九話 プレシアの暗躍
魂。
忠誠。
敗残兵。
一度去ったものは決して戻らない。
――名も無き百人隊長の言葉
丘の上から、エシリア王国の王都シルニアが一望できた。
エシリア島において最大の海港であるこの街は、最強の防備を誇ることでも知られている。
陸側には分厚い二重の防壁と要所に設けられた塔。街の西側の城壁に沿って流れの急なアーテル川が走り、南に面する海に注ぎ込んでいるので、陸上部隊は北か東から攻めるしかない。北と南の大門には城砦が設けられ、攻めいる者を念入りに迎え撃ってくれるだろう。
また、海からの攻撃にもよく備えられている。海に突き出すような形で何箇所か設置された塔は、その間に図太い鎖を三重に張りつめさせている。防御側の船は全て鎖の内にあり、攻撃側はあの鎖を切らねば接岸はおろか衝角で敵船にぶつかることもできない。手間取れば投石機で投げ込まれる火の付いたタールと火矢が船を炎上させ、逃げる場所のない船は座礁もできず沈むしかなくなるだろう。
仮にプレシアが攻撃側の指揮官だったとすれば、本国に竜騎士の一ダースも増援によこすよう要請するところだ。もちろん、それができないからこそロムルス軍は攻囲という形を取っているのだろうが。
クラウネルたちと別れて一昼夜。途中で寄った村で替え馬を手に入れた以外は、駆け通しでここまで来た。いい加減に疲労と眠気でふらふらだが、彼らも二日から三日で到着する。急がねばならなかった。
別れる時には先行して偵察すると偽って出てきたが、はなからその気はない。先行した目的はクラウネルの到着前に、街を囲むロムルスの司令官に話を通すことにある。ついでに言えば、レオンティナを残してきたのは、クラウネルが変に先を急いだりしないようにという監視の意味もあった。
丘上からロムルス軍の配置を概観する。こちらも隙のないよい構えと見えた。飲み水の遮断は難しいだろうが、エシリアのお家芸である海上輸送を防いでいるのは大きい。そして、プレシアにとっては幸いなことに指揮官のものらしき天幕は陸側にあった。もし船上にあったらどうしようかと思っていたところだ
そちらへ馬首を向け、一気に駆け下りたところで巡回兵の誰何を受けた。中への警戒はもちろん、外への警戒も怠っていない印だ。他の都市を攻めていた部隊と同じく、本国からの補給は竜の襲撃により滞っているはずだが、その割には規律が取れていて士気も高そうだ。指令官は誰だろうかと頭の中に候補が何人か浮かべられる。
「貴様、何者か! 名を名乗れ!」
「無礼者め! 私はフェイト家の当主、プレシアス・ヘルツ・フォン・フェイト・グローリアである。本国からの命令を携えて参った。司令官どのはどこか」
懐に隠していたブローチに刻まれた、フェイト家の〈人形の騎士〉の紋章を見せつけてハッタリをかましてやる。すると巡回兵は明らかに狼狽した表情を見せ、横柄な言葉遣いを改めた。
「あ、あちらです。少しお待ちを。今確認して参ります」
「よい。仕事に戻れ」
「はっ? はいっ、では、巡回に戻ります!」
失敗した、という風情で小走りに駆け去ってしまう。平民は従順でいい。
司令官の天幕はすぐに見つかった。遠目では分からなかったが、近づくと旗印も確認できた。白地に赤で〈槍に貫かれた巨人〉が染め抜かれた紋章には見覚えがあった。馬を降り、声をかける。
「……もしかして、メテルスおじさまでいらっしゃいますか?」
天幕の前で、背を向けて部下に指令を飛ばすその後姿には、かつての面影が見て取れた。
「ん? 君は……」
「アンブロシウスの娘、プレシアスです! 覚えていらっしゃいませんか?」
「おお……おお! プレシアか! 覚えておるぞ、いや懐かしい! 大きくなったなあ、十年ぶりくらいか!」
かつての父の同僚、メテルス・ガルアヌス将軍は、記憶にある通りの豪快な笑顔と共に出迎えてくれた。
