五話 エシリアの歴史
カルティア人は金で購う。
エシリア人は作物で購う。
我らは血と鉄とで購うだろう。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
プレシアとレオンティナはうなずき、了承を示した。
「よし、決まりだ。顔合わせをしよう。こっちに入りな」
仲介人モーシャはぱちんと両手を打ち合わせ、扉を開け放ったまま奥に引っ込む。
去勢奴隷が手振りで促すのに従い、扉へと足を進める。
モーシャの応接室に足を踏み入れたプレシアとレオンティナは、護衛対象なのであろう二人組の姿を目にする。
「待て商人! ふらりと訪れた傭兵風情に仕事を振るだけでそんな大金を取るつもりか!」
一人は、モーシャに食ってかかっている若い騎士。
白金でメッキされた板金鎧に、汚れ一つない白いマント。見るからに高貴な騎士様といった格好だ。胸当てには、さざ波とその上で踊る人の意匠が彫り込まれている。あれはどこの紋章だっただろうか。
「あの紋章は……エシリア王ディオニアの一族、バスタムーブ家の〈水面を駆ける者〉ですね」
レオンティナが耳打ちする。
そしてもう一人。
深く下ろされたフードの下に覗く肌は、やや褐色がかっているように見える。褐色の肌はカルティア人の特徴。加えて、ローブの上からでも分かる、細身でありながら起伏に富んだ体形は、女性のものだ。
青年騎士の隣に腰かけていたところを見ると、奴隷ではない。戦争中であるはずのエシリア騎士とカルティア人というのはどうにもおかしな組み合わせだが、黙って成り行きを見守る彼女の様子からは容易に素性は知れそうもない。
「困りますなあ、騎士様」
両手を大きく広げ、諭すようにモーシャが言う。
「私は仲介屋で、貴方は客だ。貴方はシルニアまで確実に届けてくれる護衛を欲し、私はそれを成し遂げられるだけの腕利き二人を紹介した。それがお気に召さないのであれば、どうぞ他の仲介屋を当たってみることですな」
「そこの二人、僕たちをシルニアまで護衛する気は……」
プレシアとレオンティナに声をかけようとした青年騎士を、モーシャが遮る。
「おっと、おイタはその辺にしときましょうや。お二方はあんたみたいに紹介料を渋るケチくさい客じゃなくても引く手あまたなんだ」
その口調は先ほどまでと打って変わって厳しい。
いつのまにか、去勢奴隷のアッゴもモーシャの後ろに控えている。
仲介屋に紹介してもらった人間との直接交渉はご法度だ。
そんなことも知らないとは、どうやら本当のボンボンらしい。
「……くっ」
青年騎士は唇を噛み締めて、一枚の金貨を卓に叩きつけた。
依頼の内容にもよるが通常なら仲介料は銀貨数枚が相場だから、モーシャもたいがい足元を見ているとは思うが、最初に了承したらしいのだから青年騎士の自業自得だ。
「話はついた? ならさっさと行きましょう」
ため息まじりにプレシアが促すと、青年騎士がこちらをきっと睨む。
「貴様も! 雇い主に対して名前ぐらい名乗ったらどうなんだ?」
その瞬間、室内を濃厚な殺気が支配する。
「……黙れ下郎!」
今度はプレシアに向かって怒鳴った青年騎士を、レオンティナが睨みつけていた。
青年騎士が気圧されたように黙り込む。
「ティナ」
もういい、と首を振って示すと、彼女は殺気を霧散させた。
「すみませんでした、主殿」
プレシアに向けてにこりと笑みを見せる。可愛い。
そして、こちらにも一言言っておく必要がある。
「エシリアの騎士さま? ロムルスの勢力圏内から無事に抜けたいのなら、互いの素性は詮索しない方がよくはないかしら?」
プレシアの言葉に、青年騎士は明らかに動揺した様子を見せ、鎧に刻まれた紋章をさっと手で押さえる。今ごろ気づいたのか。
「傭兵風情と思って侮らないことね。私はプレシア、こっちはレオンティナ。これで満足した?」
「……失礼した。気が立っていたのだ」
こちらの言葉に理があることと、わずかな時間でエシリア騎士であることを見抜く観察眼、そして先ほど発したレオンティナのただならぬ殺気から、プレシアたちの実力をある程度認めたのだろう。青年騎士の言葉がやわらぐ。丸っきり馬鹿と言うわけでもないらしい。
「そう。いいわ、じゃ依頼を受けましょう」
了解のしるしに軽くうなずき、歩み寄って片手を差し出すと、騎士はその手を握った。
