八話 私生児の竜騎士
疾風のように素早く。
――風の舞い手の教え
私は竜騎士としての母を知らない。
ロムルスの竜騎士ヒルダ・レムニカは、病床の母を見つめぼんやりと考えた。
ヒルダの母ヒルト・レムニカは、ロムルス共和国がガルア地方を攻めたガルア戦役で、数多のロムルス竜騎士を率い、その名を馳せたという。ヒルダが生まれる三年前、今から数えれば二十年前のことだ。
「バスタード・ソーディアン」
バスタードソードの使い手、あるいは、私生児の剣士。人々は、恐れと嘲りを等分に込めて彼女の母をそう呼ばわった。母自身は軍時代の話を一切しようとしなかったが、幼かったヒルダにとって母は憧れの存在だった。
この世の中で、ロムルス共和国ほど私生児の見分けがつきやすい国は他にないだろうとヒルダは思う。見分け方はごくごく簡単だ。彼、もしくは彼女の名を尋ねさえすればいい。男ならばロムニアあるいはレムニア。女ならばロムニカあるいはレムニカの名を持っていれば、それは私生児だ。
「ねえ、母上。いつか、いつか私も戦えなくなったら、私も、母上のように……?」
母は彼女自身の功績により与えられた、首都ロマニカ郊外の『白の家』の一室で静かに横たわっていた。規則正しい寝息だけが響く白い部屋に、ヒルダのつぶやきが吸い込まれていくようだった。
「もう、行くね。私、今度の昇進で第三団の副長になったの。忙しくなるから、あんまり帰っては来れなくなるけど、手柄を上げてくるから、きっと待ってて。……エシア、母上を頼むわね」
物静かなガルア人奴隷の少女はうなずいた。ヒルダと母親のささやかな家には彼女以外にも二人の召使いがいる。二人だけの家族なので、そうするしかないのだ。ヒルダが竜騎士として国家に奉仕し続ける限り、その俸給で家のことは召使いたちに任せておける。
馬を駆り、首都ロマニカにある軍営へ出頭する。おおかたどこぞの貴族家出身なのであろう面長でなよっとした顔の衛兵に名を告げると、口の端に嘲りを浮かべ、表面上はうやうやしい態度を取り繕ってしばらく待つように告げられる。
気取った口調で将軍がお待ちだと告げる衛兵に向かってうなずきながら、その綺麗な顔を竜騎士の力で細切れにすることを想像する。私生児の姓を持つというだけで見下した態度を取る貴族は多い。いちいちこんなのを相手にしていたらきりがない。
軍司令官の執務室の前まで辿り着くと、中から女性の声が聞こえてきた。
「……私は! 私はまだ戦えます! 前線に戻ることをお許し下さい、司令官!」
扉の把手へ伸ばしかけた手が止まる。扉越しに、ロムルスの剣と称されるマリウス将軍の重々しい声が伝わってくる。
「貴君はこれまでよく働いてくれた。その働きに報いるため、元老院より一軒の家と年金が贈られるだろう。戦場から家庭へと場を移し、これまでと変わらぬ国家への献身を期待する」
「そんな……嫌、嫌です! 私は『駆られ』たくなどないッ! どうか、私をッ!」
「……これは決定事項なのだよ。君、彼女を連れていきたまえ」
がちゃりと扉がひき開けられ、ヒルダはとっさに身を引く。将軍付きの従士が、一人の女性騎士の腕を取って執務室から出てきた。うなだれて去っていく騎士は足を引きずり、歩を進めるたびに身体が大きく上下する。右足に怪我を負ったのだと見て取れた。
大空を舞う竜に対して『地を這う竜』と形容される竜騎士と言えど、人は人。怪我もすれば病気もするし、戦争ともなれば再起不能になる騎士は大勢いる。ただし、怪我を負ったその後はその騎士の生まれによって大きく異なる。
先ほどマリウス将軍と話していた彼女。そのやりとりからは、彼女が竜騎士であり、また私生児であることが分かってしまう。ヒルダは彼女を正視できず、努めて冷静を装いながら執務室へ足を踏み入れた。
「ロムルス竜騎士第三団副長ヒルダ・レムニカであります!」
「うむ、楽にしたまえ。時間もない。早速本題に入ろう。貴君の次なる任務についてだ」
「はっ。上官からは極秘の任務であるとの通達を受けております」
「うむ……貴君も知っての通り、現在我々とカルティアは、エシリアの地にて戦争状態にある。これは極秘だが、戦況は決して良くない。特に悩ましいのは竜による補給船団の襲撃だ。開戦から三ヶ月、我らはようやくエシリア島に地歩を築いたものの、いまだ兵も食料も本国からの輸送に頼っているのが現状だ。それが竜によってことごとく沈められるというのでは、カルティアと戦うことはおろか将兵の士気を保つことすら容易ではない」
ヒルダは黙って次の言葉を待つ。マリウス将軍はしばしの沈黙の後、苦々しげに続ける。
「……事態を鑑み、元老院より通達が下りた。エシリア島に竜騎士を派遣し、かの竜を討伐。可能であればその血を採取し、本国へ持ち帰れ、とな」
「それは……しかし、エシリア島に竜騎士が足を踏み入れることは不可能とされております」
「その通りだ。老人どもめ、それを分かって言っておる。挙句に……いや、よそう。ともかく、軍としては元老院の命令には逆らえん。辛く厳しい任務になるが、誰かが成さねばならぬのだ」
「……はっ」
マリウス将軍が言いかけて止めた言葉。大方、私生児の竜騎士を何人か送り込めばよかろう、とでも言われたのだろう。これぐらいはよくあることで、驚くには値しない。彼らは個にして軍である竜騎士の力を、特に家名という血の繋がりに縛られない私生児の竜騎士に根拠のない強い恐れを抱く。
自分たちの都から遠ざけるために戦地へ送り込み、戦果を挙げればよし、負傷で使いものにならなくなったらなったで『竜騎士の血統を維持するという高貴なる任務』が待っているというわけだ。
ヒルダと同じような私生児の女竜騎士たちは、皮肉と恐れを込めて言う。
「彼女は馬を駆ることをやめ、男に『駆られる』ようになったのだ」と。
男に『駆られる』ことを恐れない女の竜騎士はいない。とりわけ、私生児ならば。
「無論、貴君らを闇雲に死地へ送ることはしない。このマリウスの名において、必ずや貴君を無事に任地へ送り届けるため全力を尽くそう。その上で、問おう。貴君は、この任務に従事することを希望するかね? もし望まないのならば……」
「任務了解いたしました、閣下!」
「……そうか」
断ることなど、あり得ない。私生児が栄えあるロムルス竜騎士第三団の副長まで成り上がるため、どんなに無理な任務であろうとも完璧な結果を出してきたのだ。いまさら、こんなところでつまずくわけにはいかない。
マリウス将軍は平民出で、竜騎士でもないという珍しい将軍だ。人望は厚く、私生児だからといって差別するようなこともない。彼が全力を尽くすと言うのなら、それは言葉通りの意味なのだ。それで死ぬのだとしたら、後は自分の運を呪うしかない。
「よろしい。貴君の武運を祈ろう。後のことは財務官のプラエヌス君に任せてあるから、彼の指示に従いたまえ」
「第三団副長ヒルダ・レムニカは財務官プラエヌスの下へ向かい、命令を受領します!」
敬礼し、復唱を返して踵を返す。
これでもう後戻りはできない。
だがそれはいつものことだ。
そう、自分に言い聞かせた。