六話 エシリア竜騎士団の結成
長い、長い時が過ぎた。
七つ首の竜は七頭の竜を残し死んだ。
七頭の竜は互いに世界の支配者たらんと相争う。
それぞれの支配する力がぶつかり合った。
光と闇は失われた。
天と地は混沌の中にあった。
火と水は荒れ狂った。
生命は死に絶えたかに見えた。
――「創世神話」より抜粋
メッシニアの街を発ってからから、数日は何事もなく過ぎていった。
どこまでも続く丘陵地帯ではところどころに村も見つかり、小麦その他の耕作と牧羊がなされるのどかな風景が見られ、とても戦争下にある国の光景とは思えないほどだった。
元々、豊かな土地柄なのだ。戦火に見舞われたこともない人々の気性は総じておおらかで、突然訪れたプレシアたちのような旅人をも寛大に迎え入れ、一夜の寝床と温かい食事を提供してくれた。戦争の成り行きについてしきりに聞きたがるが、さほど切迫感は感じさせず、街や都の人間は困ったものだと他人事のように語る姿が印象的だった。
戦争が始まって三ヶ月。この辺りにはまだ軍の姿はないようだが、じきに港町周辺の食料を食べ尽くしたロムルス・カルティア両軍は内陸部の村々へと手を伸ばすだろう。そうなったら彼らも他人事ではいられなくなるはずだが、プレシアとレオンティナはあえて黙し語らなかった。
そして、そろそろ目的地であるシルニアまでの行程を半分ほど消化し、ロムルスの勢力下にある港町カタルニアを迂回して進もうとしていたときのことだった。
一行は、一頭のロバを引きながら逃げる人影を発見した。
追っているのは、装備から判断してロムルスの兵が十人ほど。ロバは体の両脇に荷物を下げていて、それほど速くは走れないようだ。懸命に手綱を引っ張る姿は、どうやら女性のものらしい。
丘の上から発見したので、向こうはまだこちらに気づいてはいないだろう。
「やり過ごしましょう」
プレシアは即断する。
こちらにはレオンティナと竜騎士がいる。ロムルス兵ごとき一蹴できるだろうが、仮に一人でも逃がした場合は少々面倒なことになる。後ろに続くクラウネルたちに身を低くするよう合図を出すが、青年騎士はすっくと身を起こして丘の頂上にその身を晒した。
「あの女性を救うぞ!」
クラウネルはそう宣言すると腰に吊っていた長剣を抜き払い、丘を駆け下りる。
止める間もなかった。
舌打ちを我慢するのも限界だった。
きらきらと光を跳ね返す彼の装備に兵たちが気付き、女を追う二人を残して残りの八人がクラウネルへと向き直る。
「……ティナ!」
プレシアが命じるまでもなく、レオンティナは長弓を手にしていた。
三矢を手挟み、次々と射かける。
二本が鎧兜や鎖帷子に守られていない顔面に突き刺さり、一本が避けられる。
どうと倒れた二人に他の兵の注意が向いた瞬間、さらに射かけられた三本の矢が兵たちの鎧に守られていない部分を的確に射抜いていく。
そこへクラウネルが飛びこみ、剣を横に一閃。二つの首と血しぶきが宙を舞い、残された一人は完全に戦意を失った。背を向けて逃走に移ったところを、クラウネルによって鎧ごと袈裟がけに叩き切られ絶命する。圧倒的な身体能力は、さすがに竜騎士といったところか。
最後に女を追っていた二人がレオンティナによって足を射抜かれ、倒れたところをクラウネルによって止めを刺された。プレシアとアンヘリカが出るまでもなく、十の骸が地に転がることとなる。
止めを刺すクラウネルの姿を見て、思わず口から声が出てしまう。せっかくなので尋問したかったし、そのためにわざわざレオンティナが足を狙ったというのに、それを無に帰してくれたのだ、あの竜騎士さまは。
プレシアは戦闘よりもむしろ周囲へ気を配っていたので、それでクラウネルに声をかけるのが遅れてしまった。仮に他の兵が殺戮の場面を見ていたとしたら、厄介なことになるからだ。また見つかっていなかったとしても危険が去ったわけではない。あれが食料の徴発に出た部隊からはぐれ出た兵だとするならば、そう遠くはない場所に本隊がいる。
追われていた女性へクラウネルが声をかけ、女性が立ち止まる。プレシアは一つ舌打ちして、レオンティナやアンヘリカと一緒に丘を駆け下りた。
「なにしてるんですか、早く進みますよ」
プレシアが声をかけると、ぱっと笑顔を弾けさせながらクラウネルが振り向く。心なしか上気した顔は、彼の実戦経験の少なさを如実に物語っている。もしかしたら、人斬り童貞だったのではないだろうか。