プレシアは一瞬言葉を失い、それから思わず噴き出してしまう。
「違う違う! 前金をちょうだいってこと!」
青年騎士が目を見開き、それから顔を真っ赤に染める。
やり取りを見ていたモーシェが大笑いし、レオンティナも口を手で押さえて噴き出した。
慌てて弁解する青年騎士の姿を見て皆が笑い、フードの女すらも口元に笑みを浮かべた。
この青年騎士、決して嫌な奴というだけではないらしい。
食料や消耗品をモーシェの店で補充し、夕闇に紛れてメッシニアを出る。
明日以降はマメルティニ残党やエシリア人の不穏分子の狩り出しが本格化するため、都市機能の制圧や略奪でロムルス軍がばたついている内に街を抜けてしまった方がいいというレオンティナの判断だ。
丘を一つ越え、街から見えないところまで来たところで、改めて簡単な自己紹介を行う。
「プレシア・フォーフィット。そして彼女は私の従者レオンティナ・チャームブランド」
プレシアの名は本名からもじった偽名だし、フェイト家の筆頭剣士レオンティナの名はエシリアやカルティアでは知られていない。この二つの名前から二人の素性が知れることはないはずだ。
そして青年騎士は自らをクラウネル、フードの女性はアンヘリカと、名前だけを名乗った。後でレオンティナに確かめたところでは、現エシリア国王の長子がクラウネル・バスタムーブと言うらしい。本人なのだとすれば、王家に連なる者どころか本物の王子様だ。
エシリア王族ならば〈赤竜〉の紋章を付けているはずで、こちらならばプレシアでも一目で気付いていたはずだ。バスタムーブ家の〈水面を駆ける者〉の紋章を付けていたのは、あれでも身分を隠すためだったらしい。
まあ、クラウネルの不運はレオンティナを相手に回したことだろう。数百年を閲し数多の戦場に立ち続けた彼女は、趣味という部分もあるのだろうが小国家の小貴族に至るまで、各家の紋章と格言を網羅している。
しかしそんなレオンティナでも、アンヘリカの名で思い当たるものはないと言う。悪名高いカルティアの門閥貴族に連なる者か、あるいはそうではないのか。分からない以上、警戒は緩めない方がいいだろう。
それにしても、とプレシアは思う。
エシリアの王子が連れるカルティア人女性。
やはり興味深い組み合わせだ。ロムルスの上層部も興味を示すだろう。
エシリアで自由に動けるよう取り計らってくれた元上官に、恩返ししてもいいかも知れない。
道中、レオンティナとの間にだけ通じる符牒で、どこかで仕掛けるかと問いかける。
エシリアの王子、それも継承順第一位となれば、捕獲すれば色々使い道があるはずだ。
返ってきた答えは、否定だった。
少し意外だったけれど、こと荒事に関してはレオンティナの判断は絶対だ。
プレシアとしても異存はないので、了承を返す。
符牒では細かい内容まで伝えられない。
詳しいことは二人きりになったときに聞けばいい。
当たり障りのない会話からもう少し探りを入れてみることにする。
「この先の行程だけど、モーシャから聞いている通り海路は使えない。陸路を行くとして、大体二週間ってところかしら」
それを聞いて青年騎士が不満げな声を上げる。
「私を馬鹿にしているのか。ここから王都シルニアまでは徒歩で一週間の距離。馬もあるのに二週間もかかるはずがないだろう」
「道を行けばそうでしょうね。ロムルス兵に捕まってもいいならだけど」
「なっ、メッシニアだけでなく、カタルニアもロムルスの手に落ちていると言うのか!」
プレシアは絶句する。
このボンボン騎士、このエシリア島の現状を全く理解していないらしい。
「騎士なのにそんなことも知らないの!?」
思わず詰問口調になってしまい、クラウネルもむっとしたように言い返してくる。
「僕は国を離れていたんだ! 王都へ直接向かおうとしたのに嵐に遭って流され、挙句にロムルスの軍船に追われて……」
「クラウネル!」
馬首を並べて言い合っていた二人に、後ろから制止の声がかけられる。
落ち着いた感じの澄んだ声の主は、フードの女性、アンヘリカだった。
クラウネルははっとしたように口をつぐむ。
けど、止めるのが少し遅かった。
今の言葉からロムルスの勢力圏内のど真ん中にこの二人がいた理由がだいぶ読み取れた。
この二人は、おそらくカルティアから来たのだ。