「はい、ご無沙汰しておりました。私も、こんなところで閣下とお会いできるとは思っておらず……お会いできて、とても嬉しく思います」
「いや、堅苦しい言葉遣いはせんでいい。俺とお父上の仲ではないか。……その、お父上と兄上のことは残念だったが、俺のことは伯父とでも思っていつでも頼りにしてくれていい」
「ありがとうございます。それで、今日お訪ねした理由についてなのですが……少し、お時間をいただけないでしょうか?」
「何か深刻な話か? ここでは少し人目が多いな。おい、馬を引け!」
従士が馬を二頭引いてくる。
「閣下、私もお供いたします」
「いらん。さて、丘の上で話そうか、プレシアちゃん」
メテルスは従士を手で追い払うと、身軽に馬にまたがってそう言った。
丘の上の立ち木に二頭の馬を繋ぎ、街を見下ろす。
「攻囲を始めてもう二ヶ月になる。補給船団がカルティアの連中に沈められるんで、兵士の補充も無けりゃ糧道の確保もままならん。後のことを考えりゃやりたくはないが、周辺の村落からの略奪に頼ってるのが現状だ。竜騎士なしでの城攻めに、こうも手こずるとはな……」
徴発はあまりにやり過ぎると農民の困窮を招く。敵国を攻め滅ぼすのが目的ならばそれでいいだろうが、後に自領へ組み入れることを考え、できるだけ領民の恨みを買わないように素早い戦争を仕掛けるのが通常のロムルスのやり方だ。
だがそれは竜騎士によって敵戦力を圧倒できるからこそのやり方であって、通常戦力でこのような堅い城塞都市を攻め取るとなると、やはり時間がかかるのは仕方がないのだろう。
「カルティアがこちらまで出張ってきているのですか? 竜による被害だと聞きましたが」
「そうだ。竜による被害もあるが、どうも貴族の私兵になっている竜騎士が補給船団に潜り込んでいたために沈められた、と兵士の間で噂が広まっている。事実かどうかは分からんが、本当だとしたらはた迷惑な話だ。そしてカルティアだが、開戦後にエシリアの八大都市の内四つまでを手中に入れ、大攻勢をかかけるべく準備を整えてるらしいな。早くここを落とさないと、エシリアとカルティアの挟撃を受けかねん状況だ」
「やっぱり海戦の駆け引きではカルティアに一日の長がありますね」
「エシリアを落とせば、高い造船技術と熟達した船員が手に入る。それまでは耐えるしかないな。俺はカタルニアから陸伝いに軍を進めてきたんだが、実のところ進軍しにくいことこの上ない。やはりエシリアでは海軍力が鍵を握るというのが俺の実感だ」
「おじさまがそこまでおっしゃられるとは……少人数での旅ではそこまで感じませんでしたが、やはり大軍を動かすのは難しいのでしょうね」
「命じられたからにはやるしかない。気にいらんがな」
メテルスは憤然とした様子で鼻から息を噴き出す。
「……おじさま。私、ここに来るまでにも思ったのですけど、この戦争、どうもきな臭い感じがすると思いませんか?」
「ああ。誰かがわざと状況を引っかき回しているような……根拠のない、俺の勘に過ぎんが」
「そもそもこの戦争、開戦の経緯からして疑問があります。エシリアを取られればカルティアがロムルスの目と鼻の先に拠点を構えることになるというのは分かりますが、何もマメルティニ、あの素性の悪いカンパニャ人の傭兵部隊と組むことはなかった。そう思いませんか?」
プレシアの言葉に、メテルスが顔をしかめる。実際、マメルティニはロムルスと同盟を結んだ後でさえ、エシリアやカルティアとも通じていた節があったのだ。結局はそのことが、メッシニアにおけるマメルティニ殲滅戦にも繋がっている。
「お父上と兄上は、マメルティニの救援のための船団を指揮しておられたのだったな」
