結論を出したところで、博士が動くけはいがした。


「くだらないことに時間をとられすぎました。さっさと食事を済ませますよ」

「あっ、待ってくださいその前にトイレに連れてってください!」


 ともあれ今は、博士がいなければ満足に文化的な生活を謳歌する事もできない。

 暴力と権力に訴えられるまでは、長いものに巻かれる精神で過ごそうと思うのだ。

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