とすれば、クラウネルは使者か何かの任についていたのだろうか。
「しかし、この調子で道中ずっとわめかれると面倒ね……」
隣を行くクラウネルには聞こえないようにつぶやく。
これはもう、一から教えた方が早いかも知れない。
「いい、何も知らないなら今の情勢を少し教えてあげるけど、黙って聞く気はある?」
「……」
無言を了承とみなし、続ける。
「そもそも、今回の戦争はなぜ起こったのか、知ってる? ちょっと長くなるけど、それにはここエシリア島の地勢的な要因が大きく関わってくるから、まずはそれを説明する。騎士さまなら、地図くらい見たことがあるでしょう? エシリア王国は島の北西部においてロムルス共和国とメッシニア海峡で隔てられた、おおむね横長の楕円形の島なの。そして、このメッシニア海峡は狭いことで有名で、私たちがさっき出てきたメッシニアはその名からも分かる通り、メッシニア海峡を挟んでロムルスに一番近い港町として栄えている。ここまではいい?」
エシリア島の外周部には、メッシニア以外にも天然の良港がいくつも点在していることから、古来よりロムルス・カルティア間の貿易の中間地として栄えてきたのだ。目指す王都シルニアもその一つで、最初のエシリア人が住み着いたのがこのシルニアだとされている。
「それくらいは知っている……」
すこし拗ねたような声で呟くクラウネルを無視してプレシアは続ける。
「こんなに近いとロムルスに攻められていそうなものだけど、実はこれまで両国は比較的良好な関係を保っていた。理由はいくつかあるんだけど、分かる?」
答えは返ってこない。
「エシリア島は港以外の場所は切り立った崖ばかりで大型船は接岸不能なこと、ロムルスは陸軍中心で海軍が未発達なこと、建国以来陸続きの外敵と戦い続けてきたから海を渡って攻める余裕がなかったこと、この三点が大きいかな。細かいことまで挙げれば、穀物の供給や血筋の問題まで色々と挙げられるけど、今は省きましょう」
知っていても、エシリア王家に連なるクラウネルには話せないこともあるのだ。
「……最終的に、両国がカルティアも巻き込んだ戦争を始めたきっかけは、エシリア王家が雇っていたカンピニャ人の傭兵部隊マメルティニの反乱だったの。何が理由かは知らないけど、突如メッシニアを占拠した彼らは、奪還のための軍を編成したエシリアに対抗するため、救援を要請した。そう、貴方も知っている通り、ロムルスとカルティアの両方に」
事あるごとに対立しながらも決定的な戦争には至っていない二国の間に立って、うまく立ち回ろうという思惑だったのだろうが、甘いにもほどがある。
「……ロムルスとカルティア、どちらも死肉漁りの犬どもに等しい奴らだ」
クラウネルが吐き捨てる。
それには同意しよう。
彼らはどうしようもない駄犬で、きゃんきゃん吠えれば金と兵が湧いてくると思っている。執政官以下、全国民が団結して戦争をしていた時代も今は昔。彼らにとって戦争とは、新たな利権を得るために行われる行為に過ぎない。
そのために流される血、二度と戻らない夫や兄は、必要な犠牲なのだと彼らは言う。
自分たちは寝椅子で酒食を貪っているだけなのに、だ。
プレシアは、自分の口元に皮肉気な笑みが浮かぶのを意識しながら続ける。
「そう、マメルティニが犬なら、ロムルスもカルティアも犬。外敵との戦争がひと段落して兵を遊ばせていたロムルスは、新たな領土獲得の好機とみて助けを求めてきたマメルティニと組んだ。それに対してカルティアは始めエシリア王家と組む動きを見せた。しかしそれは見せかけ。カルティア海軍は友軍のふりをして港へ侵入、瞬く間にエシリアの重要港の半数以上を落としてしまった。それに対してエシリア側は王都シルニアの守りを固めるしか術はなく、ロムルスはとは言えばマメルティニを利用していくつかの港を落とし、つい先ほど用済みになったのでご退場願ったというわけ。かくしてエシリア島は、王国を挟む二大強国による草刈り場となった」
「……だからこそ、僕は、是が非でもシルニアへ戻らなければならないのだ」