「そうです。そしてエシリア海軍に上陸を妨害され、折悪しく竜の襲撃を受け、船団は壊滅。父はその時の負傷と船団を失った失意の中で逝き、兄の行方は未だに……」
「では、まだ若い君がフェイト家の当主か。神も残酷なことをする。……こんな時になんだが、その、跡継ぎの目処は立っているのか? フェイト家はブリティア戦争以来のロムルスの名家であり、お父上は俺の親友でもある。君の代で断絶と言うのでは余りに忍びない」
「……五年前。私は一度、他家に嫁いでいます」
「……そうか。知らぬこととはいえ、無神経なことを聞いた」
「いいえ。お気遣い、ありがとうございます。私は大丈夫ですから」
強いて笑みを浮かべる。一度他家に嫁ぎ、フェイト家の名を捨てた娘が、家名を継いでいるということが示す意味を、メテルスは語らずとも理解してくれた。豪放だが、聡い人なのだ。
「ふむ。それでは、そろそろ本題に入ろうか。始めに聞いておくが、君は今、どのような立場でエシリアに来ているのか?」
「私人として、です。おじさまに見てもらいたいものがあって参りました。これです」
クラウネルから預けられた〈水面を駆ける者〉の紋章を手のひらに乗せる。
「これは……バスタムーブ家の紋章か! こんなものをどこで手に入れた?」
「継承順第一位、クラウネル・バスタムーブから預かったものです。メッシニアに上陸した際にたまたま知り合いになり、シルニアまでの護送を引き受けました。彼は私がロムルス貴族だと言うことを知りませんし、こうして紋章を預ける程度には信用を置いています」
「本人は今どこに?」
「カタルニア方面へ馬で二日ほど行った距離でしょうか。私は偵察の名目で先行して、部下を一人監視のために張り付けてあります」
「なるほどな……では捕獲するか?」
「いえ、通してやって下さい」
「なぜだ?」
「彼は、エシリア王国の竜騎士団を創設すると称して、赤竜の討伐を目論んでいます。上手く利用すれば、こちらの戦力を温存したまま竜の脅威を排除できるかと」
「竜の討伐だと? エシリア王国にそれを可能とするだけの力があるのか?」
「どうやら、カルティアの協力者がいるようです」
「まさか、竜騎士か?」
「おそらくは、それに近い力量を持つ者かと」
「しかし、どうやって……いや、今はそれは置こう。確かな情報なのだな?」
「フェイト家の名にかけて」
「うむ、信用しよう。ふむ……となると、あれが生きるやも知れんな」
「あれとは?」
「補給船団への被害があまりに多いのでな。こちらでも、何とか竜騎士を渡航させ、赤竜を討伐させられんものかと計画しておったのだよ。今日明日にも第一陣の部隊がこちらへ来ることになっているから、それも合わせ、急ぎ作戦を練ろう」
「私は軍属ではありませんが……」
「そうだな、臨時の士官待遇なら私の権限で与えられるが、それで構わないか?」
「ええ、もちろんです」
「では、略式ではあるが。エシリア方面軍シルニア包囲部隊司令官メテルス・ガルアヌスの名において、汝、プレシアス・ヘルツ・フォン・フェイトを財務官補佐へ任命する」
「拝命いたします!」
直立し、ぴしりと敬礼を決める。
財務官は補給や野営の総責任者で、軍団司令官の右手とも言える存在だ。その補佐は数人置かれるのが通例なので、そこにプレシアが一人加わったところで問題はないという判断なのだろう。
少しだけ、良心が咎める。父の旧友であるメテルス将軍に対し、自分が知っていることを全て話さなかったことについて、だ。しかし、今の段階では本当の目的をレオンティナ以外の人間に話す気にはなれなかった。話せば、止められる可能性がある。
問題はない。無謀の誹りを受けようとも、プレシアの目的は最終的にはロムルスの国益に適う。成功しさえすれば、それでいいのだ。そして、プレシアにはそれを成し遂げるだけの自信があった。思い留まる理由は、どこにもなかった。