「彼女は近くの村の村長の娘なんだそうだ。今日はそちらへ寄らせてもらおう」
「助けていただきありがとうございました、騎士さま。父からも、勇敢な皆さまへきっとお礼をさせていただきます。どうか私たちの炉端へ招待させていただけないでしょうか?」
近くで見てみれば思ったよりも若く可愛いその娘は、礼儀正しくそう言った。
「……私たちは先を急ぐ。貴女は、早く村へ帰って父親へ防備を整えるよう忠告すべきだ」
「は、はい、ですが、もしもの時は騎士さまたちが守って下さいますよね?」
「私たちは守らない。貴女を助けたのはほんの気紛れだ」
プレシアの冷たい声音に、娘が怯む。それを見てクラウネルが声を荒げた。
「そんな言い方はないだろう、プレシア! 彼女は怖がっている。我々は彼女の招待を受けるべきだ! 私はクラウネル。クラウネル・バスタムーブだ! 我が〈水面を駆ける者〉の紋章にかけて、彼女の村を守ることを私は誓おう!」
「ありがとうございます、騎士さま! 騎士さまに竜神さまのご加護がありますように!」
頭を抱えたくなるのを、何とか思い留まる。彼は、自分たちが立ち去った後でエシリア王家の関係者がこの村へ立ち寄ったという情報を売られることなど、全く頭にないのだろう。仮に彼女は善人だとしても、それは村人全員が善人であることを意味しないというのに。
「……目的地への到着が遅れても構わないのであれば、お好きになさるといいでしょう」
プレシアが投げやりにそう言うと、クラウネルはむっとした表情になる。
「招待は受ける。これは決定だ」
「仰せの通りに、騎士さま」
かたくなに言い張るクラウネルに、プレシアは存在しないドレスのすそをつまんでうやうやしく一礼して見せる。彼は少し嫌そうな顔をしたが、黙って踵を返すと村娘の案内に従って歩き始めた。
「仕方ありませんね、主殿。彼にとっていい教訓となることを期待しましょう」
レオンティナが肩をそびやかして言う。アンヘリカはと言えば、我関せずといった体だ。
プレシアは、自身の予測が杞憂であることを願うしかなかった。
村へは一時間もかからずに到着し、その後一行は温かい歓待を受けた。
「分かりました。騎士さまのご忠告に従い、若い者を見張りに立たせ、羊たちを丘の向こうへ逃がします」
村長はそう言って手早く指示を出し、村の者たちはてきぱきと動いてそれに従った。
若者たちによって羊が一頭さばかれ、食卓に並べられる。よく脂が乗った新鮮な肉は岩塩とハーブのシンプルな味付けでよく旨みが引き出されていたし、村の特産だという葡萄酒も美味だった。
そして夜も更け、皆が眠りについた頃、プレシアの悪い予感が的中する。
夜の静寂を、激しく打ち鳴らされる鐘の音が不意に破る。
「火事、ですかな?」
起きだしてきた村長が不安そうにつぶやき、急ぎ足で扉を開けて外へ出たその瞬間、その胸には矢が突き立った。
「かはっ」
よろよろと崩れ落ちる村長を、いつの間にか起きだしていたアンヘリカが受け止める。
「下がれ! 外から見える位置に立つな!」
アンヘリカはうなずき、村長を部屋の中へ引きずり入れる。
「な、何が……きゃあっ、お父さま!」
村長の娘が、突然のことに口元に手を当てて立ちすくむ。
「待ちなさい! わたくしが処置しますからよく聞くのです。清潔な布を持ってきて、それからお湯も沸かしなさい!」
娘が父親の体にすがりつき、矢を抜こうとするのをアンヘリカが制止し、その両肩に手を置いて言い聞かせるように叫ぶ。娘はこくこくとうなずき、ふらふらと準備にかかる。
レオンティナもすでに起きだし、長弓を手に外を伺っている。
「各所で次々と火の手が上がっています。ここも火をかけられました」
「敵は見える!?」
「はい、見えています。自分たちを守る闇のベールを自ら剥ぐとは、愚かな奴らです」
そう言って弓に矢をつがえる。
ひとまずは彼女に任せておけば敵が押し入ってくることはないだろう。
「あの馬鹿は! 何をしている!」
騎士が起きてこない。様子を見に行ってみれば、この期に及んでぐっすりと眠っていた。頭に来たので、脇腹に全力で蹴りを入れる。
「起きろ! 敵襲だ!」
「ぐはっ、な、何をっ……」
「敵だ、戦え!」
壁に立てかけてあった剣を放って渡す。
「よ、鎧を……」
「いらん! 貴様、竜騎士だろう。そのまま突っ込んで全部避けろ! ティナが援護する!」
「あ、アンヘリカとジェシナは……」
「私が守る! とっとと行け、この野郎!」