「私とレオンティナが貴方をお連れしましょう。ともかく、大雑把に分ければエシリア島の東半分、都市名で言えばガラニア・グリジェニア・セルニア・モディニアをカルティア軍が、メッシニア・カタルニア・シルニア周辺地帯など西半分をロムルス軍が掌握し、エシリア王家は王都シルニアの城壁内に逼迫している。これが現状です。このまま海岸線に沿って南下していけばカタルニア、その先にシルニアがあります。カタルニアはすでにロムルス軍に落とされていますから迂回するとして、やはりシルニアまで二週間は見ておいた方がいいでしょうね。以上、ご理解いただけたでしょうか、騎士さま?」
「……お前がこの島の事情に通じていることは分かった。言う通りにしよう」
「そう。お任せ下されば私がシルニアまで送り届けて差し上げます」
クラウネルに向かって長広舌を振るいながら進む内に、日は落ちてしまった。
ちょうど新月の夜だった。徒歩ならともかく、騎行で星明かりだけを頼りに進むのは少々怖い。替え馬もないので、途中で馬に足を折られるのは困る。今日はここで野営しようと提案すると、先刻から疲れた様子を見せていたクラウネルもそれに同意する。
念のため、森の中で少しくぼんだ地形を選んで火を起こす。幸い地面は湿っていなかったし、ロムルス軍が斥候を放っていても火を発見される危険性を大幅に減らせる。案の定、クラウネルとアンヘリカは煮炊きなどまるでできない様子だったので、レオンティナに命じて準備をさせる。
彼女が矢でウサギを仕留めてくれたので、はらわたを抜いて匂いのいい野草を詰めて火であぶる。ウサギの肉を少しと野菜を入れた小麦の粥も作れば、まあ旅の最中ではご馳走の部類に入るだろう。
腹がくちくなり、体が熾火の温かさに包まれると、クラウネルがうとうとし始める。アンヘリカも、顔には出さないものの疲れた様子は否めない。
「……お二人はお休み下さい。私と主殿が交代で歩哨に立ちますゆえ」
「……っ、僕も」
歩哨に立つと言いかけたクラウネルに、レオンティナが首を振る。
「明日は止まらずに進みます。今の内に体を休めておくことです」
クラウネルの顔が歪む。おおかた、騎士として女性二人に歩哨を任せるのはどうなのかなどと考えているのだろう。分かりやすい御仁だった。
「いつも二人でやっていることですから、雇い主殿は気になさらず」
プレシアがそう声をかけると、クラウネルはゆっくりと頭を下げた。
「すまない。ではよろしく頼む。……どうやら僕は、貴方たちのことを誤解していたようだ」
レオンティナが微笑みを返し、それでは、と野営地から離れていく。
プレシアが促すと、ほどなくしてクラウネルもアンヘリカも眠りに落ちていってしまう。
それを見届け、プレシアは立ちあがる。もちろん、向かうのはレオンティナの所だ。
「……少々、冷や汗をかきました」
星明かりの下、プレシアの姿を認めたレオンティナは、そんな風に口を開いた。
「どういうこと?」
「あの二人、見た目以上の使い手です。同時に相手にすれば、主殿を守り切れません」
「ふうん……そんな風には見えなかったけど、ティナがそう言うのなら、そうなのでしょうね」
「エシリアの騎士。私の見る限り、あれは竜騎士です」
「へえ……って、ええ?」
さらりと言われたので、思わずうなずいてしまった。
「エシリアの竜は健在のはずでしょう?」
「疑いなく」
「エシリア王族の祖先に竜騎士の血統が? いや、でも……」
「そのような偶然があるとは考え難いですね」
「エシリア王と女の竜騎士との間の私生児……考えられないことではないけれど」
「カルティアの竜騎士なら生殖機能を絶たれているはずです。あるとすればロムルスでしょうが、女の竜騎士が亡命したという話も聞いたことがございません」
竜騎士の血統を持つ者が外国へ逃亡したり、それを手助けしたりすれば、問答無用で吊られるのがロムルスという国のお国柄だ。カルティアでも、その辺りの事情に大差はないだろう。
「じゃあ、カルティアがエシリア人を契約で竜騎士にしたってこと? それも王族の人間を?」
「さて……そこであのカルティア女がかかわってくるのやも知れません」
竜騎士の力は、そのままその国の軍隊の力だ。
基本的に、竜騎士を擁する軍に、竜騎士を持たない軍は勝てないとされている。
戦況を容易くひっくり返す圧倒的な個の力、それが竜騎士だ。
そして、かつていくつかの国に存在した竜騎士の血統はそのほとんどが絶え、現在ではロムルスとカルティアに残るのみとされている。ごくまれにはるか昔の竜騎士の血統が子孫に現れる例もないではないが、そもそもエシリアには竜騎士の血統自体が存在しないはずだ。
