上等な果実の食し方
物凄く沈黙が痛い。
今すぐにでも逃げ出したいし、そもそもこの部屋寒すぎるだろ。
こんな薄着でこんな部屋に放り込むとか、正気の沙汰じゃないぞ。
これ、詰んだんじゃないか?
自分より遥かに小さな小娘の心境を知ってか知らずか、彼はくつくつと喉を鳴らして笑った。
凄まじい威圧感だが、その顔に浮かぶ表情は嘲笑ではなく、ただただ愉悦だ。
「よく眠れたようで何よりだ、お嬢さん」
「………おかげさまで」
煌々と燃える金と赫の混じる瞳に、私は目だけは逸らすまいとそれを見返した。
威嚇する子犬か、怯える子猫か、恐らく彼にはそんな風に見えてるんだろうけど。
彼は更に顔を喜悦に歪ませた。ヤバい顔してるねアンタ。
「…良い、良い眼だ、娘。随分と若々しく柔らかな棘をお持ちだ」
「その棘を固くするべきかと今思案してるところなんだけど。よくも誘拐してくれたな」
「あのような魔が好む時間に一人でいるお前が悪い。喰って犯してくれと言っているようなものだ」
「おか…っ!?」
こっ、こいつ…!!
突然のことに対応できずに顔を真っ赤にしてパクパク口を開閉する私を、彼はにやにやと不遜に笑ってからかう。
子供に対して言う事じゃない。
「何だ、思っていたより初心だな。どんなに強情でもやはり生娘というわけか」
「セクハラって知ってる!?12の小娘に対して随分な言いようだな!!」
「年齢の概念など余計な錠前に過ぎない。女は醜いか美しいか、弱いか強かか、それだけだ」
彼は大きく屈んで、私の顎を取り上を向かせた。
吐息と吐息が触れるほどに近い位置まで顔を寄せられる。私はしっかりとその目を見た。
呑まれてやるものか、という意地で、睨み付ける。
そんな私に、彼はにたりと笑った。鋭く尖ったその牙を隠しもせず。
「お前の血はさぞ甘いのだろう。至高なのだろう。その血、その香りは獣を呼び寄せる。その美しさ、その強かさはあらゆる化け物を呼び寄せるだろう」
「っ、」
「現に私も、呼び寄せられた化け物の一匹に過ぎない」
ぱしん、と乾いた音が部屋に木霊した。
震える手のひらを構えながら、私は知らずの内に止まっていた呼吸を必死に整える。
割と全力の平手を喰らったというのにこの男は何もなかったかのように平然としている。その氷の肌に赤が浮かび上がることもなく、私の手だけが熱を持っていた。
「…っ、……はっ…、はぁ…っ」
「…くく、期待以上だグレートヒェン。だが残念だ、ここに神の慈悲は届かない」
真赭の瞳が伏せがちに私を見つめた。
幽艶に笑んだまま、彼は頬に手を添えて、もう片方の手で腰を引き寄せられる。
今度は彼の足元から伸びた影が、私の腕を、腰を、足を絡め取った。
紅い唇から僅かに除く舌の動きが酷く艶めかしくて、私の身体中を這う影が脊髄を舐め上げられるような感覚を生む。
「逃げたいなら自力で逃げてみるがいい。此処から逃げようと思うのならば一日猶予をやろう。期限は夜までだ。その間私はお前に関与しない。猶予の間逃げ切ってみせろ」
「……!」
首に冷たい感触がした。いつの間にか私の首に、銀色の十字架のネックレスが掛かっている。
思わず彼を見る。彼の表情はこれ以上ない程に楽しそうだった。
「聖地で祈りを捧げ聖地の水に一年浸した銀製の十字架だ。私達が嫌う要素をふんだんに盛り込んでいる。森を抜ける際これ程役立つものはないだろう。それに森自体そこまで深いものではないからな」
そう言う割にコイツこの十字架平気そうだな。
…とおもったが、彼の指から微かに煙が出ている。嵌めている手袋からも僅かに焦げた匂いがした。
吸血鬼は本当に銀が苦手なようだ。…あれフィクションだと思ってた。
というか、えらくサービスしてくるな。どう足掻いても私が逃げられないと確信してるのか?
…舐めやがってこのロリコンが。
「絶対逃げ切ってやる…!」
「その意気だ娘、強情な女は嫌いじゃない」
「…っこのロリコン野郎!!」
もう一発顔に食らわせ(今度は拳)、体を拘束していた影を振り払って私は部屋から逃げるように退出した。
…出ていく際、アイツに密かに中指を立ててやる事も忘れない。
――――――――――――――――――――――――――――
「…よろしいのですか旦那様。あの森には異形が多く住み着いていますぞ?」
「十字架を渡しておいた。部屋に銀の短剣も置いてある。後はあの娘の根性があれば森を抜ける事は不可能ではない」
「それはそれは。それにしても、旦那様も珍しい。普段の貴方様なら縛り付けてでも傍に置くのでは?」
「そうだな。私ならそうするだろう」
デイビッドがいれた紅茶の入ったティーカップを揺らし、揺れる紅茶を眺める。
半分ほど減った紅茶を飲み干し、脱いでいた手袋をはめ直した。
掛かっていたカーテンは取り去られ、窓から差し込む光にあたる。そこから見える魔の森。
目を細め、にぃ、と笑む。
『それでは面白くない』、とでも言いたげに。
「旦那様があれほど個人に固執するとは、それもまた珍しい。ましてやまだ12の生娘に」
「あの娘が女になるまで待とうと思っていたのだがな。だがあまりのんびりするのも良くなさそうだ、あの娘を喰らい犯そうとする輩はごまんといるようでな」
絹のような黒髪、薄い雲がかった夕陽の瞳、目も冴えるような白い肌。
そして極めつけは、あの匂いだ。熟れた杏にも似た、食欲を奮い立たせる芳香だ。獣共を誘惑するフェロモンにも似たそれの匂いを、あの娘は異常なほどに放っている。
理性のない獣はあの娘を襲うだろう。あの匂いに興奮しながらきっとあの娘を貪り喰らうだろう。
「しかし、だ。あの娘は、存在自体は五つ星だが中身はまだ青臭い未熟な果実にすぎん」
あの娘は、『女になった時』もっとも香り高く美しい果実になる。
そんな至高の美しさを、そこら中の犬どもに食わせてやるにはあまりに惜しい。
「逃げてみろ、娘。私から逃げきってみろ。しかし忘れるな、ここが私の領地だということを」