ぐずぐずと言い募るクラウネルの背を蹴飛ばす。ようやく目が覚めたのか、眠気を振り払うように頭を振ると、勇ましい掛け声と共に飛びだす。その後をティナが追っていく。アンヘリカは村長の手当てをしているので、プレシアが戸口の陰に立って剣を抜き、外を警戒する。一人や二人なら、まあ何とかならないでもない。屋根の火が燃え広がっている気配が伝わってくるが、そちらは今はどうしようもない。二人が手早く敵を片付けてくれることを祈るばかりだ。
問題は、敵集団の規模と錬度だった。ちらりと外を見た限りでは敵は散開している。おそらく村は取り囲まれているはずで、全周から詰め寄ってくる敵に対してこちらでまともに戦えるのはクラウネルとレオンティナだけと、手が足りていない。危急を告げる鐘の音が止んでいるところを見ると、見張りに立っていた若者たちは殺されたと考えていい。実質、戦えるのは二人だけということだ。
「だから嫌だって言ったのに、もう!」
ちらりと目をやると、アンヘリカが村長の手当てを続けていた。その周りを村長の娘がかいがいしく動き回る。レオンティナの見立てではアンヘリカもかなりの実力者だと言うが、見た目からはそんな様子は感じ取れない。クラウネルの言動を見る限り、彼女はもしかしたらクラウネルに対してもその強さを隠しているのかも知れない、と何となく思う。
外では、一方的な虐殺が繰り広げられていた。もちろん、竜騎士クラウネルと魔剣レオンティナの二人組によってだ。散開している敵に凄まじい速さで詰め寄り斬り捨てるクラウネルと、彼に向かって矢を放とうとする敵を的確に射倒していくレオンティナ。
その途中で、逃げまどう村人たちを村で唯一の石造りの建物である聖堂へと誘導していく。敵部隊は思いがけない反撃によって出鼻を挫かれたようで、思ったより人的被害は少ないように見受けられた。
ほどなく、総勢二百名ほどのロムルス軍徴発部隊は、その半数ほどを討たれ四散した。
自分の家の中からこわごわと外を覗いていた村人たちが、徐々に集まってくる。村長はとても喋れる状態ではなかったので、クラウネル指揮の下で火を消し止め、聖堂へと生き残った村人を集める。村人の報告を集め、被害をまとめていく手際は悪くなかった。
その間に、村長に話しかける。
「以前にもこういうことは?」
「いや、初めてのことだ。奴らは……ロムルス軍だったのか? 村人たちは……大事ないだろうか?」
「クラウネルがよく戦いましたが、おそらく何人かは……」
「そうか……いや、旅の人たちよ、私たちのために戦ってくれたことを感謝したい」
「村長様……」
「ん? 何だろうか」
「いえ、何でもありません。今は、他の者に任せてお休み下さい」
少し迷ったが、遠からずロムルス軍はまた遅い来るだろうことは伝えずにおく。その時にはもう村を離れているプレシアたちに、何ができるわけでもないからだ。それに、クラウネルがこの事を知ったら、村を守るためにロムルス軍が来るまで逗留するなどと言い出しかねない。
クラウネルが歩み寄ってきたので、話を打ち切る。村人の話をまとめたところ、死者二名、重傷者二名、軽傷者多数。加えて全焼三戸、半焼十戸に被害が出ていた。防備もろくに備えていない村がロムルスの徴発隊の襲撃を受けた結果として、畑と羊が無事だったのはまず僥倖と言えよう。
「騎士さま!」
「騎士さま、ありがとうございます!」
「竜神さまがあんたたちを遣わしてくれたんだ!」
集まった村人は口々に感謝の言葉を述べる。だがクラウネルの顔は晴れない。
「竜神さまって?」
「モンジベロ火山の赤竜さまです。この聖堂も赤竜さまを祀るものなんですよ」
プレシアが口に出した疑問に、村長の娘が弱々しげな笑みを浮かべて答える。竜信仰は、ロムルスではすっかり廃れてしまった信仰だが、ここエシリア島ではまだまだ信じられているらしい。それも当然なのかも知れないとプレシアは思う。かたや竜とは竜騎士のことを、無闇に偉ぶる貴族の血のことを言い、かたや実際に外敵から島を守ってくれる本物の竜を指して言うのだから。
「きっとお父さまの命が助かったのも、竜神さまと騎士さまたちのお陰ですね」
そう言って健気に笑う姿は、少し痛々しかった。
翌朝、村人たちに見送られて出発してしばらく行ったときのことだった。
「僕は……君たちのことを誤解していたのかも知れない」
クラウネルは前方を見詰めたまま続けた。