「仮に、仮にエシリアが竜騎士の力を得たとしたら」
「海と火竜による鉄壁の盾と、竜騎士という最強の剣。少々厄介ですな」
以前、レオンティナから聞いたことがある。ロムルスとカルティア、竜騎士を擁する二大強国に挟まれ、なぜエシリア王家が独立を保っているのか。それには海と火竜の存在が大きく関わっているのだと。
過去、エシリアを攻めようとした国が一つだけある。東方の亡国グリシアがそれだ。かの国はエシリア人とその祖を同じくするグリシア人が治める国で、当時のエシリア王国の宗主国でもあった。ある年、両国の対等な関係を求めるエシリア王家の使者が立てられたが、グリシアはそれを一笑に付し、制裁のための軍船百隻を派遣したとされている。
グリシア軍は竜騎士を擁していた。勝敗はやる前から明らかと誰もが思っていた。しかし結果はグリシアの惨敗だった。エシリア島の赤竜、ドラクォ・エシリアスによって、上陸する前に全ての船を焼き払われ、海に沈められた結果だった。
その敗戦を境にグリシアは国力を徐々に衰退させ、ついには滅亡に至る。同時に赤竜はエシリア王家を通し、エシリアの地を竜騎士が踏むことまかりならずと諸国家に宣言した。それ以来、あえてエシリアを攻めようとする国は今日まで現れなかったのだ。
「以前、レオンティナから聞いた話だと竜騎士はエシリアに入れないって話だったけど」
「竜は血で呪われた竜騎士の接近を感じ取ると言いますが……さて、エシリア人ならばよいという理屈なのか。他国の竜の思考は分かりませんな」
「……上手く、利用できないかな?」
「主殿の目的、赤竜の討伐のためにはより強き肉体が必要です。竜騎士の体ならば申し分ありませんな」
そう言ってレオンティナは笑う。
彼女は、より強き魂を喰らい、より強き肉体を傀儡とすることで悦楽を得る。
人型の竜であるともされる竜騎士の魂と肉体であれば、さぞ美味であろう。
「二人を分断できれば殺れそうかしら?」
「今の私では、竜騎士だけでも難敵です。万が一にも主殿を危険にさらすわけにはいきませんから、機会が訪れるまでは無理をしない方がよろしいかと」
「そうよね……」
エシリア島への潜入の際、レオンティナはそれまで使っていた傀儡を捨てていた。それは苦労して得た竜騎士の身体だったが、渡航の際に赤竜に勘づかれれば船ごと沈められてしまう可能性があった。それを避けるための処置だ。
クラウネルの身体を奪うに際して、最大の問題は傀儡化の瞬間にある。持ち主であるプレシア自身がチャームブランドを握り、誓詞と共に心臓を貫かなければならないのだ。傀儡化の瞬間を他人に狙われれば、無防備なプレシアとレオンティナは容易く殺られてしまうだろう。
それを防ぐためには、仲間が必要だった。対象とその周囲にいる人間を切り離し、プレシアとレオンティナだけで対峙できる状況を作り出せるような、仲間が。
「あの竜騎士の若者がいかにして竜騎士の力を手に入れ、その力で何を成そうとしているのか。興味はありますが、主殿の役に立つことはおそらくありますまい。ただ、エシリア王家との繋がりはいずれどこかで役に立つ場面もでてきましょう」
「そうね、せいぜい友好的な関係を築くとしましょう」
いつか、その身体を得られる好機も巡って来るかも知れないのだから。
そう結論付け、腕を天に向けて伸びをすると、思わずあくびが出てしまう。
思えば、長い一日だった。ロムルスの軍船に先駆けて上陸し、モーシャに接触し、マメルティニの指揮官アナトーリアを傀儡にし、クラウネルやアンヘリカと出会い、その日の内にシルニアへと出発。
「……主殿はもうお眠り下さい。今日は私が見張っております」
「疑われる可能性は少しでも減らしたいから、私も歩哨に立とうと思ったのだけど……そうね、今日だけはお願いするわ」
「はい。お休みなさいませ、主殿」
彼女の主体はあくまで剣であり、怪我などで肉体がその機能を失わない限りは疲労せず、睡眠も必要としない。プレシアは、時に彼女の傀儡になりたいと思うことがあるほどだ。
「まあ、そんなことはありそうもないけれど」
たとえ手足を失ったとしても、自分の人格を失うのだけはごめんこうむりたい。
レオンティナにすら聞き取れないほど小さくつぶやき、プレシアは自分の寝床に戻った。