「プレシア、君の指示がなければ僕はもっともたついて、いたずらに被害を増やしていただろう。僕は指揮官として、いやそれ以前に一人の騎士として、あまりにも未熟だ。そして、レオンティナ。後からよく思い返してみれば、昨日の僕は自分の判断で戦っているようでいて、そうではなかった。僕が次にどこへ向かい誰を倒すべきか、常に君の援護射撃が導いてくれていた。僕は、僕の力だけではこれから先、戦っていけない。きっと君たちのような人間の助けを必要としているのだろうと、痛感した」
「……雇い主に死なれては困りますから」
「僕は決めた。いや、昨日のことで決意を新たにした」
クラウネルはプレシアとレオンティナへ向き直り、緊張した顔で切り出した。
「プレシア、レオンティナ、聞いて欲しいことがあるんだ。僕の名はクラウネル・バスタムーブ。エシリア王家の継承権第一位だった人間だ。今まで隠していてすまなかった。そして率直に言おう。僕に、君たちの力を貸してはくれないだろうか?」
「第一位『だった』ですか……」
静かに受け止めつぶやいたプレシアを見た彼は、軽く笑って見せる。
「意外と驚かないのだな。そうだ、僕は継承権を失い、その代わりに竜騎士の力を得たのだ。そして僕には、この力を使って果たすべき大願がある」
「ロムルスとカルティアの撃退、でしょうか」
落ち着いて問いを発するレオンティナにうなずいて、クラウネルは続ける。
「それもある。だがそのためには私の力だけでは足りない。単純に考えても、エシリアには七つの重要な海港がある。その全てを等しく外敵から守るため、私はロムルスやカルティアにも負けないエシリアの竜騎士団を創設したいと考えている」
「エシリア竜騎士団……ですが、どうやってそれを?」
「決まっている。始まりの竜騎士がそうしたように、我々もそれを成すのだ」
始まりの竜騎士。それは、竜と戦い、竜の血をその身で浴びることによって竜騎士になったという伝説を指すのだろう。
「つまり、エシリアの赤竜を殺そうと言うのですね、貴方は?」
「そうだ。エシリアの人民は赤竜が島を守ってくれていると言うが、現実はどうだ。私の国はロムルスとカルティアに蹂躙され、今や王都を残すのみとなっている。あの村のように助けを求めている人民がどれだけいるのかも分からないと言うのに、赤竜は何もしない! 何かを成すだけの力を持っているにもかかわらず、だ! 私はそれが許せない! ならば竜の力は我らが、我らエシリア王家が得て、竜になり代わって我らが人民を守らなければならないのだ! それが正義だ! 違うか、僕は間違ったことを言っているか!」
プレシアは、思わずこみあげるものを押さえこみ、その場にひざまずいて述べる。
「素晴らしいお考えです、クラウネル様。私は貴方の剣として敵の前に立ち、貴方の盾として敵からお守りいたします。貴方の御心のままに、必要とあらば命を捧げることを、我が名と我が剣において誓います」
「私は、主殿に従うのみでございます」
プレシアの言葉に、隣にひざまずいたレオンティナが続ける。
クラウネルは一つうなずき、魅力的な笑みを浮かべる。
「彼女のことも紹介しておこう。彼女の名前はアンヘリカ・バリリエントス。カルティアの……僕の協力者だ。竜に関する知識と、治療術を僕らに提供してくれる。今はまだ四人だけの騎士団に過ぎないが、我々の思いはきっと届き、人々は我々エシリア竜騎士団へ惜しみない助力をしてくれることだろう。皆、協力し合いながら僕を助けて欲しい」
アンヘリカは、クラウネルにちらりと目をやって、それから黙って頭を下げる。
それから、肩に剣を当てて誓いの言葉を述べる、騎士の叙任が簡単に行われた。
プレシアもレオンティナも、それらしい言葉を並べて誓う。
「ありがとう。僕は君たちの信義に背かず、この身果てるとも常に君たちの横に立ち戦うことを、我が名とわが祖先の魂にかけて誓おう。さあ、立って欲しい」
クラウネルは感極まったように目に涙を浮かべ、プレシアとレオンティナの手を取った。
それは、とても感動的な場面だと彼の目には映っているようだった。
その晩。
レオンティナと二人で歩哨に立つプレシアは、昼間押さえこんだ笑いをようやく解き放った。
「ねえ、ティナ、聞いた? 彼、赤竜を殺すんですって。あはは、あはははははっ!」
なんて、愚かな騎士なのだろうか。
若者、特に騎士になりたての若者というものは、自分を英雄か何かと勘違いするものだ。
救国の英雄たらんとする彼は、いずれ亡国の王となるだろう。
そんな予感を胸に、プレシアはいつまでも笑い続けた。